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拗ねるようなフェリクス殿下の様子を見て、呆気に取られたのは私だけではなかったらしい。
「へえ、あんたでもそういう顔するんだ……意外」
「私のことを何だと思ってるんだか」
やれやれと肩を竦めている。
とりあえず、すすす……と距離を取っていたのだけど、見事に見逃されなかった。
「私のことを名前で呼んで欲しいなあ。貴女のことを友人だと思っていたのだけど、一方通行だと少し悲しいかも? なんなら、貴女のこと、これからレイラって呼ぶから」
「私のことは好きにお呼びください。……私ごときが殿下のお名前を口にするのは少々図々しいかと思います。他の生徒さん方への示しがつきませんし。一応、これでも助手として働いている身の上ですので」
よし。言い切った! まともなことを言っていると思うんだけど。
「そう。それ、すごく気になっていたんだよ。私ごときがと言うけど、貴女は伯爵令嬢。おまけに今度、ヴィヴィアンヌ伯爵は侯爵の爵位を賜るとか聞いたけど。貴女の父上は商会で活躍されているし、財務大臣として多くの者から慕われてる。そんな伯爵の娘であるレイラは、王族との結婚を望まれてもおかしくないのに」
「……」
私はただニッコリと笑顔で居ることしか出来なかった。
内心ガクガクブルブルと震えていると言っても良い。
伯爵令嬢のレイラがゲームの中でフェリクス殿下と婚約出来た理由がまさにそれであった。
「政治的バランスも申し分ないというか。中立派でどことも癒着していない時点で最有力候補だよ。むしろ婚約──」
「殿下! 私は! もう既にここで働いている身の上ですし、社交もあまり出ておりませんので!」
あああああああ!
何を言おうとしているのか!やめてくれ!
『ご主人、落ち着け。手がものすごく震えているぞ』
手元の瓶が揺れてガチャガチャと音を立てている。
「社交? レイラは礼儀作法の授業を歴代最高点で卒業したとか聞いたのだけど。それに我が国の歴史、政治、経済全て完璧だったらしいと聞いたよ」
そりゃあ、引きこもって死ぬ気で勉強していれば、そうなるでしょうよ。
子どもの脳みそを舐めないで欲しい。ぐんぐんと吸収していった。
『ご主人は、すぺっくとやらが高いのだな。だが、引き籠もり』
ルナの一言にグサリとクリティカルヒットを受けつつ、私は思い直す。
そうよ。私は、そもそも社交的な性格をしていないのだから。華やかな性格をしている訳でもないし、こういう特殊な立ち位置でなければ友だちも出来なかったはずだもの。
「必死だな、王子」
「悪かったな」
ノエル様とフェリクス殿下の気心知れたような男の友情に心をときめかしつつ、さて一体どうしたものかと懊悩してしまう。
「というか、レイラ。お前、名前ぐらい呼べば良いだろ。王子公認なら問題ないだろう。それで、僕も呼び捨てろ!」
「ひぇっ! 嫌です! どうか、一線を引かせてください!」
悲鳴のような私の声に何を思ったのか、くつくつと笑うノエル様。
逃げ場がなくなっていくのを感じていたところ、救いは現れる。
「フェリクス様! それにノエルくん! こんなところに居たの!」
彼女は見事に都合の良い瞬間に来てくれた。
我らがヒロインリーリエ様である。
「リーリエ嬢。私たちのことは気にしなくて良いのに。ハロルドたちは向こうに居るだろう?」
「皆で一緒に居た方が賑やかで楽しそうじゃない? フェリクス様が居ないと寂しいよ。ノエルくんも一人で居るよりも皆と一緒に居ようよ。私たち、縁があって仲間になったんだから」
「いや、僕は仲間とか興味無いし。必要な時は守るんだから良いだろ。僕に構うな」
ノエル様はツン成分が多すぎる。
そこにデレがあるのか、本当にツンだけしかないのか。
虫でも追い払うようにリーリエ様を手で追い払って邪険にする。
「私、知ってるよ。そうやって言ってても、ノエルくんは私を守ってくれるって。そんな優しいノエルくんのこと、私はもっと知りたいと思う。まずは一緒に居るところから始めようよ」
まるで聖女の微笑みのごとく、満面の笑みを浮かべるリーリエ様は、少しだけ照れていた。
ノエル様の一言に屈しないのはすごいなあと純粋に思う。
そうそう。こうやってリーリエ様の笑顔に絆されて、この後ツンデレを発揮して……。
「命令だからな。それ以外に理由はない」
あれ?
