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  コンコンというノックの音に返事をしながらドアへと向かう最中。


  いつもより極力気配を押し殺したルナが、いつもよりも小さな声で忠告した。

『光の精霊が、魔法を使っている。偽りを口にしたら術者に伝わるぞ』

「……」

  つまり私はリーリエ様に嘘をつくことは出来ないらしい。

  正直、面倒だと思った。

  それになんというヒロインチート。

「……お待たせいたしました。どなたでしょうか?」

  いつも通りを心がけ、顔が強ばらないようにしながら、ドアを開けると。

  制服の胸元辺りを心細そうに掴んでいるリーリエ様の姿。

  こちらを見つめる女の子らしい大きな瞳は、緊張していて上目遣いで私を窺っている。

「ごきげんよう、リーリエ様」

  2人きりで話すのは初めてだ。

  内心緊張していた私は必要以上に、完璧な仕草で挨拶をしていた。

「何か、ありましたか?」

  恐らく殿下を探しに来たのだろう。

  だけど、せっかく休んでもらえるというのに、ここでリーリエ様の相手をさせる訳にはいかない。

「ここに、誰か来た?」

  恐らくフェリクス殿下が来たかどうかを聞きたいのだろう。

「誰か……ですか」

  嘘を言わなければそれで良い。上手く切り抜けようとしたところで。

「ねえ、フェリクス様。ここに居るんでしょう? だって、レイラさん、私を除けばフェリクス様と話す回数多いもの」

「……」

  思わず固まってしまったのは、彼女の表情だ。

  嫉妬の炎に焼かれる女のような顔をしている。

  リーリエ様程、話している訳ではないんだけどな。

  何を言ってもボロが出そうな気がした。

「さっき、誰かと話していたレイラさんの声を聞いてから、どこか行っちゃったし」


  私のところに行ったと疑っているのか。

  疑いをかけられているからこそ、私は悠然として答えた。

  にっこりと浮かべる微笑みは何の陰りもなく、疚しいことなど一切ないと言わんばかりの私の表情。

  嘘は言わない。私は本当のことしか言わない。


「寝不足の人が1人ベッドを使っております」


  貼り付けた微笑みは、私に出来る最上級の微笑みだった。

  嘘は言っていない。本当のことしか言っていない。

  だからこそ、余裕ありげに私は対峙する。

  それらは、私の声に、態度に、振る舞いに、笑顔に現れている。

  そう見えるようにしている。


「……その、寝不足の人ってフェリクス様?」

「最近、私の叔父が何日も徹夜しているんです」


  欺こうとかそういう意思を思考から追い出して、叔父様が酷いクマを拵えて廊下を競歩していた光景だけを頭に思い浮かべながら答えた。

  嘘は言っていない。正直博打だったけれど。

  口ごもらずに咄嗟に返したからこそ、信憑性は増すだろう。

  このやり取りは、よく聞けば分かるけれど、話が噛み合っているようで実は噛み合っていないのだ。答えているようで答えていない。

  それを自然に聞こえるような態度は取っているけれど。


「……なんだ、居ないんだ」


  勝手に判断をして去ってくれるのを願うばかりだったが、リーリエ様はそれ以上は追求しなかった。


「ごめんね。疑っちゃった」

「いいえ」

  言葉少なに会話を終わらせて、手を振ってリーリエ様を見送った。


  しばらくして、光の精霊の気配が消えたのか、ルナがもごもごと私に言ってきた。

『ご主人は詐欺師だな』

「演技派と言ってちょうだい」

  あながち間違いでもないので苦笑した。


