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「……大丈夫かしら。あの二人」

 フェリクス殿下とクリムゾンが別室へと何かの話をしに出ていってから、落ち着かない。

 あの二人はとにかく仲が悪く、水と油のようである。

 時間が経過すればする程、そわそわしてしまう。

『問題ないだろう。ご主人に迷惑をかけるからという理由で自重するのではないか?』

 白銀の狼姿に戻ったルナが気にすることでもないと言わんばかりに大型犬用ベッドでくつろぎ始めた。

 私は未だに肝が冷えるというのに、ルナは些末なことだと言わんばかりに全く動じていなかった。

 私もベッドに腰掛けると、そのままクッションを抱き抱える。

 それにしても……。

「いつも通りに寛いではいるけど、いつもは黒かったから、何だか変な感じ」

『私も今回ばかりは驚いたぞ。光の精霊は上位精霊のみかと思っていたからな』

 ルナが説明してくれた話によれば、中級精霊には闇の精霊がいるが、上位精霊には闇の精霊は居らず、代わりに光の精霊が居るらしい。

『光の精霊が闇の精霊の上位互換だとは私もさすがに知らなかったぞ。思えば、上位精霊は魔力量も桁外れ。魔力が多いのだから、光の精霊しか居ないというのも道理だ。あの小娘の契約精霊は突然変異かと思っていたが、己の主に影響されていただけだったのだな』

「リーリエ様の精霊のこと?」

『そうだ。中級精霊の中に光の精霊が居るのも珍しいものだと思ってはいたのだ。気配もモニョっとしていたことだしな。あまり詮索するつもりはなかったが』

 そういえば、光と闇は特に相性が悪いと言っていた。

 ルナはよく光の精霊を避けていたような気がする。

「そういえば、あの光の精霊は私を知っているようだったぞ。小娘と契約前、あの者が闇の精霊だった頃にでも会ったのだろうか? 今まで光の精霊に会った記憶はないのだ」


 その時、扉の方からカシカシと何かを引っ掻くような音が聞こえた。

 爪で固いものを軽く引っ掻くような音と、聞き慣れた声。

『レディ。白銀殿。ここを開けてくださいませんか?』

「アビス?」

 フェリクス殿下たちのところに居るのかと思っていたアビスだったが、どうやら別行動らしい。

 この部屋には魔術を施されているので、扉を開けてもアビスは入っては来ず、大人しくお座りしていた。

「もしかして、私が一人の時に伝えられるという伝言かしら?」

『どう考えてもレディが一人で居る時間が思いつかず、急遽予定変更です。これはもう、我が主に時間稼ぎをしてもらうしかないと思いましてね』

『さもありなん』

 そういえば、この王城に来てから一人で居ることはなくなった気がする。

 基本的には誰かの目のあるところで行動するし、唯一のプライベートルームでも、フェリクス殿下の部屋の中なので、アビスも入れない。

 強引に入ろうとすれば、術式に侵入者と認識されるだろう。

『レディ。騎士がトイレ休憩から戻ってくるまで二分。この間に、ワタクシの言ったことを書き留めて頂けませんか?』

 どうやら万全を期して、クリムゾンの口から伝えることを避けた結果らしい。

 先程話していた時、一緒に伝えれば良かったのではないかと思うが、あの一瞬だと聞き逃す可能性もあったし、彼の立場上、フェリクス殿下に直接伝えるような内容ではなかったのかもしれない。というよりも、むしろ……。

 そうなるとアビスから伝えることになる訳で、その結果、フェリクス殿下の目を避ける羽目になったと。

 もしかしたら、クリムゾンは精霊の目の噂を聞いているのかもしれない。だから慎重にアビスを見られないようにと行動している。

 そして、アビスの口からひたすら数字を伝えられたので書き留めると、そこには無機質な数字の羅列。しかもけっこう長い。

 え? 何これ? 私には何だか分からない。

 戸惑いながらメモ用紙を穴が開くほど見つめるけれど、本当に何も分からない。

『そのメモはあの王太子に見せても良いという主からの伝言付きです。……さて、我が主はこの間、ひたすら喧嘩を売って時間稼ぎをしてくれていたようですね。どうやら本題を語り終えた後は、いつものように言い合いをしていたようです。最後の方は子どもの喧嘩ですね』

『何をやっておるのだ、あの者たちは』

『それでは、ワタクシはこの辺で失礼』

 アビスが消えてから数十秒後くらいに騎士たちが戻ってきたので、私も慌てて部屋の中に戻った。

「一体、何だったのかしら」

『さあ、よく分からぬ。慌ただしい主従だな』

 突然現れて突然去るところは、二人本当にそっくりだ。

 それからしばらくして、フェリクス殿下が部屋に戻ってきたけれど。

「ただいま、レイラ」

 えっと、あの。クリムゾン? 普段の言い合いに加えて時間稼ぎで更に喧嘩を売ってたようだけど、殿下に何を言ったの?

