見えない罪の話
ある二人の男の暗躍についての話。
「ありがとうございます。メルヴィン殿」
メルヴィンは、王城にある一つの執務室に居た。
防音魔術と結界を張った厳重さ。それは来訪している人物との会話内容によるものだった。
闇色の騎士ニール=ベイカーが己の前で頭を下げていた。
「はは、お礼を言うことじゃないよ。顔を上げなよ、ニール君」
顔を上げた彼の底知れなさ、いや、それは違う。底知れない忠義心というべきか。
「貴方が居なければ、俺はどうにも出来ませんでした」
「本当に僕は何もしていないよ。お礼を言われることでもない。ほんの少しだけ知らないフリをしただけだよ」
知らないふり。傍観者。
メルヴィンは法に触れるようなことはしていなかった。
ただ、見て見ぬふりをしただけ。
「傍観者も見て見ぬふりも、罪に問われない。それが何を招いたとしても、ね。それ自体は罪ではないから」
「でも本当に、貴方のおかげです」
無表情のままなのに妙に熱の篭った目を細めたるニール。
「貴方が見逃してくれたから、あの女──リーリエ=ジュエルムを殺すことが出来ました」
メルヴィンは、リーリエ=ジュエルムの拘束を引き受けていた。
彼女の膨大な魔力に対抗出来る魔力吸収の魔術が使えたから。
妹の命を狙っていたと聞いたので、すぐに無効化しなければと思った。
魔力を搾り取り、もう二度とレイラに手を出せないように植物で拘束して、地下牢に閉じ込めた。
完璧な布陣。メルヴィンがここを引き受けている限り、侵入者も許すつもりはなかった。
これでリーリエ=ジュエルムは脅威ではなくなったが、そんな折、ニール=ベイカーの接触があった。
リーリエ=ジュエルムを助けに来た訳ではなく、むしろ彼はリーリエ=ジュエルムを自殺に見せかけて殺すつもりだと言った。
メルヴィンは、その企みを見なかったことにした。
リーリエ=ジュエルムは確実にこの男に殺されるだろうという直感があったが、それでもメルヴィンはニールの行動を見咎めず見て見ぬふりをした。
リーリエ=ジュエルムを見殺しにした。
確かにメルヴィンは何もしていない。
だが、その結果、彼女は死んだ。
「僕の妹はね、見て見ぬふりが大っ嫌いなんだ」
メルヴィンはおもむろに口を開いた。
大好きな妹。何よりも大切な存在である妹。
メルヴィンは実の妹に対する想いは庇護欲だけでは済まず、愛し、執着し、閉じ込めてしまいたいとすら思う程の狂愛を胸に宿していた。
兄妹二人で生きて行けたらどれだけ幸せだろうと夢想していた。
そうしたかった。ただ一人の大切な存在。
だけど、上位精霊にまで見出される特別な彼女を世間は放ってくれるはずもない。
王家の庇護下に置くべきだと、メルヴィンの冷静な部分は告げていて、涙を飲んでそうすることにしたという経緯がある。
そんな妹のことを思い浮かべる。
彼女はただの傍観者で居るということに恐れを持っているとすら、感じる。
誰でもやりがちなそれ。
その理由はおそらく。
「見て見ぬふりってね、被害者にとっては加害者と一緒なんだよ。それでも罰せられるのは直接的に何かした人だけ。ただの傍観者は罰せられることなんてない分、卑怯だ」
何もしていないことは罪なのかと問われたら、法の下では、罪ではない。
今のメルヴィンも手引きをした訳ではなく、見て見ぬふりをして見過ごしてしまっただけなので、罪ではない。
だが、見えない悪意があった。
それは誰にも立証することの出来ない透明な罪。誰にも裁くことは出来ない。
「無罪を証明するのって難しいのと同じだよね。どちらも、やっていないことには変わりないし」
存在しないものの証明など出来ない。
その理不尽さと不合理さをレイラは嫌っていたように思う。
「僕はレイラの大嫌いな行動をしているんだよね。狡猾に動いて、自分で手を汚すこともせずに」
「俺も似たようなものです。まあ、今回初めて手を汚しましたが。……これは新たな自分として生きるための通過儀礼みたいなもの」
そういえば、とメルヴィンは彼に視線を向けた。
「フェリクス殿下直々の諜報部隊"影"の一員になったんだっけ」
「お耳が早いですね」
「僕はね、レイラとフェリクス殿下周辺の人事は把握しているんだよ」
フェリクスは十五歳とは思えない程、達観している少年で、精神は既に成熟していると言っても過言ではなく、まさしく王家のために生まれて来たと言うに相応しい王太子だ。
彼と話していると、こちらの気持ちに自然に寄り添ってくれる彼に、ついつい話し過ぎてしまうことが多い。
それに基本的に人当たりの良いフェリクスには、普通に好感を持っていた。
妹の婚約者というのは気に食わないけれど、恐らく、ここまで自分たち兄妹に配慮してくれる男はこの先現れないような気がするので妥協するしかない。
王家の庇護下に置かれるというメリットも大きいことだし、と今のところはそのような結論を下した。
非常に不本意だが。
非常に!! 悔しくて悔しくて仕方なくて、時折叫び出したくなるけれども!!
