フェリクス殿下の寂寥
──最近、2人きりが多いな。
フェリクスが最近、思うことはそれだ。
最近、リーリエと2人きりで居ることが多くなった。
それなりに忙しいというのに、何故か、リーリエの相手はフェリクス!という流れになっているのは気のせいか。
無愛想や口が悪かったり、兄を優先しすぎる面々を思い出すと消去法か?と思わないでもないけれど、リーリエ自身がフェリクスを追って来るからという理由が1番しっくり来る。
あと、男子生徒辺りが、フェリクスとリーリエを2人きりにしようと気を使っている。
リーリエに対する女子生徒の目は恐ろしいものがあったが、問題を起こすのもどうかと思っているのだろう。事態を静観している。
──その結果、私たちが良い雰囲気になっているなどという噂が立っている。
まさかリーリエが王太子であるフェリクスと婚姻を結ぶと本気で思っている訳ではないと信じたいけれど。
そして今もまた、2人きり。
「フェリクス様。この部分の文法ってどっちの意味なのか分からないんだけど……」
本を読んでいたフェリクスにリーリエは声をかける。
「ああ、ここは。分かりにくいと思うけど、助詞の意味から推測すると、用法1になる。意味から推測しないと分からないと思うから、語彙力を上げるしかないかな」
「ええ……文法なんだから、そんな曖昧な……」
リーリエはぼやく。
「……そういうものだからそう覚えてくれると嬉しいかな」
外国語と古代語を基礎から教えつつ、何か分からないことがあったらその都度、声をかけて欲しいと頼んでおき、何かあればアドバイスをする。
そんな形で勉強会なるものを2人きりで開催している。
人に教えるのは自分では得意ではないと思っているが、リーリエ曰くメンバーの中では1番教えるのが上手いそうだ。
ユーリは入学前なので例外ということにしておいても、ハロルドなら教え方もそれなりだと思うのだが、リーリエはフェリクスに頼んできた。
ハロルドやノエルは共に勉強しているらしく、もう全員で勉強すれば良いのではと思うが、何故かリーリエと2人きりで勉強していた。
何故だろうか。
あまり2人きりにされるのは不本意で、気が重かったが、王太子たる者それを表に出してはならない。
リーリエが他の者に好意を抱いていれば、この状況も違ったものになっていただろう。
選ばれたのはリーリエの意思で、全ては偶然なのだ。
さすがに、リーリエから向けられる好意がどういうものかは分かっている。
直接的に何かを言われたことはないから、こちらも何も言わないけれど。
溜息をつきそうになりつつ、手元にあった本を捲る。
海外文学の原文。だから隣にいるリーリエは、フェリクスが何を読んでいるか分からないだろう。
思わず口元に笑みを浮かべた。
その微笑みが周りにどう思われているか、不幸なことにフェリクスは気付かないまま。
──まさかリーリエ嬢も、この私が恋愛小説を読んでいるとは思わないだろうな。
レイラに最近読んだおすすめの本を教えて欲しいと強請り、彼女が数冊出してきた本。
最近話題の本格ミステリーと、古代魔術の論文集、そして海外の恋愛小説。
彼が最近話題の本格ミステリーを選ぶだろうと思っていたのか、恋愛小説を手に取った瞬間、レイラは虚をつかれたようだった。
普段は落ち着いた大人の女性の雰囲気を持った彼女が年相応の表情を見せるのは、こう……少々胸にクるものがある。
『ええっと、本当に良いのですか? 完全に私の趣味ですし、あの……女性向けですし』と狼狽していた彼女に、『私はこれが良い』と言い切り、持ってきた本。
レイラの恋愛観にも興味あり、少しの下心があったのは否めないが、狼狽し切った彼女に本の感想を言うのが楽しそうだったので、あえてコレにした。
──それにしても、この小説に出てくる男の執着は凄まじいな。
ちょうど、主人公の女性が監禁されたところを読んでいるが、この相手役らしき男は年齢の割になかなか過激なことをする。
恋愛サスペンスだと目を逸らしながらレイラは言っていたが、それにしても。
──レイラがこれを読んだというのも、それはそれで……。
新たな彼女の一面に何故か胸がときめいたが、とりあえずその感情は奥に仕舞っておく。
気付かなくても良い自分の新たな一面に気付くのは嫌すぎるので。
その本を読みつつ、リーリエの相手をしていたところで、ふと顔を上げてみる。
「……?」
先程、ハロルドやノエルが勉強していた机の周りには数人の生徒たちが集まっている。
女子生徒や男子生徒のどちらも集まっており、あの2人にしては珍しい光景だと目を見張って、すぐにその理由に気付く。
──レイラ?
