17
私、レイラは助手として働き始め、職員寮のある一室に住み込み、出勤していた。
学園内にある生徒たちの食堂よりも小さいが、それなりの大きさでそれなりに充実している職員食堂で朝食を済ませ、この日も余裕を持って出勤。
医務室の奥の個室で何故か住み込みしているセオドア叔父様が起きる前に出勤するのがいつもの流れで。
ガチャリと鍵を外から開けて、灯りを付けようとして衝撃を覚えた。
「叔父様が起きてる!?」
この時間に起きているはずもなく、たとえ起きていたとしても個室に閉じこもり気味の叔父様が医務室に居て、あまつさえ在庫の整理をしていたからだ。
「貴方は叔父様? 叔父様が仕事に真面目な訳がないわ」
私と同じ色を持つ優美な白衣の男の後ろ姿はいつも以上に大人だった。
くるりと振り向いた叔父様の顔を見て、私は息を飲む。
それは覚悟を決めた人間の表情だった。
「毎年恒例、一年生は初めての実技演習──模擬戦闘の時期がやって来ました……」
「叔父様、どうしたの? 顔が……」
「一年の消耗率や損耗率は軽微とはいきませんので、僕たち医務室の人間や教師陣にとっては試練の時がやってきました……」
え? 何か悲壮な雰囲気が漂ってきたのだけど?!
「三日前の今日から、僕たちはひたすら薬を作り続け、ひたすら薬を詰め、学園内の空き部屋にひたすらベッドの設置をするのです……」
「え、でも怪我が多いのは、一年生だけではないですか?」
「甘い。甘いですよ! レイラ! 一年だけではない……久しぶりの本格模擬戦闘に全身の血を滾らせた戦闘狂たちが台頭するのです……。そう、僕たちの存在意義は薬をひたすら作ること。それが真実なのですよ」
そういえばゲームでもそんな授業があった気がするけど、こんな立場にならなければそんなこと知る由もなかった。
「レイラは一通りの調合を学んでいると思いますが、とりあえずはよく使う回復薬を担当してください。僕は厄介な状態異常の解呪薬を作りますので」
「わ、分かった」
叔父様が素直に調合しようと机に向かっている!?
天変地異の前触れだった。
「さあ、地獄の始まりですよ、レイラ」
叔父様の目は既に死んでいた。
叔父様の宣告通り、私は依頼書を見て目を剥いて、それから無言で作業をすることになった。
ゴリゴリゴリという草をすり潰す音と、沸騰させる水の音、帳簿に記録を付ける羽ペンの音しか響かせずに、ひたすら作業を進める。
弱音を吐く間もなく、それをするくらいなら少しでも作業を進めなければならないと瞬時に悟るくらいには、依頼量は多かった。
笑えない。
『ここで私はそなたたちを応援している』
視界の端で黒い狼が尻尾を振っているのを見て少しだけ癒された私と、色々な意味で大いに癒されたのか口元を緩める叔父様。
二人と一匹?の修羅場が始まり、ひたすらすり潰し、煮沸沸騰させ、ひたすら抽出し、ひたすらエキスを浸透させている中、ついにそれは来た。
コンコンコン。
「失礼しますー! 開いてますか?」
すなわち、患者や客である。
『ふむ。ここは私が迷える客の相手を勤めてしんぜよう』
「え?ルナ?」
黒い狼に闇色に光るオーラのようなものが密集し、一気に弾け、圧倒的な力が瞬間的に膨れ上がったのを肌でも感じた。
狼のシルエットが一瞬で消え去り、そこには割と高めの身長を持った青年が佇んでいた。
すっきりとしたシルエットを持ち、清潔な白いシャツの上に、白衣を着た青年。
「え? ルナ?」
「どうだ? ご主人?」
人間の姿に変身した!?
ふわふわの黒髪に、金色の魅力的な瞳。眉目秀麗でどこかミステリアスな青年が目の前に立っている。
自らの手をグーパーと開きながらなのは、慣れない身体だからだろう。
「なんったる!! これは、これはこれは!」
ルナが人間に変身する瞬間を目の当たりにした叔父様は案の定興奮していた。
「良いから仕事をしろ! 私が接客をするから、義務を果たせ! 発注をこなせ!」
ルナは叔父様を一喝し、叔父様はとりあえず仕事に戻るが、後で触らせてもらおうとでも思っているのか、叔父様の目には光が戻っていた。
とりあえず、私も目の前の作業に専念だ。
「じゃあ、ルナ。お願いします」
「まかせろ、ご主人」
その声は低く艶やかな響きをした美声だ。
そして彼はニコリともせず、真顔で請け負った。
へえ。人間時は仏頂面なのね。
普段も笑ったりはしていなさそうだ。狼の見た目だと顔の表情が分からないため、人間になったら幾分か分かるのかと期待をしていたのだけど。
コツコツと足音を立て、私たちが部屋の奥で調合をしているところから遠ざかっていく。
この部屋は、調合スペース、来客スペース。患者の寝るベッドのスペースなどと区切りをされている部屋だ。部屋の中のどこにいようとも叫べば指示を飛ばすことが出来るのだけど、叔父様みたいに一人で行動しているなら無用な機能でもある。
とりあえず少し遠く──恐らく部屋の入口付近から声が聞こえる。
「少年よ。怪我か、病気か? 単刀直入に答えよ」
「え? どなたですか? レイラさんは──」
「私は臨時の手伝いみたいなもの。もう一度問う。何用か!」
「れ、レイラさんは?」
私に用があるのならと立ち上がろうとしたところで。
