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  周囲を警戒しているフェリクス殿下は、私とリーリエ様を守るように前に出ている。

「ますます、近くなって来ているようだね。この気配は魔狼……? それも群れか」

  ルナの言った通りのことを殿下も口にする。


「フェリクス様!」

  リーリエ様は魔狼の群れと聞いた瞬間、怯えて殿下の背中へとしがみついた。

「落ち着いて、リーリエ嬢。自分の足で立つんだ。訓練を思い出して、しっかりと前を向くんだ。しがみつかれていたら動けない」

  守ろうと思っても守れない、とでも言いたげに殿下は腰に帯びていた剣に利き手を添えた。

「リーリエ様、大丈夫です。私も居ますから」

  目の前の怯えきってふるふると震えている少女の手を握る。

  彼女はひたすら涙目で首を振るだけだ。


「兄上! 退避準備は出来ました」

「ユーリ、魔狼側に遠隔から隠蔽魔術を施して置いた。少しは時間稼ぎになるはずだ」

「いつの間に!?」


  リーリエ様を宥めながら周囲を警戒しつつ、殿下はそんな離れ業をやってのけた。

『ふむ。魔狼たちの鼻も一時的に効かないようだ。王太子の言った通り、罠は正しく発動している。それと、一匹、致命傷を負っているため、理性をなくしているようだ。関わらない方が良い』

  ルナの情報に顔が青ざめた。致命傷を負った魔獣は、最後の足掻きとばかりに凶暴になることが多いのだ。

  魔獣は死に際こそパワフルだ。


「レイラ、リーリエ嬢、とにかく戦う装備はないから、今は逃げるよ」

「はい、殿下。それと、魔狼の群れの中に一匹、致命傷を負った獣が居るようです。厄介なことになるかもしれません」

「何? ……この近くの騎士団駐屯地に連絡を入れないと。人里に下りたら危険だ」

  死に際に少しでも回復しようと人里に下りようとする魔獣が居るのだ。

  回復方法? つまりは捕食です。

  群れの場合であれば、恐ろしいことになる。


「人里!? この近くの街が襲われるんですか!?」

  リーリエ様が悲鳴のような声で問うてきた。

「ええ。だから私たちも危険──」

  逃げようと言いかけた折に、リーリエ様は私の手を振り払う。


「魔獣を倒さなきゃ!」


  恐ろしいことを言い出したのだ。


「駄目だ! 危険すぎる!」

「駄目です!! 逃げますよ!」


  私と殿下の声が重なった。

  意見は一致している。

  シナリオ上だとリーリエ様は精霊を呼び出して解決していたような気がしないでもないけど、当事者としては、一緒に逃げて欲しい。

「だって、このままだと魔獣が群れで人里に下りちゃうんでしょ? 騎士団任せにしたら、その人たちも怪我しちゃう。この間みたいに精霊に頼んで回避出来るかも」

「リーリエ様が危ないですから!」

  リーリエ様は私をきっと睨んだ。

「レイラさん! 私たちが出来ることがあるんだよ?! 力があるのに使わないのは、罪だよ。なんとか出来る力があるのに、何もしなかったせいで傷付く人が出てくるのに!」

  チラリと殿下を見やると、彼は苦々しい顔つきをして小さくため息をついた。

「まだ精霊とは契約したばかりだろう? まだ練度が足りないはずだよ。そんな不確定な要素に頼るより、出直した方が良い。ちょうど今、魔術で騎士団に要請を入れた。人里に下りる前には間に合うと思う」

「でも! わざわざ血を流すなんて! もし、私が押さえることが出来たら、怪我をする人もいないかもしれないのに!」

  殿下は、リーリエ様の腕を掴むと、傍らに居たユーリ殿下に言った。

「行こう。案内してくれる?」

「う、うん」

  納得していなかったリーリエ様を無理やり引っ張り、「これは命令だ」とフェリクス殿下は一喝した。

  ビクリと身を震わせるリーリエ様は、とりあえず頷いた。

  前方に教師が一人。

  殿にもう一人の教師がついて、生徒たちを守るように挟み込む。

  フェリクス殿下とリーリエ様の周りにはお馴染みのメンバーが護衛として張っている。

  ノエル様と教師二人が防御膜を張って、辺りを警戒している。

  私も安全のため、殿の教師の少し前を歩いている。


  魔獣から探知されることなく、安全に退避ルートを移動している中のことだった。

『おかしい』

  ルナ? ルナが何かを察知したらしい。

『反応が一気に増えた。回り込んでいる個体も数匹。それにこれは……』

  ルナが気付き、教師二人と王子二人も気付いたらしい。

  フェリクス殿下がぽそりと口にした。


「人為的なものを感じる。魔獣を召喚する魔法陣のようなものがあるような?」


  ユーリ殿下も笑っていなかった。

「ちょっと、おかしいよ。これ。回り込んでいた奴らが徐々に距離を縮めてるし、ますます増えてる」

  つまり袋叩きにしようとしている?


