突撃に至るまでの珍道中の話。
フェリクス殿下とクリムゾンの番外編。
時系列は、本編の最終決戦時。
魔力融合で突入する直前までの二人のやり取り。
フェリクスは彼の評価を修正する。
性格に難ありだったが、能力が己と比肩していた。
魔力量に反射神経に、勘の良さ。
──この男、なかなかやるとは思っていたけど、腹立たしい程だな。
ブレインに案内されながら、サンチェスター公爵の隠れた森の奥の廃墟に向けてひた走る。
「……」
ブレインは先行しながら、時折左側をチラリと見やっていた。
それは普通の人が見たらなんてことのない行動だったが、フェリクスは人の何気ない仕草から行動と感情を読み取る訓練を重ねているためか、違和感を覚えた。
そこに誰かが居るように、何かを確認するような仕草と言った方が良いのだろうか。
何かを確認してから、辺りをさっと見渡し、その方角へ突き進む。
まるで、何かがブレインを案内しているよう。
ふと前方から気配が近付いてくるのを感じて、フェリクスは対象物に向けて炎弾を放った。
ぼうっ……!と勢い良く燃え盛り向かってくるそれを、ブレインは背中に目が付いているみたいに、すらりと避ける。
刹那。
人一人丸焼きにするくらい大きな炎が前からやって来たそれを丸ごと焼き焦がした。
それは、動物を模した人間だった。
人間の体が加工されて無理矢理、動物系に変形させられている。足が変形させられて山羊のようになっている。
二足歩行の人間が四つん這いになって歩く姿は不自然だった。
倫理的ではない上に、その発想は狂っている。
「殿下、ついでのように俺に攻撃当てようとするの止めてくれません? 今のわざとですよね?」
燃えゆく敵を眺めていればブレインが文句を言ってきた。
「ああ、ごめん。ちょっと気配薄くて見えなかったよ」
「悪口のつもりかもしれませんが、気配が薄いというのは俺にとって褒め言葉ですけどね。不意打ちが出来ますから」
「悪口のつもりで言った訳じゃないんだけどなあ。お前、被害妄想激しいよね。まあ、さっきからお前も私に投げつけて来てたから、おあいこだ」
「殿下、俺に氷の槍をスレスレで放って来たことはお忘れですか?」
そういえば、そんなこともあった。
「当たらなかったから良いんだよ」
次々と湧いてくる敵を制圧しながら、下らない言い合いは続く。
「しっかり当たりましたけど? 髪一本切れました」
「そんな細かいことをグチグチ確認してるとか、ねちっこいにも程があるよね。お前今まで良く生きて来れたと思うくらいだよ」
友人なんて居ないのではないかと時々本気で思う。少なくともフェリクスだったら、こういう人間とは距離を置きたいと思う。
「言っておきますけど、俺の方が貴方より人生長く生きてますからね。俺より年下の貴方が言うのは普通に生意気だと思うんですけど。王太子は礼儀がなっていないと言われたら、婚約者のレイラが可哀想です」
「いや、年下の私に言われることをまず、おかしいと自覚しようか。それとお前にだけだから安心してくれて良い。ついでに言うと、毎回年上を強調するの恥ずかしいから止めた方が良いよ?」
「俺は恥ずかしくないので」
「……」
「……」
殴りたい。
襲い来る加工された人間たち。
理性を失った彼らを見て、社会復帰は絶望的だろうと思う。
むしろ正気に戻って自らの姿を認識したら、発狂するだろう。
身体的ダメージを負わないように焼き焦がしたとはいえ、あれが元に戻るとは思えない。
どんな治癒魔術でもあれは、もう手の施しようがないだろう。
歪ながらも体として完成してしまっている。
無辜の民の体が良いように扱われている。
その末路に、フェリクスは閉口した。
レイラは、このような敵にも囲まれていたりするのだろうか?
