フェリクス殿下の戯言
ここで57話を読むと、ツッコミどころがあって面白いのでオススメです。
──ああ。美しき銀髪を持つ囚われの姫君のようだ。
それを見て、まずフェリクスが思ったのはそれだ。
足枷に部屋を歩き回れるくらいの鎖を繋ぎ、ベッドの上で足を崩して座る己の婚約者を眺めて恍惚とした笑みを浮かべる。
繊細な銀糸が肩の流線にかかってサラサラと落ちている様はハッと息を飲む程美しい。
朝の日差しに目を細める些細な仕草すらはあどけなくも色気が醸し出されていた。
薄い体の線を露わにするような夜着は、上品さを併せ持ちながらも官能的で、そんなレイラの素足には不釣り合いな足枷が重々しく嵌められていた。
──想像していたより、ずっと良い……。綺麗だ。囚われた姫君でも妖精でも、女神でもどれでも良い……。他の国の神話で見た天使のようにも見える……。
こんなにも神聖な色気を放つ彼女を、自分は犯して穢し尽くしたのだと思うと、背徳感が凄まじい。それと同時にうっとりとしてしまう。
「殿下。どうかご無理だけはなさらないで」
「ありがとう。ちょくちょく見に来るからね」
「えっ……あっ。私のことはお気になさらずに! お仕事に集中していただければ!」
あれ?とフェリクスは首を傾げる。
今の台詞は、フェリクスがなるべくここに来て欲しくないようにも聞こえないだろうか?
──いや、まさか。私のレイラに限ってそんなことはないよね?
フェリクスから逃げようなんて有り得ないし、それは許されない裏切りだ。
逃げようとする素振りがあったら、また抱き潰して動けなくしてやろうと内心決める。
だけど、念の為、聞いておくことは忘れない。
「レイラ。もしやとは思うけど、私が居ない方が都合が良いなんてことはないよね? ね?」
「そんな滅相もありません!! まさか! そんなはずは! 私の存在により殿下の予定が押してしまうのが申し訳ないだけで!」
「だよね?」
──なんだ。問題なかった。ここでそういう素振りがあったら、睡眠薬で眠らせようかと思ったけど。
どうやら使う必要はなさそうだ。
「本を読んだりして、フェリクス殿下の帰りをお待ちしていますね!」
──何、この可愛い生き物。
健気で可愛い。女神か。女神だった。
「なるべく早く終わるように頑張るからね」
そっと頭を撫でていれば、彼女は遠慮したのか慌てて言った。
「ゆっくりで良いですから! ええ! ご無理はなさらずに! 貴方の健康を私は祈っているのです」
レイラは医務室の助手をしているためか、どうもフェリクスの体調ばかりを気にしているようだ。
仕事はゆっくりで構わないと何度か言い含められる。
それが少し面白くない。
「私が居なくて寂しくないの?」
「ええと……今の殿下は私と離れていた方が……こほん! ……寂しいですけれど! ですが、貴方に無理をさせてまで得る幸せに、何の意味があるのかと思いまして!」
レイラの声が小さくて、前半があまりよく聞こえなかったけれど、どうやらフェリクスを一途に想ってくれているらしい。
本当によく出来た婚約者だ。
フェリクス以外には触れさせないようにして、行動を制限しなければ。
それも早急な対応で。
こんな可愛い生き物、放っておいたら誘拐され放題だ。
おまけにお人好しなところがあるからすぐに騙されそうで怖いのだ。
やはり、彼女はこの部屋に居るべきだと再確認した。
ねっとりと官能的な深い口付けを交わした後、ほのかに頬を紅潮させてこちらを見上げるレイラを見て、己の中の欲望が首をもたげた。
──ああ、もう! 可愛い可愛い可愛い!!