「守れと言われたから守る。それだけだ」
おかしい。何故、ノエル様は顔を赤らめていないのか、声が無機質なのか。
ゲームと一言一句、台詞は同じなのに、彼の台詞には熱がなかった。
ええ……。前世の記憶の中では、ノエル様は顔を真っ赤にしながら「命令だからな!」って言っていて、典型的ツンデレ台詞を披露してくれなかったっけ?
おまけに有象無象を見るような冷たい緋色の瞳。
正直、彼の「関わるな」がここまで怖いとは。
「そ、そこまで酷くしなくても良いのに……。私はただノエルくんと仲良くしたいの。ニコニコ笑い合えたらって思って……ううっ……」
リーリエ様が目をうるうるとさせて……。
ちょっ。泣かした!?
大きな涙の雫をボロボロと零し始め、私もこの場から去りにくくなった。
『貴族令嬢がここまで感情顕わにしても良いのか? ご主人ならこうはなるまいに』
いやいや。私の精神年齢は一応、社会人並みな訳で。私と比べちゃ駄目だって。
前世では就職もして、自立して一人暮らしを始めて、立派な社会人として働いていたし、子ども時代に散々迷惑をかけてしまっていた両親に毎月仕送りを送るぐらいには生活も安定していた。親孝行はし足りなかったけど。
両親と海外旅行に行くために貯金していて、後もう少しというところで、事故に遭って死んだせいで。
「ああ、もう。ノエル、女の子相手に言い方は考えて。……リーリエ嬢。とりあえず向こうに戻ろう。……はぁ、ノエルの口が悪いことは周知のことだから気にしないように」
殿下が涙を零すリーリエ様の肩を抱いて連れていこうとする。
「でも! っひっく! ……レイラさんとは普通に話してた!」
待って。何で私巻き込まれた。というかいつから見てたの。
『あー……』
面倒そうなルナの声。
胃の辺りがチクチクする私。
リーリエ様の顰蹙を買うのは嫌だ。
明らかに破滅フラグっぽいではないか。
何か言い逃れ……とか考えていたら、頭の中に何かがピン!と閃いた。
名案すぎる。
「リーリエ様。これは、商談です。商人と商人の秘密の取引。契約です。下世話な話、お金儲けの話をさせていただいています。決して、趣味の話でもなければ何でもなく、対等な関係の上に成り立つ取引! そう! 錬金術で言う等価交換!」
「え?」
リーリエ様が唖然としたように目を見開いた。
「仲が良く見えるのも当然! 私たちはお金で結ばれた仲なのですから! 金の切れ目が縁の切れ目なのです」
「無茶ぶりすぎ──」
何か言おうとするノエル様に視線で「お願いだから黙れ」と威圧すると彼は黙った。
視界の隅で何故か殿下が肩を震わせている。
爆笑していらっしゃる……。
「レイラさんは、お金に困っているの?」
貴族なのに……?と言いたげな視線に、私は人差し指を立てる。
「薬の素材はお金がかかるか、手間がかかるか、そのどちらかなのです。例えばですけれど、月花草などある一定の条件下でしか咲かない花などは、採取に手間取るのです。その分、仕入れ価格は高額。その分、万能だったりするのですが」
そう。あの時、ケチらずに採取なんて行かなければと、私は遠い目になった。
「そうなの。それでレイラさんは……」
「ええ。私はこれでも助手ですからね。研究のための採取の時間が取れない場合、購入するしかないので、お金があるならあった方が良いのです。そして、私はこの年でしょう? 年が近いおかげで生徒相手に取引を持ちかけたとしても、なんとなく許されそうな気がしましたので、つい」
とりあえず打算しかないですよーと言わんばかりの説明にリーリエ様は納得したらしい。
すっかり泣き止んだ彼女は私に向き直ると、胸の前で手を組んで、うるうるの瞳で私を見つめる。
「お金だけの関係性なんて……。そんなのノエルくんが可哀想だよ。レイラさん。友情はお金で買えないよ? レイラさんも友だちが出来ると良いね」
「……ごもっともです」
何故だろう。汚い大人になってしまった気がしてならない。
良いもん。良いもん。友だちくらい居るもん……。
と、思い返し、引きこもっていたせいで、同じ年代の友だちが居ないことに気が付いた。
なんたること……。
『ご主人、ご主人。そなたには私が居るぞ』
どうしよう。ルナに同情されてしまった。
とりあえずニッコリ笑って二人を見送っていれば、殿下が振り向いた。
ん?なんて?
