30
「フェリクス様! ……とレイラさん。2人が何で一緒なの?」
一行が避難していたという騎士団詰所の客間に生徒たちは居た。
どうやら空き部屋に泊まったらしく、フェリクス殿下も滞在していたらしいが、夜に抜け出したらしく、ハロルド様やノエル様が大騒ぎしていたらしい。
「森を抜けるところでたまたま会ったんだ。ほら、彼女の従者も居るだろう?」
「遭難した時点で従者を呼んでおりましたので、特に不便はありませんでした」
口から出任せ。ルナを出汁にして怪しさを払拭。
たまたまそこであったとか怪しすぎるなあと思わないでもないけど。
そこでたまたま会ったという嘘がバレても、ルナという第三者が居ることで、年頃の王子と伯爵令嬢が2人きりという問題にしかならなそうな事態を回避するつもりだった。
けれど、フェリクス殿下があまりにも堂々としているので逆に誰も怪しまなかった。
ルナは医務室に居たこともあるので、皆も見覚えがあったのだろう。
よく合流出来たなあという感想がチラホラあったくらいで、怪しまれることもなかった。
「私はご主人の魔力を覚えているから、そのくらいは朝飯前だ」
何故かドヤ顔のルナ。
「てっきり2人が一緒だったのだと……」
リーリエ様の一言に答えたのは当事者であるフェリクス殿下だ。
「1人で遭難していた女性を助けるという騎士のような振る舞いが出来ていたら物語のようでロマンチックなのだろうけど、生憎彼女は1人ではなかったようだからね」
いけしゃあしゃあと彼は何の躊躇いもなく嘘を吐く。胡散臭さもなく、いっそ晴れやかなアルカイックスマイル。
この人、心臓に毛でも生えているのかしら。
「じゃあ、レイラさんはそちらの方と2人きりだったの?」
「……」
確かにルナの見た目は男性だ。
とりあえず笑顔で返しておく。令嬢が異性と2人きりというのを強調するのは止めて欲しいと思っていたら、ルナがのんびりとかったるそうに言った。
「私のことは気にするな。適当な置物とでも思っていてくれ」
何とも思ってなさそうな態度に、周りは何とも思わなかったらしい。
医務室に時折現れる無愛想な使用人というのが浸透しているようだ。
もし問題が起こるなら、ルナに女装させてみようかなとか思ったけど、杞憂みたい。
ルナは人間の姿だと綺麗だし、たぶん女装させても美人なのだろうなあ。
私の邪な考えを察知したのか、ルナはその場で身震いすると首を傾げていた。
「レイラさん、私戦わなくても大丈夫だったよ!」
「そうですね。人によって色々な戦い方があるんだと思いました。それが貴女の戦い方なんですね」
護身術くらいは身に付けていた方が良いだろうとか、それなりに戦えた方がもしもの時に備えられるだろうとか、精霊の浄化を信頼し切るのもどうだろうとか、色々と言いたいことはあったけれど、その全てを飲み込んだ。
リーリエ様が求めている答えはそれじゃないから。自分の口から出る空虚な言葉に気味悪さを感じるけれど、人によって戦い方が違うのは本当のことだ。
「ありがとう。レイラさん、認めてくれて。私、本当は嫌われているのではないかと思っていたの」
「まさか! あの時はただ心配して余計なことを言ってしまったんです、私が」
私はさらに空虚な言葉を重ねた。
この場の空気が何やら感動的な雰囲気に包まれている意味が分からない。
フェリクス殿下やノエル様は微妙な顔をしているし、ユーリ殿下やハロルド様は興味無さそうにしているのが逆に印象的だった。
この日、一段落ついて、学園へと帰還して、1年全員休講扱いになることになった。
まだ魔術の腕も未熟な者が大半の1年生。此度のことが繰り返されないように急遽会議を行うとか。
この場に居る大多数は学園寮で暮らしている者が大半だけど、フェリクス殿下やユーリ殿下、ハロルド様は王城へと帰っている。
この地域の支部の騎士団詰所は王城から距離があり遠回りになるため、ならば1度学園に戻って報告書を書こうということで、殿下たちも共に学園に戻ることになった。
体も十分休めて昼頃に出発となり、その直前の合間時間。
騎士団の医務室でなんとなく手伝いをしていた私のところに、フェリクス殿下が来訪したのだった。
「昨日の今日で熱心だね。何故レイラがここで働いてるの?疲れてるだろうに」
まさかここまで出向かれるとは微塵も思わなかった私は、ビクリと全身を震わせた。
殿下。
皆の居るところでは誤魔化していたけれど、昨日から私はおかしい。
フェリクス殿下のお顔を正面から見ることが出来ないのだ。
顔を合わせてその微笑みを目にするだけで、身体中の血液がじわじわと沸騰しているのではないかと思うくらい熱くて、心臓は早鐘を打つように高鳴ってしまう。それも、少し苦しいくらいに。
