黒い小鳥と白銀の狼の話。
ダイヤを慰めるルナの詳細です。
精霊ダイヤは、己の所業に慄いていた。
王城の庭に植えられた木に、ちっぽけな黒い精霊として留まっている自分。
何が失敗だったのかは知っている。
リーリエとの契約時に、大々的に喧伝してしまったことだったのかもしれないし、そもそも、リーリエと契約してしまったことかもしれない。
──もしも、私がリーリエと契約しなければ、彼女は死ななかったかもしれない。ここまで歪められることはなかったかもしれない。
全てが後の祭り。かもしれない、だ。
リーリエが囚われ、牢獄に入れられると知った時、こうなった責任を取るべく、ダイヤは彼女にどんな時も寄り添うと決めていた。
自分が関わり、そのせいで運命を変えてしまった一人の少女の人生は、もう元には戻らないけれど、生きている限り幸せになる機会は巡ってくるのだと信じていた。
もはや、野望などどうでも良くなっていた。
──生きている限り。……死んでしまっては、どうにもならないではないですか……。
リーリエが何者かに暗殺され、ダイヤの契約は効力を失い、彼は放逐された。
リーリエを守る間もなく、目の前で殺されてしまった。
主が拘束されていたからか、その枷は契約しているダイヤにも及んでいたとはいえ、守ることが出来なかった。
一人の人間の人生を歪めたまま、彼女を改心させないまま逝かせてしまった。
リーリエがこの世から居なくなってしまってから、己の所業を考え続け、ひたすら後悔の日々を送っていたある日のことだ。
『そなたは、ここに留まるのか? 悪意ひしめくこの王城に。人間観察の場としては、お勧めしない』
いつかの狼の姿をした精霊──そこには、主にルナと名付けられた光の精霊が、ダイヤが留まる木の下に立っていた。
いつの間にここに居たのだろう。
『貴方は……』
『こうして二人で顔を合わせる機会は、なかったな』
そうではない。一度会ったことがあるのだと口に出そうとして、止めた。
過去にルナと会ったことはダイヤにとっては印象的であったが、相手もそうとは限らない。
『……』
『…………』
お互いに黙ったままだったがやがて、ぽつりと白銀の狼が呟いた。
『此度の件はそなただけの責任ではないぞ』
『…………え?』
『外面の良すぎる王太子や無責任に煽る民衆たち、様々な要因が重なっている』
慰めてくれているのだろうか?
白銀の狼の立つ方を思わず見やる。
てっきりお前のせいだと糾弾されると思ったのに。
『もちろん、そなたに責任がないとは言わせないが』
『……』
その通りなので、黙って頷いた。
この狼の精霊は私に何か伝えたいことがあるのではないだろうか。
──私には会わせる顔がないのに……。
『人間の中には、どうあがいても話が通じぬ人間というものが居る』
『話が通じない……ですか?』
『だが、話が通じない人間が悪い人間かと言ったら、そうとも言い切れぬのだ』
『なら、どういう人間が悪い人間なのでしょうか?』
『さてな。良いも悪いも、それを判断するのは第三者。そもそも区別などないのではと私は思う。だからこそ、見極めるのが難しい』
ならば、どうやって契約者を探しているのだろうか。
その人間を良いと思ったから契約したのではないのか?
良い人間と悪い人間を見極めなければ、どうするのか。
そういったことを矢継ぎ早に問うてみれば、ルナはこちらを見上げて来たので、ダイヤの方がルナの近くへとパタパタと降り立った。
白銀の狼と小さな黒い小鳥が木の下に並んでいる。
『契約とは、重いものだ。それは時間をかけて見極めるしかない。……ただ、私はご主人が良い人間だから契約した訳ではないのだ。あえて言うならば助けたいと思ったからだ』
『例えば道を踏み外したとしてもですか?』
『それこそ、全身全霊を持って元の道に戻してみせよう。ただ幸せになって欲しいと己の主に思う。結局のところ、精霊が一人の人間を好きになっただけなのだ』
『それは、まるで……』
親が子を想う気持ち、兄弟姉妹に対する想いのようではないか。
ダイヤも家族というものは薄らと知っている。見たことがある。
そういえばどの中級精霊たちも、愛おしそうに人間を語っていたことを思い出す。
ぱちりと何かが、はまった気がした。
だから、なのか。だから上位精霊へ昇格せずに、あえて人間の傍に居ようとしていたのか。
上位精霊になってしまえば、そういった感情を抱く機会がなくなってしまう。
上位精霊は基本的に人間に接触が出来ないからだ。
そういえば、人間と接触したがっているある上位精霊がしきりに『中級精霊が羨ましい』と言っていたらしい。
詳しくは知らないが、ほんの少しだけ耳にしたことがある。
それがどこの誰かは知らないけれど、その上位精霊にとっても、人間は我が子のようなものだったのかもしれない。
『そなたはまだ若い精霊だろう。初めての契約で、このような無念やるかたない結末になってしまった。……この件には私のご主人も関わっているから、私が何かを言うことは、はばかられるが……。……そなたの話を聞くことは出来る』
結局のところ、慰めてくれようとしているらしい。
ダイヤは先程から気になっていたことを口にした。
『……貴方は私を責めないのですか?』
歯車が狂いだした原因でもあるダイヤを責めるのは当然だった。
狼がこちらを見下ろし、月の色をした目を向ける。
