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連続投稿失礼します!

 足元に居るルナが思い出すように呟いた。

『稀に王族の中に生まれる、精霊の目の持ち主。興味がなかったので詳しくは知らないが、そういった者たちは上位精霊の力を引き出すことが出来ると聞いたことがあるような』

 ルナは上司のことは、とことん興味ないらしく、『詳しくは知らん』と言い捨てた。


 上位精霊は、フェリクス殿下の声で、聞き捨てならないと言わんばかりに補足した。

「そこの狼精霊。信憑性のない事実を吹き込まないように。人間が私たちの力を引き出すのではなく、私たちの力は強大故、人間への直接的な干渉が出来ないだけです」

『意味は同じでは──』

「全く持って違います。人間に直接干渉するのは基本的には人間のみ、そう決められているのです。つまりはこれは必要な手続きなだけであって、私たちの力が足りていないとか力不足だとか、そういう意味ではありません」

『気に触ったのはそこなのか』

『銀狼殿。細かいことは流しておけば良いのですよ』

 アビスはルナの横で、毛繕いをしながらそう言った。こっちはこっちでマイペースだ。

 妙な拘りがあるというか、精霊にも性格が色々あるのだと私は知った。

 この精霊はどうやらプライドが高い?


 フェリクス殿下の体なので、フェリクス殿下がムキになっているように見えるのが新鮮である。

 ちょっと可愛いかも……なんて、場違いなことを考える。


 フェリクス殿下……じゃない、上位精霊は、虚ろに涙を流し続けるサンチェスター公爵の元へと歩を進める。

 足を踏み出す度に、通った場所が清められていく。

 流れた血も、肉片も、術式の残骸も、彼の足に触れる度に光の粒子となって溶けていく。


「私たちのような者たちは皆、人間の運命を直接ねじ曲げることは理によって許されていませんが、精霊の目を持つ人間の体を借りることによって、人間に直接干渉出来るようになる──そして、人間の運命をねじ曲げることすら可能になるのです」


 フェリクス殿下の口から紡がれるのは、前に彼自身が言っていた──。

 ぽつりと私は呟いた。

「それが、精霊の目を持つ王族のお役目?」

「正解です」

 フェリクス殿下の姿を借りた精霊が振り返って、私に向かって微笑んだ。

 それは教え子に対する教師のような眼差しで。

「この男の場合、やがて理から外れ、世界に一定以上の悪影響を及ぼすと判断出来ましたので、今のうちに処置をするのもやむ無しです」


 滅多に果たすことないお役目だとフェリクス殿下は言っていた。

 確かに、上位精霊が直接干渉しなければならない程の有事なんて、ない方が良いに決まっている。

 つまり今回の一件は、上位精霊たちも見過ごせない事案だったのだ。


 皆が見守る中、フェリクス殿下の姿をした精霊は、サンチェスター公爵の前で膝を折り、彼の目線に合わせるように腰を下ろしてしゃがみ込んだ。

 公爵がびくりと震えて、「ひっ……!」と情けない声を上げた。

 私の方からは見えず、あの精霊がどのような顔をしているのかは不明だ。


「ここにあるほとんどはお前のものではありませんね。あるべきものは、あるべきところへ還るべきでしょう。弄られた人間たちは、もう生きていないようですね。生きているのに死んでいる。魂が剥がれかけています」



 それは圧倒的な力の権化だった。

 フェリクス殿下に憑依した上位精霊が周囲を見渡しただけで、そこにあったものが全て光の粒子に包まれ、分解されていく。

 実験されて化け物のようになった人たちも、この場にある禍々しい術式の残骸も、何もかもが光に包まれては、それが光の粒子へと分解されて霧散して。


 私は宙を見上げた。


 その全てが天に還っていく。

 天に昇っていく。

 これは、葬送だ。


 精霊が振り返る。


「行きどころのなくなった哀れな魂が安らかに眠らんことを。天に昇った後は、我らが同胞が大いなる祝福を与えるでしょう。お前たちの罪科も可能性も存在証明をも抱き締めるでしょう。罪なき者には一時の安らぎを、罪に塗れし者には戒めを。そして全ての者に救済を。私たちはお前たちの門出を願う。見届けましょう、その結末を」