「離脱の方針でしたが、このまま進むと魔獣と出会う確率が高い。応援が駆けつけるまで耐え忍ぶ方針です」

  教師はもう一人の教師に何かを合図する。

「索敵か……分かった」

  教師の一人は、辺りを窺うことにしたらしい。

  私の方へと近付くと、小声で尋ねてきた。

「ヴィヴィアンヌ嬢は、やり手と聞いた。手が足りない状況だが、君は何が出来るだろうか?」

  藁にもすがる思いなのかもしれない。

  私は通信過程で卒業したのみで飛び級卒業という華々しい実績がある訳でもなかった。

  いくつかの資格を持っているだけの職業婦人のようなもの。

  それでも何故か、周囲の評価はじわじわと上がっていて、こういう時にどうにか出来る能力があると思われている。

  何やら誤解されているが、正面切って戦うのも得意ではないのだ。

  なのに縋るような目を向けられる程には期待されている。猫の手を借りたい程なのだろう。

  私が出来るのはサポートだ。

  だから、教師と小声で相談して分担することにした。


  他の生徒たちや、何より殿下たちに気付かれないように、私たちはそっと抜け出したのだった。


『やることは分かっているのか、ご主人』

「ルナ。私の足になってくれる?」

『承知した』

  私の影からズズッと出てきた一つの影が狼の姿を形成し、私の横に寄り添っていた。

  人一人乗せるくらい余裕な大きさを持つルナは、私が背中に乗りやすいように身を屈めた。

『相手は手負いを含んだ魔獣。普通に魔術を使うと興奮させてしまうからな。呼び寄せるにしても、無茶ぶりだが少しでも刺激を与えない方法を取った方が良いぞ。ご主人を守りきることが出来なくなるのは私も困る』

