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フェリクス殿下の憂愁

  フェリクスはある夜中に、王城を抜け出して、いつかのように『精霊の湖』の畔の叢の上で寝っ転がり、夜空を見上げていた。

  フェリクスが深夜、月の女神と出会ったのもこの場所。

  月に照らされた湖がキラキラと光る幻想的な空間。


  空を見上げて、月が掴めそうな錯覚を覚えてしまう。


  精霊がつかの間の休息を取ることもあるらしいというこの湖には、邪悪な人間は近付くことは出来ない。

  それどころか普通の人間もまず立ち寄ることは出来ず、フェリクスにとっては昔から都合の良い場所だった。

  暗殺もされない。襲われることもなければ、計略に巻き込まれることもないし、悪意に晒されることもない、そんな安息の地。

  精霊の湖とフェリクスは勝手に呼んでいるこの湖は考え事をするには最適の場所だった。

  彼の立場的に有り得ない行為ではあったが、フェリクスにとっては、ここが1番安全で、城に居る時よりも安らぐ程。


  考えるのはここ最近の出来事。


  魔術を悪意を持って利用しようとする研究者や狂信者、凶悪犯罪の温床である魔術組織の暗躍。

  潰しては、発足し、潰しては、復活しの繰り返し。

  王立騎士団と魔導騎士団の連携。

  貴族の中に居る愉快犯への対応。つまりは、詐欺、汚職などの汚い悪性貴族たちを虱潰しにしていくだけのお仕事。

  まあ、この辺りは良い。いまさらだ。

  王族としての執務は学園に通いながらもこなしていたし、昔から教育の傍らに何かをするなんて慣れていたけれど。


「はぁ……、余計な手間が……」

  思わず舌打ちをしてしまい、自分らしくないなと反省する。

 

  ただでさえ忙しいのに、さらに執務が増えたのは1人の少女のせいだ。

  光の魔力の持ち主のリーリエ=ジュエル厶。

  魔術師たちの均衡も、光の魔力の持ち主の登場により揺らぎ始めた。

  つまりは、それらの秤のバランスを調整し、魔術師同士の睨み合いを継続させ、互いに牽制させる必要があった。

 ──ああ。光属性は厄介だな……。治癒魔法の特化と言っても良いくらいだからな……。

  治癒魔法なんて、扱いを間違えると厄介を通り越して災害になることもあるくらいなのだ。


  光の魔術なんて聞こえは良いけれど、フェリクスにとっては厄介の種だ。


  リーリエを王家陣営へと引き込もうという画策のせいで彼女と急接近する羽目になり、それも不本意だというのに、当の彼女は光の魔術を乱用するのだ。

  正直言えば、大人しくしてもらいたい。

  光属性に興味を持った魔術師界隈をさらに刺激させて、新しい能力の奪い合いのようになりそうなのだ。

  それを上手く抑え込むために、書類書類書類書類書類。魔術師たちや魔導騎士たちに、ほんの少し甘い蜜を吸わせてやってなだめすかしたり。

  手回しばかりしているせいで、フェリクスもそろそろ疲れてきた。管轄外の仕事が多すぎる。

 ──と言っても、父上や宰相たちの方が苦労されている、か。

  その父が下してきた命のせいで頭を悩まされている現在。

 

