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紅の魔術師が去った後、遅れて数人の先生方が駆けつけてきた。
全ては去ってしまった後だったけれど、鑑定系統の魔術を専門としている先生が確認したところ、精霊の魔力の残滓を認めたらしい。
「ふむ、つまり精霊と契約していた魔術師が居た、と」
「ああ。幸い、建物の被害はこの程度に抑えられたけど、この学園の警備はザルなのか?」
ごもっともだが、ノエル様は相変わらず。先生に対する口の利き方ではない。
ビキっ、と額に青筋を浮かべている先生に気付いているのかいないのか、ノエル様はそのまま大雑把に報告していた。
「相手の目的は、光の魔力の持ち主の姿を一目見ることだったらしいよ。まあ、何の気まぐれか帰ったけど。大方、暴れられてすっきりしたんじゃないか?」
クリムゾンの魔力保有量がとてつもなく多いことや、私たちの隠形魔術すらも看破したこと、闇属性の魔力の持ち主であることなど、概要を説明し、ノエル様は最後に言った。
「もう帰って良いか?」
「ノエル様……」
この人も心臓に毛でも生えているのではないだろうか。
誤魔化すように私は提案する。
「生徒たちに危険が及ぶのが1番問題です。この後の対応についての話もですが、1度辺りを見回りした方が良いと思います。私も見回りますが、どなたか数人魔術師の目で確認していただいてもよろしいでしょうか? それと生徒たちへの説明については先生方の判断に従います」
何か罠を残した可能性もある。ルナの目を通して見てもらっても良いかもしれない。
パーティは中止にすべきなのか、とりあえず何事もなかったように続行するべきなのか、その辺りは判断を委ねることにした。
クリムゾンは今日来ないと思うけれど……。
彼自身が今日は止めだと言っていた。嘘もついていないとのことだし。
「ヴィヴィアンヌさん、君の方も見回ってくれないか?」
「はい。かしこまりました」
この場を離れようとした時に、先生たちがリーリエ様を守ることを優先にと話を進めているのを耳にした。
おそらく、警備体制も大きく変わるだろう。
ゲームのシナリオと大きく変わってしまったのは、リーリエ様との出会いイベントがなかったことと、私たちがあの時居合わせたこと、そしてクリムゾンの気まぐれが原因なのだ。
これは良いのか、悪いのか……。
少しの出来事で大きく変わってしまう状況に身震いしながら、周囲を探ろうと階段を降りて1階を見て回ることにした。
「ルナ。もし、異常があったら、教えてくれる?」
『了解だ』
特に仕掛けはされていないと思うが念の為だ。
「レイラ!」
「ノエル様、帰るのでは?」
「ありがたく思え! お前について行ってやる」
どうやらついてきてくれるらしい。素直さの欠片もないが、耳が真っ赤な時点でお約束のツンデレである。
2人で真っ暗な1階を見て回りながら、私は彼に尋ねた。
「ノエル様。私が精霊と契約していること、どうして言わなかったのですか?」
ずっと気になっていたこと。
「……力があると利用されるからな。お前が良いように利用されるのは面白くない」
「ノエル様?」
真面目な声音だった。
「……それに、奇異の目で見られるのは、お前も嫌だろ」
ぽつりと気遣うように零されたそれは、ノエル様の優しさだったのかもしれない。
赤い瞳を持ったが故に、命を狙われた彼にとっては私のことを他人事と言いきれなかったのだろう。
「それにあいつはお前のことを誰にも話さないと言っていたし、僕もそれは嘘ではないと思ったし……。そもそも精霊と契約しているということを公表したところで、光の魔力の持ち主と違って、お前を守ってくれる者は居ないんだ。むしろ、利用される危険性が増すだけで。精霊が守ってくれるだろうが、あまり知られない方が煩わしくないだろうし……僕も守るし」
ノエル様は小さな声でひとりごとのようにブツブツと理由を連ねていく。
最後の方はほとんど聞こえなくなった。
そして、顔をばっと上げたので、私はビクリと肩を震わせた。
「だから、殿下にも言わない。聞かれても僕の口からは言うつもりはない」
「ノエル様……」
「ジュエル厶も僕たちが護衛するし、レイラを巻き込むことはしない。お前が強いのは知ってるが、女がわざわざ騎士をする必要なんてないんだ」
ノエル様は私を案じてくれていたのだろう。
「ハロルド様には、女騎士として勧誘されているのですけどね」
「あいつは頭の中まで筋肉なんだよ。お前の体の動きに惚れたとかなんとか言ってるただの馬鹿だ」
「そんな会話をされてるのですか?」
なんというか相変わらずのようだ。思わず苦笑をする。
そんな折、ルナが話しかけてきた。
『ご主人。潜入手段が分かったぞ』
「え、本当?」
「何だって?」
思わずルナに聞き返すと、怪訝そうなノエル様の声。
そうだった。ルナの声は聞こえないんだ。
あれ?そういえば、私。クリムゾンの精霊の姿や声を聞いたような?
