フェリクス殿下の侵入1
単独で乗り込むのは、一般的には無茶だと言われる所業だとフェリクスも分かっていた。
だが彼にとって、それは別に無茶ではなかった。
少しでも時間が惜しかったのと、単独行動故の強みがあったからに他ならない。
単独行動は気付かれにくい。
人為的な騒ぎを起こして警戒されるより、超自然的な災害に一人紛れる方が効率的だっただけ。
幸か不幸か、フェリクスは単独でも行動できる程の能力を持ってしまっていた。
レイラを心配するあまり、ヤケになって無謀を起こすつもりはない。
むしろ冷静さを失ってレイラを助けることが出来ない方が恐ろしい。
森は鬱蒼と茂り、フェリクスを拒むように立ちはだかっていた。
通称としては、夜霧の森と言われている場所。行方不明者多数に身元の知れぬ死体──いや、遺骨だ。
そう言われれば、誰しもこの場所の恐ろしさは分かるだろう。
この辺り一帯は深い霧に覆われ、魔獣も多数生息するらしい。
地理的に何か関係しているのか、ここには邪悪な魔が溜まりやすいと言われている。
昼も夜も関係ない程に深い霧の中にあり、夜の霧と名付けられているのも頷ける。
結界の狭間の前で足を止める。
ここから先に足を踏み入れた瞬間、恐らく警報がなるに違いない。
さて、やるかと思い、自身の魔力自体に隠形魔術を施すことにした。
普通ではありえない、魔術への魔術行使だが、細かな操作と溢れる程の魔力があれば問題ない。
ただ、ある程度の耐性がないと普通の魔術師が空気を震わす程の螺旋のような魔力に酔って倒れることがあるというだけ。
「やはり、そのつもりでしたか。貴方のやりそうなことを見事に当ててしまった。これは嘆くべきなのでしょうか」
「ブレインか。奇遇だねと言いたいところだけど、そうじゃないんだろう?」
霧の中から現れたその気配に、フェリクスは驚くことなく一瞥した。
「おや、俺が居ること分かっていましたか」
「魔術行使中に邪魔な異物が現れれば分かるよ。……何か用? 生憎だけど、今、私は忙しい」
「おや、そんな口聞いて良いんですか?俺は貴方の救世主だというのに」
「その不遜な態度を見て、手を貸して欲しいと馬鹿正直に頼む奴が居たらこの目で見てみたいよ。礼儀を知らずに大人になったらしい誰かには理解できないようだけど」
「などと、子どもであるフェリクス殿下が文句を言っており……」
「はっ。また子どもがどうのと言っているけど、煽るにしても言葉の引き出しが少なすぎだよね。可哀想に」
「大変申し訳ございません。どうもその子どもの部分が目立ってしまっているようですので、つい口に付いて出てしまう。いやあ、うっかりですね。いやあ、もう本当にそればかりが目立ってしまっていて」
──二度言ったな、この男。
「単にお前の目が節穴なだけだろう」
──ああ、疲れる。
このブレインという男とのやり取りは不毛である。生産性が欠片もなさすぎる。
だから疲れる。精神力がゴリゴリ削られていくのだ。
「……ねえ、ブレイン。一つ聞くけど、このやり取り楽しい?」
「全然」
「……」
「…………」
お互いに渋面を浮かべる。
心境はおそらく似たようなものに違いない。
どうでも良い無駄な会話をしてしまったことへの自己嫌悪。
何故この男と世間話などしなければならないのか。
──まあ、良い。今はそれどころじゃない。
溜息を吐き出してから軌道修正を測った。
「それで本当は何の用があった?」
「ああ、そうです。こんなことやっている場合ではありませんでした。……なので、単刀直入に言います。穏便に侵入出来る手立てがあるのですが、この話、乗りませんか?」
「乗った」
フェリクスは即答した。
あまりにも早すぎる答えだったせいで、逆にブレインが驚愕に目を見開いていた。
「殿下、そんなアッサリで良いのですか?」
「お前がレイラを助けようとしているのは分かっている。ならば効率的に考えて手を組むのが上策だろう。レイラに危害を加えないのは分かっているよ。そういう意味では信頼している」
「信頼……? 気持ち悪いのですが」
「私も自分で言って、怖気がした」
背筋が本当に寒くなったので腕を摩る。
お互いに微妙な顔をしていたフェリクスたちだったが、気を取り直したようにブレインが咳払いをした。
「コホン。俺はある研究の副産物で、他人の魔力を模倣して変換する魔術を編み出したんです」
「ああ……。そんなものもあったね」
レイラにかけられた契約魔術。
あの忌々しい楔のような術式。
レイラの魔力に似せているせいで、その術式はレイラの中に馴染み、破壊することは出来なくなってしまっている。
二人の間に繋がりがあるように思えてしまって、非常に不愉快で仕方ない術式だ。
しかもその術式はレイラを守るように作用しており、レイラの身の安全性が増すことは喜ばしいことだが、この男のものだと思うと複雑な気分になってしまう。
気に食わない、というのが正しいか。
「この魔術結界ですが、サンチェスター公爵の魔力と俺の魔力は弾かないんですよ。この術式はそういう設定が施されているので」
なるほど。分かってきた。
「お前が編み出した魔術を使って、一時的に似せて変換させてしまえば、私でもするりと中に入り込めるということかな」
「ご名答。あの術式も、まさかこんな使い方をするとは思いませんでしたが、ある意味都合が良いですね。公爵は俺がこんな魔術を編み出したことを知らないですし、おあつらえ向きだと思いません?」
「確かに、それなら魔獣をけしかけるより、隠密性に優れているよね」
「やはり、魔獣をけしかけるつもりでしたか。魔獣の混乱。自然災害……ね」
「やはりと言うのが気に食わないが。まあ良いよ。穏便に出来ることに越したことはないからね」
「分かりました。じゃあ、手を出してください。調整するので」
「……」
仕方ないとはいえ、この男に触れられるのは不快だった。
何を好き好んで、恋敵である男と手を重ねなきゃいけないのだろうか。
ここでも似たような顔をしていたかもしれない。
無表情だが、不快げに眉間の皺を寄せ、苦痛からか口元をへの字に曲げている。
二人揃って。
「嫌なのはお互い様ですよ」
「全くだ。早く終わらせてくれ」
「あー。レイラが頬に手で触れてくれた時は癒されたんですけどねぇ……」
「何だ、その話は」
思わずドスの効いた声を出してしまう。
──レイラがこの男の頬に触れた? どういう状況だ?
「心配そうにして顔を覗き込むのは、まさしく女神でした」
「心配そう? ああ、怪我の治療かな?」
今更気づいたが、ブレインの虐待の跡は治癒されている。
──それにしても、触れたのか……。なんだろう、もやもやする。
「それくらいで嫉妬ですか? 相変わらず心が狭いですねぇ?」
「嬉々として煽るのはやめてくれないか? 言っておくけど、怪我の治療くらいで自慢げにしているお前の方が残念に見えるからね?」
「その怪我の治療くらいでグダグダ文句を口にしている貴方に言われたくないですね」
「……」
「…………」
やはりこの男、虫唾が走る。
貴重な時間を無駄にした。




