目を付けられる話。
例のお人に目を付けられる話です。
「面倒になりました。もういっそのこと公表しようと思います」
クリムゾンは、突然そんなことを言い出した。
医務室勤務。慣れた部屋に居るのは私とクリムゾンとリアム様。
クリムゾンはひたすら生薬をすり潰す作業をしながら、呟いて。
私は調合された魔法薬にラベルを貼り付けていた手を止めた。
「何をっすか?」
私の代わりにリアム様が問いかける。
突然何を言い出したのか分からないのだから、当然の疑問だ。
「俺はね、精霊と契約してるんですよ」
「そう言えば、殿下が嘆いてました。レイラ様とそんな共通点があるなんてとか何とか」
「相変わらずですね」
呆れ声のクリムゾン。
まあ、確かにフェリクス殿下は拘りすぎな気もする。
「とにかく、俺の傍にも精霊が居るということを公表しようと思いまして」
『ワタクシとしましてはどちらでも構いませんよ』
『私は別にどうでも良い』
精霊たちは特に何も思わないようで、興味なさげにしていた。
「有象無象のゴミ屑が──こほん、上級騎士の中でも貴族を中心に俺ではレイラに相応しくないとか、ほざいて──っ……こほん、仰っているので納得していただくには、特別感を演出するしかないかと思いまして」
『色々とダダ漏れだな』
相当ストレスが溜まっているのだろう。
民衆たちや大体の貴族たちは納得していても、一部では不満が出ているらしい。
大体のことは気にしないクリムゾンだったが、さすがに困ったことがあったのだろう。
「仕事上の連絡事項はしっかりして欲しいですね。俺だけに伝達しなかったりと阿呆なことをやらかすのですよ」
それは確かに非常に問題である。
「今度の騎士団合同訓練で目に物を言わせてやります」
「ほ、程々にしてあげてくださいね。たまに容赦ないですからね、ブレイン様は」
彼は面倒になると徹底的に叩きのめす性質があるので、やらかさないか心配なのである。
心配だったので、私はその合同訓練とやらの日に叔父様と医務室を代わってもらった。
「任せてください! しっかりとレイラの代わりを努めますね!」
どうやらきちんと仕事をしてくれるらしい。
それに純粋に感動していたが、ルナが冷静に一言。
『代わりと言っているが、元々部屋の主はこの叔父ではなかったか』
「ハッ……!!」
叔父様。お願いだから、そんなハッとしたような、今更思い出したみたいな顔をしないで欲しい。
というか仕事をしてくれるだけで感動するとか、私の感覚が麻痺していることに今気付いた。
すごく微妙な気分になった。
騎士団合同訓練は、通常の騎士と魔導騎士が対戦形式で戦闘を行う。
一種の催しもののようになっているため、騎士団駐屯地も開放されていて、すごく賑わう。
保護魔術により安全性を配慮しつつ盛大な戦闘。貴族も庶民も、戦闘好きの人が集まってきて、席を取るのに苦労するとかしないとか。
魔導騎士は基本的に魔術を扱い、剣を使わない者が多い。
通常の騎士は剣を使う者が多い。
この戦い方だと特殊攻撃と物理攻撃の戦いみたいなものになるが、実は大体拮抗しているらしい。
通常の騎士も物理攻撃主体とはいえ、体に魔力を通して速度や身体能力を上げているからだ。
ハロルド様は剣に雷を纏わせているし、ようするに攻撃方法の違いが主であった。
だからクリムゾンはいつも通り鎖が武器だと思っていたのだけど。
「えっ、剣?」
私は王族専用観覧席から試合を眺めていたのだけど、彼の姿を見て目を疑った。
クリムゾンは、おもむろに剣を抱えていたのだ。
彼が剣を扱えたという話は初めて聞く。
何をどういう心境で、と思っていれば、彼は予想外の行動に出た。
スピーカーからは興奮した実況解説。
『魔導騎士ブレイン! 今だ身体能力の強化しか魔術を使っていない! なんと、魔導騎士相手どころか、本業の騎士相手に剣で向かっていきます! これは前代未聞!!』
クリムゾンは相手の攻撃をいなして、隙のない斬撃を繰り返していた。
初めて知ったけれど、彼はかなりの使い手らしい。
フェリクス殿下と戦ったらどちらが強いのだろう?
