ハロルドの考察
人工魔獣を倒すという戦闘訓練。医務室の主のようになっているレイラが、生徒たちに手本を見せるということになったと聞いて、ハロルドは耳を疑った。
──あの、戦闘なんて縁のなさそうなご令嬢が……。
触り心地の良さそうな銀の髪に、それと似た色合いをした白衣を羽織った彼女は、その容貌から一部の者からは白銀の女神と呼ばれていた。
彼女の叔父同様に治癒魔術も扱える。
彼女の叔父は来客対応なんて一切しなかったが、レイラは出来る限りの持て成しと穏やかな笑顔で迎えてくれる女性だった。
ハロルドとは同い年と聞いていたが、たまに自分よりも年上のような気がする程、レイラは包容力のある人間だった。
──その彼女が討伐?
新入生たちは、少し離れた観客席のようなところで固唾を呑んで見守る。
前方では、己の主兼幼なじみであるフェリクスと護衛対象のリーリエが座っており、ハロルドは何があっても良いように後ろで控えている。
──まあ、護衛はいらないような気がするが。
フェリクスは護衛など要らない程、剣の才も魔術の才もあったからだ。
ただ、彼と稽古でもしようと近付いていくと、何を思ってか逃げていく。
数時間程度、本気で打ち合うくらいお手の物だろうに「お前は手加減を知らないから途中から体力勝負になる。疲労困憊してしまえば後に響く」などと仰って、顔を青くさせていた。
ハロルドについてこれる時点で強者だというのに、何故顔を青くさせる必要があるのだろう。
修行しようとこちらから話しかけようとする度に身構えるのは何故なのか。
最近では、あの変な仮面のおかげで普通に用がある時は話しかけることが出来ている。
どうやら自分は、焦ったり余裕がなくなると顔が引き締まってしまうらしいのだ。
彼女のおかげで色々と改善点も見つかったし、何しろ彼女はハロルドを怖がることなく、見つめてくる。
打算もなく、真っ直ぐな瞳を向けられるのは、こそばゆいが悪くは無い。
「まさか、レイラちゃんの戦いが見れるとはね」
フェリクスの一つ下の弟で第二王子のユーリがすぐ隣に居た。
先程まで気配がなかったのに、突然現れるのは日常茶飯事なので気にしない。
この兄弟、ハイスペックだなと思うだけだ。
「貴方のことですから、知っていたのでは?」
「まあね。教師の中では、そういう話が多かったから、その確率は高いと思ってたよ?」
「……始まるようです」
レイラの目の前には人工魔獣である獅子の姿が禍々しく存在していた。
──本物とは程遠いが、よく出来ている。
今回の人工魔獣は初心者用に調整されているらしく、ハロルドからすれば少し動きは鈍いが、アレを倒すことが出来れば、一人前になる素質はあるだろうし、ハロルド直々に個人訓練を施したいくらいだ。
今回の戦闘訓練で人工魔獣を倒せとは言われていないが、この名門学園に通うならば、このくらいは倒せるようになれと暗に言われているようにも聞こえる。
だから護衛対象であるリーリエの言葉に少し眉を潜めたのは、言うまでもないがとりあえず置いておく。
人工魔獣がレイラの姿を捉えると、一切の遠慮なく彼女に飛びかかった。
レイラは大剣を抜くこともなく片手で難なく持っていたが、それを振るうことはなく、ただ獣の攻撃をすらりと避けた。
「あの細腕で大剣を持てるなんてね」
「おそらく、魔術でしょう。先程までは両腕で重そうに抱えていましたから」
「ハロルド君。さすが、よく見てるね」
一撃、二撃目とその爪がレイラに迫るが、その素早い攻撃を近距離に居ながら彼女は、すらりと避けていき、獣の爪は地面にめり込み、地割れを作っていく。
「うわあ……。あれ当たったら痛いだろうなぁ」
「そのために保護魔術を皆、かけてもらっているのでしょう。怪我しないのだから、皆どんどん戦闘訓練すれば良いのに何故怖がるのか分かりません。当たってもかすり傷でしょう」
「君はそうだろうね、君は」
「……? ですが、彼女は自らに保護魔術をかけていないようですね?」
授業では命の危険性を排除するために、保護魔術で体を守ることになっている。
ほんの少し体から発される魔力があるため、傍目からは一目瞭然。
それを生徒たちは全員、教師たちにかけてもらっているが、レイラはそれをしていないように見える。