 ああ。この者は確かに上位精霊なのだと感覚で理解する。

 風も吹いていないのに、フェリクス殿下の金の絹糸のような髪は、光の粒子と共にサラサラの揺れている。

 長い金の睫毛が僅かに伏せられ、再び開眼した時には、薄い唇に薄らと微笑みを浮かべていた。

「この地、そのものが血に穢れているようですね」

 フェリクス殿下の類まれなる美貌も相まってか、ここではない空を仰ぐその姿は神々しくて神聖で、思わず溜息が漏れてしまう。

 歌うように語りかける涼やかな声はフェリクス殿下のものなのに、まるで人ではないみたいで。


 いや、今は上位精霊が憑依しているから、人ではないんだけども。


 全ての魔力が、上位精霊の者に塗り潰され、ここは聖域となっていった。


 崩れ落ちる。

 大樹の崩壊。それはまるでバベルの塔が倒れるような。

 そこに刻まれていた術式や言語が滅茶苦茶になっていく様が分かった。

 一瞬、フェリクス殿下の足元に魔法陣が敷かれ、刹那の時間、この場から姿を消した。

「もしかして、今の空間転移?」

 そんな私の疑問に答えてくれたのは、当の本人だった。

 上位精霊は、どこに行ったのかとこちらが探す前にしゅんっと転移で戻って来たところだった。

「子どもたちの魂は修復して、今は安全な下の方に集めて来ました。この目で対象者を視認しなければ、手を加えることが出来ないので」

 フェリクス殿下の姿を借りた精霊は、彼の指で彼の目を指し示す。

 どうやら一種の魔眼みたいなものだという。

 それにしても、今、子どもたちを助けたって言ったの?

 籠の中に閉じ込められた子どもたち。

 あの虚ろな目をしていた子どもたちも助かったの?

 ならば、それは紛うことなき奇跡だった。

 生贄の魔力は変換され、霧散していく。


「さて」


 精霊が公爵に向き直る。

「ひっ! 私は、私は……私は私は私は」

 公爵は錯乱していた。

 理性を失ったように、時折、「ハンナ」と妻の名前を呼んでいた。


「後はこの男の体を魔術が使えないように弄って終わりですね。それから、この男の契約魔術に縛られた者を解放しましょう」


 上位精霊は本当に何でもないことのようにそう言って。


「必要ありませんよ」



 上位精霊が手を持ち上げたところで、その声が制止した。



「……え?」

 クリムゾン?


