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「レイラ! リアム! どこに居る!?」
フェリクス殿下が、私たちを探していて、ふとルナが立っているのを見つけて、こちらに向かって微笑んだ。
「リアムか、そのまま隠れていろ」
そして大方状況を察したらしく、そう声をかけた。
私たちはこのまま隠れていることになったらしい。
「あの人が来たからには、俺たちは邪魔になりそうっすからね。このまま姿を隠してましょう。隙があるなら、ここを脱出したいとこですが」
そこまで言いかけたところで、公爵が「ふふ……ふはははは!」と笑い始める。
『壊れたのか、あの男』
公爵が笑っている。クリムゾンに向ける嘲るような笑みは醜悪に歪んでいた。
「ブレイン。お前は主に対する恩も忘れたのか? お前の復讐相手を始末し、拾ってやったのを忘れたのか? この裏切り者め」
「復讐は自分でしたい主義ですし、俺は頼んでいませんよ? 公爵。それから、拾ってやったと仰っていますが、すぐに俺を実験体にしたのはどこの誰でしょうか? 契約魔術で縛った挙げ句、俺は見たくはないものを散々見させられた」
クリムゾンがコツコツと公爵の前へと歩いていく。
「逃げ出せば良かったじゃないか。まあ、逃げ出したら即座に契約魔術が発動して、お前は死んだかもしれないがな」
「公爵は臆病ですよねぇ。俺が貴方に魔術を使えないように契約させるだけでなく、途中からは全ての人間を殺せないようにという枷まで嵌めたのですから」
「黙れ」
クリムゾンは挑発を止めない。
「まかり間違って自分が殺されたら怖いと思ったんですよね? 貴方は。大変だったんですよ? 手を汚さずにどうやって生贄を集めるのかってね。結果、俺以外の人間に人殺しや調達を頼んで証拠隠滅することになりました。ねえ、公爵、知ってます? 人間を調達する時ってね、少なからず人が死ぬものなのですよ?」
全ての人間を殺せないようにした?
クリムゾンは人身売買をする際、不自然な程、人が死なないと聞いたことがある。
殺しが出来ない、だが生贄は要求される。
だから、裏のルートを利用した。
確かに少し疑問に思っていたのだ。クリムゾンなら裏のルートを使わずとも調達から暗殺まで、一人で全部やってしまうのではないか、と。
「はっ、お前に何が出来る! 私を殺すことが出来ないお前に!」
公爵は魔術を使えないというのに、背後の棚から何かを取り出した。
それは、魔術師が滅多に使うことのない、銃。この世界に存在していても使う者は限られているという代物。しかも連射式のライフル。
魔術が使えないから、乱心した? いや、まさか。
公爵は突然、銃口を大樹の葉が茂る場所へと乱射し始めた。
ダダダダッと発砲音が響き、弾丸に撃ち抜かれた大樹の葉。
いや、所々成っている果実らしきそれを狙っていた。
黄金の林檎のようなそれが床へと音を立てて転がっていく。
「は?」
フェリクス殿下はその光景を一瞥して、すぐに警告した。
「気をつけろ! 魔力反応がする!」
私たちが気付くよりも早く、何かに気付いたフェリクス殿下は既に臨戦態勢に入っていた。
落ちた果実がムクムクと大きくなり、それは粘土のように蠢き、人とおなじくらいの形へと膨らみ──。
「うげぇ!? 人間じゃないっすか!!」
生理的に無理だったのか、リアム様が私を抱く手に力を込めたのが分かった。
「あれは……もしかして、実験された人たち?」
『どうやらそのようだな。あれは人だったものだ』
どうやら、実験体を果実の姿にして、大樹に括り付けていたらしい。
「なんて、悪趣味なの……!」
『同感だ。あれは人間の発想ではない』
