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今日の連続更新は、これで最後です!
「上位精霊の憑依時には半覚醒状態になるとはいえ、まさか意識を交代させられるとは思いませんでした」
目の前にはフェリクス殿下。
そして瞳の色は金色。
上位精霊がフェリクス殿下の体を借りている状態だった。
一言で言えば、フェリクス殿下とクリムゾンが口喧嘩を始めてしばらくした辺りで、再び交代した。
収拾がつかなかったので英断とも言える。
「このフェリクスはですね、レイラがそこの男と手を繋いでいるのを見た瞬間、体を奪い返す程の苛立ちを覚えたようですね」
『心が狭すぎだろう』
ルナ。はっきり言い過ぎ。たぶん、それフェリクス殿下にも聞こえてると思うの。
「精霊にも認められる程の心の狭さとはこれ如何に……」
『我が主、それたぶん聞こえてますよ。……まあ良いですが。面白そうですし』
いや、アビス。止めるなら止めよう?
「サンチェスター公爵の息の根が止まったっす」
淡々と生死の確認をするリアム様は、私に見せないように布を上から被せていた。
人って、こんな簡単に死んでしまうのだと。
あれだけ色々なことがあったのに、こんなにあっさり人は命を終えるのだと。
確かにそれは一種の恐怖の感情だった。
「さて、まだ終わっていませんよ」
上位精霊が気を取り直すように声をかける。
「さて、後もう一人、放置しておくと厄介な人間が居ます。そこの公爵に協力した時点で有罪ですし、彼女を放置しておくのも厄介なので」
彼女?
ぴちゃん、と音を立てて水鏡が目の前に現れた。
これは、学園で前に使っていたフェリクス殿下との連絡手段とよく似ている気が……。
「この男、なんだか便利そうな魔術を習得していたので、その力を借りますね。座標指定は私がすれば良いことですし」
その水鏡の水面のような鏡面のようなものが揺らいでいる。
やがて、広がっていた波紋がピタリと止んで、そこには真っ暗な闇とそれから大きな食中植物のようなものが見えた。
えっ、これって。どこかで見覚えあると思ったら。
「これって、お兄様の魔術では」
『ああ、あの兄の魔術だな』
お兄様の話題が出るだけで、ルナの声は嫌そうになった。
上位精霊がフェリクス殿下の魔術を使っているのを、後ろから私たちは見守りながら、水鏡を覗き込んでいた。
食中植物に拘束されている何者かが見える。
蔦のようなものが体に巻き付き、釣り上げられた人間の姿。
「……リーリエ=ジュエルムか? そういえばレイラ様と俺がこっちに来てから後のことを知らないっすね」
その辺りの状況説明はまだ終わっていなかった。
「どうやら、確保して拘束していたらしいですね。鏡越しですが、目に映りさえすれば良いので、このまま干渉させていただきましょう」
何をするのかと思えば、上位精霊は鏡の表面に触れながら、リーリエ=ジュエルムを視界に納めた。
フェリクス殿下の横顔はよく見ていたというのに、雰囲気が違うだけで横顔も別人に見える。
と、リーリエ=ジュエル厶の体が発光した。
何かキラキラと輝くものが彼女の体からすうっと抜け出て、それが音速のスピードでどこかへ消えた。
天に昇ったにしては、不自然なスピードで。
バッと、それをやった張本人であろう上位精霊へと目をやると、ちょうど目を閉じて何かを呟いている。
「……?」
何をしたのだろう。既に水鏡は消えていて、リーリエ=ジュエルムの姿は掻き消えた。
「……こんなものですね」
何をしたのかと思っていれば、トンデモない爆弾発言が待っていた。
「さすがに消すのは少し大変なので、今回は手抜きをさせていただきました。彼女が真っ当な人生を歩むためにも、この方が良いでしょう」
「あの、消すって、何を」
恐る恐る問いかけると、フェリクス殿下の顔で、仕事をやり遂げて満足げに微笑む上位精霊。
「記憶です。存在するものをそのまま消すのは面倒──労力が居るので、先程の少女の記憶を丸ごと別世界に転送しました」
『今、面倒って聞こえたぞ』
上位精霊は、ルナの突っ込みなど聞こえなかったと言わんばかりスルーした。
「別世界に転送したので、別世界のどこかの人間のインスピレーションやら、想像やら、夢とやらに変化していることでしょう。いつ、どこの時代に転送されたか知りませんが、形なき夢なら、悪影響など何もないでしょう」
待って、夢? インスピレーション? 想像?
私はそこで前世で買った乙女ゲームのことを思い出して、そのまま膝をついた。
乙女ゲームの元ネタって!?
つまり、そういうこと!?
そういえば、少し残念な乙女ゲームだなとは思っていたし、レイラという登場人物があまりにも可哀想な死に方をするなあとは思っていた。
物語としてちょっと残念な出来だとも思っていた。
つまり、前世の乙女ゲームを制作陣のうちの誰かの脳内にネタとして降臨したのが、こうして転送されたリーリエ=ジュエルムの記憶だったのだ。
なんてこと……! 死亡フラグがどうとか悩んでいた私は一体……。
こちらが先なのか、あちらが先なのかと言えば、どう考えてもこちらが先であるという事実。
「レイラ様、どうしたんっすか?」
『ご主人、疲れているのか?』
二人の心配を他所に、私は脱力していた。
無駄に恐れて逃げ回っていた意味!!
シナリオ補正とか気にしていた意味!
つまり、この世界は紛うことなき現実だった。
この上位精霊の「面倒」の一言で私は今世では悩まされていたという訳である。
リーリエ=ジュエルムが主人公になるのは当たり前だ。メインヒーローがフェリクス殿下なのも当たり前だ。彼女の記憶だったのだから。
偶然の一致と多少の齟齬が混じり合っているせいで判断がなかなかつかなかった。
ゲーム前提で考えてしまって、そうに違いないと納得出来てしまうのって、心理学でいう確証バイアスっていうやつではないか。
私は「ああ……」と頭を抱える。
つまり、思い込みからの決めつけ。
リーリエ=ジュエルムの記憶がシナリオライターの頭の中に突如現れ、ライターの人はそれを商品向けにするために、世界観をそのままに話の展開を練り直したりしたのだろう。
攻略対象者が、リーリエ=ジュエルムに惚れない訳も分かった。
そもそも、そこからは製作者スタッフの創作なのだから。
衝撃を受ける私の背中を撫でる手が増えた。
「レイラ、やはり王太子妃というのは、精神的に負担がかかります。可哀想に。こんなに疲労を重ねて……。嫌だと思ったらすぐに俺に──」
「ここぞとばかりに何を言ってんすか! あんたは!」
スコーン、とリアム様がクリムゾンの頭を横から叩いた。
『良い音がしたな』
『良い音がしましたね』
ルナとアビスは並んで静観の姿勢に入っていた。
似たようにお座りをしている姿はちょっと可愛いとか場違いに思ったのは現実逃避なのかもしれない。