少しくらい手を出しても良いかななんて考えているのが見透かされたのか、レイラはフェリクスの鼻をツンっとつつくと「めっ、ですよ。お仕事あるのでしょう?」と可愛らしく叱ってきた。
やはり、鎖は正解だった。天使や妖精の羽はもいでおかないと、いつどこに飛び去ってしまうか分からない。
レイラが身動ぎする度に、鎖の金属がジャラリと音を立てる。
──ああ……なんて美しい。
レイラが繋がれているところを見るだけで、何故だか胸の内にある焦燥感が治まった。
それと常に膨れ上がっている征服欲が満たされていく。
これが幸せという形なのかもしれない。
キラキラと未来が明るく、心がやすらいでいるのだから。
「良い子で待っていてね、レイラ」
「はい。本当にゆっくりで良いですからね」
「ふふ、レイラは心配症だなあ」
「ほら、殿下は倒れたばかりなのですから。仕事をするにも無理に急いだら駄目ですよ」
後ろ髪を引かれる思いで、可愛らしい女神が捕まえられている部屋を後にする。
──うん。仕事が終わったら、レイラと触れ合うことが出来る。少しの辛抱だ。
そうして執務室へ向かうと何故か、母であるエリーゼと弟のユーリが待ち受けて居た。
「レイラちゃんは!?」
「レイラちゃんはどうしたのよ!?」
似たような台詞で迎えられたのが意味不明だ。
「え? 何? 二人して」
今、レイラは部屋に保護している。
とくに母は、ずいっとフェリクスに詰め寄って来た。
「レイラちゃんはあの通り強いし、あの人がこっそり保護魔術をかけているから大丈夫だとは思っていたのだけど、さすがに昨日からずっと顔を見せていないと別の意味で不安になるのよ!」
「へえ、それは初耳ですね」
あの人とは、国王陛下のことで、確かにフェリクスの魔術に対抗するだけの強靭さを持つ防御系の魔術を操れるのは彼ぐらいしか居ない。
国王陛下は土の魔力を持ち、その属性の特質から守りを固めることを得意としている。
そのため陛下は暗殺に怯えたことなどないという。
フェリクスが部屋に施した防御系魔術の数々を見ても、何故あそこまで躍起になっているのかと不思議に思うくらいなのだろう。
そんな陛下がフェリクスに気付かれない程度とはいえ、レイラに施したらしい保護魔術。
攻撃系魔術を得意とする息子のことは当然警戒していた訳だ。
たとえ狂おうともレイラに手を出すことなど、絶対に有り得ないというのに。
近寄って来たユーリは、すんすんと鼻を鳴らすと、「あー……やっぱり」と苦笑した。
「レイラちゃんの匂いがするんですよね、兄上から。残り香……これってつまりそういう訳ですよね」
──待った。聞き捨てならない。
「何故、ユーリがレイラの香りを知っているの?」
反射的に凄んだせいか、ユーリの顔から血の気が引いた。
「えっ……!? あっ、違う!! 違いますよ!? 兄上! たまたま! そう、たまたま! すれ違った時に知っただけで……! それだけです!」
「レイラちゃん、近くに寄ると良い香りがするのよね」
弟といえど、自分以外の男がレイラの馨しさを知っているという事実が不快で仕方ない。
「これは……薬の影響かしらね。もしかしたら……いつもより更に懐が狭くなっているわ……。レイラちゃんを部屋に監禁していたらどうしよう」
不安そうなエリーゼにユーリが安心させるように寄り添った。
「大丈夫ですよ。さすがにそんなことはないはずです。そういうのは道具がないと出来ませんから。監禁の道具を兄上が普段から用意してない限りは無理です」
「そうよね!」
「…………」
勝手に納得してくれたので、フェリクスもそれ以上は何も言わなかった。
「あっ、でもちょっと気になるし、レイラちゃんに念話を入れてみようかしら」
「あっ、母上。俺がさっき入れてみたのですが、『古代魔術って最高ですね』と何やら興奮していたようです」
「待った。いつ連絡入れたって?」
レイラと他の男が話をしたというのが気に入らない。それもフェリクスの知らないところで。
「えっ……あっ、兄上がいらっしゃるほんの少し前です。ほんの一瞬です!」
「…………」
フェリクスが部屋から出て、執務室まで来る間、その一瞬の隙を狙ったということか。
──まあ、良い。レイラは相手にしなかったようだし。
レイラの興奮した声は絶対可愛いので、それを弟に聞かせてしまったことが気に食わないけれど。
