夜明けの邂逅
クリムゾン視点です。
夜が明ける、その空の移り変わりを眺めていると、クリムゾンは少し昔のことを思い出す。
専属騎士の仕事──レイラを無事に部屋に送り届けてから、クリムゾンは王城の屋根の上に佇んでいた。
クリムゾンに割り当てられた個室に戻るのも良かったが、高いところから死角はないかを確認しておくのも良いかと思ったのだ。
この国の疑り深い王太子が対処をしているとは思うが、自分だったらどのように攻めるか思考に耽るのもアリだと思った。
そうしているうちに夜が明けた。
日が出る前のうっすらとした紫色の空。
『我が主。そうしていて楽しいのですか、貴方は』
「楽しいですよ? 穴が見つけられたら、フェリクス殿下に嫌味が言えるではないですか」
『それは面白そうですね!』
主を止めるどころか、争いを助長するような発言をするところが、アビスらしい。
レイラの契約精霊のルナと比べると、本当にろくでもない奴である。
この時間の、何かが始まる前の静けさと冷たい空気はやはり懐かしかった。
裏社会を駆け抜けた日々は、血に塗れ、死体に縋られるような呪われた日々だった。
この手を血で汚し、他人の手も血で汚し、命の選別を行った。
転がる臓腑。切り落とされる手足。目の光を失った者たちからする鼻が曲がりそうな程の異臭。
それらは目を閉じれば何度でも蘇って来た。
人が人の命を選別する権利などないと思いながらも、それを実行し続けてきた血塗られた悪夢のような現実。
後悔はしていない。
懺悔はしていても。
それにしてもフェリクスの警備体制は完璧である。
どこかにケチがつかないかと半ば意地になって探していたところで、クリムゾンは後ろを振り向かずに声をかけた。
「どなたですか? こんな夜明け、こんな場所で、俺に用があるのは」
独り言のように闇の中で響いた自分の声。
ざりっと、屋根を伝う音がして、音もなくクリムゾンの後ろに降り立った者が一人。
黒髪長髪の背の高い男。
「……!」
──ニール=ベイカー。
かつてのクリムゾンの協力者。
ここへ来て関わることなどないだろうと思っていた相手が、明確な目的を持ってブレイン=サンチェスターとして存在するクリムゾンに接触していた。
「貴方は確か、フェリクス殿下の影を務めている元騎士の方でしたよね」
知らぬ存ぜず。
ブレイン=サンチェスターは、この男と面識がないのだから。
ニールはこちらを無表情で見つめた後、ぽつりと呟いた。
「クリムゾン=カタストロフィ」
レイラ以外には呼ばれることのないはずのその名。
ブレインとして存在するクリムゾンを呼んだその声には確信が満ちていた。
「……はて?」
「お前は、クリムゾン=カタストロフィだろう?」
「……ふむ」
隠し立てすることは出来ないと察したクリムゾンは、すぐに魔術を使えるように構えつつ、緩慢に振り返った。
「俺の何を見て、そう思ったんです?」
「ブレイン=サンチェスターの足音、足さばき、身のこなし、気配、息遣い、その全て、といったところだな」
「さすが元上級騎士なだけありますね。なるほど、身のこなしだけで同一人物か否かを見分けられるとは。さすが俺の元協力者なだけあります」
純粋に賞賛した。
魔術も多少は心得があるだろうに、魔術を一切使わずにクリムゾンの正体を看破してみせた観察眼は素晴らしいものだった。
「普通なら気付かないくらいだ。お前の認識阻害魔術は見事なものだった」
「結局はバレましたけどね」
クリムゾン=カタストロフィとして協力者たちに会う時は、認識阻害魔術を意識的に自分へとかけていた。
クリムゾンとブレインが同一人物だとバレないように。
念には念を入れたい時は、認識阻害の術式が施されたメガネを重ねがけでかけることもあった。
「それで。俺がここに居たとして、どうします?」
「別に、どうもしない」
「……」
──尚更、何の用なのだろう?
この男はフェリクスに忠実な狗のようなものだ。
今は手懐けられているから、いきなり殺しにかかってくることはないだろうが。
何を目的としてクリムゾンに接触したのか気になった。
訝しんでいれば、ニールは口を開く。
「……俺は、フェリクス殿下が認めた相手なら、お前が過去に何をしようとも気にしない。過去のことを吹聴することもない」
「もしかして、それを言いにわざわざ? 貴方も律儀ですねぇ」
コクリと頷く元騎士は、相変わらず無表情だったが、嘘を言っているようには見えなかった。
「お前の性質上、俺のしてきたことを言いふらすことはしないだろう。お前はレイラ様さえ無事であればそれ以外はどうでも良いのだからな。クリムゾン=カタストロフィ」
「俺のことを理解してくれているようで何よりです。俺は彼女の毎日が守られるならそれで良い。そして貴方は、フェリクス殿下の日常を守れるならそれで良い」
ニールは満足げに深く頷いた。
「利害の一致と言ったところか。フェリクス殿下のお心までお守りするならば、レイラ様がいらっしゃらなければ意味がない」
「それぞれの主を守る、明快な話ですね」
クリムゾン的には、フェリクスがどうなろうとも構わなかったがそれは言わないでおいた。
「そういうことだ。今の俺はフェリクス殿下の管理下だがな」
「……」
何故、そこで少し嬉しそうにするのだろうか。
とりあえずは突っ込まないでおこう。
『被虐趣味かもしれないですよ』
笑いそうになるから、アビスは余計なことを言うのを止めて欲しい。
肩が震えそうになるのを押し隠し、クリムゾンは何事もなかったかのように会話を続ける。
「レイラ様の騎士である俺と、フェリクス殿下の影であるニール。俺たちが連絡を取る際に、前に使ってた暗号とか使えたら便利ですよね」
「そう思って話しかけた」
「なるほど、効率的ですね」
相変わらずのニールの様子にクリムゾンはクスリと笑った後。
「ああ、それと。あまりその名で俺のことは呼んで欲しくはありませんので、控えていただけませんか? 俺のことはブレインと」
「……? 承知した」
クリムゾン=カタストロフィ。
その名前はもう、裏社会でも呼ばれることのない名前。
そしてたった一人、彼女にだけその名を呼ぶことを許した名前だ。