「レイラとセオドアは今日から修羅場の調合地獄期間らしい。息付く間もなく薬を作らなければならないので、よっぽどの事情じゃない限り、私が手当をする」
「えっと、指先を切っただけなので、別に良いです」
「遠慮はいらないぞ」
ほれほれと言いたげな弾んだルナの口調から、彼がこの状況を少し楽しんでいることが分かった。
姿が見えないが、その声から割と乗り気なのは分かる。
「いや! 良いです! 医療用絆創膏だけいただければ去るので!」
男子生徒をルナはまず一人追い返した。
次は、女子生徒だった。
「ええと。お兄さんかっこいいですね?お名前とか……」
ルナのイケメン具合に見とれたらしい彼女は、アプローチを試みて。
「用がなければ帰れ。空気を読め。お喋りをしたいだけなら通り過ぎろ」
「す、す、すみません! はい! 帰ります!」
見事にぶった切られていったのである。
その威圧感には魔力が若干込められており、番犬効果は抜群だけど、少し色々と突っ込みたい。
少しだけ声を張り上げる。
「ルナ! 本当に用事があるかもしれないのだから、あまり邪険にしたら駄目。もっと丁寧に!」
「ふん。本当に用事があるのかないのか、それくらい見ていれば分かる。どす黒い精神状態の者は通すから安心しろ」
「ほほう。精霊は人の精神状態を……」
ここで叔父様が何かを言おうとして、私とルナは同時に一喝した。
「叔父様、仕事して」
「そこの人間仕事をしろ!」
叔父様は黙り込んだ。
そして、長い時間が経過し、ついに彼らはやって来る。
ドアを軽快にノックされ、ルナが「何か用か」と不遜な声で迎えた。
「あれ? 貴方は?」
「初めて見る顔だな」
フェリクス殿下とハロルド様が入室したのだ。
先程の不遜な態度を見ていた私は、ルナが何か頓珍漢な発言をするのではと不安になり、慌てて手元の薬を混ざらないように除けてから、ドアに向かって突進した。
「ルナ!」
彼が何かを言う前に、その腕をガシッと掴んで、自分の方へと引き寄せる。
「……お二人とも、少々お待ちいただけますか? 少し、この者に話がありまして……。よろしければ奥の席にかけていただければ!」
とりあえず、ルナをお二人の前から遠ざける。
視界の端で訝しそうに見つめる殿下と、特に何も感じていない様子のハロルド様の温度差。
彼らから引き剥がし、少し背伸びした私は、ルナの耳元に口を寄せた。
「もしかしてと思うけど、追い払うつもりだったとか言わないわよね?!」
「そのつもりだったぞ、ご主人」
ほら! だと思った!
ルナは、調合を優先させるために、雑談目的の者たちを全て追い払うつもりだったらしい。
「いくらなんでも不敬よ」
「身分制度とは面倒だな。私たち精霊よりもタブーが多すぎる」
この様子だと敬語や尊敬語すらも忘れていそうである。
二人が奥の席へと着席しようとしているのを眺めようとして、ちらりと視界の端で見えてしまった。
で、殿下の顔が険しいのは、気の所為よね?
私の顔から血の気が引いた。
監督不行届だ。主である私が教育すべき案件だったのかもしれない。
先程までの生徒は気を悪くしなかったから良いものの、高位の貴族の場合、非常にまずいということに今さら気付く。
「に、睨みつけたりしていないわよね?」
「煩わしいなとは思ったから、顔に出ていた可能性はある」
「ええ!?」
ルナの白衣をぎゅっと握りつつ、ずいっと迫り、窘める声を潜めながら、これだけ要求しておく。
「もう、全ての人に敬語や丁寧語でお願い。生徒だろうが誰だろうが!」
最初からそう頼んでおけば良かったのだ。
「わ、分かった」
美麗な顔を戸惑わせているルナは心做しか幼く見えた。
「む……。悔しいことに顔が良い……」
「そうだろう?」
そしてこのドヤ顔である。狼の姿の時から美声だとは思っていたが、人間の姿になるとその美声も相まってすごくモテそうだ。
「あと、笑顔もお願いね」
「む……笑顔か」
「こういう感じでお願い」
お手本のように私は穏やかな微笑みを浮かべてみる。
「なるほど。正面から見ると、そなたは可愛いな」
ルナの真っ直ぐな言葉は他意はないのだろうが、そんな言葉を向けられると照れてしまう。
私は照れを誤魔化すように笑う。
瞬間、ガタンと音を立てて誰かが立ち上がった音。
「え?」
「ん?」
音の方向に私とルナが目を向けると、ちょうどフェリクス殿下がこちらに複雑そうな表情で向かってくるところだった。
「あ、殿下。お待たせしてしまって──」
少しでも待たせてしまったことを申し訳なく思いながら、応対しようとした。
「レイラ嬢。ちょっと来て」
「殿下? え?」
私の腕を殿下にしては珍しく、ぞんざいに掴んだ。
「少し、話したい。そこの君、彼女を借りるよ」
「ああ、分かった──です」
無愛想に頷いた後に、取って付けたように『です』を付けるルナ。
不自然だが、とりあえず改善する気はあるらしい。
「ええ? これは一体?」
「良いから来て」
「……はい」
じろりと睨まれてしまった。フェリクス殿下に。今まで睨みつけられたことなどなかったので、怯んでしまう。
先程から、声も普段より冷えているような?
ガチャリと乱暴にドアを開けられ、パタンと医務室の外に連れ去られる瞬間、来客用ソファに座っていたハロルド様が何かを呟いた気がした。
「これが修羅場か」