クリムゾンは息付く間もないくらいの速度で、相手の懐に接近しては攻撃を仕掛けていく。
相手の騎士が力任せに剣を胴体に向かって振り下ろすが、それを見切った彼は、鋭い金属音を立てながらそれを寸前で防ぐ。
彼にとっては想定内だったのか、その余裕そうな表情は崩れていないし、汗一つかいていないように見えた。
相手は既に荒い息をついている。
ここまでの休みなく攻防が続いていたのだ。
クリムゾンは目を細めると刹那、相手へと踏み出して──。
気が付けば、相手の騎士の剣がクルクルと宙を舞っていた。
そして、フィールドの真ん中辺りに突き刺さる。
武器をはじき飛ばしたのだ。
『魔導騎士ブレイン! 剣の使い手を相手にして、なんと物理攻撃のみで相手の攻撃を無効化! これだけの使い手が、得意分野である魔術を行使するとどうなるのか!! 注目の選手です!』
割れるような歓声が響き渡った。
そう。魔導騎士であるクリムゾンが、物理攻撃で敵を倒していくと物凄く目立つのだ。
そもそも魔導騎士は、魔術に特化した集団なのだから。
そうして勝ち進んでいったクリムゾンはトーナメント戦にまで進んだ。
そう。トーナメント戦。
トーナメント戦に勝ち抜いているのは、見たことある人だった。
私はなんとなく、人工魔石結晶を使って、風の魔術で音を拾ってみた。
「君とは一度、戦ってみたかった」
「こんな機会がなければ、手合わせなんてしませんからね。俺も良い経験になります」
そんな二人の会話が聞こえてきた。
ハロルド様とクリムゾンが決勝で当たったのだ。
『ご主人。あのハロルドとかいう騎士だが、あの男、本来ならこうした試合に出ないのではなかったか?』
「五回に一回の頻度で参加出来るように殿下に頼んだらしいわよ」
『なるほど』
ハロルド様はこうした試合では負けなしで、抜きん出て強かったため、簡単に言えば出禁になった。
他の騎士たちが勝てなさすぎて、試合の意味がなくない?というフェリクス殿下の判断により、彼は殿堂入りになった。
ただ、時折試合形式で部下を叩きのめしたくなるようで、──ちょっと酷いと思う──五回に一回ということでフェリクス殿下に最近許可をもらったらしい。
クリムゾンとハロルド様は、物理攻撃のみで打ち合っていた。
しかも、お互いに本気を出している。
その攻防は普通なら目で負えない程の速さを誇っていた。
残像が見える。あまりにも早すぎて影分身みたいになっていて、あそこだけが異次元だった。
私があそこに参加するとしたら、体感速度の調整を行わなければついていける気がしない。
金属を打ち合う音も断続的に続き、やがては空中で応戦し始めていた。
「宙に浮いてない? あれ」
『うむ。あれは、剣を打ち合った時にその衝撃を利用して跳躍している。器用に重心を調整しているのが分かる』
ルナの動体視力も大概ヤバい。
魔術なして空中で戦う人たちを私は初めて見た。
そしてそれが四十分程続いた頃には、さすがに私も飽きてきた。
つまりはエンドレス。
クリムゾンは、息を乱していたが、体力お化けのハロルド様はまだ余裕そうだ。
『あの騎士、人間ではないのでは?』
「人間です」
素で突っ込んでしまった。
クリムゾンはこのままだとジリ貧だと思ったらしく、いったん体勢を立て直すべく渾身の力で剣を弾き、後ろに飛び退いた。
「もう少し戦っていたかったが、ここで終わりにしよう」
ハロルド様はここで初めて魔術を使った。
目を爛々と輝かせ、心から戦いを楽しむ少年のような笑みを浮かべながら。
雷がバチバチと鳴り、剣に纏わせ、剣は鋭く光り輝く。
それが巨大な剣のように膨れ上がり、それを一閃しようと振り上げた。
「アビス」
クリムゾンが呟くと、彼の影からはアビスが飛び出し、彼を守るように立ちはだかった。
アビスの体から影の触手が伸びて、それが正面に集まり、しゅるしゅると影を作る。
ハロルド様の雷が放たれて、それを食い止めるアビス。
雷は影に触れた途端、霧散したように消滅していく。
「なっ、打ち消された!? ふむ。やはり君を打ち負かすならば物理攻撃のみということか!!」
『暑苦しい』
ルナはどうやら物理攻撃に傾倒する誰かを見るのに飽きてしまったらしい。
またもや試合が続くと思われたその時。
クリムゾンがスっと手を上げた。
「この試合、俺の負けにしてください」
何かを言い出した。
試合が中途半端なところで終わるのを、きっとハロルド様は承知しないだろう。
クリムゾンは周囲にハッキリと聞こえる声で続けた。
