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光の魔力の持ち主が、光の精霊と契約したらしい。
闇の魔力の持ち主である教授が精霊を見たことで、その話は戦闘訓練後に瞬く間もなく、学園中に広がっていった。
フェリクス殿下、ハロルド様、ユーリ殿下、ノエル様は何やら忙しそうに奔走していて、至る所に連絡をしているのか、盛んに伝達魔術を行使していた。
「皆、忙しそう……」
「忙しいのは、僕たちもですよ」
「そ、そうね。叔父様」
リーリエ様関連とはまた別に、私たちは私たちで軽傷者の手当に奔走していた。
絆創膏や湿布、簡単な治癒魔術を何度も使い、時折、魔力回復薬(苦い)を一気飲みしつつ、出来ることをするのみだ。
一通りの訪問者が立ち去った後、叔父様は目をキラキラさせながらこちらを見ていた。
大方、光の精霊について聞きたいのだろうが、私は叔父様に物申したいことがいくつかあった。
「厄介事を押し付けた叔父様なんか知らないわ。精霊のことも他の人に聞けば良いでしょう?」
ツーンとそっぽを向いている私を叔父様は必死に宥めようとする。
「そんなこと言わずに! ね? レイラに人生経験を積ませようと思った親心ですよ。魔術師はいかなる時も冷静に臨機応変に対応出来ることが望ましいと言われております。座学のみのレイラには良い勉強になりましたし、上々の結果を出したのだから良いじゃないですか」
「単に叔父様が面倒だったからでしょう? さすがの私も今回ばかりは怒るわよ。何でも思う通りにいくとは大間違いなんだから」
『私も今回のあれはさすがにどうかと思ったぞ。叔父上殿』
ルナは私の味方をしてくれている。癒しだ。癒しのモフモフだ。
「一息入れてくることにします。ルナ、叔父様に少し説教していて」
『そうだな。この男に私の方から精霊については語らない。知りたくても知ることの出来ないもどかしさでも感じてもらうとしよう』
今更だが、ルナは時折サディスト的な要素があると思う。
「そ、そんな!」
叔父様が何か言っているが、少しくらい私も憂さ晴らししたい。
医務室から出て、気分転換にカフェテリアで何か頼もうかと思ったところで、予想外の人物が待ち受けていた。
医務室から出てすぐの角。壁にもたれかかって待ち人を待っていたようだ。
「ご苦労様。レイラ」
「…………殿下こそ、お疲れ様です」
フェリクス殿下は今、お忙しいだろうに。
まさかこんな廊下に一人居るとは思っていなくて、少し返事が遅れてしまった。
制服の上着部分を脱ぎ、ベスト姿で彼は佇んでいる。
「どなたか、お待ちですか?」
「貴女を待ってたんだよ」
「え? 何か危急の用件でも?」
リーリエ様の件で忙しいのに、わざわざ会いに来る程だ。一通りの手続きは終わっているのだろうが、今日会うことはないと思っていたから、よっぽどのことがあったのかもしれない。
「いや、何もないけど。……ただ、貴女に会いたかっただけで、特に仕事を頼みたいとかではないよ」
「……」
何故、今!? リーリエ様についているとか、何かあるでしょうに。
「この度の件で、お忙しいのでは?何故、わざわざ……」
「忙しいから、余計に会いたくなった。迷惑だった?」
「いえ! まさかそんなことはありませんよ!」
迷惑です、なんて言える訳がないのにそんなことを問うて来るのは遠慮して欲しい。
「そう。なら良かった」
「……」
屈託なく笑うのも、ちょっと止めて欲しい。
目をいきなり逸らすのも失礼なので、先程から気になっていたことを聞くことにした。
「リーリエ様の傍についていなくても良いのですか?色々あったせいで、不安になっているのではないかと思いまして……」
フェリクス殿下は肩を竦める。
「精霊との契約で、彼女の存在は余計に重要なものになったから、交代で護衛はつけてるよ。傍に居てあげてと色々な人に言われたけど、私は逆に聞きたい。事故にあった訳でもない、ただの授業の一環だというのに何を不安に思う必要がある? 私が傍に居る必要性を感じられない」
「……」
攻略対象がここまで冷めていて、果たして乙女ゲームとしてこれで良いのだろうか?