「え、嘘。ホントだ! 生身!?」
ユーリが青ざめる。あの人工魔獣の動きを見ていたら、普通はそうだ。
だが、レイラは「当たらなければ問題ないでしょう?」と言わんばかりに優雅に獣の攻撃を躱していく。
思い切り振るわれた斬撃に彼女の細い足がそれを押し留めるようにスっと上げられる。
獣の爪を受け止めたように一瞬見えたが、どうやらその衝撃を利用したらしく、彼女は獣の爪を足場に跳躍した。
おおっ!と周囲から歓声が漏れる。
レイラは跳躍すると、狙ったのか……はたまた偶然なのか、獣の眼球付近に着地した。
恐らく狙ってやったのだろう。
獣の苦悶の声からして、どうやら目潰しをしたらしい。
「うわあ、えげつない」
とか言いつつも、楽しげなユーリには説得力がない。
レイラは頭上から、獣の背後に降り、その瞬間飛び退る。
と、先程までレイラが居た地面には大きな窪みが。
「ほお……。あの攻撃までも避けるか……。なんという反射神経……。敵の殺気に瞬時に対応している……」
──手合わせ、したいな……。
女性相手に初めて思った。
「ハロルド君?」
「なるほど、速度でもって制する……か」
「ハロルド君? 何を考えたのか察したくないけど、止めなね? 女の子相手にそれは止めなね?」
レイラが使っている身体能力向上の魔術精度もなかなかのものだった。
フィールド場を縦横無尽に跳び回る白衣の彼女に、獣は見事に翻弄されている。
体当たりをしようとも、爪を振るおうとも、背後から噛み付こうとも、それらをいとも簡単にレイラは躱していき、まるで相手の獣をからかっているようだ。
「でも、決定打は与えないね? 先程から避けてばかりのような?」
「彼女の意図はなんとなく分かります。そろそろでしょう」
ふと、レイラの前の獣が体勢を崩した。
足元の地割れに足を取られたのだ。
「疲労してきたか……」
「ああ! そういうこと!」
彼女の狙いは持久戦による、獣の疲労困憊。
先程から逃げ回っていたのも、目潰しもそれを目的としたのだろう。
視界を奪った後に、出鱈目に振るわれる攻撃。
空振りに終わる攻撃。
獣に何度も繰り出させて、確実に体力を削っているようだった。
恐らく、それが狙いだ。
レイラは、向かってきた獣を正面から捉えると、獣の懐へと身を踊らせる。
獣の足の間からすり抜けるようにくぐり抜ける瞬間、初めて大剣を抜いた。
ザシュッと斬りつける音と、獣の悲鳴。
地面に倒れ込むが、まだ致命傷ではないはずだ。
そして──。
レイラは獣の尻尾を踏みつけて、背中を踏み締めると、ちょうど首の後ろ辺りに陣取って。
そこで今までの鬱憤を晴らすように、思い切り力を込めて大剣を振るった。
それは、一撃の剣。その瞬間、レイラの腕に魔力が集中し、最大の一撃が魔獣を襲った。
文字通り、命を刈り取る一撃。
「まるで、剣を血で汚したくないという、剣士のようだ……。もしや本当に?」
「えっと、ハロルド君?」
己の武器である大剣を無闇矢鱈に獣の血で汚したくないと思っていたのだろう。
剣の消耗を最小限に抑えたいという無意識が働いたのか、彼女は一撃に全てを投じた。
彼女の動きは剣士の動きではなかったが、あの出鱈目な動きは人相手ならば撹乱することも可能だろう。
人工魔獣の首は刈り取られ、確実に絶命したのを見てとると、彼女は大剣を振って、血を払った。
レイラはその場に崩れ落ちるように膝をつく。
もしや、ここに来て恐怖したのかと思いきや、彼女は地面に落ちていた赤い宝石のような粒を拾って、首を傾げていた。
「あれは何?」
ユーリに問われたので、ハロルドは素直に答える。
「あれは、魔獣の核です。真っ先にあれを気にするということは、彼女は歴戦の猛者なのでしょう。思わぬところに逸材を……」
──早速、今度彼女に手合わせを……。いや、戦闘訓練で更に強化を試みるか……。
うきうきと計画を夢想していく。
楽しい。女性ならではの体の動きも興味深い。
「ハロルド君? おーい、ハロルド君? ちょっと、本当に何を考えてるか予想つくから言うけど、止めなね? お願いだから、止めてあげて!?」
ひび割れる程の歓声が辺りに広がっていき、ユーリの声は届かなかった。




