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 上位精霊の降臨に、ここに居る者は皆、圧倒されていた。

 白い羽根が幾重にも折り重なった人間とも動物ともつかない存在。


「なっ、あれって……!?」

「これは……」

 リアム様とクリムゾンも呆気に取られていた。


 あれ?


「そういえば、皆にも見えている……?」

『上位精霊の姿は、精霊の目を持たない人間には見えることはない上に、そもそも人界に降りることさえも稀だ。だがな、上位精霊が自ら姿を現すならまた別なのだ』

 どうやら上位精霊たちは、意識的に人間の前に姿を現すことが出来るが、それは滅多にしないようにしているらしい。

 目撃情報など、ほとんどないからだ。

『前に手だけ現れた上位精霊は、人間の前に姿を晒したくはないが、どうしてもご主人の頭を撫でたかったのだろう。何故、撫でようと思ったのかは知らんが』

 ルナにも分からないようで、『上の考えることは分からん』と首を振りながら締め括った。


 ふわり、と真っ白い羽根が頬に触れて。


『懐かしい術式と懐かしい気配に呼ばれて来てみれば、これはこれは……。お前は、相変わらず私たちを飽きさせませんね。セレーネ、……いや、今の名前はレイラ……でしたか』


 丁寧だが尊大な物言い。

 低くも高くもない中性的な声が上から落ちて来た。



 セレーネ、という名前に聞き覚えはないはずなのに、その上位精霊の口から零れたその旋律、口調には、どこか既視感があって。


 私を知っているの?

 セレーネって何?


 呆然と見上げていたけれど、ルナが前足でちょいちょいと足元をつついたので、私はハッと我に返った。

『ご主人』

「あっ、そう……そうだったわ。えっと、……その」

 呼び出すことに必死になっていたが、この場合どうやって助けを求めれば良いのだろうか。

 突然、助けてくださいって言っても良いものなのか。


『良いですよ、お前の頼みならば。お前は覚えていないでしょうが、私たちの仲です。理から外れかけた男を無効化すれば良いのでしょう?』

 私たちの仲?

 若干気になる発言だったが、とりあえず流しておくことにする。

 さすがに上位精霊との接点に覚えはない。

「……お願いします。どうか戦いを終わらせるために力をお貸しください」

『お前に頼まれるのもまた新鮮ですね。仲間連中への土産話としては最適です。……そうですね。都合良くそこには今代の精霊の目の持ち主が居ることですし、私自らが力を振るうのも吝かではありません』

 え?

 音声魔術を使い、上位精霊の力を借りようと思っていたのだが、どうやら上位精霊自ら力を行使するらしい。

 精霊の目って、フェリクス殿下の?


 ふと周囲を見渡すと、神聖な空気と共に、この場の一切の魔の要素が一時停止していた。

 フェリクス殿下渾身の鏡の魔術も、クリムゾンの鎖も、ルナとアビスの攻撃も、リアム様に至っては隠形魔術の効果が解かれていた。


 公爵の操っていた実験体たちも動きを停止して、地面に倒れ伏していた。

 公爵は顔を上げつつも、目には恐怖と畏れが溜まっていて、目から透明な雫が流れ落ちた。


 何もかも停止したそんな異様な状況の中、羽根が雪のように舞い散った。

 私の髪にふわりと落ちたものを、手に取ると、

 それは、光の粒子となって、さらさらと雪のように空気に溶けていく。

 羽根の上位精霊は、世間話でもするように続けた。

『ああ、ちなみにお前の契約精霊が言っていた手だけ現れた上位精霊ですが、あれはフェリクスです。あ、そこに居るフェリクスではなく。また別人のフェリクスです』

「……?」

 意味が分からなくて首を傾げていれば、意味の分からなさは何倍にもなって返ってきた。

「この王国の何代か前のフェリクスです。どうも、彼、自分の子孫がセレーネと番うことに色々と思うことがあったようで。元人間の上位精霊は時折、私情が入って困ります。彼の管轄も変更した方が良いでしょうか……」

 その言葉に反応したのは当の本人であるフェリクス殿下で。

 思い出したかのようにポツリと呟いた。

「そういえば、ひいひいひい爺様の名前がフェリクスだった」

 どうやら、彼の名前は過去の王族からもらってきたらしい。

 というか……。え、元人間? しかも王族?

