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 最近の出来事的に、どんな対応をして良いのか分からない人ランキング一位のお方が目の前にいらっしゃった。

  採取についてはあまり詳しくないので、フェリクス殿下は自分の勉強をしつつも、リーリエ様の面倒を見ていたらしく、どうやら一段落したようで。

「私はあまり教えるのが上手くないからね」

「そんなことないと思いますよ。叔父様やノエル様なんかは人様に教えるレベルではありませんから。上には上が居ます」

  私は思わず遠い目をした。

  天才だから考えることもぶっ飛んでいるし、彼らにはついて行くので精一杯だ。

  彼らの天才研究者特有のよく分からない言語を翻訳している私にすれば、アレは特殊言語だ。

『ここでズギャンと一発攪拌したのを見届けるんだ。見届けた後にさっくりと鍋の底から掻き出してぽよんとするように適当な大きさに分けて欲しい』

  一度、ノエル様の手伝いに行った時に、これを言われた私の心境を誰か分かってくれるだろうか。笑顔のまま固まった。

『とりあえず、今までの作業工程と流れをおさらいしてからでよろしいですか?』

  と、まずは彼の翻訳に必要な単語やフレーズなどを発掘するところから始まった。

  叔父様と似たような、助手が居ない典型的なパターンである。

  彼らは彼らなりに法則というか、パターンがあるのでそれらのコツを掴んでしまえば、対応出来るようにならないこともない。

  叔父様で慣れていたのでなんとか対応したら、「助手にしてやらんこともないぞ!」とかツンデレ全開で勧誘されたのは余談である。


「そういやノエルは、分からないというハロルドに『分からない意味が分からない』とか言っていたっけ。しかも本気に見えた」

「天才の性だと思います。叔父様も似たようなことを言いますので……、天才で発明もしていますが、教師には向いていないので、今回の話もまだマシな私の方が採用されたのではないでしょうか」

  資格はいくつか持っていてもまだまだ若輩者の私が採用されたのは、あまりにも叔父様がアレだったからだと思う。

「レイラはヴィヴィアンヌ医務官に評価されているからね」

「翻訳機か何かにする気なのだと思いますよ」

  内心苦笑しつつも、研究者の助手として生きるのも良いかもしれないと思う。

  頭の隅でハロルド様が「女性騎士」と訴えているのは無視することにして。

「それは何? すごく良い匂いがする」

  私の手にあったハンドクリーム。

  殺菌作用付きの優れものである。

「前に調合して作りました。薬効成分に……ではなく、薬効成分を持つ特定の虫に警戒されない香りなのです。先程の虫、毒はないのですが、体液にかぶれることがありますので念のため洗ってついでに殺菌をと思いまして。本当は手袋があったら良いのですが、布にくっつくと離れにくいので」

「さすがに毛虫は手掴みじゃないよね? ちょっと心配になった。前に満面の笑みで毛虫をつっついていたノエルを見ていたから、いつか手掴みしそうだなって」

  きっとレアな虫か何かを見つけたのだろう。

「それはご心配なく。私もノエル様もさすがにそれはしませんよ。ノエル様は研究者気質ですから知識がありますし、無謀はしませんし、さすがに私も痒いのは嫌です。」

  虫に慣れたとはいえ、さすがに毛虫は遠慮したい。痛そうだし、痒そうだ。

「ノエルはさっき貴女に何を話していたの?彼にしては珍しく楽しそうだったから」

「ああ、レアな幼虫をお譲りしまして。ふふ。先程、ノエル様に勧誘されました。虫の解剖をしようと」

  女子を誘う言葉じゃないのが面白い。

  こんなにも色気も素っ気もない会話だというのに、フェリクス殿下は少しだけ眉を潜めた。

「駄目だよ。貴女は女の子なんだから、そう簡単に男と二人きりになるのは」

  やけに真剣な顔をされて、その瞳は不本意だと言わんばかりで。

「虫の解剖ですよ?」

「ごめん。私が制限することではないと思うんだけど、ほら。貴女も貴族令嬢だから」

「結婚……ですか。うーん、政略結婚がないならば、結婚はせずに、研究者として一生を過ごすのも良いかなと思いまして」

  頭の隅でロマンスの欠片もないプロポーズをしてきたハロルド様が、「修行!」と言っていたがそれもとりあえず無視をする。

  フェリクス殿下は衝撃を受けたように固まった。

「え。結婚するつもりないの?」

「……? まあ、必要に迫られない限りは? ですかね? 基本的には仕事一筋で生きるつもりでいます」

  そう言った瞬間、フェリクス殿下は、とてつもないショックを受けたようで珍しく愕然としていた。

「そうか……。その気はないのか」

「こんな年齢で学園で働いているのは、結婚するつもりはないのだと周りに知らしめているという意味合いもあります。……まあ、淑女教育は受けておりますので、政略結婚をする準備は出来ておりますが……まあ、兄が許さないと思いますので……」

  その可能性はないに等しい。一度、政略結婚なら否を唱えないと伝えたことがあったのだが、その時の兄は物凄い形相で「政略結婚でレイラを犠牲にするくらいなら、元凶を僕が手ずから潰してあげる」と言われた。

  目にハイライトが宿っていなくて、この時私は思った。ヒロインとエンドを迎えるのはこの人には無理だと。

「……まあ先のことは分からないからね。備えておくのは良いことだ」

  今までやって来た淑女教育……通常よりも厳しいことからして、もしかしなくても王太子妃教育のために詰め込んでいたような気がするのだけど、言わぬが花だろう。

  表向き父に従順なフリをしていたため、かなり真面目にこなしてしまったことが悔やまれる。

「今は、自分の仕事をこなして、生きることを目標にしております」

  死亡フラグを破壊するのが今の私の優先的な目標だとは言えないけれど。

「そ、そうか」

「殿下?」

  もしかしなくても落ち込んでいるような気がするのは気のせいか。

  私があまりそれをつついてはいけないことは分かっていた。

  私は人の心を弄んだ悪い女で、殿下は私のせいで混乱してしまっている被害者だ。

  以前のルナの魔術はどこまで効いたのか、深層心理には記憶が残っているのではないか?