  カーテンに覆われたベッドの近くまで行って、寝息が聞こえたのでカーテンにかけた手を引っ込める。

  あれからすぐに寝てしまったのかもしれない。

  静かにしていよう。


  この部屋に置き去りにする訳にもいかないので、借りてきた本を開いて必要な箇所を抜き取る作業を続行していた。


  叔父様も大変なのは分かっているんだけど、まさか研究の一部を私に投げてくるとは思ってもみなかったなあ……。


  レモン水を口にして、頭をしゃっきりさせつつ、来客用のふんわりしたソファの上で、目の前の課題に取り組んでいれば。


「レイラがヴィヴィアンヌ医務官の手伝いをしているのって、やっぱり彼が筆記試験の答案を作るから?」

「そうなんです。研究を一時中断してそちらに3日前からかかりきりなのですが、研究も中断したくないようで……」

  普段から計画的に作っていれば良かったのに。

  そもそも、叔父様にテストを作らせようとした人は誰なんだろうか。

  叔父様も初めてだからか勝手が分からないようで、3日前から作り始めている。

  ちなみに今は試験2日前。ギリギリすぎる。

「研究者っていうのは、時間を忘れてしまうらしいからね。研究に夢中で試験のこと忘れていたんだろうね」

「普段から私にスケジュール管理を任せっきりにしているから……。さすがに叔父様の仕事は把握してません……」


  と愚痴めいたことを零したところで、私は「んん?」と違和感に気付く。


「殿下? もう起きて大丈夫なのですか?」

  こちらが没頭している間に、殿下が隣に腰をかけていた。

「40分くらい寝たら、すっきりした」

  ほっと安堵する。顔色が悪くて、何か色々と精神的にも参っているようにも見えていたから。

「睡眠時間を取らないと、精神に影響して気分が落ち込むことだってあるのですから、睡眠時間確保だけは忘れてはなりませんよ!」

  忙しいのは仕方ないが、せめて徹夜はいけないと思う。

「体力回復薬だって限度があるのですから。睡眠に勝る薬はありません」

「ありがとう。心配してくれて」

  ふわりと笑う殿下はいつもよりも幼い笑みで。

「はぅ……」


  何この感情は! い、いま!絶対にきゅんってした……!

  この男は天然タラシに違いない。危険すぎる。


「大丈夫? レイラも疲れているんでしょう?」

「あ、いいえ。私は皆様と違って試験前ではありませんし、仕事も前みたいな修羅場ではありませんから」

「そういえば、レイラは筆記試験とかどうだったの?卒業する前は試験とかあったんだよね」

  私の口から試験前という言葉が出たからか、前々から殿下は純粋に疑問を持ったらしい。

「筆記試験は問題ありませんでしたが、私の場合、実技試験で苦手なものがいくつかあります」

「へえ、意外だね。実技は得意なのかと思ってた。人工魔獣との戦いを見ていたけど、術の使い方に無駄がなかったし」

  本気で意外そうにされている。

  現在進行形で火の魔術に躓いているというのに。

「適材適所っていう言葉があるくらいですし、出来る人に任せて置けば良いと個人的には思うのですが、そういう訳にはいかないものです」

「まあ、他に使える魔術があるなら、そちらを極めれば良いというのは賛成だけど。レイラは何が苦手なの?」

  この顔は……。フェリクス殿下の顔に、思い切り「気になる!」って絶対に書いてある気がする……。

  隠すことでもないので素直に答えることにする。

「火の魔術ですね。コントロールが上手くいかないなら、周りのものに保護魔術をかけてから燃やし尽くせば良いですし、燃え盛る火をコントロールして消炎させる方法をとらずとも、水をかければ良いと思います」

