あるお誘いの話。
時系列としては、エピローグ後です。
精霊の湖に抜け出してから、しばらく監視が厳しくなったのは気のせいか。
転移魔術を使うとバレる。
部屋の外にはところどころ騎士が居るけれど、私が部屋の中で転移魔術を使おうとした瞬間、大音量のアラームが廊下に鳴り響いた。
これがクリムゾンが細工して仕掛けた脱走防止の仕組みなのは明白だ。
フェリクス殿下の部屋に行きたいだけなのだけど。
少し前までは、フェリクス殿下と私は転移魔術で部屋の行き来をしていたのだ。
正攻法で行くしかないのだけれど、なんとなく身内に夜の逢瀬を知られるのが恥ずかしい。
そんな私を慮ったのか、フェリクス殿下は夜勤の騎士に賄賂を持たせ、こっそり私の部屋に通うことにしたらしい。
今日も今日とて、部屋のノック。
周囲を確認しながら、フェリクス殿下を部屋の中に案内する。
後ろ手で扉を閉めて、しっかりと施錠する。
「レイラ」
「……あ」
夜特有の熱を孕んだ彼の瞳が一身に注がれていた。
なんとなく薄着のナイトドレスが恥ずかしくなって、身を縮めながら己の肩を抱いた。
自分の部屋にお招きというのは、いつも少しドキドキする。
「あれ、ルナは?」
「あ、今日はダイヤのところに行ってるんです……」
見回りついでに相手をしてやろうと先程出て行ったルナだけれど、大方私の考えていることを察しているのかもしれなかった。
夜だから当然の帰結なのだけど、自分のベッドに好きな人が居るっていうのも、落ち着かない。
フェリクス殿下は私とは違ってそういう風には見えないというか、彼はあまりドギマギすることは少ないように見える。
ベッドの上、僅かに崩した私の足は寝間着から素足が覗いていて、それをフェリクス殿下はおもむろに撫でてくる。
ふくらはぎの撫でる大きな男の人の手。
「っ……あ、の」
「……? 何か今日は少し緊張しているようだなって思ってね」
そう言うと、豪奢な天蓋のベッドがギシリと軋む音。
私はそのまま横たえられて、フェリクス殿下は、その私と向き合うような体勢で抱き締めて来た。後頭部を優しく引き寄せられ、胸元に顔を埋める形になって、私はそのまま頬を染める。
侍女にしっかりと手入れをしてもらい、いつも以上に艶々の銀の髪。
それを優しく梳かれる。
フェリクス殿下は手触りがいつもと違うと思ったのか、指に絡める指先が楽しそうだ。
「よいしょっと」
掛布を上から被せてくれて、額には柔らかな唇が落とされた。
「今日も可愛い。……お休み、レイラ」
いつもなら、ここでこのまま抱き合って眠るだけ。
だけど、今日は違うのだ。
久しぶりの逢瀬。加えて明日は二人とも久しぶりの休暇なのである。
「久しぶりに町の中でも歩こうか」とデートのお誘いまであったくらいだ。
でも。たとえそのデートが出来なくなったとしても、したいことがあった。
「フェリクス殿下……」
「ん? どうしたの?」
柔らかく甘い声。私にしか向けないその響き。
声の調子から、あまり眠くなさそうなのを確認した。
「あの、殿下は今日は……その……」
うう……こういう時、なんて言ったら良いのだろう。
女の方からこういうことを言うのは、やっぱりはしたないのだろうか。
抱いてくれませんか、なんて。
フェリクス殿下が薬の副作用でおかしくなった時を最後に、彼は私にそういう意味では触れてこない。
たまに、ねちっこいキスをしてくるので、気分が乗らない訳ではないというのは分かる。
ぎゅっと彼の背中に手を回して、あえて足を絡めてみれば、彼の体がビクリと動いた。
胸元に埋めていた顔を上げて、目に入ったのは驚愕して僅かに目を見開いたフェリクス殿下。
驚いていても彼の顔は国宝級に美しい。
そのまま私は顔を近付けて。
「レイラ? 一体、どうし──っん」
私の方から彼の吐息を奪うみたいにして、無理やり重ねた。
キスだけは何度もしているから、慣れたように唇を重ねる。
そっと擦り寄せるようにして甘噛みすれば、ぐっと引き寄せられる気配。
唇を柔らかく吸われるような感触に、彼がすぐに流されてくれたことを知る。
私の方が何かをしなくても、するりと大きな手のひらが後頭部に添えられ、私を逃がさないように固定される。
「んっ…っんぅ……んっ…」
数秒間、唇を貪られ、それは息が出来なくなる程の激しさで。
それはフェリクス殿下にとって本能のようなものだったのかもしれない。
突然肩に手を置かれて、ぐっと引き離す。
重ねられていた唇を唐突に離されたと思ったら、まず謝られた。
「……ごめん。最後の方、レイラ苦しそうだったのに」
フェリクス殿下の頬は紅潮しており、息遣いも乱れて、私を見つめる視線も熱が篭っている。
欲情した男の人の顔。そういう顔をさせることが出来ることが、嬉しくて。
私はふるふると首を振る。
誘うつもりで私が先にしたことなのだ。
「……だけどね、レイラも悪いよ。突然そういう可愛いことされると、私の理性なんて簡単に飛んでしまう」
「可愛い……えっと、その……はしたなくは、ないですか?」
不安になっていたので聞いてみれば、フェリクス殿下は「まさか。可愛いだけだよ」と私を赤面させるようなことを平然と、のたまった。
「レイラ。忠告したいからハッキリ言うけど。そんな可愛いことをされたら、本気で我慢出来なくなる」
普段から何かを我慢させていたのだろうか?