  フェリクスが学園に通う際に、父である国王陛下からの命は1つ。

  光の魔力の持ち主を懐柔せよ。

  気を付けてやってくれ、という言葉はその言葉の通り優しい意味合いではなくて。


  リーリエをとにかくこちら側に引き込めというお達しなのだ。


  だが、とにかくリーリエはフリーダムすぎた。

  庶民に近い感性なのか、どうも貴族の中に馴染めていない節があり、周りからも遠巻きにされているし、その辺りの折衝も頭痛がしてしまう。

  彼女に貴族らしさを無理やり求めるのが間違いなのかもしれない。

  押し付けられても納得出来なければ意味がない。

  ちょうど学園入学前夜も、己の父からの命や諸々の状況に嫌気が差してここに来たのだ。


 ──まさか、ここで私以外の人に会うとは思わなかったなあ。


  フェリクスは少し前の光景を思い出した。

  ここ──精霊の湖は、月の女神と出会った場所だ。

  フェリクスと同じ年頃の美しい少女は、大きな黒狼を連れて、その輝くような肢体を晒していた。

  月の光に美しい白が照らされ、彼女の銀髪が肩から流れるのは見事な様で。

  幻想的な光景の中、フェリクスは初めて恋を知った。

  物事に執着などしなかった彼が、刹那、この少女を欲しいと願った。

 ──あの狼は精霊で、彼女は人間で。

  それは一目瞭然だったけれど、あの少女は、フェリクスにとっては今も女神だった。


  今も疲れた時には夜中、この場所で寛いでいるが、あれ以来、彼女の姿を見ることはなかった。


「はぁ……」


 ──溜息は幸せを逃がすとか言うが、それが本当だったら嫌だなあ。


  一目惚れの相手の月の女神に対するこの想いは、きっと恋なのだろう。

  目の奥に残っている鮮明な記憶がそれを証明している。

 ──もう一度、会いたいな。

  ここでこうしているうちに再会出来たら良いのに。

  それを期待していないと言えば、嘘になる。


  それと同時に。


  フェリクスの脳裏には、医務室に居る彼女の姿も焼き付いている。

  どこか様子がおかしかったような気がする。


  実習が終わった後、レイラとの関係はまたおかしくなったというか、彼女にはさらに警戒されたらしく以前よりも一線を引かれているということだけは分かる。

 ──本人が平気だと言っていたのに、迎えに行ったりしたのは、厚かましかったかもしれない。


  つまりレイラはフェリクスの行動にドン引きしているのだ。


  森の中に1人取り残され、野宿する羽目になった彼女を置いておくことなんて出来なくて、感情の赴くままに行動した。

  それを今でも間違いだとは思っていない。少なくともフェリクスは。


 ──見つけた時、感極まって抱き締めたり、彼女の従者に噛み付いたりとか、やっていることが意味不明過ぎたのかもしれないな。


  その結果、ドン引きされたのだ。

  レイラの表面上は変わらなくとも、距離が遠のいたことだけは分かる。

  フェリクスはレイラのことをよく見ていたから。


「ああああ……不誠実過ぎるだろう」


  情けなく唸り声を上げながら呟いた。

  フェリクスは自らの二心に悩んでいた。

  一目惚れして今も忘れられない相手が居るというのに、レイラに対しても感情が乱されてしまっているなんて。

  しかも、これは友愛とは違う。どう考えても。


  つまり今夜のフェリクスは、考えることが多くて現実逃避しに来ているようなものなのだ。


  執務、学園生活。リーリエ=ジュエル厶のこと。初恋の女神にレイラ。


  そして時折、頭の中でハロルドが鍛錬に誘っている。



  そんな状況でも毎日は、皆平等にやってくる。

  フェリクスは複雑な心境のまま、今日も役目を全うするのだ。

  しかも、頭の中がこんなに混沌としていても、彼は傍目から見てもそれを気取らせることなどない。


「フェリクス様。今日は皆、忙しいようだから2人きりだね!」

「2人きり、そうか。そうだね」

 ──最悪だ。


  王太子と1人の令嬢が2人きりという状況。

  ただでさえ目立つリーリエと2人だと、あらぬ誤解を受けるのは必至。

  医務室でレイラと2人で居る時などは、隣室に彼女の叔父がいつも研究していることに加え、誰かしらが体調不良で寝ていたり、最近ではルナという従者も顔を出しているため、本当に2人きりになることなどほとんどない。