それから仕事の話をいくつかした。
レイラが采配を行ってくれて、それを上手く引き継げるように整えておいてくれたおかげでスムーズだった。
「兄上。ニール=ベイカーにリーリエ=ジュエルム替え玉の件を伝えるのですか?確かに忠実な男ですが、あそこまで特殊な事情を聞かせるのはどうかと」
「うん。ハロルドの報告を聞いているからね。信用できるんじゃない?」
今のは完全な嘘だ。
ニール=ベイカーをフェリクスは信用していないし、むしろ疑っていた。
──疑わしくとも、あれはあれで使い道があるからな。
酷い物言いだと自分でも思う。
だが、ハロルドからの情報で利用してやると決めていた。
ハロルドはノエルのように情報を取捨選択し、裏を読むことに苦手意識を持っているが、彼には広い視野があった。
騎士として、剣の手練として、彼は広い視野で持って敵をいち早く察知することが出来る。
つまり、ハロルドは全ての情報を持ち帰った。
普通の人間では気付かない些細なことも、彼はもう一つの武器である広い視界の中に入ったものなら全て、記憶した。
報告書が一番分厚いのがその証拠だ。
フェリクスはその膨大な報告書の中から違和感を拾い上げ、細かなピースを組み合わせ、ある規則性に気付いた。
ある人物が中心になっていたのだ。
彼が関わった騎士は数週間以内に消えている。
しかも騎士団内の行方不明と人身売買の話になんとなく共通点のような何かを感じた。
簡単に言えばそういう話で。
それが、ニール=ベイカーである。
──だけど、表向きは潔白なんだよね。
怪しい存在だからこそ、彼を自ら引き入れることによって、こちらの手駒にしつつ彼の正体を暴く。
幸い、あの男が過剰なまでにフェリクスに心酔しているのは周知の事実だった。
──つまり、打ち明けるという行為は信頼に値する訳で……。あの男には一番それが有効だ。
リーリエ=ジュエルム替え玉の話を効かせれば、彼のことだからこちらの指示に従ってくれるだろう。
彼は、フェリクスの信用を得たならば、余計なことはまずしなくなるだろう。あの手のタイプの人間の扱いはやりやすい。
信用は甘い蜜のよう。
「貴方、悪い顔してるわよ。そんな顔をレイラちゃんに見せたらドン引きされちゃうけど、良いの?」
「それはないですよ。私のレイラは、どんな私でも受け入れてくれる。私の方だってレイラが何を抱えていようと全てを愛し抜きますし、これが私たちの間にある愛なのです。それに、仮にドン引きされようとも関係ありませんよ。私が彼女を望んで、彼女が私を望んでくれるなら変わりありませんし」
つらつらとそんなことを並び立てていれば、母は何故か帳面に私の台詞を書き付けていた。
「兄上……。自らネタを提供してどうするのですか」
「ネタ? ……母上?」
ニッコリと威圧感を込めて微笑んでみれば、エリーゼはあからさまに目を逸らし、「さーて、執務! 執務!」と言いながらそそくさと部屋から出ていった。
ユーリの首根っこを掴みながら。
──毎回思うけど、ユーリって母上に好き勝手されているなぁ。
ユーリは要領が良いはずなのだが、どうもエリーゼを相手にすると調子が狂うようで、母の玩具にされることもよくある。
息子を玩具にする母とは何なのかと思わないでもないが、突っ込んだら負けだと思い、最近では気にしないことにしている。
母曰く、「からかってるんじゃないの。可愛がっているの」だそうだ。
執務室に置かれた書類に目を通し、執務補佐の者に指示を与えながら、フェリクスははあっと溜息をついた。
報告に目を通し、リアムの痕跡が見つからないことに内心焦りを覚える。
──本当にあの時、何があったんだ。
フェリクスの記憶は曖昧で、記憶もいくつか失っているせいで、正確な判断が出来ない。
リアムを見つける手がかりは、フェリクスの失った記憶の内にある気がした。
数時間、執務室で書類を捌き、カーニバル三日目に破壊した魔獣召喚陣の数と地形、その後に被害がない。簡単な後始末は既に終わっていたが、今度は本格的な後始末を指示した。
捕まえた番人たちを研究班へと預け、その体に施された人体実験の研究についての報告を確認する。
じっくりと時間をかけて死体を解剖したらしいそれを見て頭を抱える。
「誰だ。遺体をこっそり持ち帰った奴は」
レイラの叔父であるセオドアが嬉々として研究しているらしい。趣味がおかしい。