その真摯な瞳に吸い込まれそうになる。
『既に悔いている者をそれ以上責め立てて何になる』
『……』
悔恨、懺悔、感謝、言葉では到底言い表せない想いで胸がいっぱいになった。
──ああ、私は。私は。
『どうしたら貴方のようになれますか?私は、私は貴方のように……立派な精霊になりたいのです……』
『立派な精霊? 私は長生きをしているだけで、そこまで言われる程立派な訳ではない』
『いいえ……いいえ!』
ルナは謙遜しているが、相手の気持ちを推し量り、共に居ようとするのはそう簡単に出来ることではないはずだ。
『そなたに何か言えたら良かったのだが、上手いこと言えないのだ、私も』
『いいえ、そうじゃないんです』
小さな羽をパタパタとはためかせて必死になっても、伝えたいことを一から百まで伝えることが出来ない。
言葉というものの不自由さをダイヤは知った。
ルナはダイヤに気付きの切っ掛けになる言葉をくれたではないか。
それに何より、気にかけてくれていること自体が嬉しいのだ。
この精霊のように、なりたいという思いが膨れ上がっていく。
何を言ったら良いのか分からない。
しばらくポツリポツリと言葉を交わして過ごした後。
『……とにかくだ。ここは陰謀渦巻いた特殊な場所だからな。人間観察をするならば、市井に下りた方が良いかもしれぬぞ。私はそろそろご主人のところに戻る』
それだけ言って去っていく狼の精霊の後を慌てて追いかける。
『そなた、何故ついてくる』
『ええと、なんとなくです』
訝しげにするルナの後ろをパタパタと飛んでついて行く。
「ルナ?」
『すまない、遅れた』
ルナは己の主であるレイラのところへと小走りで追いついた。
美しい銀髪を持った類稀なる美貌を持った少女。
レイラはクルリと振り返った。
「私は大丈夫よ。……あ」
レイラの目がダイヤの姿を捉えて、彼女の目に哀しみと悔恨の色が浮かんだ。
──今、リーリエを悼んでくれるのは一部だけです。その筆頭がリーリエが散々命を狙っていた彼女だなんて。
皮肉な話だ。
ダイヤの姿を見て、レイラはリーリエのことを思い出したのか、きゅっと唇を噛み締めていた。
それから暗くなりかけた表情をすぐに振り払うと、レイラはダイヤに向かって微笑んだ。
「ルナと話があったのでしょう? 私は大丈夫だから、ルナも行ってきて良いのよ」
優しくかけられた声に思わず胸が暖かくなって、泣きそうになってくる。
散々迷惑をかけたのに、命を狙われたというのに、レイラもダイヤを責めなかった。
『大丈夫です。貴重なお話を聞かせていただきましたし、それに今度は、レイラ様にお願いしたいことが出来ました』
『ご主人に?』
レイラの契約精霊であるルナが首を傾げる。
この方法なら、散々迷惑をかけてしまった彼女に何か罪滅ぼしが出来るかもしれない上、何よりルナとレイラの主従関係を一番近くで見ることが出来るのではないかと思った。
名案だと思った。
『レイラ様。私とも契約していただけませんか?』
だから、そう口にしたのだが。
『却下だ!』
狼の精霊が少々食い気味に一蹴した。
『そんなのは許されない。ご主人の契約精霊は私だけだ。ご主人と二人でやって来たのだから、そこに横槍を入れられる筋合いはないぞ』
先程の落ち着いた物言いとは一転、精霊ルナは少々感情的になって言い募った。
「ルナ?」
『私のご主人だ』
物凄く不機嫌になり、少々唸り声を出されて威嚇された。
『え? え?』
戸惑いながら目を白黒されるダイヤ。
ぷんすことしているルナをレイラはじっと見ていたが、やがてふわりと微笑んだ。
「ルナ、可愛い」
しゃがみ込んで、ルナの首に抱きついて、白銀の毛に顔をモフっと埋めて、レイラは狼の背中をもふもふと撫でている。
『ご、ご主人!? な、撫でるな!』
誇り高き狼は、慌て声を出しつつも拒絶していたが、彼の尻尾は素直にパタパタと揺れていた。
「ふふ、ルナがデレた」
『デレ? デレデレなどしてはいないぞ!』
ダイヤは微笑ましい主従の姿を眺めていたが、視線を感じたらしいルナがぞんざいに追い払ってきた。
『何を見ているのだ! とにかく、二重契約など私は認めん!』
『はい、分かりました』
ダイヤはすぐに引き下がった。
すげなく追い払われたダイヤだったが、仲の良い主従のやり取りを間近で見て、その後すぐに一人で反省した。
ルナという精霊が主との契約をどれだけ大切にしているのか、知ったのだから。
ある種の独占欲もあるのかもしれない。
『しばらく、王城で二人を観察するのも良いかもしれませんね』
それくらいなら、許してくれるだろうか。
ダイヤは先程の木の幹で、青空をゆっくりと見上げるのだった。
ルナが最後の方で零してくれた言葉が蘇る。
『そなたが初めて契約した主のこと。そなただけは絶対に忘れてはならぬ。世間が忘れようとも絶対に、だ』
強調するように言い含められた彼のメッセージ。
ルナが己の主に向けるような真っ直ぐな感情を、ダイヤはリーリエに対して抱いていなかった。
ダイヤとリーリエの間には信頼という絆が結ばれている訳でもなかった。
最後まで寄り添うと決めたのも、人生を歪めた責任を取ろうという決意が大きかった。
何もかもが及ばない主従関係だったけれど。
だけど、ダイヤにとってリーリエは決して忘れることの出来ない主になった。
痛みと後悔と共に。