  スンッとした真顔でつい最近の苦労を思い出していく。

  どれも駄目だったな……。

  次回で再々追試である。泣きたい。何度やっても駄目だった場合、火の魔術の考察論文を書くか別の単位を取って埋めるしかない。

「ふ、……本当に苦手なんだね。……燃やし尽くすって、ふふ」

「殿下……? 何故笑われるのです?」

「レイラは意外と脳筋だね?」

「……」

  何故、先生と同じようなことを言うのだろうか。その生温い視線は何なのか。

  少しむっとしていたのが顔に出ていたのかもしれない。

「思っていたのとは違った反応で驚いたけど、こういうのも良いね」

  そっと彼の手が私の頭の上にポンポンと置かれる。

  そして髪の間に差し込んだ指先で私の銀髪を弄び始める。

  何故か、今度は私が頭を撫でられているのは何故なのだろうか。

  自分のよりも大きな手が気遣うようにゆるやかに触れている。

  それが好きな相手のものだというだけで意識してしまう。

  手つきも優しくて、大切にされているように感じてしまう。

  顔を引き締めつつ、無の心で彼の手を受け止めていた。

「自分で撫でてみて思ったけど、撫でるよりも撫でられる方が恥ずかしいものだね」

  ウンウンと何か納得したように頷きながら、私の髪を梳いている殿下。

  まるで壊れ物を扱うみたいに触れる手は、なかなか離れていかなくて、あまりにも優しく触れるせいか少しくすぐったいくらいだ。

「恐れながら……、先程の殿下の様子で恥ずかしがっているというのは無理があるかと思います」

  私に大人しく撫でられていたと思いきや、いきなり指にキスをしてくる相手だ。

「私は動揺したりしても極力顔に出ないんだよね」

「え、なんですか、その特殊能力は」

  素で少し羨ましいと思ったのが顔に出ていたようで、殿下はおかしそうに息だけで笑う。

「レイラも社交界向きだと思うけど。貴女が動揺しているところを見たことがない」

  そりゃあ、表情を作ってますから。

「っ! 殿下?」

  するっと指先が優しく前髪をかき分ける。触れた皮膚の感触に心臓が踊りそうになる。

「淑女の鑑で完璧に仮面を被れるのに、時折素の表情が可愛いなって」

  おまけにそんなことを仰る。天然タラシ王子め。

「……ありがとうございます」

  内心では、「ああああ!」とか「うわあああ!」とか騒いでいたけれど、大袈裟に照れないようにしながら返した。

  それでも顔が熱いけれど。

  好きな人にお世辞でも可愛いなんて言われたら、爆発してしまってもおかしくないと思う!

  「さて」と、殿下は私を撫でていた手をそっと外すと、何か晴れ晴れとした表情で立ち上がった。

  そろそろ戻るのかと私も立ち上がれば、酷く優しい顔つきの殿下と目が合った。

  15歳の男の子がするような表情ではなくて、酷く大人びている。

  もしも、私だけをこうして見つめてくれたら。

  そうしたらすごく幸せなのだと思う。

  そういう未来はなかなか想像がつかないけれど。

「レイラ、とても楽しかったよ」

「あ、いえ。殿下こそ、お身体にお気をつけてくださいね」

「ありがとう」

  殿下はよく分からない人だ。先程、私と話していた内容なんて中身がほとんどなかったのに。

  どこが楽しかったのだろう?

  楽しませるような話題を提供した訳でもなく、何気ない話題をほんの少しぽつぽつと話しただけで。


  そういえば、私自身のことを話すのはあまりなかったかもしれない。

  たぶん、私が魔術で苦労していることを知るのは殿下だけだ。

「今、貸してもらった本を読んでいるところなんだ。監禁する男が出てくる小説。今度、本の感想を話そうかな?」

「え」

  本当にあの内容の本を読んでおられる?

  ヤンデレヒーローの。監禁して執着するタイプのアレを?

 絶対に読まないだろうと思っていたのに、まさか読んでいるとは!

「驚いてる、驚いてる」

  悪戯に成功した子どものような殿下。

  満足そうにしながら、医務室から出ていくのを私は礼をしながら見送ろうとしたのだけど。

  付け足すように殿下が私の耳元で囁いた。

「火の魔術だけど、今度私が教えてあげる」

「えっ……ええと」

「私が直々に……となると騒ぐ人も居るだろうから私たちだけの秘密だ」

  良い声で耳元に囁いてくるせいでまともな返事が出来なかった。

  殿下は、すっと私から距離を取ると、さわやかに微笑んで。

「それじゃあ」

「それでは、また」

  よく分からないけれど、気晴らしになったのなら良かったのかな?

  最重要任務。殿下を寝かせる!は達成出来たので良しとしよう。



  あと、火の魔術を教えてくれるというのは正直助かるなあ……。本気で。

  でも忙しくて大変そうだったら、そっと辞退しよう。

  とにもかくにも、そろそろ試験が始まるのだ。

  殿下みたいに寝不足な人が増えてくる可能性を考えて、医務室に戻って栄養剤などを調合することにした。


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