まあ、この世界は現実だけれど。
どうやらリーリエ様は殿下の裾を掴んで、「置いていかないで」と涙を見せたらしい。
うーん。確かに重いかも?
この方の場合、ぐいぐい来られると引いていくタイプに見える。
「私以外にも人は居て、しかも交代で護衛もしているし、私も明日は繰り出される予定だし。数人で彼女の相手をする理由が分からない。全員があの場に拘束されるのって、どうかと思うんだけど。その間に休憩するとか執務をするとか出来ると思うと……」
「確かに、全員が雁首揃えてあの場に居る必要性は感じられませんが、リーリエ様の傍に居るとばかり思っていました」
「私は彼女にそこまで過保護ではないよ」
うん。正論なんだけど、ゲームで知っている殿下とあまりにも違いすぎて驚く。
ゲームのシナリオでは、殿下はリーリエ様の傍に居て会話をしていたというのに。
こんなにビジネスライクな関係性だったっけ?
もっと甘い言葉とか吐いていたような……?
とりあえず一つ分かること。
「……リーリエ様は、傍に居て欲しいと明確に意思表示したのでしょうね。だから余計に皆、そう仰るのでしょう」
「私の意志とは関係なくね」
「相当、参っていらっしゃるようですね」
「まあね」
この数時間が怒涛すぎて疲労しているのも理由なのかもしれない。
攻略対象が数人でヒロインを囲み、甘い言葉をかけるというシチュエーション。
現実的に考えると、乙女ゲームのあの状況は違和感で溢れていたと思う。
だから驚きつつも、今回の殿下の反応には納得出来る部分はあった。
リーリエ様に塩対応なのは意外だったけれど。
「レイラは私のこの対応を、冷たい対応だと思う?」
「王家の方々にも様々な考えがあるのでしょうし、私などが意見出来る立場ではありませんが。リーリエ様は殿下の婚約者という訳ではないですから、今回の事例ですと客観的に見てその判断はおかしくないと思いますよ」
義務を果たして、リーリエ様を守っているなら、その他の彼の時間は彼のものだ。拘束される必要はない。
私のところに来るのは解せないけれど。
自室で休めば良いのに。よく分からない人だ。
「冷静で忌憚のない意見ありがとう。外野がね、うるさいんだ。リーリエ嬢の傍についてあげないなんて優しくないとかどうとか」
ここで殿下は疲れたようにため息をついた。
「……私が断言します。貴方に非は全くありませんよ。それくらいで優しくないとか言われていたら全世界悪人だらけです。そうなると私など極悪人です」
私は自分が優しくない人間だと思っている。
臆病で、目の前の真っ直ぐな男の子に不誠実な対応をしている最悪な女。
私みたいな女に引っかかってはいけないと思う。
なのに。
「ん? レイラは優しいよ。私が見る限りだと偽悪主義的なところはありそうだけど」
何を言っているのだろう。
本気で何て返して良いのか分からなくなって、ルナを置いて来たことを後悔し始めた。
無言になった私に何を思ったのか、殿下は私の手を自然に取って、誘いかけた。
「もう夕方だけど、少し休憩しようか。外に行こう」
気が付けばエスコートをされていて、中庭のベンチに二人して腰をかけている。
夕日が赤くて、世界が染まったように思える。
右隣に座った彼は、私の右手に自分の手を重ねる。
「……!?」
どういう状況?何?この接触は。
思わず身構える。
「治療を先程までしていたんだね。魔力、使いすぎてるみたいだね。手も冷たいし。顔色も少し良くない。かなりの魔力消費と見た」
隣から顔を覗き込まれて、顔色を確認される。
綺麗な金髪が僅かに私の方へと近付いて、ふわりと清潔な香りがして私は息を飲んでしまった。
近い……。あの時みたいに。
少し前にあった事故。急接近してしまった末の惨事の記憶が蘇って、頬が熱くなる。
私、意識しちゃってる?