 ちょっと待って。

 ちょっと待って!?

『情報量の制限を所望する』

 私の代弁をするかのようにルナがぼそり。

 これ以上、新しい情報が入ってきたら混乱で、頭がパンクしてしまう。


 自ら姿を現した精霊の初耳すぎるトンデモ情報についていけている者は一人もいなかった。

 まず、リアム様が混乱していた。

「王族になるともれなく上位精霊になれる……!?」

『どう考えてもそれはないと思うぞ』

 ルナが突っ込んだ。

 クリムゾンは面白そうな笑みを浮かべていたが。

「何が何だか分かりませんが、何も分からないということは分かりました。あと、フェリクス殿下がレイラの頭を撫でるのを想像したらイラつきました。小指でもぶつければ良いのに」

『最後関係ない上に、何故罵倒した』

 ルナが突っ込む。

 ぺしぺし、とアビスがルナの背中をしっぽで軽く叩く。

『前から思っていたのですが、次から次へと突っ込みを入れるのは疲れませんか? 銀狼殿』

『とりあえず言わせて欲しい。私は好きで突っ込みを入れている訳ではない』

 とりあえず皆、混乱しているのは分かった。

 私も混乱している。

「一体、どういうこと……?」

 上位精霊が私を知っている風なのと、人間が精霊になるみたいな……。

「あの、今この時聞くことでもないかもしれませんが、少しだけ教えてくださいませんか? 精霊って──」

『ああ、なんだか退屈なのでそろそろ済ませましょうか。通常ですと私のような上位精霊が人間に直接干渉は出来ないのですが、今は条件が整っているので、問題ありませんよ』

 光が強くなり、視界が眩しくなる。

 あ、これ人の話聞いてないやつだ。

 こっちの混乱とかお構い無しのあれだ。

『これは、空気を読めないのではなく、読まない類のあれだな』

 そして、それをどう思われても何とも思わない類のあれである。

 世間話をしたのも気まぐれからなのだろう。

 それで良いのか、上位精霊。

 マイペース過ぎませんか。


 上位精霊はフェリクス殿下のちょうど真上に降臨し、発光した無数の羽根が彼の体を包んでいく。


「フェリクス殿下!」

「殿下!」


 思わず私とリアム様も声を上げて駆け寄っていた。

 目の前で起こる現象に私たちは声を失った。

 フェリクス殿下の体に折り重なったかと思えば、上位精霊の姿はふっと消えたのだ。

 まるで、フェリクス殿下の体の中に吸い込まれるように。


「──、」


 パチリと、フェリクス殿下の閉じていた目が見開かれた。


「殿下……?」


 その目は金色に染まって輝いていた。

 ふと、フェリクス殿下の目が私を捉えて、彼はコツンと私の方へと足を踏み出した。


「……フェリクス殿下? ……っあ」

 不安になって名前を呼んだ瞬間、こちら側に手を伸ばされ、右手で頬を包むみたいに触れられた。

 暖かな手のひらは、いつものフェリクス殿下のものだった。



「良い依代ですね。身体的にも恵まれていますし、魔力量も十分。身長、体重、それから若く瑞々しくしなやかな体。理想的な人間の体をしていますね」


 満足気に微笑み、そう評するフェリクス殿下……。

 いいえ、違う。


 フェリクス殿下の声で、フェリクス殿下ではない何者かが話していた。


『一時的に上位精霊が憑依したようだ』

 唖然とする私にルナが小さな声で教えてくれた。


 頬にあった手が離される。


「刮目して見ておくように、レイラ。これが王家の選ばれし者が起こす奇跡ですよ」


 聞き慣れたはずのフェリクス殿下の声は、普段とは違い、どこか尊大さと誇り高さが混在したような響きが含まれていた。

 なかなか様になっているように聞こえるけど、普段の声音が恋しくなった。

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