フェリクス殿下は本音を隠すのが上手いから。
そっと見上げると目が合った。
そういう時はいつも、彼の瞳の中に今の自分がどう映っているのか気になってしまう。
「冗談抜きで、本当に、我慢できなくなるんだ。……抱きたくなる」
悩ましげな表情の彼は私の視線から逃れるように、視線を逸らした。
抱きたい、とは思ってくれるの?
それだけの一言に安堵する自分が居た。
だから勇気が出せた。
相変わらず、それを言う時は俯いてしまったけれど。
「あの……私、貴方に……抱かれたい。ですから、その……今のは誘ったつもり……です」
スラスラと言うことは出来なかったけれど、なんとか言えた。
「っ……! レイラ、そういうの、どこで覚えてくるの」
固い声だったが、少し狼狽気味な彼の声が愛しい。
フェリクス殿下の顔を覗き込もうと、俯いていた顔を上げようとしたところで、体が反転した。
「きゃっ」
「っ……、良いの? こんなことされても」
私はフェリクス殿下に組み敷かれていた。
欲情した彼を見るのが、私は好きだった。
いつも私ばかりが恥ずかしがったり照れていたりするから、私のことで心を揺らす彼を見ることが出来るのは、何だか満たされた。
「貴方になら何をされても、私は……」
「レイラ、貴女って人は……もう、本当に……はぁ」
溜息をつかれてしまって私は青ざめる。
最終的にはドン引きされてしまった!?
「ご、ごめんなさ──ひゃっ!」
覆い被さっていたフェリクス殿下は身を起こすと、私の体も抱き上げるみたいにして起こしてくれた。
酷く安堵したみたいな彼の顔が近付いてきて、私の頬を両手で包みながら、今度は優しいキスをくれた。
ちゅっ…、ちゅっ……と額に、瞼に、頬に、それから最後に唇へ。
吐息が重なり、その熱の気配に息を詰める。
火傷しそうなくらいに熱いのに、マシュマロみたいに柔らかくて、その感触に私は囚われる。
それに、すごく気持ち良い。
結局のところ、もう私は無垢でも何でもない。
それなのに、フェリクス殿下は私を「綺麗だ」と「女神のようだ」と言って憚らない。
唇が離され、私たちは間近で見つめ合った。
「まだあれから日も浅いし、レイラを抱くのは、まだ早いかなって思っていたんだ」
「そんな……私は、貴方に触れられたいと以前にも……」
「触れるのと、抱かれるのだと、違うでしょう?」
それはそうだ。抱かれる時は自分の全てを預けるようなものなのだから。
彼は私を引き寄せて自らの腕の中に閉じ込める。
それは絶妙は力加減で、まるで羽根に包まれているような優しい抱き方。
「あの行為は、女性にすごく負担がかかる。それに男に組み敷かれたら、力では敵わない。あの時、レイラはどれだけ怖かったのだろうと考えると、なんとなく……そういうことを私の方から言ってはいけないと思っていた」
慈しむように肩を撫でられ、子どもを宥めるみたいに背中も撫でられる。
優しい手。私を傷付けるものでは決してないはずの、それ。
「殿下は、私に触れること……躊躇されていますか?」
まだあの時の傷跡は残っているのだろうかと気になって、あからさまなことを言ってしまった。
だけど、予想に反して、彼は首を横に振った。
「レイラが私を気遣ってくれて、一生懸命頑張ってくれたから、今では触れることに躊躇いはない。レイラに触れるのは、好きだよ。……ずっと、触れたくなるのが困りものだけどね」
苦笑しながらも、抱き締める力が強まった。
「レイラ。本当に、抱いて良いの?」
私を気遣う彼の甘い声が耳朶に触れた気がした。掠れた声には、彼の余裕が微塵も感じられないくらいで。
それから、心配そうな声の中には、僅かな期待のようなものも宿っている。
「はい」
私は迷うことなく頷いて。
それでも心配性で過保護な彼は、何度も確認の言葉を重ねてくる。
「久しぶりだから、一度じゃ終わらないかもしれないよ?」
「ふふ、明日は休みですよ?」
「きっと手加減出来ないだろうから、体が辛くなって、明日のデートも出来なくなると思う」
「それを承知で言ってます」
「……レイラは本当に頑固だね」
フェリクス殿下は愛おしげにそう言ってくれた。
私の肩に顔を埋めて「敵わないなぁ……これだからレイラは……」などと呟いた。
「レイラがせっかく私を欲しいと言ってくれたんだ。ここで引き下がるのは、臆病というものだよ」
彼は最終的にそう言って笑った。
灯りを落として、シーツと毛布の中、私たちは抱き合いながら、深い口付けを交わす。
それは男女の交わりの直前の、お互いの熱を高め合う情熱的なものだった。