口パクで『あとで』と言っているようだった。
二人が遠くまで行った後、肩をトントンと叩かれる。
「例の魔法薬。言い値で買うぞ」
「え? 本気ですか?」
完全に出たとこ勝負の口からデマカセだったのに。
何やら、楽しそうな笑顔のノエル様。
この人こんな顔出来るんだ……。
「まさか、咄嗟にあそこまでハッタリをかます奴が居るとはな。巻き込まれたくないと顔に書いてあって少し面白かった」
私は笑い事ではない。
ヒロインに睨まれたら私は破滅してしまいそうだから。
「まあ、これからは取り引き相手になるからな。さっきみたいな面倒なことがあったら僕が取り成してやっても良い。……か、勘違いするなよ!? お前との取り引きは都合が良いし、お前に問題が起こったら便利な魔法薬が買えなくなったら不都合だと思ったからであって、別にお前を煩わしさから守ってやろうとか思っている訳ではないし、僕はそこまで優しい人間ではないからな!? ……そう、気まぐれだ!」
「あら。私の作った薬を、便利と仰ってくれるのですね?」
「こ、言葉の綾だ! 授業が忙しい僕の時間を確保するためだ!」
『こいつ、分かりやすいな』
ルナは今日も鼻先をフンフンと出して、ノエル様をそう評した。
ノエル様が薬を調合しているのは、彼の家の領地で行われる魔術訓練に使う魔法薬のためらしく、実は学園に来てから自由時間が失われ困っていたところに私の提案。
それはもう渡りに船だったらしい。
どうも、ノエル様レベルの魔法薬を作るものが見つからなかったらしい。
私以上に叔父様の方が調合技術があるのだけれど、叔父様を煩わせるのは気が引けたらしい。
まあ、叔父様にしか出来ない仕事あるものね……。
「今度の実技演習のために魔法薬を大量に調合するので、その時に納品するものも調合させていただきますね」
「ああ。訓練用魔獣を倒すというアレか」
「ええ。一年生はそろそろでしょう?」
一年生にとって、初めての戦闘訓練が近々始まるのだ。
この時の私は思ってもみなかった。
医療担当としてその場に顔を出すだけだと、たかを括っていた私が、まさかその演習で実技をする羽目になるなんて。
それも一年生全員の前で、初っ端に行うとは。
そう。リーリエ様のこの一言だ。
「私、怖いです……! どうして戦わなければならないの?誰かを傷付けるための訓練なんてしたくない!」
ゲーム上ではこの台詞を聞いた者たちは、「さすが光の魔力を持つ者。たとえ模擬であろうと争いを厭うのか」と賞賛される。
そしてその上で自らの恐怖に打ち勝ち、リーリエ様は訓練用の魔獣を倒し、攻略対象と絆を深めるのだ。
ただ、今回、私というイレギュラーのせいで大幅に崩れることになってしまったのである。




