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バルコニーから出た私は、ちらりと横目で確認した。
リーリエ様とフェリクス殿下が何かを話している。
周囲にはお馴染みのユーリ殿下、ハロルド様、ノエル様。
皆さん、揃って……。あれ?
ふと違和感を覚えて首を傾げた時、肩にポンと手を置かれた。
「レイラ、やっと見つけました」
美しい銀髪と紫の瞳の人物がすぐ後ろに居た。
親族だけあって兄と叔父は似ているが、男性的なフェロモンを持った甘ったるい雰囲気を持った兄とは違う優男風なのが叔父様。
年がら年中、白衣姿の彼はパーティ用に服を着替えることもなくここに居た。
温和な雰囲気を持った中性的な美貌に周囲の人々はため息を零していたりするが、お構い無し。
普段引きこもってるから、叔父様の姿を見た人は少ないんだろうなあ……。
見た目だけは極上なセオドア叔父様が、何故か医務室を離れてこんなところに居た。
「レイラ。ずっとこんなところに居るのは大変でしょう。私が代わってあげます」
満面の笑みだが、スイーツの方をチラ見しながら言っているので、魂胆が見え見えだった。
「叔父様、そういうのは先に言って欲しいんだけど」
「医務室は人がたまにしか来ないから暇ですよ」
来るのか、人。それなのに何故、空けた。
「来てしまったものは仕方ないわね。じゃあ、私が代わりに医務室に行きます」
そもそも人と会いたくないから、医務室担当になったのではないのか。
そうか、スイーツか。スイーツなのか。
黒い小鳥が音もなく飛んで来て、私の影の中へとぬるりと入り込む。
『ご主人、戻るのか』
「戻ることになった」
小さな声で応答して、早速スイーツに目を輝かせる叔父様を見遣り、私はふうっと息を吐いた。
通用口から出て、人気のない学園内の廊下を歩いていく。
廊下に出て、少し離れるだけでも喧騒は遠のいて少しだけ安心した。
後ろの通用口から、がちゃりと音がしたので、私以外にも誰か抜けて来たのだと思って、何気なく振り返ると、見覚えのある生徒がこちらに歩いて来た。
「帰るのか?」
「ノエル様」
赤と黒を基調とした夜会服。己の象徴である赤を服に取り入れたのはわざとなのだろう。
「ええ。私の叔父がこちらに来ましたので、私は医務室の方で待機しようかと」
「そうか。僕もそろそろ限界だから抜けてきたんだ。義務は果たしただろ。あんな場所、窮屈で仕方ない」
はんっと鼻で笑う姿はいつも通りだが、かなり疲労しているのは分かる。
明らかに精神が摩耗している。
「ダンスの断りの文句とか、さり気ない交わし方とか、面倒すぎる。僕はそういうのは苦手なんだ」
「お疲れ様です。ノエル様」
疲れただろうなあ。
というのも理由がある。彼の不遜な口調だが、これは好きでやっている訳ではない。
彼が我が国──クレアシオン王国に来たのがちょうど学園入学の1年前。
この国の生まれながら、ほとんどは外国で過ごした帰国子女なのだ。
赤い瞳を恐れられ、迷信を信じた親族に煙たがられ、命の危険に晒されたことから、ノエル様たち親子は一時期、海外で過ごし、海外で領地経営から何までこなしていたらしい。
つまり、クレアシオン王国で使われている公用語を本格的に覚え始めたのが1年前。
幼い頃、言葉を覚え始める前に移住して、当時は現地の言葉を主に使っていたそうな。
ということで敬語が苦手なのである。発音はネイティブに近いし、会話も問題ないが、貴族間でのやり取りが特に苦手らしい。
さらに、ノエル様の味であるあのツンデレがそれに拍車をかけている。
フェリクス殿下が、ルナが敬語を使わなかった時に咎めなかった理由はそこにあった。
それにしても、原作ゲームだと、パーティ始まった直後に抜け出すノエル様がここまで粘るとは……。
こういう時にゲームと現実の違いを垣間見る。
先程の違和感はこれだ。
どうしてなのだろうと思っていたら、その回答は本人からもたらされた。
