161
カーニバル五日目。
フェリクス殿下にお願いして、私はこの日、公務として式典に出ることが叶った。
「レイラ。ところでルナはまだ帰ってきてないの?」
「ルナはリーリエ=ジュエルム捜索部隊の指揮の引き継ぎをしているそうです。後はノエル様が引き継ぐとのことで。ルナに何かご用事でしたか?」
「大したことではないよ。前に式典の時、レイラに上位精霊からの接触があったよね。それについて、何か話が聞けるかなって思って」
「……気になりますよね。私も思い当たることがないので気になっていて」
フェリクス殿下にエスコートされ、馬車に乗り込みながら、今までの出来事を反芻してみるけれど、特に思い至ることはない。
「精霊の湖も限られた者しか入れない。レイラが闇の精霊と契約しているから入れるのかと思ったんだけど、それだけじゃない気がする。上位精霊から接触されたあの一件、前代未聞すぎて皆驚いているんだ」
上位精霊は人には見えないし、基本的に姿を表さない。
だからなのか、先日上位精霊が姿を表した時には、普段精霊を見ることの出来ない人にも見えたらしかった。
「緊張させるつもりはないけど、心構えのためにも先に言っておく。先日の一件があったからか、今回も何か起こるのではないかと皆、期待をしているらしくて、人が集まっているんだ」
「道理でこの付近、人がたくさん集まっていると思いました」
「レイラがここに居ると知れたら騒がれると思う」
一通りの多い通り道に差し掛かったのか、馬車の中のカーテンを閉めた。全部閉める訳にはいかないので、僅かに開けている。
ただでさえ、大勢の民衆の前に出るのは緊張して胃が痛くなるというのに、私は今回のカーニバルでかなり注目されている。
「こんな時、ルナがいれば……」
いつも一緒にいる相棒の気配を感じられないだけで、ここまで違うのか。
ルナの容赦のない突っ込みやボヤキ、独り言が恋しくて仕方ない。
今更になって指先が緊張で震えて冷たくなってきた。
膝の上に置いた指先を揃えて、そわそわと姿勢を正した。
そんな時、私の隣に腰かけてきたのはフェリクス殿下だった。
私の膝の上にある手のひらを、私のより大きな手が包む。
長くスラリとした指先を手の上から絡められて、ぎゅぅっと握り締められる。
「レイラ、怖がらなくて良い。私が居るから。レイラは自然にしていれば良い」
「はい……自然に……ですね」
「よし。じゃあこうしよう。もし、レイラが何か失敗をしたとしても、私が全て責任を取ろう。王太子の身分は伊達じゃないんだ」
「殿下……」
そっと顔を上げると、ちょうど優しく微笑むところだった。
優しい眼差しを間近で注がれると、胸はきゅんと疼いてしまい、私はそっと胸元を押さえた。
「それに……」
「それに?」
フェリクス殿下が声をワントーン下げて、こんなことを言い出した。
「私以上の黒歴史はなかなか起こせないと思うんだ……。大丈夫、何かをやらかしたとしても傷は浅いはず……。うん」
「殿下……あの、それは自虐……」
フェリクス殿下は乾いた声で笑い始めて、さらに続ける。
「ほら。レイラはよく知ってると思うけど。私の場合は、可愛い自分の婚約者を……その、か、かんき─かんきん、監禁を」
「殿下! 言いたくないことは仰らなくて良いですから!!」
見る見るうちに瞳の光を失っていく殿下を私は慌てて止めた。
なんていう自虐!
私を慰めようとした結果、自らの傷口を抉って、塩を刷り込んでいるとしか思えない!
なんという自己犠牲の塊!
どよーんと影を背負いながら俯いている彼の腕をぽすぽすと軽く叩いていれば、彼はふいに顔を上げた。
あれ?
「レイラ。少しは緊張解れた?」
もしかして、私を慰めるためであって、本当に落ち込んでいる訳ではなかったの?
と思っていたら、彼は再び俯いた。
「ああ……穴があったら入りたい……。いや、穴を掘りたい。墓穴を物理的に掘りたい……」
あっ……。やっぱり現在進行形で落ち込んでいたのね。
というか、これは思い出し落ち込みってやつではないだろうか。
「レイラが私を監禁して、それで全てが解決なのでは」
なんか恐ろしいことを言い始めた。
馬車の中、沼にはまり込んだらしいフェリクス殿下を慰めていたら、教会に辿り着いていた。
フェリクス殿下のおかげで、確かに緊張が解れたかも……?
「じゃあ、行こうか。レイラ。安心して。私が貴女を守るから」
御者が馬車の扉を開けた途端、完璧な王太子スマイルが炸裂した。
「……」
何度見ても思うけど、フェリクス殿下は取り繕うのが上手すぎて、俳優か何かのように思えてくる。
フェリクス殿下はプロフェッショナルである。
フェリクス殿下に差し出された手の上に自らのそれをそっと乗せる。
馬車から降りた瞬間、歓声が私たちを包んだ。
「レイラ。貴女はただ、幸せそうに笑っていれば良い。……ちなみに、今私は最高の気分だ。大切な婚約者を自分のものだって大勢の前で見せつけることが出来るのだから」
熱烈な独占欲を伝えられて私は、頬をほんのりと赤く染めた。
俯く訳にはいかないから、顔は上げているけれど、私の顔が赤くなっていることに周りの人々が気付いてしまったらどうしよう……?