『笑顔だが隠しきれない苛立ち。ピリピリしすぎて王太子の周りの温度が冷え冷えしているぞ。物理的に』

「……殿下?」

「レイラ。私はレイラのためなら女装だって出来るから」

『どんな言い合いをしてきたのだ、この者たちは』

 それからフェリクス殿下は、ベッドの上に居た私を腕の中に閉じ込めると、頬に唇を寄せて「早く結婚したい……」と呟いた。

 本当になんなの?!

 落ち着くように背中を撫でてみると、「レイラが私の背中を撫でて慰めようとしてくれるなんて、これは正しく愛だ」とか言い出して、唐突に首筋にも軽く唇を這わせてきた。

『この短い間に何があったのか分からぬが、煽るだけ煽られたことだけは分かった』

 フェリクス殿下とクリムゾンは、まさしく混ぜるな危険という指定薬物みたいな関係性だと思う。

 とりあえず切り替えるためにも、先程メモをした数字を見せることにする。

「フェリクス殿下。先程、ブレイン様に──ひゃあ!」

「レイラの艶やかで薄紅色の可憐な唇と、鈴を転がしたような耳触りが良く美しい声音で、あの男の名前など聞きたくなかった……」

 一瞬、何故か目が虚ろになって、目のハイライトが消えた。

「フェリクス殿下?」

 名前を呼ぶと直ぐに我を取り戻したようで。

「ああ、いや。すまない……。なんでもないんだ。ちょっとあの男と話したせいで感情が波打っていて……大丈夫。一時的なものだから」

 自らを落ち着けるように腹式呼吸をしているフェリクス殿下を見守った後、彼はようやく我を取り戻した。

「レイラ。ごめんね。恥ずべき姿を見せた。もう問題ないよ。それで、ブレインがどうしたって?」

「……ああ……はい。先程得た情報なのですが」

「耳打ちされていたよね。その時のか」

 実際のところは違うのだが、そういうことにしておこう。どちらにせよ、契約魔術のせいで私にはアビスのことを伝えられないのだから。

「この数字の羅列……殿下には分かりますか?」

「これは……」

 しばらく、メモ用紙の数字を呟いたり、ひっくり返したりした後、彼は私にメモ用紙を返した。

「近々、サンチェスター公爵家に探りを入れることになると思う」

「ええと?」

「この数字の羅列。マイナーな暗号になっているんだ。全く、あの男。私がそれを知らなかったらどうするつもりなのか」

『そんなことも知らないのかと喧嘩を売り始めるような気がするのは私だけだろうか……』

 いやいや、さすがのクリムゾンも人が知らないことを笑うなんてことは……。

 いや、でも。フェリクス殿下相手だと、クリムゾンも好き勝手言うからなあ……。


「カーニバル最終日。公爵が珍しく丸一日屋敷を離れるとのことだ。確かに、これは大きな切っ掛けになるかもしれない。取っ掛りを作るための何かを……。ただ、表立って私は動けない。サンチェスター公爵は表向きは後暗いことが一切ない貴族だからね」

 それから、フェリクス殿下は何かを思いつくと、ニヤリと笑った。

『この男、何かよからぬことを思いついたとしか思えない顔をしたぞ』

「ああ……フェリクス殿下、悪い顔になってます。外に出る時は気をつけてくださいね」

「ああ、うん。気をつけるよ」

 ぱっといつもの王子スマイルに戻る。

 その早業に感心していると、フェリクス殿下は嬉しそうに私へと向き直る。

「レイラは私がどんな顔をしていても幻滅しないでいてくれて、受け入れてくれる。そんな些細なことにも愛を感じる」

「フェリクス殿下、あの……本当に何があったのです?」

 それ以上フェリクス殿下は教えてくれなかったが、とりあえず今は嬉しそうなので突っ込まないことにしよう。

 藪をつついて蛇を出すのは嫌なので。


 とにかく、クリムゾンがフェリクス殿下に直接伝えるには、はばかられる内容なのは確かだ。弱みを晒しているようなものなのだから。

 公爵の影響力はとてつもないし、一見証拠はない。

 その公爵の子息が自分の家を告発など、表立っては出来ない。

 それに……。

「この情報提供は匿名のタレコミということだ。ブレイン=サンチェスターからの情報ではなく、匿名の情報提供として扱う。王太子がマイナーな暗号をたまたま見つけてしまったんだ。そうだよね?」

「はい。それはカーニバル期間中の巡回でたまたま見つけられた数字の羅列です」

 フェリクス殿下は、クリムゾンの意思を正しく理解していた。

 これは、ブレイン=サンチェスターからの情報にはしないでくれというクリムゾンの意思表示だ。

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