早く行かなければという焦燥感を押さえつける。
こんなことを平気で出来る者の元に、レイラを置いておきたくない。
──いや、落ち着け。リアムが居る。
頼りになる護衛を思い浮かべて心をなんとか落ち着ける。
焼き焦がしたその改造人間たちの体が倒れていく。
さらに奥から改造人間の群れが殺到する。
何やら魔獣と似たような気配。
魔力の塊をぶつけて来ようとする気配にブレインが動いた。
「人体容器妄想」
ブレインが呟き、手を構えて、一瞬のことだ。
獣の形に変形された人間の体。
ちょうど腹に当たる部分がパカリと箱でも開くように四角い穴が開いた。
ぶしゅうっと血が吹き出し、臓器が辺りに散乱して、その勢いのまま、フェリクスの顔目掛けていくつも飛んで来る。
「……!」
赤黒いそれが、フェリクスの横をスレスレで飛んでいって、地面にベチャッ、ベチャッと生々しい音を立てて落下する。
肉片が飛んで、体が文字通り開かれて、内容物が血飛沫と共に辺りに散っていく。
そんな地獄の光景。
まるで赤い実でも潰すようだった。
次々と改造人間たちの腹を缶詰でも開けるように切開していくブレインは無表情だった。
若干彼の肩は震えている。
フェリクスは、無言のままブレインを睨んだ。
「ブレイン。これが幻覚だというのは分かっている。残念ながら、私は騙されていない。腹立たしいから笑うのを直ちに止めろ」
ベチャリと落ちた肉片。
そこにフェリクスは足を乗せる。
ぐにっとした感覚はなかった。
確かに落ちたはずの地面には、何も落ちていなかった。
そこには、何もなかったのだ。
「つまらないですね。引っかからなかったとは。本当、殿下は退屈な人間ですよね。少しくらい怖がると思ったのに」
「何がしたいんだ、お前は」
その惨劇は幻覚、妄想の類だった。
フェリクスはその魔術の特性を見破っていた。
敵から放たれる寸前の魔力の塊を彼らの体から強制的に引きずり出して、術式や攻撃を妨害する魔術。
人間を箱に見立てて、そこから使われる寸前の魔力だけを取り出す魔術だ。
肉片、臓器は魔力の塊といったところか。
悲惨な光景は、ついでのような幻覚と妄想の類。
恐らく、自らの体を開かれて臓器が出てしまっている様を見せつけて動揺させ、集中を途切れさせることによって新たな魔術の形成を阻む効果を狙っている。
つまりは闇の魔術。
この魔術の欠点があるならば。
「精神的にクるんだけど。お前、わざと私の顔の前に肉片が現れるように調整してるよね」
周囲の人間の精神にクるというのが大きな欠点だった。
「加工された人間たちに精神系魔術はどこまで効くのか気になりましてね? 実験してみたんですよ」
「いや、だから私の顔の前に肉片を飛ばす幻覚を見せるのは完全に嫌がらせだよね?」
「あまり意識がない人間たちとはいえ、自分の体が切り開かれれば多少は怯むということが確認出来ました」
「無視するな」
どうもフェリクスにもダメージを与えつつ攻撃をしたかったようで、例えばレイラがこの場に居たら確実にしない魔術を選んでいる節がある。
──性根が腐ってるか、大人げないかの、どちらかだな、これは。
ネーミングセンスも疑われる。びっくり箱とは。
「それにしても、フェリクス殿下はこれくらいじゃビクともしないですね。普通、肉片が顔に飛んで来たら怯えるなりするでしょうに。平然と対応するところが人間らしくないですよね。子どもの癖に」
「まだ言うか、お前は。幼い頃から感情と理性を切り離す訓練ばかりして来たんだから当然だろう」
フェリクスの幼い頃の教育係には、数人程おかしな奴らが混じっていた。恐らく国王夫妻は把握していないだろう過酷な訓練も盛り込んでいたのではないかと、今では思う。
身の回りの者が死ぬ幻覚を見せられながら、食事をさせられたり、自らの指を切り離される幻覚を見せた上で鋭利な刃物を使う訓練をさせられたり。
人を殺すシュミレーションもやった。もしもの時には抵抗して、自らを守れということなのだろう。あれもあれで、やりすぎだったと今は思う。
敵兵を殺しながらも表情を崩さずに状況把握を行い、隊を統率する擬似的な仮想空間に閉じ込められたこともある。
幻覚とそうでないものの違いは、すぐに分かるようになった。
人体の仕組みを知るために、人間の解剖もしたこともあった。
死んだ罪人なのだから良いのだと教育係には言われて、なんて手前勝手な理屈で死者を冒涜するのだろうと子ども心に思った。
今では人体の急所を熟知してしまっている自分が居る。
戦争に行くための人材でも育てているのかと本気で思った。
フェリクスが周囲の期待に応えれば応えるほど、過激になっていき、課題をこなせばこなす程、周囲の目を気にしている自分が居た。
今更、愚かなふりなど出来ないと気付いた時には、有識者や権力者たちに囲い込まれて雁字搦めになっていた。
「貴方の幼少期だけは同情しますよ、本当に」
妙に実感の篭ったような言い方だ。
ブレインのまたの名は、クリムゾン=カタストロフィ。生粋の犯罪者だということをフェリクスは知っている。
彼の人生が凄絶だったことは想像にかたくない。人身売買などに手を汚している時点で、訳ありすぎるからだ。
恐らくこの男は人を殺すことに躊躇いはないのだ。