公爵が一心不乱に撃ち続けたせいで、実験体として体を弄られた元人間たちがワラワラとフェリクス殿下とクリムゾンを取り囲んだ。
部屋中に広がり、フロア中を実験体の人間たちが占めていく。
私たちの近くにも来たので、リアム様が跳躍して避けた。
リアム様はまたもや私を抱えながら走っていく。
とにかくこれは危険だと、私は自分たちと、それからフェリクス殿下とクリムゾンに保護魔術をかけた。
光の魔力によって強力になった保護魔術を。
不思議の国を使うより、保護に集中した方が良いかもしれない。
実験体になっていた人々は腐乱死体のようになっていた。もはや人間とは言えない有様。
強大な魔力が体に負荷をかけているのは明白で。
しかも、洗脳されているのか意識がなさそうだし、どうやら身体強化魔術で自らを強化しているようにも見える。動きが素早いのだ。
体内強化なら、融合魔術の効果も何も関係ない。
公爵が余裕そうだったのはそういうことだ。
フェリクス殿下に襲いかかったその人影は、腕を一振りしていて。
私は見てしまった。
彼に避けられた腕は、轟音を立てながらそのまま床にめり込んでいた。
ようするに当たったらヤバい。
フェリクス殿下が炎で燃やそうとしたが、なんと表面が硬い。
そんなことをしている間に次が来るので、たぶん薙ぎ払った方が早い。
『つまり最終的に物を言うのは、物量と物理ではないか』
うんざりとしたようなルナ。
これは前世で言うゾンビに似ている。
動きも怪力も全てがゾンビのようだった。
「レイラ様。俺に捕まっていてくださいね」
「はい!」
リアム様は敵の間を走り抜け、攻撃を避けながら、こちらの姿が見えないことを利用しつつ、足を引っ掛けて敵の体勢を崩していく。
敵を倒すのは二人に任せて私たちはひたすら援護に回ることにした。
それにしても乱戦だ。
時折、二人に敵の攻撃がカスったりしているのだが、それだけでもその衝撃が凄いのは見て取れる。
とにかく光の魔力による保護魔術があって良かったと思う瞬間である。
たぶん普通に戦ったら骨が折れていただろう。
「公爵には攻撃出来ませんが、この者たち相手には攻撃出来ますので」
クリムゾンは辺りに鎖を張り巡らせていた。
敵の攻撃を絡め取りつつ、鎖による物理攻撃で応戦している。
足元に居るアビスは姿が見えないのを良いことに敵を攪乱しつつ、闇の触手で応戦している。
「は? 精霊? レイラとそんな共通点があるとか聞いてないんだけど」
クリムゾンと背中合わせになったフェリクス殿下が、氷の剣を無数に空中へ出現させながらそれを操り、敵を打ちのめしながら文句を言っている。
ついにアビスの存在が知られたらしい。
「今、そんなこと言ってる場合じゃないでしょう。というか、何故見えるんですか」
「そんなことは今どうでも良い。王家の何やかんやだよ。なるほど、情報提供はそこからか。納得したよ。契約魔術でレイラには口止めしていたってとこかな。今、なんとなくお前の顔面をぶん殴りたい」
「奇遇ですね。俺はいつも貴方をぶん殴りたい。察しが良すぎてレイラが可哀想です。プライベートもないなんて」
「は? お前との関係がプライベート? はっ、笑わせる」
フェリクス殿下は鼻で笑いながらも、敵の攻撃を手にも持った氷の剣で捌いていた。
「なんで、こんな時も喧嘩してるんっすかね、あの二人。しかもフェリクス殿下の目がヤバいんすけど」
リアム様が思わずと言った様子で突っ込んだ。
「ええと、あの二人の場合、今に始まったことではないので……。物凄く仲が悪くて」
その割に息のあった連携をしているのが、また凄い。私情は関係ないと言ったところなのかもしれない。
現にこの場の的のほとんどは二人の獲物になっていた。