 コツコツとクリムゾンが公爵の前まで歩いていく。

「ねえ、公爵。貴方は俺に人を殺せないようにと枷を嵌めたつもりでしょうけど」

 クリムゾンは公爵の前でしゃがみ込むと微笑みながら、懐から何かを取り出した。


 キラリと光に反射するそれ。


 ズブリ、と手に持ったそれを公爵の心臓へと差し込んだ。

 キラリと光ったものの正体はナイフだった。

 公爵の胸から流れる血はクリムゾンの手を緋色に染める。

「な、何故……何故」

「何故殺せるのかって? 何故って簡単なことですよ、公爵。公爵は俺に人を殺せないように枷を嵌めた」


 クリムゾンは凄絶な笑みを浮かべる。


「俺はね、もう貴方のことを人間だとは思っていないのですよ、サンチェスター公爵。貴方はもう人間ではない何かだ」


 だから、魔術を使わない方法なら殺せるのだと言わんばかりに。

 それは人を人とも思わないような冷たい目つき。

 その言葉は本当なのだと、見た瞬間、理解した。


 立ち上がったクリムゾンは、倒れ伏した公爵を冷たい目で見下ろすと、彼の足を掴む公爵の手をまるでゴミでも扱うように蹴り上げて振り払った。


「自ら罪を被るような真似をするとは、変わっていますね」

 上位精霊が思わずといったようにクリムゾンに目を向ける。

 クリムゾンは自嘲するように嗤った。

「俺の手は既に血に塗れています。それなら最後くらい、自らの意思で手を汚しても構わないでしょう?」

 クリムゾンはまるで泣いているように見えた。

 別に涙を零している訳ではないのだが、その姿は酷く頼りなげなもので。

『ご主人』

 私はクリムゾンの元に思わず駆け寄って。


「レイラ? ……! 何を」

「……」


 私は血に塗れるクリムゾンの手を思わず掴んでいた。

 公爵の血が私の手のひらにもベットリと付着する。

 鉄錆のような臭いが鼻につく。

 ああ、血の臭いってこういうものだった。


「レイラ、そんなことしたら貴女の手が汚れて──」

「知ってます」


 掴んだ手は離さない。

 クリムゾンが犯罪を犯して、人を殺して来たのを知っている。

「レイラ……俺は貴女に触れてもらえるような人間ではありません。公爵だけでなく、たくさんの人間を殺した罪に塗れた手だ」

 その手には見えない血もこびり付いて取れなくなっているのかもしれない。

「この手で人間を生きたまま解剖したことだってあります。人殺しの手です」

「解剖は初めて知りましたが、そんなこと知っています」

 私の手から逃げようとすれば逃げられるだろうに、クリムゾンの手は硬直していた。

「俺の手は汚い。もう汚れはこびり付いて取れないんですよ。綺麗ではありません」

 それは、珍しく彼の弱音に聞こえた。

「さすがに貴方の手は綺麗です、なんて台詞は言いませんよ。貴方はそんな見え透いた慰めなどいらないでしょう? 偽悪主義の貴方が」

「……また言いますか、それを」

「綺麗とか汚いとか関係なく、掴みたくなったから掴んだ……じゃ駄目ですか? それに」


 ずっと思っていた。

 どこからどこまでが正義で。

 どこからどこまでが悪なのだと。

 だけど、それは。


「私には、貴方を裁く権利などないのですよ」


 同じ人間に、人間を裁くことなど本来は出来ないということ。

 秩序を守るためには法というものが必要不可欠だけれど、それは一人の意見で裁けるものではなく、いわゆる一般的に悪に成りうるものを裁いているに過ぎない。

 だから裁判だってあんなにも判決に時間がかかるし、納得のいかない判決だってある。

 不合理や不条理だって存在する。

 本来出来ないことをせざるを得ないから。

 歪が歪を正して、世界を回そうと藻掻くのだ。

 それを私は前世でよく知っていたはずだ。

「レイラ、それは……」

「考えた結果、善悪の本質全てを知るのは無理というところに落ち着きました」

 分かるはずなどない。

 人によって正義も悪も反転するのだから。

 それが出来るとすれば、人ならざる上位の存在くらいだろう。例えば、前世で言えば、閻魔大王とか?


 と、その時。


「私は、お前が犯罪者の手だとか汚れてるとかそういうことより、レイラと手を繋いでいることの方が腹立つんだけどね」


 唐突に聞き慣れた声がして、私とクリムゾンの手が引き剥がされた。

 フェリクス殿下は、血に汚れた私の手をしっかりと握り締める。

「え? フェリクス殿下? 戻られたのですか? ……って、あのフェリクス殿下の手も汚れますけど……」

 先程まで憑依されていたフェリクス殿下の瞳は蒼に戻っている。

「まあ、そんなことは良いんだよ」

 にこやかにフェリクス殿下は微笑むと、しばらく私の手を握っていた。

 それからクリムゾンに向き直ると、私の手をそっと離した。

「さて、ブレイン。レイラの手の感触は忘れてもらおう。歯を食いしばれ」


 何故か、フェリクス殿下はクリムゾンの手を乱暴に握ると、ギリギリと手に力を込め始めた。

 いや、あの……血が……その。

 ていうか、何してるの殿下。


「相変わらず嫉妬深くて残念な王太子ですね? 非常に残念なことに、俺は痛みを感じないので、レイラの手の感触を痛みで忘れさせることは出来ませんよ? ……おつむも含めて全てが残念でしたね?」

 クリムゾンはニヤリ、と微笑んで、フェリクス殿下はクリムゾンの手をバッと振り払った。

「……最悪だ! 鳥肌が立つ! 何故私がお前の手を! ああ、もう! 私が精神的なダメージを負っただけになってしまった!!」

「俺も今、とても不快になったので、お互い様ですよ。ええ、もうこれ以上ないくらい、不快になりました」

『こんな時まで何をやっているのだ、この者たちは』

 いつの間にか傍に来ていたルナが鋭く突っ込んだ。


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