まだ完全に忘れるなんて出来ないらしい。
こちらの動揺に気付いているのか、気付いていないのか、フェリクス殿下はこう続けた。
「私の魔力を分けようか? 魔力回復薬で無理に回復させるよりも楽になれると思うよ」
何を言っているのだろうか。
思わず目を剥いた。
自分の魔力を他人に受け渡す。それは、魔力の扱いに長けた者が出来る高等技術だが、その方法に問題があった。
一般的には密な接触──粘膜を触れさせるくらいには濃厚な接触をしなければ魔力など移せないのだ。
この人、もしかしなくても変態なのではないかと思った瞬間に、手を握られた。
「やっ……」
「ゆっくり流し込むから」
魔力の奔流。握られた手が暖かいと感じた瞬間、何か力の源のようなものが手のひらの皮膚から浸透していく感覚。それは直に伝わってくる熱が移っていくのに似ている。芯から温もりが溶かしていくみたいな。
手を温めて、温もりを得るみたいな。
え? 嘘?
知らない魔力。闇属性ではない魔力の感触。
確かに魔力が移動している。
き、規格外だ。規格外すぎる!
一般的には密な接触をしなければならない程、難しい魔力操作。
それを手を握るだけで出来てしまうなんて。
驚いてしまったせいで私は失言した。
「変態とか思ってすみませんでした……」
「え? 変態? ……あっ」
一般的な魔力の移し方に思い至ったのか、殿下は一瞬申し訳なさそうな顔になった。
身の内に溢れる魔力のおかげで体が軽くなったようだ。
「うん。顔色はさっきよりも良くなってる。無理は禁物だよ。貴女にとっては仕事なのだろうけど、最近薬を作りすぎだ。ここ数日の疲れが祟った上に、今日の治療がトドメだったんだろう」
純粋に心配してもらっているのが、こそばゆくて。
少しの接触で意識してしまっている自分も嫌いだ。
うう。あの時のことが、けっこう尾を引いている……。
キスくらい……とも思うけれど、どうやら私の中では衝撃的な出来事だったのかもしれない。
顔を上げると、こちらを何気なく窺っていた殿下と目がバッチリと合ってしまった。
この時、僅かに視線を外したのだけれど、その挙動が不自然だったのかもしれない。
「……レイラ?」
私の染まった頬が夕日のせいではないことに彼は目ざとく気付いた。
私が殿下を意識してしまっているのが何とも分かりやすい。
い、いたたまれない。
「……少し驚かせたみたいだね」
気付いてしまった殿下は、甘さを滲ませながら、息だけで上品に笑った。
なんということなの。声が蜂蜜みたいに甘ったるい!
だけど何か嬉しそうなぽわぽわとしたオーラも出ているのは気のせい?
それ以上追求されないことにほっ……と胸を撫で下ろしていたら、繋がれていた手がするりと名残惜しそうに離される。
「……!」
ぴくりと肩を揺らしたのは私。
先程から分かりやすい反応をしてしまう私に対して、殿下は特に何も言わない。
少し前にあった気まずい事故の件についても言い訳をしない。
「また顔を出しに行くね。次は忙しくない時を狙う。今度また美味しいオススメの紅茶を持っていこうかな」
殿下は後暗いことなど一切ないと言わんばかりに、明るく話しかけてくる。
その声音に含まれている優しげな響きは、私を労っていて。
全てをなかったことにして、今まで通りの当たり障りのない関係性でいたいという私の我儘な願いを知って、それに答えようとしているみたいだった。
臆病で意気地無しな私の願いを。
もしかしたら、この人は私の性質を把握し、その上で、私との友人関係を維持しようとしている。
踏み込んで来ないことに安堵しつつも、なんて面倒な女なのだろうと自分自身に対して思うくらいなのに。
殿下は、何をお考えなの?
フェリクス殿下は、ヒロインのリーリエ様とはそこまで進展していない。
ゲームでの出来事との差異にも私は戸惑っていた。