他の契約精霊の声や姿を確認するためには、属性が同じで尚且つ魔力が多いか、魔術の才があるかどちらかの条件を満たす必要があった。
魔力量は普通だし……、才能は……分からないけれど、もし才能があるなら火の魔術だってもっと簡単に使えたはず。
それとも魔力量が『多い』という基準は、そこまで高くないのだろうか?
それかあの精霊が自ら姿を表したか。
まあ、そこまで重要ではないかと私は考えることを止めた。
一瞬考え込んだ間に、ルナは私の影からぬるりと姿を表して、何を思ったか人の姿へと変身した。
「さて、ご主人とそのご学友。情報共有だが──」
「は? あんた、レイラの従者とかいう」
「ああ。私は闇の精霊だ。ご主人からはルナと呼ばれている。以後よしなに」
黒髪の美丈夫が突然現れ、ノエル様は目を白黒させていた。
しばらくの間、ルナを観察していたが、やがてぽつりと言った。
「殿下の勘ぐりは無用の心配という訳か……」
「はい? 殿下?」
「いや、なんでもない。忘れてくれ。大したことじゃない」
とにかく今はルナの報告だ。
「それで何か分かったの?」
「ああ。異空間を介して、中に侵入したらしい。形跡が少しだけ残っているぞ」
何の変哲もない壁をルナは指差した。
異空間。すなわち異界。普通、人が入ることが出来ない空間だが、たまたま紛れ込んでしまう場合もある。
それか何かしらの条件を満たさなければ入れないのが異界。人間の意思で行き来出来るものではない。
この世は表と裏で構成されていて、表が私たちの暮らす世界だとすれば、裏が異界。
異界は、神秘の生物や幻獣たちが住んでいるという。多くは解明されていない。
私たちの世界に時折現れる幻獣は、何らかの目的を持ってこの異界から一時的に移動して来ているに過ぎない。
普段はなかなか見ることの出来ない生き物だが、確かに存在している。
ちなみに魔獣は、穢れから発生したり変異している存在なので、この異界からのマレビトではない。
「滅茶苦茶だな」
ノエル様の率直な感想も頷くことしか出来ない。
「人間の意思で異界に入れるなんて……。警備体制も何もないですよね。それだと」
「ふむ。だから私も驚いているのだ。人間の身でまさか異界に出入り出来るとは、あの男。よっぽど才があるのかもしれん。さすがに私にもどうにも出来ないな」
ルナが純粋に驚いていた。ルナが驚くということはよっぽどだ。
「ルナとか言ったか。あんた、驚いているように見えないぞ」
「いえ、ルナは驚いた顔をしております。具体的に言うと、目が少し細められているし、眉が少し上がっています」
「別に聞いてないけどな」
しっかり訂正しておいたが、このつれない返事。
ルナはドヤ顔で返した。
「ご主人は私のことが好きだからな」
「何でも良いけど、それを殿下の前で言うのは止めろよ! 絶対だからな!」
びしっと、ルナに人差し指を突きつけるノエル様。
そして辺りを見回ったところ、他に変わったところはなく。
つまりは、異界を介してという私たちでは何の対処も出来ない方法で侵入されたということしか分からなかった。
「……どうしようもないな」
「侵入されてからどう対応するかというのを主眼に置くことにしましょう。それを上手いこと伝えて迅速に対応出来るようにアドバイスをするということで」
「ご主人の意見に賛成だ」
出来ることをするしかないのだ。
もはや、ゲームの知識は参考にするのみだ。
前世のゲームの知識を鵜呑みにしてはいけないのだと、尚更感じることになった。