  無意識なトラウマになっていないか、時折不安になってしまう。

  私が声をかけられずに居たら、心配をさせまいと殿下が優しく笑って、私に何か声をかけようとした瞬間。



「フェリクス様ー!」


  リーリエ様の鈴を転がすような可愛らしい声が届いて、気まずい空気も会話も全て塗り替えられた。

  フェリクス殿下は一瞬眉を僅かに顰めたのと反対に私はほっと胸を撫で下ろしてしまった。

  結局のところ、私は狡い人間だ。


「どうしたの? 他の皆を置いてきてしまった?」

「えへへ。フェリクス様が見当たらなかったから、つい……あっ」

  リーリエ様は遅れて、傍に私が居ることに気付いたようで、目を合わせると怯えるみたいに視線をサッと逸らして、殿下の背中に隠れた。

  何故!?

  私は怯えられるようなことをしたのだろうか?

  死亡フラグ的な意味合いでは、ヒロインとは友好的でありたいのだけど、私はどこで失敗したのか。

  殿下の背に隠れられたこの状況。

  やはり私は悪役令嬢っぽい。

  恐らく戦闘訓練の時にハッキリと言ったからかもしれない。キツイ言い方をしたつもりはなくても、彼女にとっては違ったの?

「あの、レイラさん。こんにちは」

「御機嫌よう、リーリエ様。以前は御無礼を申し上げました。お元気そうで何よりです」

  私は間違ったことを言ったつもりはなかった。今でも間違いだなんて思っていなかったけれど、リーリエ様に嫌われてしまうことを恐れてしまった。

  ただ、死にたくなくて。私は私なりの人生を歩んで行きたくて。

  前みたいに途中で人生が終わるのが嫌で。

  謝れば良いなんて問題でもなくて、簡単に済ませるものでもないのに。

  この時の私にはプライドはなかった。

  ただ笑顔でやり過ごそうとそればかり。

「精霊様と契約なんて、私などが口を出す必要はありませんでしたね。これからも頑張ってくださいね。私は陰ながら応援しておりますので」

  心にもないことを口にすると、リーリエ様は殿下の背中から顔を出すと、首を振った。

「いえ、レイラさんが謝ることはないの。ついキツイ言い方をしちゃうことは誰にもあるもん」

「ありがとうございます。リーリエ様」

「それで二人は何を話していたの? とても仲が良さそうだったから……。もしかして私邪魔?」

  僅かに潤んだその瞳。仲間外れにされた気がしたのかもしれない。

  結婚のことを話していたなんて意味深なので、その前の話のことを伝えておく。

「単なる虫の解剖の話ですよ。さすがに女の子は嫌がると思ったので。なんたって虫がバラバラになりますから」

  何の害もない、ただの虫の話です。

  強調しているのも気のせいです。

  リーリエ様はここで漸く笑顔を見せた。

「レイラさんって男らしいね。頼りがいがありそう」

「リーリエ嬢? 女性にそういうことを言うのは失礼だから。気をつけた方が良い」

「あっ、ごめんなさい……」

  慌てて口を押さえて申し訳なさそうに俯くと、ピンクブロンドの髪が揺れて、とても綺麗だ。

  ただ、リーリエ様は殿下に注意されたことを随分と気にしているようで。

  少しでも気まずさを払拭したくて、私はおどけて見せた。

「ふふ。学園を卒業する際に卒業論文をいくつか書いたのですが、そのうちの一つがある薬効成分についての研究課題だったのです。その薬効成分はある幼虫を材料にしていまして」

「え?」

  何を言われているのか分からないらしい彼女に、私は続ける。

「私も元々は虫嫌いだったのですが、研究課題が修羅場になっていくにつれて、虫のことをただの薬の材料としか思えなくなってしまって……気が付けば、こんな風になりました」

  こんな風。つまりは幼虫を手で掴む令嬢のことだ。

「まあ、そんな研究課題を選んだ私の自己責任なのですけれど」

  昔のトラウマ級の記憶を呼び起こした私は遠い目をする。

  ああ、昔の私にはもう戻れない……。


  そんな話をしている最中のことだった。

  フェリクス殿下は、はっと何かに気付いたように目を見開いた。

 空気がピリリと引き締まる。

「なんだと?こんな反応……ここでは有り得ない」

『ご主人! 危険だ。魔獣の群れが居る』

  フェリクス殿下と同時に、ルナが緊急事態を訴えたのだ。



「緊急!」

  直後に教師の一人が叫ぶ。


  生徒たちが右往左往としている最中、ハロルド様が腹の底から叫んだ。


「魔獣の気配を探知した! 魔狼だ! この付近では有り得ない反応だ! パターンCを想定して、速やかに逃走経路を確保した!避難誘導を開始する!」


  ああ。やはり襲われる運命は変わらなかった。


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