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夜中、三時くらいの時間帯のこと。
フェリクス殿下には言っていなかったけれど、夫との行為後のご婦人のお悩み解決のため、こっそりと作っておいた秘薬がポーチに入っていたことを思い出した。
世の男性方には女性を慮って欲しいので、女性の間にだけ広める予定の秘薬だ。
最近出来たばかりで、今は貴族の間だけに広まっている。
受け止める女性の体の負担を減らすことに特化した体力回復薬『差し伸べる手』。
恥ずかしい名前や分かりやすい名前を書くとバレるので、夜の夫婦生活に苦痛を覚えて悩んでいる女性に同じ女性として『差し伸べる』ための薬である。
体の節々の痛みとか、怠さとかそういったものに効く。
ちなみにこれ、色々と恥ずかしいので叔父様には内緒である。
女医さんから通して、訳ありの秘薬として登録させてもらった。
そのレシピはその手の医療界隈では割と好評で、ある意味私の資金源になっているのだけど、まさか私が使うことになるとは。
副作用は若干の眠気くらいだが、体がギシギシするよりはよっぽどマシだろう。
フェリクス殿下に抱き締められながら寝ていた私は、寝返りを打つ度に痛む体や股に、その薬をたまたまポーチに入れていたことを思い出した。
普段のフェリクス殿下なら、この薬を本気で必要とするまで抱き潰したりしないからなあ……。
その薬を取りに行こうと、ゆっくりと力を振り絞って体を起こしてみる。
痛いけど、後少しの辛抱である。
フェリクス殿下の腕の中からこっそり抜け出してそっと立ち上がって……。
「どこ行くの?」
「………………」
ひえっ……!
フェリクス殿下の目がかっぴらかれてる!
夜中に怖い!! ホラーだ! ホラーに違いない!
「あの……えーっと? ポーチを取りに行こうと思って」
「こんな夜中に? 外に出ようとか逃げようとかしている訳じゃないよね?」
「それはないです! ええと、頭痛薬ですから」
疑わしそうに見てくる殿下は、私が起き上がるのに手を貸してくれて、足元を火の魔術で照らしてくれたけれど、洗面所までついてきた。
「レイラに逃げられたら、しっかりと引き継ぎをして私の存在を穏便に抹消してから、どこまでも追いかけるから。もし死んでいたら私も後を追う。クリムゾンのところに行ったなら貴女を殺して僕も死ぬ」
何を言い出す、この王子は。
「……えーっと……?」
申し訳ないけど、愛が重い。
そしてこれは、本当にやりかねない。
今のフェリクス殿下は理性が常にプッツンしている状態で、言わば黒歴史の塊である。
記憶とかどうなるのだろう……。覚えていたら悲惨じゃない?これ。
私だったら死ぬ。
「フェリクス殿下。明かりってどこでしたっけ?」
「ああ、うん。こっち」
フェリクス殿下が意識を逸らして燭台に灯りを点す間に、ポーチから例の秘薬を出して口の中にポイッと放り込む。
丸薬なので気軽に飲めるところもセールスポイントの一つだ。
灯りを点したフェリクス殿下が振り向いた時には蛇口から水を汲んでいるところだった。
ゆっくりとした仕草で頭痛薬をポーチから取り出して口の中に入れ、秘薬と頭痛薬をこくんと飲み込んだ。
ちなみにこの秘薬、飲み合わせも問題ない。
私としたことが素晴らしいものを発明したかもしれない。
仕事の合間に何をやっているんだと突っ込まれるのは仕方ないが、世の中、切り替えが大事なのである。
人が来ない間どころか、人が来ていても接客を全くしない叔父様よりは遥かにマシだと信じたい。
フェリクス殿下は私がベッドに戻るまで、私の腰を抱いて離さなかった。
私が起きるともれなくフェリクス殿下も起きるということが判明した。
小一時間程したら私の体力も回復するが、彼を刺激しないためにも動けない振りをしておく必要があった。
ベッドに潜り込むと、フェリクス殿下は私を抱き竦めたまま、何も言わなかった。
これはアレだ。無言の圧力をかけて『逃げるなよ』と言っている。
これまでの行動パターンと表情を軽く分析して察するに、自分の知らないところで何かをされるのが嫌と見える。
それが些細なことでも、だ。
フェリクス殿下は理性を取っ払うと、いわゆる面倒な男へと変貌するらしい。
普段の爽やか王子っぷりに騙されがちだが、彼のうちに秘めているものは相当だ。
既にただの爽やか王子だとは思っていなかったけれど、彼の仮面をひったくってみれば驚くことばかり。
拗ねた表情にも見えて、私はふふっと微笑んだ。
「なにかな?」
「いーえ」
若干面白くなさそうな顔をしているのが可愛らしく思えて、彼の頬と髪をゆっくりと撫でた。
あ。満更でもないんだ。
されるがままの時点で嫌がってないことが分かって嬉しくなる。
「フェリクス殿下、起こしてしまって申し訳ありません。もう一度寝ましょうか」
「いや、頭痛があったのに気付かなくてごめんね。私はレイラの体調から何まで全てを知る必要があったのに」
「いや、別にそこまでは……」
そうしてそのまま就寝して次の日、私は朝起きてすぐに切り出した。
「足に鎖を付けて欲しい?」
「その方がフェリクス殿下は集中出来るのでしょう? このカーニバルでは予想のつかないことばかりですし、私に気を取られていてはいけません」
これ以上黒歴史を重ねてしまえば、後になってフェリクス殿下が羞恥で悶え苦しむことになるので、先手を打っておくことにした。
私が言い出したことにすれば後でフェリクス殿下もそこまで自己嫌悪に苛まれない。
今はこんな感じだけど、フェリクス殿下は理性的な性質をしている人なのだ。
恐らく後で一番ダメージを覚えるのは当の本人である。
「ほら。部屋の中を歩き回れるくらいの長さの鎖を足に繋げば、私も不自由しませんし。……それとも、そういう鎖はないでしょうか?」
「いや、あるけど」
あるんだ……。よくもまあ、取り揃えているなあとは思いつつ、それをいつ用意したのかは己の精神衛生上、気にしないことにする。
うん。狂っているかどうかの判断は、実際に行動するかしないかの差だと私は思う!
鎖で繋がれている間は……、買ってもらったばかりの古書でも読もう。
断じてその本を読みたいからという理由ではないことをここに宣言しておく。