それに目がおかしくなってしまったのか、殿下の姿がこれ以上ない程に魅力的に見えてしまう。
自分の身に何が起こっているのか分からない程、鈍感なつもりはない。
目を合わせるだけでも精一杯で、実は今日初めて目を合わせるような気がする。
くるりと振り返り、殿下の首元辺りをぼんやり眺めるようにしながら、笑みを浮かべる。
頭の中では、音声魔術の詠唱歌を唱えて気を逸らせつつ。
「騎士団の医務室なんて普段見ることが出来ませんから」
真っ当な理由で、私がここにいる理由なのだが、半分は違っていた。
いかにして、この方と顔を合わせずに済むのか、そればかり考えていた。
「昨日、野宿をしたから風邪を引いていないか心配だったんだ。テントは貴女が持っていたようだけど」
簡易テントは持ち歩いていて、完全に外で寝ることはしなかった。
殿下にテントで寝るようにと勧めたのだが、お互いに譲り合う羽目になり、結局の妥協案として、テントの中で殿下と私とルナの3人で川の字で寝るということになった。
もちろん、ルナが真ん中で。
なんだか色々と疲れてしまったようで、今、ルナは別室で人型のまま爆睡している。
といっても、精霊の魔法を駆使しているらしく、呼べばすぐに来るらしいけれど。
「いえ……。こちらこそ、申し訳ありませんでした。殿下にあんな窮屈な……」
「何を言ってるの。私は助かったし、むしろレイラが外で寝なくて良かったよ。まあ、寝不足みたいで、目の下にクマが出来てる」
「……!」
自然に目の下を優しく撫でられて、全身が触覚にでもなったみたいだった。
あからさまに意識している姿を見せる訳にはいかなくて、それを押さえ込み、内心パニックに陥りつつも、必死に医務室の助手らしい笑みを貼り付けた。
「私はこれでも医療に携わる人間ですから。自分自身に無理をさせたりはしていませんよ」
どうしよう。今、触れられたところが変な感じ。少し触れられただけなのに、感触がずっと残ってる……。
昨日から私はおかしい。
フェリクス殿下が助けに来てくれたと知った時、とても嬉しくて。
胸の奥まで暖かな何かが流れ込んできて、それで心臓の鼓動が鳴り止まなくなって、甘い痛みに苛まれて苦しくて仕方なくて……。
私はどうやら昨日の出来事で完全に落ちたらしい。なんてチョロいんだ……。
「その言葉信じて良いの? レイラは、しっかりしている人だけど、昨日みたいな無茶をされると心配になる」
「問題ありませんよ、殿下。ほら、特に何事もなく帰って来られたではありませんか」
「うーん。少し信用出来ない……。昨日は有耶無耶になったけど、今回かなり無茶してたから、本当は色々と言いたかったんだよ。……助けられた手前、どうかとは思ったけど」
「善処致します」
かなり心配してくれている。
わざわざ私を探しに来てくれたという事実が、今もまだ夢のような心地だ。
優しい言葉をかけてくれるだけで、うっとりと頬を染めそうになってしまう自分に困惑しつつも、私は絶望した。
だってそれって、まずいよね!?
仮にも医務室の人間で生徒のサポートをする立場にある人間が、生徒で、しかも王太子という立場にある方に邪な想いを抱いているって、それまずくない!?
立場的にまずい。非常に。
いつも医務室に来てくださっていたけど、今まではそういう感情がなかったから良かったとして……、これからは駄目だ。想いを自覚してしまったのだから。
職権乱用して、医務室を逢い引きの場として私的に利用していることになってしまう!
それは非常にまずい。ヤバい。駄目だ。絶対に!
問題しかなさすぎて、語彙力が崩壊するくらいには、非常識だ。
私は常識的な人間で居たいのだ。
男の人と恋愛をするとかしないとか、殿下は攻略対象なのだとか、自分は最低な人間だからその資格がないだとかそういうのは瑣末なことに思えるくらいには、問題である。
というか、生徒……それもフェリクス殿下を相手に恋愛感情を抱いてしまって、それを許容した瞬間、私は職業婦人として失格である。
仕事として任されているのに、恋愛にうつつを抜かすなど信じられないし、そんなことをしたら婚活をしに来たみたいではないか!
ない! ないわ!
よって、私はフェリクス殿下を相手に恋する乙女みたいな薄ら寒い反応を押さえつつ、時折青ざめているという器用な反応を見せていた。
訳の分からない態度のせいで、どうやら私の想いが激的に変化したことは悟られていない。
まだ。
問題は、これからどうするべきなのかということだ。
患者と医者の関係……。
私は頭を抱えたくなるのを堪えながら、キラキラの殿下の首辺りに目線を置いて、全体をぼんやりと眺めつつ、自然な視線を心がけて会話をしていた。
前途多難すぎる。