「刺激を与えない方法……。音声魔術とか?」


  魔力が少なくても使うことが出来る古来から伝わってきた魔術。音に魔力を乗せて効果を発揮させるという魔法なのだが、使い手はあまり居ないらしい。

  少ない魔力で大きな効果を発揮するとはいえ、詠唱歌は一言一句、半音すらもズレてはいけないという難易度の高い発動条件を誇るのだ。

  それをするくらいなら、普通に魔力消費を抑える工夫をして魔術を使った方が早いからだ。

  使う必要性を感じられないと廃れてしまっているが、昔から歌が好きだった私は数少ない音声魔術の使い手兼教育免許という資格を持っていた。

  この音声魔術の良いところは、普段から訓練必須の通常の魔術とは違って、音やリズムさえあっていれば誰でも使えるという点。

  そう。誰でも使えるのだ。ほんの少しの魔力があって、それを声に乗せることさえ出来れば。

  世界で最も簡単な魔術でもあり、最も難しいとも言われる魔術。

  少なくとも私にとっては普通に魔術を使うよりも確実な方法だった。音程や詠唱歌があってさえいれば使えるのだから。一通り暗記はしているし。

  通常の魔術の腕は……身体強化以外はほとんど実技は一度くらいしかしていないし、 期待出来ないのだ。


  だけど、さすがに魔獣の攻撃を回避しながら歌を歌うのは無理だったので、ここでルナの出番。

  私を背中に乗せたルナはいくつかの魔法を使った。衝撃を緩和する魔法に、私を落とさないように見えざる手で支える魔法。十分な空気が入るようにもしてくれた。



『存分に歌え。我が主よ。どれだけここに呼び寄せようとも全て私がねじ伏せてみせる』



  その柔らかな毛に指を埋めて、少し弄ぶとルナはくすぐったそうに身震いした。

  頼もしいルナの言葉に覚悟は決まった。

  半分程でも良い。ここに魔狼を引き付けてみせる。

  私よりも、もう一人のあの教師の方が大変な役目を担っているのだから。

  私には頼れる精霊が居るのに、怖がってばかりも居られない。


「狼たちをここに呼び寄せてみせる」


  私の言葉の後、ルナが遠吠えをした。

  森中に響き渡る程、高く勇ましく、そして力強い狼の声。

  魔狼たちの意識がこちらに向いた一瞬、私は魔力を声に乗せて紡ぎ始めた。

  音とリズムさえあっていれば、出来る魔術を。

  その詠唱に込められた意味を全て理解しなくとも、刻まれた歌詞と音だけはなぞることが出来たから。


  ルナがグルル、と小さく唸り声を上げ始めた時、周囲の気配がガラリと変わる。


  怯えて声が裏返りそうになったけれど、ここで集中を切らしてはいけない。

  私たちが危険にさらされているのは今更だ。

  私はパートナーを信じるのみだ。

『ご主人。そなたは目を瞑って身を任せてくれれば良い。歌を止めずにな』

  大丈夫……と伝える代わりに軽く微笑んだ。


  詠唱歌を口ずさみながらも、周囲には瘴気を纏って舌なめずりをした魔狼の群れ。

  怪我か何かで重傷を負ったという魔狼は居ないらしい。


  じりじりとこちらを取り囲み、距離を縮めていく魔狼たちは、狙いをルナの背中に腰をかけている私に定めたようだ。


  一気に飛びかかってくるそれらに内心、怯えつつも私は、ここへ魔獣を呼び寄せるための誘いの歌を止めない。


  ルナは大きく口を開くと、牙を見せる。

  その瞬間、直接触れた訳でもないのに、ルナの周囲にいた獣たちは見えない牙に貫かれたように、体から血が吹き出した。


  ぎゅっと、目を閉じながらも私は魔力を注ぎ続け、歌を止めなかった。


『たわいもない。ご主人、もっと獲物を寄越せ』


  それは飢えた獣の衝動なのか。人型でないから分からないけれど、ルナの声はご馳走を並べた時みたいに上機嫌で。


  私の声か、歌か、魔力か、どれかは分からないけれど、それらに引かれた獣たちはおびき出されて、ルナに皆殺しにされる。

  ルナの周囲に闇色をしたサークルが描かれ、そこに入り込んだ獣たちは硫酸を浴びたように溶けていった。

  飛びかかってくる前にルナは決着をつける。


『時折魔法の練習をしないと、錆びつくからな。私にも好都合だったのだ』


  声には焦りなんか微塵もなくて、普段のもふもふ子犬姿や、普段のもふもふ鼻姿、そして無愛想な青年の姿しか見ていない私は、ルナが闇の精霊として力を行使している姿はあまり見たことなかった。

  いつもあんなに、もふもふなのに……、こんなに強いなんて。

  なんか無闇矢鱈に体をもふるのは、失礼なのではないかと今更ながらに思えてくる。


  ルナが私を背中に乗せたまま、跳躍した。

  どうやら肉弾戦に移行したらしいか、どういう理屈の魔法なのか、背中に乗っている私に衝撃が風圧が一切ない。

  景色が目まぐるしく変わっていく。次から次へと反転したり、視線の位置が変わったりするけれど、私には影響がない。酔うこともない。

  ルナがチートだった。


  私の役目といえば、ルナのために獲物を呼び寄せるだけ。


  だんだんこちらに来る獣が少なくなり始めた頃、火炎弾が花火のように空に上がったのを見た。

  魔術を使い、加工された火は7色に明滅した。


『手負いはお前か。ここに来たことを幸運だと思うんだな!』

  悪役も真っ青になる台詞を吐きながら、ルナが最後の一匹の喉に噛み付いたのを見届けて、私は詠唱歌を口ずさむのを止めた。


「どうやら、魔獣の召喚陣を破壊したらしいわね」


  二手に分かれ、私が魔獣を引き付け、その隙に教師の一人が召喚陣を破壊する手筈で、合図を決めていたのだ。

  最後の一人の教師は生徒たちを守るという役目。

『魔獣を引き付けることなら出来ますが、全てを引きつけることが出来るかは分かりません」

『それで十分だ! ありがとう! こちらは辺りを探るついでに魔獣の召喚陣を破壊するつもりだったのだが、そうなるとそちらに負担がかかるかもしれない』

『……私と先生、どちらも危険ですから、お互いに武運を祈ることとしましょう』

『すまない。ありがとう』


  そういう訳で、こちらは問題ないという合図として、私も先程の教師にこの辺りの様子などを書き連ねた手紙を魔術で飛ばした。


「半分程、魔獣は引き付けられなかったけど、もしかしたら残りの半分は生徒たちのところに行ったかもしれない」

『あそこには手練が居るからな。半分程なら問題はないだろう。王太子がどうにかしているはず』

  フェリクス殿下やノエル様の技を見ているからか、ルナのお墨付きだ。

  フェリクス殿下やユーリ殿下は護衛など必要ないくらいに強いけれど、そのお立場を考えるとあまり危険に晒すのはどうかと思う。

  それでもこうして課外授業に参加するのは、護衛としてハロルド様やノエル様が居るからなのだろう。

  そして、ハロルド様の剣術は一線を画している。その剣さばきは神がかっており、常人から見れば動きなど捉えられない程だ。

  この間の人工魔獣の討伐の時、ハロルド様の判定はEランクだった。

  何故って、魔術を一切使わずに人工魔獣を倒したからだ。


  そんな強い人があの場に居るというだけで、今の私は安堵している。

  魔獣召喚陣も破壊したし、手負いの魔獣もルナが始末した。半分程に減った魔獣ならばどうにかなる。

  私も合流して……。


「ん?」


  辺りを見渡した私は、ルナを振り返る。

「ルナってこの辺どこだか分かる?」

『知らん。そういうのはご主人担当だろう?私は方角などは知らん』


  どうやら、この周辺の方角の把握などは、今回私に任せ切りにしていたらしい。

  動物として致命的じゃないの?って思ったけど、ルナは動物じゃなくて精霊だった。


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