ニールの無表情を見ながら、どうにかこうにか激情を抑制した。
「さすがにフェリクス殿下にはすぐに筒抜けになりました。さすが殿下ですよね。痕跡を消しても把握しているなんて」
リーリエ=ジュエルム殺害の犯人をすぐに調べ上げるとは、さすがだとメルヴィンも驚いた。
日にちはそこまで経っていないのに。
ニールの表情に浮かぶのは、尊敬を通り越して崇拝に見えた。
自らの主の有能さに無表情ながらも恍惚となっている。
確かに、常に人の思考の一枚二枚上手な彼のことだ。
フェリクスが気付いたことは、おかしなことでも何でもなかった。
「フェリクス殿下なら気付かれると思っていたんだよね。僕の暗躍も知っているだろうね、証拠もないし、実際僕は何もしていないから何も言えないだろうけど」
何もしていないから、何も咎めることが出来ない。あの無敵の超人染みたフェリクスだろうと、法を守るべき彼ならば。
メルヴィンが気付かなかったと言えばこの話は終わりなのだ。
どれだけフェリクスが疑念を抱こうが、ほじくり返すことの不毛さは本人が一番良く分かっているだろう。
王太子として事を荒立てる訳にはいかないことを知って、メルヴィンたちは動いている。
こればかりは仕方ない。
有能だろうがなんだろうが、悪魔の証明には適うまい。
「それにしてもどうやって自殺させたの、ニール君」
「自殺に見せかけた殺人です。密室殺人にも色々と方法があるんですよ。薬品から魔術、何もかも、見過ごしてくれる貴方のような方が居てくれさえすれば」
「怖いなあ。慣れてるね、君」
「物的証拠を残さずに何かをするのは得意です。自分が手を汚さずに手を回してことを成すのはもっと得意です。俺がこんな感じなのでフェリクス殿下も俺を"影"として管理下に置いたのでしょう。契約魔術までしているんですよ」
ほんのりと頬を染めて無表情ながらも嬉しそうにしている彼。
明らかにフェリクスには不審がられて行動を制限されているのだが、それすらも彼にとっては本望らしい。
──幸せっていうのは本人にしか分からないものだもんね、うん。
素晴らしい忠誠心。むしろ怖い程に。
「貴方も似たようなものでしょう? 妹姫相手では」
「ああ、僕も同じようなものか!」
この瞬間、目の前の騎士に深い共感を覚えた。
確かにレイラのためならメルヴィンは何だってするだろう。
リーリエ=ジュエルムは、レイラの身を危うくさせる存在だ。
同じ光の魔力の持ち主で、王太子のフェリクスに横恋慕をしていて、それからレイラに害を及ぼそうとしていた。
居なくなるなら居なくなった方が都合が良いとメルヴィンもチラリと考えてしまった。
そうしたら実際に行動を起こした奴が居た。
それだけの話。
ニールは、己の敬愛する主に危機や厄介事などが訪れることを恐れて行動したのだろう。
未知数の光の魔力というだけで怖いのに、彼女は膨大な魔力を持っていたから。
それに、メルヴィンは思う。
「殺される覚悟もないのに、人を殺そうとするのはね、なんかどうかと思うんだよね」
まあ、一つ懸念があるとすれば。
「レイラに知られて嫌われたくはないなあ」
それだけだ。




