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ルナはニールという名の騎士の後を音もなくついて行く。
狼の視界なので、下から見上げるようになっている。
スタスタと歩いていく騎士は、行き先が分かっているのか、扉をバタンと開けては、壁をコツンコツンと叩いたり、家具を動かしたりした後、すぐに去り、次の部屋へと向かっていく。
ルナはその騎士の背中をじっと見つめている。
『どうやら隠し部屋か何かを探しているらしいぞ』
ルナの声が頭の中に響いてくる。
「そうね。きっとフェリクス殿下が当たりをつけていたんでしょうね」
自分が居る部屋に、自分の声が響き渡った。
最近では意識して魔術による念話などを使わなくても、ルナと私は自然に会話が出来る。
私とルナの感覚的な繋がりが深まったのか、距離が遠くとも、傍に居るような感覚なのだ。
目を開けていると、部屋の景色とルナの視界が混ざるので、そっと目蓋を閉じる。
ニール様が流れ作業かやっつけ仕事のように次から次へと部屋を確認していく。
それにしても本業の騎士の足さばきは華麗というか、無駄がないというか。
普段から鍛えている分、いつでも攻撃態勢に移れるような使い方をしている。
貴族令嬢のしとやかな足さばきとは、また違うなあ……。
「歩き方の訓練を取り入れるのもありかも……」
『ご主人、見るべきところが違うような気がするのだが?』
「はっ!」
危うく脱線するところだった。
私は頭を軽く振ると気を引きしめた。
そして、ニール様がある書斎に入り、確認作業をしていた時、彼はなんとなく本棚にある本を一冊抜き取った。
コンコンコン、と手の甲で棚の奥を叩き、その音に何か違和感を持ったらしい。
「……!」
驚愕に息を漏らした彼は、本棚の棚の本を片っ端から抜き出して、床に置いていった。
そして、ある本を抜き出した時、本棚の奥に、見つけたのだ。
棚と同系色のボタンのような突起。
明らかに怪しいそれをニール様が躊躇いもなく押した。
カチャン、と鍵が開く音を聞いた。
戸惑っていたニール様だったが、本棚を少しズラしていけば、扉が出現した。明らかに怪しいそのボタンを押すことによって本棚をズラすことが出来るようになっているらしい。
そして、その扉をニール様は隙間だけ開けて──。
すぐに扉をそっと閉めた。
「ええ!? 何で、閉めちゃうの!? 見えなかったわ!」
『落ち着け、ご主人。今日の任務は公爵の悪事の発見だろう?まだ機は熟してないのだぞ』
「そ、そうだったわね……」
ニール様は隙間から手を差し込み、記録魔具で中の様子を記録しながら、ポツリと呟いた。
「すぐのところに出しているということは、近々使われる予定だったのか……理不尽な」
なんとも意味深なことを。
それをルナ越しの視界でしか見られないことのもどかしさ。
「何を出しているって!? 固有名詞を! 出して!」
『落ち着け、ご主人。もう扉は閉められてしまった。いずれ王太子の方から何かあるだろう』
「そうなんだけど! そうなんだけどー……」
目の前で『ハッ! これは!』とかをやられると気になって仕方ないのだ。
いやいや、我慢はするけれども。
『どうどう』
狼に『どうどう』される私って……?
コホン、と咳払いを一つ。
ちょっと冷静になった私は努めて平静な声を出した。
さも最初から冷静だったと言わんばかりの声を意識して、ちょっとキリッとさせてみる。
「ルナ、撤収よ。屋敷の中を軽く見回って終わりにしましょう」
『ご主人、今更すぎるぞ』
突っ込みは聞かなかったことにして、ルナが周囲を見回っていると、どうやら犯人はあっさり捕まったようだった。
それから屋敷に仕掛けたものを探すということで、ニール様もちゃっかり合流しており、やはり最初のうちに任務を分けたのは正解だったと見える。
『おそらく、公爵家の使用人は王太子に気を取られて、不審な動きをする騎士の存在には気付かなかったのだろう』
「そうね。まさかそんな重大任務が一人で行われるなんて思わないものね」
少数ならではの利点を活かした仕事ぶりだった。
フェリクス殿下とニール様が最初から当たりを付けていたことも大きい。
ルナがフェリクス殿下の足元へとトコトコと歩いていく。
どうやら犯人が縛られ転がされているところのようだ。
騎士たちに囲まれ、見下ろされている。
彼はルナが視界に入ると、僅かに頬を緩めて、さりげなく犯人が見えるように体をズラす。
「あの男が悪いんだ!! 働きに出たお姉が!! 消息不明なんておかしいだろ!! あいつが何かやったに違いないんだ!!」
フェリクス殿下は喚く犯人の男を見定めるように見下ろしている。
「……情状酌量の余地がある可能性も加味して、無傷で捕らえて、地下に運べ」
「承知しました」
サッと犯人の両腕を抱えるように騎士が挟み込み、見張りとして犯人の後ろにも騎士が配置される。
「……公爵本人への連絡やその辺の処理や偽装工作は任せてくれ。手伝いに、誰か二人来てくれるかな?そこの君たちに頼もうかな」
フェリクス殿下は次から次へと指示を飛ばしているが、ちょっと待って。
『偽装工作とは何なのだろうか』
「普通に連絡だけではないってことかしら。公爵本人に怪しまれないように偶然を装うことが求められるから……」
『人間社会は面倒だな』
それは、ごもっとも。
一通りの手配が済んだ頃、フェリクス殿下がルナと連れ立って帰ってきた。
夜の帳が下りていて、窓の外は暗い。遠くからカーニバルの夜特有の陽気な騒ぎ声が聞こえていた。
「お帰りなさい!」
ソファに座っていた私が駆け寄ろうと立ち上がると、ルナがトコトコと少々早足で向かってきて、私の足元に控えた。
「ありがとう、ルナ」
『お易い御用だ』
ルナの白銀の毛をもふもふと撫でる。
「フェリクス殿下! 心配していたのですよ!」
「ふふ、と言いつつも全部見てたから知ってるよね?」
苦笑しつつも、仕方ないなあと言わんばかりの優しげな視線に私の頬は少しだけ熱くなる。
フェリクス殿下のそういうさり気ない視線に私は弱い。
同い歳とは思えない包容力を感じる。
「バレてましたか」
「どう見ても隠すつもりなかったよね、レイラ」
フェリクス殿下は私の肩をそっと引き寄せると、ぎゅうっと抱き締めながら肩口に顔を埋めてきた。
「……!?」
「レイラの香りがする」
「突然、何をしてっ……」
「ちょっと疲れただけ……。他人の善意を利用するのも、他人の必死な想いを利用するのも、ね」
何を言っているのか分からなかったが、フェリクス殿下は私に何か言葉をかけてもらいたい訳ではないようだった。
こちらから何かを聞くのではなくて、この場合の正解は……。
「あの……寂しかったので、しばらくくっ付いていても良いですか?」
「ふふ、レイラが珍しく甘えん坊だ」
からかうような口調の割には、彼は心から嬉しそうに笑っている。
彼は、私を閉じ込める腕に僅かに力を込めた。
私もそのまま身を委ねて、頬を擦り寄せた。
祭りが、終わる。
明日からは日常が始まるはずだけれど、私の日常は今までとは大きく変わるに違いない。
新しい毎日が始まるのだ。
おそらく、一筋縄でいかないことばかりだ。
だけど、今だけ。今だけはただ温もりを感じていよう。