「途中で殿下が便所に消えたせいで、抜け出す隙を失った」
「便所……」
ああ。私と踊っていた時だ。私を見つけるのにも少し時間がかかったのかもしれない。
どうやらノエル様は、殿下に対して報告、連絡、相談を心がけているらしい。
それで今、ようやく抜け出せたということは、抜け出す許可を得たということだ。
「あの女も殿下と踊るようだし、それでちょうどあんたが出ていくところだったから、一緒に戻ろうかと」
「そうでしたか。私は医務室に戻るのですが、ノエル様は寮に戻られますか? パーティで晩餐を兼ねていますので、食堂はどこも閉まっていると思いますが……」
「あー……部屋になんかあった気がするから、それでいい。……言っとくけど、別に行き当たりばったりで食事を食べ損ねたとかじゃないからな!」
食べ損ねたんですね……。
「まあ、慣れない場所で食事するよりも、慣れた場所で食事した方が美味しいですし」
「そうだ! だからパーティ会場の料理を制覇出来ないからと後悔なんてしていない! 僕の最重要任務はあの場所から抜け出すことだからな!」
分かりやすく全てをペラペラと話していることに関しては突っ込まないでおこう。
生温い視線を向けそうになるのをバレないように誤魔化しつつ、談笑しながら廊下を進んでいる時だった。
ノエル様がピタリと足を止める。
『ご主人』
ルナが警戒したように声を固くした。
「え? 何かありました?」
2人の反応に驚きつつも、私は少しだけ思い当たることがあった。
優秀な魔術師のノエル様と、精霊のルナが警戒する相手がここに居るということは。
新しく登場する登場人物ではないだろうか?
思わず私が震えてしまったのは、未知数だからだ。
前世の私は隠しキャラのルートを攻略していない。
そして、今夜のパーティでヒロインと遭遇する予定の相手は、その隠しキャラなのだった。
「何か、強大な魔力の気配がする。瘴気みたいなのも感じる」
『ご主人。ただ者でない気配を感じるぞ』
パーティが開かれている中、強大な魔力を持った存在をこのまま放置する訳には行かなかった。
ゲームではただのヒロインとの出会いイベントだが、ここは現実。
本来なら、攻略対象と過ごした直後、化粧室で着飾ったドレスや小物を直しに向かい、その先で不思議な青年と出会う……という予定なのだ。
どの人物と過ごしたとしても、それは変わらない事実。
ノエル様とルナが警戒をしている時点で放置する案件ではなかった。
それにリーリエ様と出会う予定だったが、私と過ごした時間分、時間がずれてしまったせいで起こるはずのイベントが起こらない可能性がある。
1曲目のダンスの後、2曲目が始まる瞬間も、殿下はリーリエ様の隣に居なかった。少なくともそれが終わって3曲目にならなければ、リーリエ様は踊れない。
ちなみに今は2曲目の途中くらい。
あの様子からすると、たぶんリーリエ様はフェリクス殿下とダンスをしようと思っているに違いないのだ。
「隠形魔術を使って、様子を見に行こう。何もなければそれで良いんだから」
「様子を確認して、何かあったら魔術で連絡を取りましょう」
最強の魔術師とルナが揃っているので心強い。
2人して隠形魔術を使って姿を隠した私たちは、お互いの姿だけは視認出来るように調整して、強大な魔力の持ち主の居る場所へと足を進めていく。
思っていたよりも近い?
ある開けた場所に到達した。
ちょうどそこは階段の踊り場で、綺麗なステンドグラスが月の光を招き入れていた。
階段にも敷き詰められた赤の絨毯のおかげで、足音はなかなか聞こえないが、暗い中、人の気配を察知したのは日頃の訓練のおかげなのかもしれない。
声を出しそうになる前に口を押さえて、階段の1段目で手すりに寄りかかるその人物を見た。
まるで見えているかのように、私たち2人をニコニコと笑いながら見つめている。
その目が射抜くようにこちらを見据えていて、興味深そうに口元は緩められていて。
「貴方は……」
紅の髪を持つ男がふっと笑みを浮かべて佇んでいた。