すぐ近くの椅子にレイラがちょこんと座っている。
彼女の叔父にでも頼まれたのか、何冊か専門書が置かれており、書物にはたくさんの付箋が付いている。恐らく、叔父に使いパシリにされて研究の手伝いでもしているのだろう。
その彼女は、どうやら今のフェリクスと似たような状態らしい。
つまり、ハロルドやノエルに勉強を片手間で教えていたが、他の生徒たちも便乗。
そのまま、自分の仕事を中断して勉強を見ていると。
放課後に彼女の仕事がどれだけあるのか分からないが、その分仕事は遅れるだろう。
ただ、レイラの表情はどこか明るくて楽しげで。
趣味を楽しんでいる時とはまた違った雰囲気だ。
年相応な学園の生徒みたいな。
少なくともこの状況を嬉しいと思っているのは間違いない。
普段はきりっとした女性の顔で仕事をする彼女が、同い年の者たちに囲まれている。それはごく普通の友人同士の一幕。
学園で、生徒たちが試験前に勉強を教え合うという日常の光景。
──レイラは、何故働いているのかな。
何度も気になった理由だ。
もし、レイラが普通に学園に入学していたら?
そんな空想をしてしまうような光景。
何を話しているか分からないけれど、ノエルが文句を言い、ハロルドが余計なことを言ったのをレイラが宥めるという、どこか楽しげな空間。
周囲の生徒たちも笑顔を見せている。
──楽しそうだ、な。
防音対策の魔術のせいで何も聞こえて来ない。
それがフェリクスと彼らの間にある境界線のようにも思えてしまった。
一種の疎外感。胸の中に隙間風でも吹くような感情。
ふと立ち上がろうとした瞬間だった。
「ねえ、フェリクス様。出来たよ」
「……! あ、ああ」
ドクンドクンと心臓が嫌な音を立てている。
──私は何を。
立ち上がって今から彼らの元に向かって、フェリクスが声をかけたところで、ぶち壊すことは理解していたのに。
「どうしたの?」
「……いや、なんでもないよ」
──何故、私はここに居るのだろう。
ふっと自嘲の笑みを浮かべた後、フェリクスはリーリエに言っていた。
「大分、進んだようだから私はそろそろ失礼しようかな。後は私が居なくても出来そうだ」
「えー! 行っちゃうの?」
「王城に執務を残していたのを思い出したんだ」
嘘だ。必要な書類は運ばせているし、わざわざ戻る必要などないのに。
ただここに居るのが酷く苦痛だったから。
渋るリーリエを宥め、あちらには声をかけることなく、王城へと戻った。
執務室に戻った時は外はもう暗く、部屋に魔術で明かりを灯して、冷たい椅子に座って項垂れる。
「私は、何をやってる……」
前髪をぐしゃりと軽く乱しながら、突っ伏していれば、コンコンコンと元気なノックが。
「しっつれいしまーす!殿下ー?」
底抜けに明るい声に、フェリクスはガバリと起き上がって姿勢を正した。
「リアムか」
己の護衛であるリアムが顔を見せた。ツンツンと跳ねた茶色の髪に愛嬌のある茶色の目。年はフェリクスよりも少し上だが、童顔の彼はまるで年下のように見える。
「あれ? 珍しいっすね。殿下がここに戻るとは思ってなかったっすよー」
軽い口調は、2人きりの時にされるもの。飄々として掴みどころがないように見えるが、公衆の面前ではまともな従者のフリをするので、大目に見ている。
護衛としては腕が立つし、人前でそれなりの対応が出来るなら問題ない。
学園内や課外授業はともかくとして、フェリクスが出かける際はリアムが影からついてくることになっているので、まともな口調で話す彼を見る機会はあまりないけれど。
陰ながらの護衛なので、基本は人前に姿を現さないのだ。
「明日が期限の書類を忘れていたんだよ」
「ふーん? まあ、良いや。適当に食事でも頼んどきますよ。なんか殿下、随分とお疲れのようっすね?」
「まあ、ね。ちょっと、いや……まあ色々とあって」
「なるほどー。少しへこんでる訳だ」
どうやら今の自分は落ち込んでいるように見えるらしい。
顔に出しているつもりはなかったが。
──私もまだまだだな。
「もしかして、失恋とか? それか、仲間外れにされたとか?まあ、冗談っすけど──」
「……」
「マジで?」
いや、違う。失恋じゃない。仲間外れにされていた訳でもない。
「悩み、俺で良ければ聞きますよ。好きな子についてなら協力もしますし!」
慌てているリアムには悪いが、これ以上聞かれたくなかったので話を逸らすことにした。
レイラが貸してくれた小説で読んだ監禁男の話題を出してみたら「殿下! 好きな子を監禁しちゃ駄目だ! 殿下の場合、それが出来るから駄目だ! 恋愛相談はしたことないけど、俺話なら聞くから!」などと誤解をされた。
完全に話題を間違えた。
問題ないから大丈夫だと繰り返し、貪るように書類を整理していて気付けば朝になっていた。