「……可愛い、レイラ。私の最愛。ふふ、貴女は私の言葉だけに恥ずかしがっていれば良いんだ。しっかり者のレイラが私の言葉だけには動揺するのを見ると酷く満たされる。貴女の心が私のものだって分かるからかな」
耳元で囁かれた言葉に脳が沸騰するかと思った。
もう、式典の緊張とかどうでも良くなるくらい、彼の言葉だけにドキドキしてしまう。
そして、そのおかげで結果としては上々だった。
長年の淑女教育の賜物か、失敗することはなかったし、隣のフェリクス殿下だけが目に入るせいで、私は式典関係は冷静沈着に対応することが出来たのだ。
あんなにも式典のことで緊張していたのに。
フェリクス殿下はここまで見越していたのだろうか?
また前と同じように水晶へと魔力を注いでいく。
一度やっているからか要領は掴めていたし、フェリクス殿下から距離を置いたことで少しだけ頭が冷える。
そして、私の魔力の色が現れて……。
え?
何が起こったのか分からなかった。
「えっ……? えっ?」
私の口からは戸惑った声が漏れ、淑女の仮面は問答無用で引き剥がされた。
動揺しきって縋るように後ろを振り返れば、驚愕に目を見開く国王夫妻の姿。
動揺を顔に出さないお二人がこんなにも感情を露わにしているのは珍しい。
夫婦は似るとは言うけども驚いた顔がそっくりだなあとか頭の中に、とりとめのない考えが浮かんでは消えていく。
「フェリクス殿下……」
瞠目し、硬直していたのはフェリクス殿下も同じだったが、私に頼りなく名を呼ばれた彼が一番に気を取り直した。
疑問符を浮かべながらも、颯爽と歩いてくる彼は、水晶がある壇上の上へと上がってきた。
「レイラ、落ち着いて」
「私、あの……その」
「平気だ。何も悪いことはない」
フェリクス殿下の声は毅然としていたが、さすがの彼も戸惑った顔で水晶を一瞥してから、私へと目を移した。
「光の魔力だ!! レイラ様が光の魔力に目覚めた!」
誰かが歓声を上げて、その熱狂につられるようにこの場に居る見物客の興奮した声が重なっていき、だんだんと騒ぎが大きくなっていく。
水晶には己の属性の色が現れるはずなのに、何故?
もう一度、水晶に視線を戻す。
「……」
やはり、現実は変わらない。
私が魔力を込めた後、水晶に現れたのは、無垢な光。
闇の色とは真逆の白く神々しい色。
眩い光に私は目を細めた。
他の色は混じらない、闇の気配すらなかった。
居合わせた貴族のお偉方が私を見る目。
絶好の獲物を見つけたと言わんばかりだと思ったのは勘違いだろうか?
ビクリと身を震わせ、怯んだ私を隠すように。フェリクス殿下が人々の視線から私を隠すようにして立ちはだかった。
憶測。歓喜。熱狂。好奇心。渇望。
一種の非日常へと強制的に招かれた人々は、その高揚感のまま、神聖な儀式の途中だということも忘れてざわめいていた。
老若男女全ての人々は、起こった奇跡を賞賛した。
私を一目見ようと押しかけようとして、騎士たちに押し留められている民衆たち。
当事者の私を取り残したような、私の時だけを止めたまま、私以外の全てが動き出して回り始めているような錯覚。
私だけがどこか別世界に迷い込んだような、その喧騒。
「レイラ、とりあえず下がろう。もう儀式はほとんど終わっているし、今、陛下の許可は取った」
「は、はい……」
フェリクス殿下が私をここから連れ出そうと肩に手を回し、緊急時にしか使わない転移魔術を発動させる。
移動する直前聞いたのは、国王陛下の「静まれ!!」という空気を震わせる程の大声だった。
転移したのは、フェリクス殿下の要塞──自室で、私はその慣れた景色に安心しきってしまい、膝から崩れ落ちた。
「レイラ!」
「あ……」
さっと支えられて、そのまま横抱きにされて、ソファへと連れていかれた。
丁寧に座らされたと思ったら、フェリクス殿下は甲斐甲斐しく飲み物まで用意してくれた。
「体に影響がある訳ではない? その……突然魔力の属性が変わった訳だし」
「むしろ絶好調です。魔力も増えているし……」
思い至ることがなくて、私は首を傾げることしか出来なかった。
「ルナは、何か知っているでしょうか」
「そうだね。精霊なら私たちが知らない新事実を知っているかも──」
『残念だが、私にもよく分からぬ。こっちも突然の属性変更が行われたからな』
「ルナ!?」
久しぶりのルナの気配に私はバッと振り返り、その姿を目に入れた瞬間、驚きすぎて持っていたコップを落としそうになった。
「……!?」
衝撃が走ると声すら出ないのだと初めて知った。
僅かに口を開いたり閉じたりしている私の代わりに、フェリクス殿下が一言。
「レイラ。精霊の属性っていうのは変わるものなの?」
「いえ……そんなの聞いたこと……」
精霊どころか人間だって、属性が変わるなんて有り得ないことだというのに。
こちらへ歩み寄ってくる狼の姿をじっと見つめる。
狼の姿をしていたルナの真っ黒い毛並みは、白銀へと変わっていた。
神々しい白銀の狼。普段のルナとの違いは、主に体毛の色。
毛艶が良く、触り心地の良さそうな白銀の毛並みになっていた。
それでもその気配や歩き方、口調は私の知るルナそのもので。
『ご主人。どうやら、私は光の精霊になったらしい』
そして、いつもよりほんの少し戸惑い気味の声で、ルナは衝撃的なことを言った。




