159
ぼちぼち更新出来たら良いなと思います。
頑張ります。
「最初に言っておくとリアムは生きている」
「良かった!」
「転移した場所が場所だから死んでいることは、まずない。ただ重症を負ったことを付け加えておく。今からすぐに様子を見に行くつもりだ」
重症という言葉を聞いて、私は目を見開いた。リアム様が重症!?
「是非、私も連れて行ってくださいませか!?」
「うん。あの場所に入れるのは私とレイラくらいだし。それにレイラが協力してくれれば、リアムもすぐに目を覚ますと思う」
「あの場所?」
「うん。レイラもよく知る場所だ」
そっと手を繋がれて、彼の魔力に包まれた瞬間、髪が風に煽られる。
「っ……!」
おそるおそる抱き込まれ、私が彼に身を任せた瞬間、ふわりとした浮遊感。
膨大な魔力が私のスカートをも揺らした瞬間、目の前が白くなり、何も見えなくなって。
甘い植物の香りに包まれて、爽やかな風が私の髪を攫った。
「っ……ここは?」
殿下に腰を抱かれ引き寄せられたまま、目をパチリと開くと。
「精霊の湖だよ。……もっとも私が勝手にそう呼んでいるだけだけどね」
「……」
そこは、フェリクス殿下と私が出会った場所だった。
「覚えている? ここで、私とレイラは出会ったんだ。この場所に、しかも夜中に綺麗な女の子が生まれたままの姿で居るから驚いたっけ。黒の狼を連れていたし」
「……あの時の私のことは忘れてくださいませんか……。黒歴史なんです」
「ああ……うん。黒歴史は可能な限り忘れたいよね……。分かる、分かるよ……」
妙に実感がこもっているのは気のせいではない。
『満月の狂気』の副作用時の出来事は、フェリクス殿下にとって唾棄すべき過去になった。
それからフェリクス殿下はふっと笑うと、これだけは言っておきたいとばかりに、こんなことを言った。
「レイラはそう言うけど、あの時の貴女はこの世の者ではないくらい美しく扇情的だったよ。……ごめん、そろそろ行こうか」
「……」
なんとなく何も言えなくなった私は俯きながら彼の導きに従った。
「レイラ。あれを見てごらん」
フェリクス殿下の指差した先には、衝撃的な光景があった。
「リアム様!? リアム様が!」
湖の中心部、リアム様が光に包み込まれながら水面に浮き上がっていた。
キラキラとした光の粒子が穏やかな陽に照らされている光景は神秘的ですらあったのに、私はリアム様が水面にぷかぷかと浮かび上がっているという事実に背筋が寒くなっていた。
走り寄ろうとする私の手首を、フェリクス殿下が優しく掴んだ。
「落ち着いて。大丈夫だよ。ここはね、そういう場所なんだ」
「そういう場所……ですか?」
「うん。精霊の湖……異界と現実の境目にあるこの場所には全ての精霊が集まるんだ。それは、上位精霊も例外じゃない。そして、この湖には治癒効果があると言われている」
辺りを見渡すフェリクス殿下には、私には見えない精霊たちの姿が見えているのだろう。
フェリクス殿下の目は、上位精霊を除く全ての精霊たちの姿を映す特別な目だ。
「だから、リアム様をここに転送したのですか」
「あの時、重症を負ったのを知って、咄嗟に転移させたんだ。ここは、精霊たちが癒されるための聖水とも言われているから、すなわち人間の体も回復させることが出来る」
私の手を掴んで、彼は湖の水面に足を踏み出した。
「……あっ、えっ?」
このまま踏み出せば、靴のまま落ちて湖の冷たさに浸されるかと思った。
冷たさを覚悟したが、その瞬間は一向に来なかった。
「……?」
浮いてる?
いや、水の上を歩いている?
雨上がりの水溜まりを踏んだ時みたいに、ぱしゃんと水が跳ねる軽やかな音。
まるで普通の道を歩いているような感触なのに、私は透き通った水面に足を乗せていた。
これは殿下の魔術?
「私は水の魔力持ちだからね。こういうのはお手の物だよ。私から手を離すと魔術が解けるから気をつけて」
慌ててきゅっと手を握ると、彼は少しだけ微笑んだ。
そうやって少しずつ移動して、湖の真ん中に辿り着くと、リアム様の様子がよく分かった……。
リアム様はしっかりと自発的に呼吸はしているようで、胸が静かに上下していたけれど、体の半分が火傷を負ったみたいに爛れていて、どこからどう見ても重症だった。
これは切断魔術で細切れにされる寸前といったところか。
規則的な切り込みが無数に入っていて、爛れているように見えるのだ。
痛々しい傷跡を診ていれば、私の手はそっとフェリクス殿下によって引っ張られた。
「切断されかかったんだ。リアムは。あの時の私も戦闘中だったから、さらなる追撃を受ける前に咄嗟にここに転送したんだ」
「最善のご判断だったと思います」
ポーチから薬草を取り出そうとして、ふと私は気付いた。
精霊が集まる特別な湖?
ならば、もしかしたら。
フェリクス殿下の繋いでくれた手にもう片方の手を寄せた私に軽く目を見張るフェリクス殿下をよそに、軽く息を吸った。
音に魔力を乗せて、祝詞を紡ぎ出せ。
ちっぽけな私からの全身全霊の祈り。
音声魔術。精霊へと捧げた歌を、精霊が聞き届けてくれることによって発動する魔術……いや、奇跡と言った方が正しい。
詠唱歌は、精霊たちに接触するために編み出された魔術の一種だが、これは私たち人間の願い……懇願に近い。
回復の願いを意味する詠唱歌を、なるべく心を込めて声に乗せる。
感情というものは声に出てしまうからだ。
少しでも早く、リアム様を回復させてください。
目を覚まして欲しい。
高音でまとまりにくい旋律の部分は、より丁寧に歌う。
尊い命は精霊たちに加護を受け、大いなる祝福をも授けられるという意味の歌。
子どもを失いそうになった母がわが子の救いのみを願って歌い、それが聞き届けられるまでの物語を意味しているらしい。
精霊へのメッセージは、短くも何度も響き渡り、母の包み込むような優しさが旋律にも現れている。
フェリクス殿下は、ぼうっと私を見詰めながらも無言のままで、呼吸を止めているみたいに微動だにしていない。
私は彼の手の温もりを感じながら集中して詠唱歌を歌い続ける。
効果は……分からない。
それを確認するだけの余裕はない。
かなり、難しいから。最も難しいと言われる治癒に関する詠唱歌の中でも、私はこれが一番好きだけれど。
『もういいぞ、人の子よ』
何かが私の肩に乗っている。
ちょこんとコウモリの姿をした闇色の精霊が、私の耳の近くで囁いていたのだ。
それだけ言うと、すぐに飛び去っていった。
ふと周りを見渡すと、闇の精霊たちが木々の間から姿を見せていた。
『あの黒狼の愛し子か。なんと愛いことだ』
『人間はやはり、良い』
『詠唱歌を聞いたのはいつぶりだろうか』
『聞き届けるのも一興』
『それにしても、甘い魔力だ。どこか、懐かしくも感じる』
下級精霊よりもコストが高いと言われる中級精霊たちも、何の気まぐれか手を貸してくれていたらしい。
ここが湖だから?
「あっ……」
その瞬間、眠るように気を失っていたはずのリアム様がゆっくりと目蓋を開いていった。