何が彼をそうさせたのか、詳しいことは知らないが、望まぬ選択肢を選択させられ続けていたことは分かる。
「人を殺すことに慣れてはいけないのですよ。躊躇いなく殺せるようになったら、人として何か終わった気がします」
そうじゃなきゃ、こんなマトモなことは言えない。当たり前のことをそうと言えることが、どれだけ尊いのか、フェリクスは知っていた。
「……そうだね。それだけは同感だ。誰かが死ぬ姿を見て動揺しないなんて不自然だと思う。いくら取り繕おうと、私もそれだけは出来なかった」
「良いんですよ、それで」
こんな風に喧嘩をせずに話したのは初めてだったかもしれない。
むしろ、この後は言い合ってばかり居た。
魔力の反応が強い場所へと案内してくれているブレインと並走する。先を目指してひた走る。
「フェリクス殿下。いい加減にしてくれませんか? 爆発させるのは良いですが、被害を考えてください。俺の顔に砂が飛んでくるんですが」
何か言ってきたので応対する。
「ああ、ごめんね? 砂が目に入っていたら」
先程の戦闘。爆発系の魔術で砂埃を起こしていたが、この男は今になって文句を言って来た。
「どう考えてもわざとでしょう? 俺が顔に向けて肉片を放っていたからって対抗するの止めてくれません?砂遊びとか子どものすることですよ」
「お前、今、顔に向けて肉片って認めた?認めたよね、確実に。というか、別に爆発の二次被害とか計算して出来るものじゃないから、お前の被害妄想だよ」
思っていたよりも、顔に盛大にかけてしまったことは言わないでおく。
それをブレインへと正直に言うのは馬鹿だ。
「俺の進行方向にばかり重なるのは、明らかに偶然ではないですよね。悪意ありますよね。しかも地味な嫌がらせですよね。ガキですか」
悪意しかなかったが、すっとぼける。
というよりも、ブレインに言う権利はない。
「はぁ? それお前だけには言われたくないんだけどなあ? というか砂埃が飛んでくるのは、偶然と言ってもおかしくはないと思うけど。まあ? 肉片の幻覚が顔に飛んでくる嫌がらせ方法が、あからさますぎるだけだけどね? やることなすことお粗末だよね、お前」
「何言ってるんですか。嫌がらせされていると本人に自覚させた方が精神的にダメージが与えられるので、方法としては間違ってないですよ」
「お前言っていることが最低なの自覚しているか? 絵面も酷いからね。いたいけな十五歳の少年に大の大人が嫌がらせとか」
「いたいけな少年? どこに居るんですかねえ?」
わざとらしく見渡したので、彼の視界に無理やり入り込む。
「え、ちょっと視界に入り込まないでくれませんか?」
「目が悪いようだから教えてあげてるんだよ」
気が付けばフェリクスは、早く行かなければという焦燥感や苛立ちを誤魔化すように、ブレインに喧嘩を売っていた。
ブレインの方はどうか知らないが、恐らくお互いにやり場のない苛立ちをぶつけ合っている気がする。
飄々としているけれど、彼も彼でレイラを想っているのは知っている。
──いや、普通に腹が立つだけでもあるが。
むしろ大半がそれだけれど。
廃墟の秘密の入口から繋がるキノコの亜空間に足を踏み入れる。
「この上から気配が濃くなっています。魔術戦闘が行われているのは確かだと」
ブレインは鎖を伸ばして、天井近くの次のフロアの入口まで一気に移動している。
ジャラ、ジャラと鎖が揺れる音。
それがブレインに繋がれていて、先が大樹の幹に括り付けられている。
こういう時、鎖は便利だな、と思う。
他にも精神系統の魔術をたくさん知っているくせに、ブレインは鎖の魔術をよく使う。
最終的には物理で殴れば良いと思っているのだろう。
『はぁー。フェリクス殿下が遥か彼方下にポツンと。ここから見下ろすと、なんてちっぽけなんでしょう』
ちょっとイラッとした。
わざわざ念話で伝えてきた内容がこれである。
さっさと上に上がってしまおうと思って、氷の階段を作り出した。
ピキピキと音を立てて上まで一気に作られる氷の階段をフェリクスはかけ上る。
大樹と、鳥籠のようなものに子どもたちが閉じ込められている光景に、思うところがありながらも。
『地道ですねぇ』
うるさい、黙っていろと思った。
筋力強化をして、一気に上まで上がればブレインは鎖で椅子を作り、優雅に足を組んで待っていた。
なんだろう、この気持ちは。
──なんとなく、殴りたいな。なんだろう、この気持ちは。
それから上に突入するに当たって、公爵が魔力を使えないように空間を制圧しようということになったが、ブレインは公爵に直接魔術による攻撃が出来ないということを知った。
「お前、役に立つんだか立たないんだか分からないな」
「道案内としては役に立っていたでしょう」
「それはそうだけど。……じゃあどうするか……」
まさかの戦力外通告だったが、フェリクスの脳内にふと過ぎるものがあった。
──そういえば、王家に伝わる魔術で、魔力を重ねるものがあったな。
魔力融合という術者の魔術の合わせ技。
「提案があるんだけど」
「なんですか?」
それを提案したことを後悔はしていないが、フェリクスは後程、嫌いな人間の魔力が体を這う感触に怖気を覚える羽目になる。




