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「これ、どうにかしてくれませんか?」
「レイラ様、俺が行きます」
縛られていた縄には特殊な魔術がかけられていたので、小型の状態の鎌で切り裂くつもりでいたら、リアム様がサッと私を遮った。
「味方ではあるらしいっすね。だけど、フェリクス殿下はレイラ様をあんたに近付けたくないかと思ったんで」
「大した忠誠心ですねぇ。そうそう、あの王太子の無駄に強い独占欲、早くどうにかしてくれませんかね。まあ十五歳ならそんなものですか」
うわあ……。
『何故、こんな時でも喧嘩を売るのだろうか』
ルナがボソリと呟くと、クリムゾンの影からアビスが現れる。
『我が主の通常運転です』
案の定、リアム様はムッとしたようだった。
「殿下の唯一の我儘くらい見逃してくれないすかねぇ。あのお方は早熟しすぎなんで、それくらいでちょうど良いんすよ」
リアム様が顔を顰めながら縄を風のナイフで切り裂いて、クリムゾンは椅子から解放された。
「ああ、助かりました。拘束された側は振り解けなくて困っていたのですよ。少々特殊な方法でも駄目だったのでどうしようかと。まさかあのまま転移されて、ここに放置されるとは思いませんでしたよ」
「その縄って……何なのですか?」
ふと気になって聞いてみると、彼は苦笑した。
「ああ、俺が作った魔術を無効化する縄ですよ。それも特上の。誰でも使えるようにしろって煩いので作ってみたのですが、まさか俺が拘束される羽目になるとは。何においてもやり口が汚いんですよ、あの男は」
クリムゾンは口に出さないが、察するに子どもたちを盾に取られた可能性が高い。
アビスはクリムゾンの契約精霊だが、どうやら主が拘束され、そちらにも影響が出てしまったのか本来の力が出せなかったらしい。
公爵はクリムゾンをぞんざいに扱いすぎた。
人の尊厳を何だと思っているのだろうか。
「とりあえず怪我の治療をさせていただきますね」
「レイラ、ありがとうございます。さすがに使い物にならないのは堪えるので」
ふわりと優しく微笑むクリムゾンは私に腕を差し出した。
全身、鞭の痕やら、切り傷や裂傷が無数に刻み込まれていて、よくこれで意識を失っていないなと思った。
僅かに魔力を通し、彼の体に触れていけば、すうっと傷口が座っていく。
「これが光の魔力の治癒魔術ですか。俺も初めて見ますけどすごい効果ですね」
「あっ、頬も見せてください」
頬に軽く手を添え、触れながら治していれば、クリムゾンは吐息混じりの声で「ありがとうございます」と嬉しそうに笑っていた。
「治療とはいえ、これは殿下には見せられない光景っすね。血の雨が降りそう」
大袈裟すぎませんか? リアム様。
『そこの護衛も似たようなものだと思うのだが』
治療をするために効率良く魔力を通しているだけだ。触れずに出来る人もいるが、私にはこの方法が慣れている。
『全快ですね。我が主の気力も体力も充填出来て本当に良かった。レディ。我が主の治療をわざわざありがとうございます』
アビスが私の足元に寄ってきて、すり……と体を擦り付けた。普通に可愛い。
『おい、そこの黒猫。ご主人に媚びを売るな。あざとい』
『おや? ご自分のもふもふに自信がないのですか? 狼殿』
『それはある。私の毛並みは美しく柔らかいぞ』
精霊同士の謎の会話は放置しつつ、治癒魔術で回復したクリムゾンは、古びた執務室の隅へと歩いていく。
部屋の隅にあったソファに、かかっている布をバサッと取った。
「ひっ……!」
そこから現れたのは、人間の男の死体。
土気色したそれがソファに寝転んでいた上に布を被せていたらしい。
クリムゾンが手をかざすと、その男の体がふわりと持ち上がり、先程まで座っていた椅子に座らせた。
何をするのかと思いきや、彼がその死体に手をかざすと、縄がシュルシュルと巻きついて。
「公爵が死体を雑に部屋に放り込んだのですよ。手近な部屋にと。ふむ……あとは、顔と体を偽装すれば完成です。完璧な偽装技術になったはずですよ?」
そこには血まみれのクリムゾンが椅子に座らさせられ、縄で縛り付けられていた。
これは死体を使った偽装……。なんてことをするのだ。
声を失っていた私にクリムゾンはサラリと教えてくれる。
「公爵がこの部屋に来た時のために少しでも時間稼ぎをと思いまして。俺が居なくなったことに気付かないなら、それはそれで御の字ですし。ここに元々あった死体が消えたことは気付かないでしょう。公爵は意外と詰めが甘いので」
つまりは、身代わりと。そういうことらしい。
な、なるほど……。
リアム様がクリムゾンへと一歩踏み出した。
「俺にもその偽装術、詳しく講義してもらえないっすか?」
『この男も真顔で何を言ってるのだ』
ルナが渋い顔をしながらリアム様をじっと見つめている。
「現場不在証明や辻褄合わせには最適ですよね。使い勝手は確かに良いです。最近では魔力をも偽装して植え付けるようになって精度が上がりました」
「ほほう、かなりの精巧さということっすか。鑑識を欺ける……それも魔力ごと。これは興味深いっすね……」
「レイラを守るために必要ならいくらでも提供しましょう」
『なんだ、この会話は』
ルナはドン引きしている。気持ちは分かる。
『我が主は基本的にはブレないのですよ』
アビスは慣れているようにそう言った。
クリムゾンは爽やかな微笑みを浮かべているし、リアム様は何やら興味津々だし、今私は目撃してはいけないものを目撃しているのかもしれない……。
『我が主。教授するのも良いですが、脱線してはなりませんよ。時間も限られていることですし』
「ああ、そうですね」
「……?」
アビスに返答した形なので、リアム様には唐突に呟いたように聞こえたのだろう。
彼は不思議そうに眉を上げる。
「今、思い出しましたが。そろそろフェリクス殿下がお困りの頃ですし、この俺が直々に手を貸しに行きますか。ほら、自然災害を利用して周辺を荒らされるのも面倒なので」
クリムゾンは先程の話は聞いていないはずだというのに、どうしてそこまで知っているの?
そして、彼はその方法ではない別の手段でフェリクス殿下を助けると言う。
唖然とした私とリアム様を一瞥して、彼は自嘲するように笑う。
「なんとなく、殿下のやりそうなことって思い浮かぶんですよね。俺ならそうやっているはずですから」
対象的な二人。それは鏡合わせでもあったのかもしれない。
『ようやく自分たちが似ていると認めましたか、我が主。いい加減認めれば楽になれ──ふにゃああ!! ワタクシのふわふわな尻尾が!』
『常々思っていたが、黒猫よ。そなたもそなたで余計な発言をしていることに気付いた方が良い』
アビスは今日も今日とて、クリムゾンに尻尾を踏まれていた。