  だが、リーリエを1人相手にしていると、周りから人が引いていくのは何故なのだ。

  他の者も含めて5人で居る時も避けられ気味な気がする。

 ──グループだけで孤立するのは遠慮したいのだが。


「ハロルドは?」

「さっき、ここに用事で来ていた騎士様相手に手合わせを挑んでたよ?」

 ──脳筋だ……。

  いつものハロルド。安定のハロルドだったけれど、何故今なんだ。


「他の皆は?」

「ユーリ様はね、先生に用事って言ってたよ。ノエル君は……」

「また怪しい実験でもしてるんだろう」

  ノエルの場合は命令しないと、来ない。

「もう。ノエル君、お昼ご飯もきっと適当にしているだろうから、心配だよ。1人でご飯、寂しくないのかな?」

 ──ノエルのことだから、全く気にしていないだろうな。


「リーリエ嬢。最近、調子はどう? 困っていることはないか?」

  貴族の中に溶け込んで、それなりに友人を作ってくれたら言うことないのだが。

  リーリエはフェリクスのこの発言に、感極まったらしく、目をうるうるとさせて上目遣いで見上げるとニッコリと笑った。

「ありがとう! フェリクス様! どうしていつも私の心配してくれるの?」

「突然、貴族になったのだから苦労が多いだろうと思って。そろそろ周りには慣れて来た?」

  女性の友人が作れていれば良いのだが。

  友だち出来た?なんてあからさまに聞けないので遠回しに人間関係について尋ねてみた。

  きょとんと瞬きしたリーリエは、目を伏せてこう言った。

「私、どうも女子生徒のネチネチした会話についていけなくて」

「……」

  貴族社会自体、ネチネチしているよとは口に出来なかった。

「お茶会に誘われたこともあるんだけど、私たち勉強が本分でしょ? 遊ぶ訳にはいかないと思ってたのだけど、皆お茶会ばっかりしてるのね」

「断っちゃったの? ちなみにどこの家のお茶会?」

「え?」

  お茶会の主催者を聞いてみると、伯爵家だということが判明して、本格的に崩れ落ちたくなった。

  男爵令嬢が伯爵令嬢の誘いを断った。

  事の重大さを分かっていないリーリエ。

  フェリクスもリーリエに教えることは教えたつもりだったが、まさかお茶会を断るとは思ってもみなかった。さすがに。

「そうか……。断っちゃったか……」

  早速やらかしたせいで、どうやらそれ以来お茶会の誘いやパーティの誘いはないようだ。

  貴族同士の交流を舐めてかかると、身を滅ぼしかねないというのに。


  本気でどうしようかと思っている中、中庭から見える通路で、ファイルを抱えたレイラが女子生徒たちに引き留められているのを発見した。

  仲の良さそうな彼らを見ていたリーリエは呟いた。

「あのネチネチした女子の中でも平気そうなんて、レイラさんすごいなあ」

  女子生徒たちが去っていったのを見届けると、レイラがふと顔を上げて、こちらと目が合った。

「レイラさんだ! おーい!」

  無邪気に手を振るリーリエを見て、その隣のフェリクスを見て、彼女は穏やかに微笑んで、控えめに礼をして去っていった。こちらに来ることはなかった。

 ──もしや、気を使われた?


  レイラは、フェリクスが誰と居ようともあまり気にしていないのか、すぐに去ってしまった。

  穏やかな彼女の笑みが心に刺さる。

  レイラとは婚約者でもないのだし、当たり前の反応なのだが、なんだろう。この気持ちは。

  それを寂しいと思う自分がおかしいと思いつつも、現実を思い知らされた気がした。

  同時に確信した。

  自分は、彼女のことを想っている。


 ──最低な男決定だな。好きな人が2人居て?その癖に別の女子と2人きり? どこからどう見ても不誠実じゃないか。


  リーリエとのことは、事情があるとはいえ、フェリクスは微妙な気分になった。

  そして最低なことは承知の上で、レイラにはまた声をかけてしまうだろうことも、なんとなく予想出来る。

 ──もはや、どうしようもないな。私は。

  自らを嗤う。


「もしかして、私たちに気を使ってくれたのかな?」

「どうなんだろうね」

  声は投げやりになってしまった。

  とりあえず、フェリクスがまずすることは、リーリエに貴族社会の基礎をこれまで以上に叩き込むことだ。

  お茶会や夜会、舞踏会は遊びではないと伝えなければ。

  もし、困った時は他の仲間に助けを求めよう。

  フェリクスの中で行動指針は決まった。


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