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私の医務室勤務再開の日の早朝。色々あって、あれから二日後になってしまった。
「さすがに冷えるわね」
窓の外を見ると薄らと明るくなっている時刻で、若干冷えるので、部屋の温度を魔術具で調整した。
温度管理の魔術具の発明には叔父様が大きく貢献しているのだ。
「それにしても大変なことになっていたのね……」
学園では私のことが大きく話題になっていた。
生徒たちが殺到してしまうということで、落ち着くまで最短で二日かかったのだ。
二日間の怒涛の接客に、叔父様は医務室の奥の個室で白目を向いて倒れてしまった。
『人類は……皆、敵である……』
そう呟いて。
非常に申し訳ないことをしてしまった。
叔父様、ただでさえ接客苦手なのに、私のせいでとんだ騒ぎに……。
たくさん迷惑をかけてしまった。
『言っておくが、ご主人。そなたの叔父は接客をほとんど私に押し付けていたぞ。まあ、以前より多少はするようになったと思うが』
「……」
前言撤回。
以前って、セルフサービス医務室時代と比べる時点でおかしい。
そう。私が出れない分、ルナが人間姿に変身して助っ人として医務室に立っていてくれたのだ。
敬語が話せないのは異国人だからで、魔力の腕を買われて雇われているといういつもの設定で。
「人に酔ったのね……叔父様」
『私はあまりあの叔父の戦力に期待していない。大人しく薬を作っていたのだからそれで良いだろうと思った』
うわあ……。接客に関しては戦力外通告されている叔父様って。
叔父様を少しでも休ませるために必要な分の薬は私が朝から作っておこうと思っていたのに。
まあ、せっかく来たから準備するけれども。
下ごしらえの作業から、実際の調合の作業を行い、一通り終えた頃、時計を見る。
「あまり時間が経っていないような……?」
『そなたの魔力量が飛躍的に増えたせいで作業効率が上がったのだろう』
ルナは相変わらず白銀の姿をしている。
今回の薬の調合分に使った魔力はどれぐらい使われたのだろうか?
まだ黒の狼に戻らないということは、私の魔力はまだまだ余裕がある?
『ご主人、今の時期にまた闇の魔力に戻るのは得策ではないぞ。また騒がれる。いらぬ憶測も立てられる』
「そうね。あまり魔術は使わないようにしないと」
『王太子にまた魔力を提供してもらえば良い』
「えっ……!?」
思わず顔が赤くなる私を見てもルナは相変わらず平然としている。
『あの男なら快く協力してくれるだろう』
「もっ……もう! ルナ! そういうことを言うのはやめてって……!」
ルナは首をコテン、と傾げた。
「何を照れている? 魔力供給をすれば良いと言っただけで、交尾をすれば良いと言った訳ではないぞ? そちらの方が効率的ではあるが」
「なっ……! あっ、あう……」
確かにいかがわしいことをしろとは一言も言ってなかった!!
フェリクス殿下なら指先から魔力を送ってくれることも出来たのに。
ルナは純粋な意味で言ってくれたのに、私がいやらしい方向に曲解を!!
どうしてそっち方向に思考が行ってしまうの! 私の馬鹿! 変態!! 頭の中がピンク色!!
完全に色欲に塗れているわ!
これでは、穢れた思考を持ち、爛れた性生活を望むふしだらな女だ!
内心では自らに罵詈雑言を叩きつけ、私はその場に崩れ落ちた。
「どうしよう……私、えっちな子になってしまったわ……まだ十五歳なのに……。あっ、でも精神年齢はもっと上だから……問題ない? そうよね……? そうと言って、ルナ!」
『落ち着け、ご主人。そなたの年頃なら、多少頭の中が春色になったところで誰も責めなどしない──』
「いやぁあああ! 言わないで!」
自分が自分に耐えられない!!
言葉にならずに悶えながら「ああ……」とか「うう……」とか唸っていれば、ルナがトントンと私の膝を肉球で叩いた。
『こんな朝から、お出ましだぞ』
「……?」
蹲っていた私はそっと顔を上げて。
医務室の扉がコンコンとノックされる。
「え? あ、開いています……?」
『何故、疑問形』
あっさりと開かれた扉。そこから姿を表したその人を見て卒倒しそうになった。
嘘! なんで? どうして?! 何故!? このタイミングで!?
「で、殿下!!」
まるで図ったように現れるこのタイミング。神がかっているとしか思えない。
運命は私を虐めたいのだろうか?
「レイラ? どうしたの!?」
座り込んでいた私に駆け寄ってきたフェリクス殿下は慌てて私の顔を覗き込む。
「……!」
ぼんっと私の顔は真っ赤になった。
ほんとになんで!?
