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  誰かの気配に振り向いて、誰かと思えばそこに居たのは、フェリクス殿下。

  夜会服は、濃い青を基調としたシックな装いで、夜に映える金色の髪が尚更美しく際立っている。

  派手さというよりも落ち着いた色合いでまとめられており、とても神秘的だ。


  てっきりリーリエ様と踊るものかと思っていた彼がすぐ目の前に居ることに、ほっと胸を撫で下ろした。


  待って。私、今、もしかして安心した?


  もう嫌だ。恋する乙女モードなんて。

  自分で自分に寒気がして、身を震わせていれば。


「レイラ、もしかして寒い?」

「……!? 違います! 少し驚いただけで」

「そう?」

  何故、私の横に並ぶ?

「あの、殿下。ファーストダンスはよろしいので? 1曲目の時間ではないですか?」

  1曲目が間もなく始まると先程、アナウンスがあったばかりだ。

「学園のパーティだし、婚約者の居ない私に義務はない」

「てっきり、リーリエ様と踊られるのかと思っておりました。とても仲睦まじいように見えましたし」

「……もしかして私たちのこと、見ていた?」

  はっ。ずっと見てましたとか気持ち悪い以外の何ものでもないじゃない!

  遅まきながら失言したことに気付いた私は動揺していたのだが、頭の中はすっと冷静で。

  すぐに気を取り直した。

「会場全体を把握するように心がけていたのですが、殿下たちは目立っておいででしたので」

  するすると口をついて出るのはそれらしい理由だ。なんてことないようにサラリと告げることも忘れない。つまり、あまり長すぎると言い訳に聞こえるので注意ということ。

  ここであざとい人ならば、殿下のこと気になって仕方なくて……とか可愛い一言が言えるのだろうけど、私には無理だ。

  そんな発言をした自分を想像したら、死にたくなった。

「なるほど、お疲れ様。まあ、そうだよね」

  はて?

  何故か殿下は気落ちしているようだった。

  残念そうにも見える。


「レイラがまさかその格好をしているとは思わなくて、なかなか見つけられなかったよ」

  その格好。つまりは、私がノリノリで着ていたメイド服だ。

  ふと殿下は、何かに気付いたように、じっと私を見つめた。

「でもよく考えてみれば、こんなにも綺麗な銀色の髪を持ってる子は他になかなか居ないよね。すぐ見つけられそうなものなのに」

  「……」

  私の三つ編みを何故か解き始め、少ししてから解いた私の髪を弄び始めた。

「あの、ちょっと……」

  いきなり何をするんだと抗議しようとしたら、私の前で物語の王子のように跪かれ、さっと手を取られる。


「たとえお仕着せを召していようとも、貴女の麗しさは陰ることなどありませんね。美しい銀の髪が流れる様を見たくて、つい乱してしまいました。貴女の銀色を探して右往左往としていた憐れな男に、どうか一時、貴女との時間をください」