「闇の魔力の持ち主は、今、俺の前に俺以外の何かが現れたのを見たと思います。それが試合を辞退する理由です。これは俺と彼の戦い、たとえ契約精霊であろうとも、多勢に無勢は不公平ですから。どうやら俺が危機に陥ったのだと思い、独断で動いてしまったようで」
目に物を言わせてやるついでに、トーナメント戦の決勝で華々しく精霊を公開するという計画だったらしい。
観客や騎士たちの興奮した声。
「俺、見えたぞ。あそこに黒猫が居たんだ!」
「俺も俺も! 影から現れたのを見たぞ!」
「そうか、お前たち闇属性だったな。お前たち程の能力持ちなら、精霊が見えてもおかしくないからな」
「俺、闇属性なのに見えてない!」
「それは、まだ修行不足なのだよ」
見えている騎士と見えている魔術師は皆、闇属性なのだろう。
並外れた剣の腕、それに加えて精霊に選ばれし魔術師。
そんなクリムゾンに対しての賞賛が広がっていく。
そんな中、こんな言葉がついに放たれた。
「なるほど! フェリクス殿下はブレイン殿が精霊に選ばれていたことをご存知だった訳か! だから同じく精霊持ちのレイラ様の専属騎士にしたということか!」
「精霊に選ばれし者ならレイラ様に相応しいですからね!」
そういう声が上がって、王族の席から観賞している私に高揚したような視線が向けられる。
新たな新事実に興奮しきった表情だった。
実は精霊に選ばれる基準というのは皆よく分かっておらず、そもそも契約精霊を持つ者が少ないため、精霊と契約しているという事実だけで、クリムゾンは今注目の騎士となった。
クリムゾンは騎士の礼を取りながら、恭しく言った。
「今回はこのような形になって、誠に申し訳ありません。いずれ、またの機会に決着をつけられることを願います」
こうして、騎士物語でも彼が精霊持ちであるというネタが扱われ、クリムゾンの精霊持ちは一気に広まったのだった。
ある日の医務室で彼は清々しい笑顔を浮かべていた。
「いやあ、楽ですね。絡まれることが少なくなって。やはり利用出来るものは利用しなければ。まさかアビスがこういった方面で役に立つとは。契約しておくものですねぇ」
『これが"精霊に選ばれし騎士"の実態ですよ。詐欺だと思いませんか、レディ』
「あ、あはは」
彼らしい顛末といえば顛末である。
まあ、懸念事項があるとすれば。
『ハロルドとかいう騎士からは逃げられているのか?』
ルナが率直に問いかけた。
クリムゾンの笑顔はピシリと固まった。
今、彼が大いに悩んでいる問題がこれである。
彼の目が瞬時に死んだ。
「ちょっと相手をしてやろうと思った俺が浅はかでした」
「ああ……。今日も追いかけられたのですね」
「何なんですか、どこに居ても唐突に現れるとか、神出鬼没すぎませんか? 彼も仕事があるはずなのに、何故その隙間時間、俺を追いかけるのですかね?」
クリムゾンは勝負を途中で終わらせてしまったことを申し訳なく思ったらしく、改めてハロルド様に試合を申し込んだらしい。
今度の手合わせは、魔術を行使するいつもの戦い方で。
本気の相手には本気を持って答えなければという相手への敬意と、純粋に力試しがしたかったのが理由らしいけど、それが災いした。
つまり、時間切れになってしまい、勝負がつかなかったらしい。
良い好敵手を見つけたとハロルド様は目を輝かせていて。
それからというもの、クリムゾンは手合わせをして欲しいとハロルド様に追いかけられるようになってしまった。
「フェリクス殿下も青ざめさせるくらいですからね、ハロルド様は」
「なるほど。殿下が逃げる気持ちがよく分かりました。なんと言いますか、圧が凄い男が迫って来て、つい逃げたくなると言いますか」
「ふふ、男性相手にはそうなのですね。私もよく稽古に誘われますけど、そこまでの圧はありませんでしたから」
『ご主人が前よりも絡まれなくなったようで何よりだ。どうやらそこの男が今の標的らしいな』
「なるほど。レイラも絡まれていたのですね。貴女も強いですからね……。なんというか、大変でしたね」
同情の篭った声に、少しおかしくなった。
「今一番大変な人に言われるのは不思議な気分ですね」
悪意を持った者に絡まれることはなくなったが、ある意味では厄介な人に絡まれるようになった。
今回はそういう顛末で。
それから私はさらに忠告した。
「ブレイン様。一つ忠告しておきます。ハロルド様はある意味では一人ではないのです。実は彼には、愉快な仲間たちがいらっしゃいまして」
「愉快な仲間たち?」
ちなみに。
彼が『愉快な仲間たち』と引き合わせられたのは、それから間もなくのことだったらしい。