跳ね飛ばして、切断して、向かってくる敵を一網打尽にして、再び起き上がってきた敵も新しく出現した敵も関係ないとばかりに薙ぎ倒す。
「……レイラ様、大変っすね」
『私は慣れたぞ』
ルナはそうボヤくと、私たちの代わりに攻撃役──いや、足止め役として参戦していた。
ルナは周囲に光で出来た羽根のようなものを飛ばしている。
それが敵の足元にまとわりついた瞬間、敵の動きが目に見えて遅くなっていく。
敵のスピードを遅らせる効果を持つ羽根らしい。後ろから押し寄せてくる敵とぶつかり、被害は甚大。
その隙をアビスが闇の触手で刈り取っていく。
敵に姿が見えない分、二人の精霊が組むと効率的だ。
『物理攻撃は止めたのですか? 銀狼殿』
『物理ばかり見ていたら、こう辟易してきたのだ。私の周りには物理至上主義が多すぎる』
ただ、それを目に出来るフェリクス殿下が面白くなさそうな声で呟いた。
「なんだろう。レイラの契約精霊とお前の契約精霊の息が合っているのを見ると、こう微妙な気分になってくるんだけど」
「いくら何でも心が狭すぎやしませんか?」
「そのドン引きしたような声を止めてくれないか、ブレイン」
フェリクス殿下はクリムゾンが張り巡らせていた鎖を一瞬足場にして体勢を整えてから、無防備な敵の首をそのまま後ろから落とした。
え? あの硬い敵を一閃で。
だが、それにしても。
「キリがないっすね、この戦い。次から次へと実験体の人間が現れてます。これ、思うに公爵自らも生贄を集めていたんじゃ……?」
有り得る。クリムゾンに頼むだけでは追いつかない程の人数なのだ。
大樹を見る限り、まだまだ余裕があるように見えて絶望する。
これは、どうしたら良いのだろう?
このままだとこちら側の陣営が疲弊するのが目に見えていた。
この状況を打開するには、奇跡でも願うしかなかった。
公爵自身の魔術は、二人の魔力融合で封じることが出来た。
元実験体の人間たちの混戦に加え、公爵自身の攻撃──恐らく土の魔術によるゴーレムの攻撃もあったとすれば、更に絶望的だったと思う。
それでも無尽蔵ともいえる敵の召喚のせいで、勝機が見えない。
このままだとジリ貧なのが分かった。
私も殿下みたいに器用なら良かった。
保護魔術と不思議の国を両方使えるような器用さがあれば、もっと役に立てたかもしれないのに。
私に出来ることは何かあるの?
私に今出来る何かを……。
古代音声魔術─御迎えの儀─。
ふと、私の頭の中に過ぎったのは、カーニバルの時にフェリクス殿下が贈ってくれた本に乗っていた古代の魔術だ。
これは、精霊を呼び出す最大難易度の音声魔術。
音声魔術の中でも、魔力をたくさん消費するという代物。
今の私には魔力だけはたくさんあった。
闇の魔力へと戻ってしまうかもしれないし、この後の私は足手まといになる可能性もあった。
だけど、このままジリ貧になるくらいなら──。
フェリクス殿下の部屋に閉じこもっていた時に、何度も何度も読み進めたその内容。
あの時の時間があったからこそ、今の私はこの魔術を使うことが出来る。
発音も詩も音程も覚えていた。
今、使わなくてどうするの。
一か八かやる価値はある。
この古代魔術の魔力消費は激しいけれど……。
何故って、この古代音声魔術で呼び出す精霊は、上位精霊なのだから。
ただ……。
『フェリクス殿下、お願いしたいことがあります。一時的に公爵を引き付けてくださいませんか?』
念話をフェリクス殿下に飛ばす。
私がこの魔術を使っている最中に、公爵の意識がこちらに向かないようにしてもらう必要があったのだ。
フェリクス殿下は遠目からも分かるように不敵に微笑んで念話で返してきた。
『ああ、任された』