  手の甲にふわりと唇が触れた。羽でも触れるような感触。

「……!?」

  咄嗟に叫び出すことはなかった。さすがに長年の淑女教育は裏切らない。

  芝居めいた誘い文句にドキドキと心臓が鳴っているのを自覚しながらも、 断らないと……と咄嗟に思った私は答えていた。

「私は既に素敵な時間を過ごすことが出来ましたわ。貴方との時間は、それはもっと特別なドレスを着て、最も美しく着飾った淑女として過ごしたいと思っておりますの」

  つまり、直訳すれば。

  メイド服だから勘弁して。


  夜会での甘ったるくてぞわぞわする誘い文句も、好きな人に言われてしまうと破壊力がある。


「人目を気にしているのなら、ここは2人きりの空間ですし、私は貴女の瞳に魅入ってしまうので、ドレスのご心配も無用ですよ?」

「あら。世の乙女がお聞きになったら嘆かれますわよ」

「おっと。貴女とのファーストダンスの権利を得たいばかりに少々焦ってしまいました。どうやら私は可憐な妖精に惑わされてしまったようです」

  と、ここまでやり取りしたところで。


「ふ、くっ……」

  フェリクス殿下は跪いて手を取って、私をお姫様扱いしたまま、肩を震わせて笑いを堪えている。


「この茶番を先に始められたのは、殿下ですよ?」

「……すまない。まさか乗ってくれるとは思わなかったんだ」

  殿下は私の手を離すと立ち上がり、バルコニーの柵に手をかけて、顔を伏せて笑っている。

  大爆笑していらっしゃる。


  暇を持て余して退屈だった私たちのちょっとしたお遊び。

  普段の私たちらしくない応酬に、面白くなって私も小さく微笑んだ。


「レイラのそういう話し方、初めて聞いたよ。仕草とかいつもと少し違ったし」

「夜会専用のお嬢様モードですね。やれと言われたらやりますが、普段はやりません」

「あー、そうだよね。社交に無縁で居られる貴族は居ない」

  私の素よりも、お嬢様モードの時の方が女性らしい声音だと思う。

  さすがに昔からの賜物だ。

  ひとしきり2人で笑った後、先程とは違い、率直に殿下は私を誘う。


「レイラはずっと働いていたんだろう? 人前に出る訳には行かないが、ここには誰も居ないし、少しダンスに付き合って欲しいな」

「遠慮したいです」

「せっかくなんだし、気晴らしにもなるんじゃない?」

「そこまで踊りたいのなら、ハロルド様と踊ればよろしいのでは?」

「男同士で踊ったところで、誰も得しないと思うんだけど。それにハロルドは舞踏よりも武闘の方が好きだろうに」

  まさかそう来るとは思わなかったようで、瞠目した直後に、苦虫を噛み潰したような顔をされた。

「否定はしませんが」

「それとも、私と踊るのが嫌だとか?」

「……」

  そういう風に答えにくい誘い方をするのはどうかと思う。


  オーケストラの音楽が鳴り始める。

  豪奢な音……と表現してもおかしくない程に、壮大で気分が高揚するような音色。


  結局、拒否をし切れずに流されるように、フェリクス殿下の差し出した手を取った。


  体が密着して、体温すら感じられる距離。

  だから断ったのに。

  好きだと自覚した後にこの仕打ち。

  最初のダンスの相手が私であることは素直に嬉しいけど、緊張して楽しむどころではなくて、平静を装うので精一杯だった。


  音楽に合わせてステップを踏む度にメイド服の裾がひらりと揺れる。

  それにしても、殿下はリードが上手い。

  それなりにダンスの練習は欠かせなかったけれど、今まで出会った誰よりも上手い。

  それに踊りやすい。

  言葉を発して、適切な言葉を返される──打てば響くような……という表現があったけれど、まさしくそれに近い。

  こちらの呼吸に完全に合わせてくれているのだろうか?

  先程から違和感を覚えるどころか、息が合っていて、それがあまりにも自然すぎて怖い。


「レイラはダンスが上手いね。ここまで息の合う相手は初めてだ」

  純粋に驚いているらしい殿下を見て、彼にとっても予想外な出来事だったことが分かった。

  羞恥心も何のその。楽しくなってしまった私は彼と目を合わせた。

  楽しまないと損だということが分かったから。

  恋心は今だけ封印してしまえ。

  高揚感に己の恋心は誤魔化されていた。

  少しハイになったのかもしれない。


  1曲の間くらい、殿下の時間をもらっても、良いよね。


  フェリクス殿下は、私の手をぎゅっと握ると、嬉しそうに笑った。

「っ……!」

  たった1つの微笑みで骨抜きになってしまうなんて。

  熱い頬を誤魔化すことに意識が向かいつつも、私の体はしっかりと動いてくれている。


「レイラ」

「はい?」

「呼んでみただけだ」

「……」


  ファーストダンスの間、フェリクス殿下はずっと楽しそうだった。

  私の手を掬い取り、壊れ物でも扱うように身体に添える手を意識してしまう。

  ぽわぽわとした夢の中に居るような心地の中、好きな人の腕の中で、相手だけを見つめる。

  折重なるお互いの視線は逸らされることなどなくて。

  奇妙な一体感に胸が騒いだせい。

  白昼夢の中、いつからか熱に浮かされたようになったおかげで、ただこの時間を堪能することが出来ている。


  掬い取る彼の手は、当たり前だけど私のよりも大きくて、思わずときめいた。


  どうか、私の様子がおかしいことに気付かないで。


「また踊ろうね」


  曲が終わって、名残惜しげに手を離されて、内緒話でもするように囁かれる。


  それだけ言い残してホールに戻る殿下を見送りながら、自分の中にあったモヤモヤが薄くなっていることに私は遅まきながら気付く。


  もう、これ以上望んだら罰が当たるんじゃないかな?

  この後、殿下が誰と踊ろうとも、先程みたいに重苦しい何かに苦しめられることはなさそうだ。


  どうやら私はかなり重症らしい。



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