「顔が赤い。でも風邪……ではなさそうだけど」
コツンと額を重ねられて、私の体は完全に硬直した。
至近距離で分かる睫毛の長さとか、彼から良い香りがするとか、どうでも良いことばかりが頭の中に浮かんでは消えていく。
とにかく脳内は混沌としていた。
「なっ……なんで殿下がここに」
「私? 早朝から執務を始めて、キリがいいところで終えて学園に来たら、医務室に明かりがついていたから、つい」
額を離されて、見つめる視線は相変わらず甘い。
ちなみに、フェリクス殿下はサラッと嘘をついた。
フェリクス殿下は確か、朝方というか夜中三時くらいに部屋を出ていったはず。
普通に外は暗かった。
起こさないように気をつけてくれていたが、私はほんの少しだけ眠りから覚めていた。
時間を確認して、ぱたりと二度寝したのである。
「本当に朝方ですか?」
ジトリと眺めれば、すいっと視線を逸らされた。
完全に黒である。
「フェリクス殿下。日頃から睡眠時間の大切さを」
「まあ、私のことは良いんだよ。それよりレイラのことだ。なんだか様子がおかしい方が気になるなあ」
「ううっ……」
はしたないことが脳裏を過り、悶絶していましたとか言えない。
何も言えなくなった私に、話が進まないと思ったのか、ルナが人間の姿へと変身した。
「光の魔力の維持のため、魔力供給の話をしていたのだ」
ああああ! 何で言っちゃうの!
私が変態なことなんて気付きたくなかったのに。ますます縮こまっていた私だったけれど。
「ああ、ルナの赤裸々発言で、こうなっちゃったのかな?確かに魔力供給を手っ取り早く行うにはそういうことをした方が早いけど」
なんか、勝手に納得してくれた……。
事実とは少し違うが、ルナは何も言わない。否定も肯定もしない。
「突然闇の魔力に戻ったら、それはそれで問題だからね。近々言おうと思っていたことだから、ちょうど良かった」
もう、そういうことにしよう。うん。
恥ずかしいことをわざわざ言うのは私の精神が死ぬ……。
ごめんなさい。フェリクス殿下、私は少しだけ大人になりました……。
「ルナ。あまりレイラを虐めたら駄目だよ。レイラは恥ずかしがり屋なんだから」
「心得た。魔力供給は頼んだぞ」
苦笑するフェリクス殿下に、とんでもないことを言ってすぐさま狼の姿に戻ると、医務室をさっさと出ていった。
二人きりにされた!?
フェリクス殿下は少し躊躇いがちだったけれど、しゃがみん込んでいた私に覆い被さる。
指先で唇をぷにぷにと触れてから、私のおとがいを軽く掴んで固定する。
軽く顔を傾けた彼の唇が私の唇へと柔らかく覆い被さる。
「っ……ん、ぅ……」
緊張から吐息が漏れてしまうのを、ゆっくりと塞がれ、それから唇越しにゆっくりと魔力が流れ込んでくる。
ちょうど、先程使った分の魔力が補填された頃、ちょうど数十秒間くらい経ってから、彼の唇はゆっくりと離れていく。
「あっ……」
「どうしたの? ……もしかして嫌だった……とか?」
フェリクス殿下の表情が不安そうなものに変わった。
「いえ、そうではなく……!」
すぐに否定すると、彼はホッと胸を撫で下ろしている。
「嫌じゃないなら良いんだけど」
「……」
気付いてしまった。
最近のキスが優しすぎることに。
吐息ごと奪うような激しいキスはされないし、舌を絡め合わせるような官能的なものもない。
ひたすらに私を気遣うような触れ方をずっとされている。
以前の満月の狂気の副作用から、フェリクス殿下はどこか遠慮がちで。
遠慮しなくても良いのだと、触れても私は壊れないからと、そういったことを伝えるのは、やはりふしだらなのだろうか?
「……」
「レイラ?」
座り込んでいた私が、その場から立ち上がろうとすると、フェリクス殿下が手を貸してくれた。
「……レイラ? 大丈夫」
心配そうに声をかけられ、肩を掴まれる。
そして、この時、私は自覚する。
私、フェリクス殿下に遠慮しされたり躊躇されたくなかったんだ……。
気遣うことと躊躇することは、よく似ていた。
だけど、それは似ているようで別物なのだ。
だから……。
「レイラ?」
「あの……フェリクス殿下」
「うん?」
優しい眼差しの大好きな人。
知る前ならそれで良かった。
だけど、私はその熱を知ってしまった後だったのだ。
だからもう戻れない。
「あの……フェリクス殿下。私に……触れてくれませんか?もっと……ずっと深いところまで」
甘やかな熱と激情が欲しくて堪らない。
自分が言葉に出来ない不安に苛まれていることに気付いてしまった。
以前と触れ合いが変わってしまっただけで、こんなにも不安になるなんて思わなかった。
ああ。私は、もう既に彼の言うような純粋無垢ではない。