──やはり、前と同じで、魔力を増やす実験……か。
この魔力量は実験体にされた者たちの容量限界を明らかに超過していた。
そんな中、セオドアは例の死体を解剖して、擬似的に魔力容量を増やそうとした痕跡を見つけたらしい。
普通、魔力容量とは徐々に広げていくものだ。
「……はぁ」
よく発見したなとは思いつつも、やっていることは解剖である。
──良いのか、医者として。
執務室で溜息を零しながら、フェリクスは次々と経過報告に目を通していく。
数時間経過した後、レイラのところに顔を見に戻ることにした。
「あっ、フェリクス殿下。お疲れ様です!」
部屋の奥、彼女のために空けた個室の扉付近。
レイラは鎖に繋がれたまま、床にペタンと座り込んでいた。部屋着のスカートから覗く素足は白くほっそりとしていて、やはり鎖がアンバランスだが、そこが良い。
──可愛い。やはり閉じ込めて正解だったな。
今日何度もそう思った。
少し前に贈った古代魔術の古書を膝の上に広げた彼女は可愛らしく微笑んだ。
「殿下が買ってくださった本です」
「私の買った本を大切にしてくれて、私を待つ間にも読んでくれるなんて……本当にレイラは良い子だね……」
感動した。
それは、つまりフェリクスを想い憂い、一途に待ち続けているということではないか。
「殿下? 本当にご無理はされていないですか?」
覗き込んでフェリクスの顔色を診るレイラが眩しくて、突然触れたくなった。
顔を寄せて強引に唇を奪えば、彼女は驚いたように体を震わせたが、すぐに身を預けてくれた。
「んっ……」
甘い吐息を堪能し、彼女の唇の柔らかさに蕩けそうになりながら、しばらくゆっくりと唇を重ねていた。
仕事を放り出したくなった瞬間、レイラがこんなことを言った。
「こんな時でも責任を果たそうとされている殿下は本当にすごいですね。決して本調子ではないはずなのに……。貴方の仕事に口を出せる立場ではありませんから、余計なことは言えませんが……睡眠時間だけは取ってくださいね。それから食事も!」
「ふふ、ありがとう」
いつものレイラの台詞に何故か安堵した。
睡眠時間の大切さをこんこんと説かれ、睡眠不足は集中力を低下し、免疫力の低下により別の病気を誘発させることや、体力回復薬では賄いきれない疲労回復の是非についても言い含められる。
そういえば、レイラは学園の生徒にも似たようなことを言っていた。
もはや口癖なのかもしれない。
仕事を放り出したいと思っていたはずなのに、レイラに『すごい』と言われただけで頑張ろうと思えた。
本当はこのまま二人引き篭って、また彼女と体を重ねたりしたいところだけど、幻滅されたくない。
今のフェリクスの原動力はレイラの存在にあると言っても過言ではない。
もちろん、長年の教育による王太子としての義務感が体に染み付いているからでもあるが、原動力と義務感は違うのだ。
「今夜、また抱き合いたい」
「……え」
──ん? 今、レイラの顔が引き攣ったような? 気の所為かな?
それから再び執務室に戻り、しばらく仕事をしていたが、ハロルドが執務室へと書類の追加を持って入室してきた。
「殿下、それと報告があるのですが」
「ああ、うん。そうそう。私も今後のことで伝えたいことが──」
席から立ち上がった瞬間だった。
──あれ? 天井が回ってる?
そのまま意識が沈んでいく。
ハロルドの慌てる声がすぐ間近で消えた後、フェリクスの意識は消失した。
二分間だけ。
「ハッ!」
「っ……!?」
ソファから飛び起きたフェリクスにハロルドは声なき叫び声を上げた。
騎士として叫び声を上げないように訓練しているらしい。
「今、何時!?」
「昼過ぎです」
「ちょっ……ちょっと! 部屋に戻って良い!? 忘れ物が!」
「殿下!?」
驚くのも無理はない。
突然気絶して二分後に起き上がり、慌てて部屋に戻ると飛び出していく王太子はどう考えても不審者である。
「レイラ!?」
自室の扉を開け放つ。
「え? フェリクス殿下? そんなに慌てて……どうされました?」
「なんてことだ!」
──犯罪じゃないか!!
そこにあったのは、床に座り込み鎖で繋がれた、どこからどう見ても完全な拉致監禁被害者の姿だった。
フェリクスは絶望した。
時刻は昼過ぎ。
フェリクス=オルコット=クレアシオン。
新薬『満月の狂気』の副作用の効果が切れた瞬間である。




