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 王城の医務室は学園のものよりも数倍の広さと設備を持っていた。

 普段の私ならばソワソワして周りに目移りするものの、今はそれどころではない。

 今の私は顔から血の気が引いている上に、目の前の状況を上手く受け入れられないまま、理性を無理矢理、総動員していた。

 リアム様の行方も分からない。

 彼の捜索願いを騎士団に手配しておいたけれど、いきなり消えるなんてこと有り得るのだろうか?

 あんなに強いリアム様が……?


 ルナを通して見ただけだから、二人の身に実際のところ何が起こったのかは分からない。

 だが、今は何が起こったのかではなく、何をするべきかが重要だった。

 出来ることをしなければ、より悪い方へと突き進みそうで怖かった。


「レイラ様。ご立派でございました。最善の対応をしてくださいました。気を張ってお疲れでしょう。ソファにでもかけてくださいませ」

 医務室の女医が私の背中を摩っている。


 無我夢中だった。

 目の前が真っ暗になっていって立っていられなくなったと同時に、私の長年の教育の賜物なのか、理性が踏ん張ってくれた。

 顔は青ざめたまま、鬼気とした顔つきで指示を飛ばしていたらしい。


 医務室の隅にあるソファに腰かけると、隣に座ってくれる女性が居た。

「レイラちゃん、大丈夫よ。あの子は強いから。精神干渉系なら、時間をかければ元に戻る可能性だって高いんだから……。動けなくなった訳でもないし、命に関わる事故でもなかったのだから……」

 王妃様がぎゅうっと抱き締めてくれたのだ。

 安心する温もりに、労わるように頭を撫でる手。

 彼女も辛くない訳がないのに……。

 現に彼女の声は枯れている。私への慰めは、気遣いと同時に己に言い聞かせているようにも聞こえる。


「レイラちゃんが医療方面に明るかったおかげで、フェリクスも自傷行為をすることなく被害は最小限で運びこめたわ。貴方の指示が的確だったおかげよ」

「……私はそこまで大したことは」

 救護隊を手配する際に拘束具を用意しておくようにと強調しておいただけだ。

 精神干渉の魔術は失敗すると、精神錯乱したり自傷行為に走ったりする可能性もあったからだ。

 運ぶ最中、何度か自傷行為に走ろうとしたフェリクス殿下。

 彼の魔力は高く己の魔術を使わせたら厄介なことになる。

 猿ぐつわや、魔力の活動を多少阻害する拘束具が活躍したのは言うまでもない。

 今のフェリクス殿下は鎮静剤で眠っているが目を覚ましてどうなるかは分からない。

 王城の医務官と叔父様が話し合っている声に私も耳を澄ませる。

 初老の医務官がカルテをトントンと叩く。

「使われた魔術ですが、精神干渉系魔術が複数使われているようですな。ヴィヴィアンヌ医務官、貴殿の目から見て何か分かることはございますか? 使われた精神干渉魔術は、悪いものというよりも、悲しみという感情を消すものですが……」

 先程から意識を失ったフェリクス殿下の体中の様子を透視して観察していた叔父様は、顔を上げる。

「大体の状況は貴方の報告通りでした。ここまで悪影響が出てしまっている理由は、フェリクス殿下自身が抗おうとしたからです。その結果、かけられそうになった魔術と衝突を起こしたのです。魔力の流れから抵抗した気配を感じます」

「そういえば、最近、ヴィヴィアンヌ医務官は新薬開発をしていたんでしたな。その手のことに詳しいのは当然ですか」


 その言葉に、眠る我が子を眺めていた国王陛下が、ハッと項垂れていた顔を上げた。


「そうだ。『満月の狂気』! セオドアは確か治験も何度も行なっていたな。許諾も取ったばかりと聞いた!」

「あれを使うのですか? あれは副作用がありまして……」

「目を覚ます度に自傷行為を行うよりも、よっぽど良い。狂うと言っても、一日だ。研究結果を見たところ、安全性は確かだった」


 自傷行為をする可能性がある以上、一時も目を離せなくなってしまうことは確実だった。

 叔父様の薬は、副作用をついに一日まで縮めることが出来たが、どちらにせよ狂うことは止められなかったらしい。

 国王陛下と王妃様は顔を見合わせると、軽く頷いた。

 それを確認した叔父様は、私の方へ視線を向ける。


「レイラ」

「はい、叔父様」


 王城の医務室に提出していたらしい『満月の狂気』の小瓶を手渡される。


「聞くところによると、フェリクス殿下の部屋は鉄壁の防御陣だと聞きましたよ。この薬を飲ませるなら安全な場所が一番です。殿下の自室に入れるのは、レイラだけですから」

 あのフェリクス殿下の自室に使用人たちが掃除をするのは、本人が居ない時だ。

 本人があの部屋にいらっしゃった場合、魔術が発動して、他の者は入れなくなる。

 国王陛下や王妃様、ユーリ殿下も攻撃を受けることはないようだけど、あの部屋には入れない。

 フェリクス殿下は、あの部屋に私以外は入れるつもりはなかったらしい。


「レイラちゃん……」

 王妃様の目に浮かぶ懇願の色。

 周囲が固唾を飲んで私を見守っている。


「すまない。レイラ嬢。狂うといっても、その効果が分からない。万全の体制で挑みたいんだ。息子の精神状態が安定するまでは、安全な場所に居て欲しいと思っている」

「私に出来ることならば、何でも致します」

 即答だった。



 それから、フェリクス殿下は自室の前まで運び込まれ、私は彼を部屋に連れて行ってベッドの上に寝かせた。

 魔術で筋肉を強化してなんとか運び込んだ。

「フェリクス殿下……」


 叔父様の言葉が脳裏へ蘇る。


『狂うと言っても別人になる訳ではありません。副作用ですから。服用した患者の深層心理や無意識下の欲望などが増幅され、表層に現れるのです。……だから、レイラ。どんなに様子がおかしくても、それは彼の本性の一部ではあるのです。それをレイラは受け入れることが出来ますか?』


 最初、叔父様の薬は副作用がとにかく酷かった。

 ところ構わず発狂して精神状態がおかしくなる代物だったが、患者への負担を考えて少しずつ改良を重ねた結果、ここまで副作用を抑えることが出来たのだ。

 副作用そのものを抑えることは出来ないから、方向性を変えた。

 人によっては副作用が小さくて済む可能性があるのである。


 小瓶を開けて、薬液を口の中に含み、飲み込まないようにしながら、横たわっていたフェリクス殿下の側へと近付いた。


 大丈夫。何も問題ない。

 だって、叔父様の作った薬よ?

 何かあったとしても、一日過ぎれば元のフェリクス殿下なんだから。

 大丈夫、取り返しはつくのだ。


 彼の唇に己のそれを重ねて、その秘薬を口移しで注ぎ込んでいく。

 彼の喉が上手く飲み下してくれるのを確認してから、ゆっくり唇を離した。


 濃い魔力の気配がフェリクス殿下を包んでいる。


「大丈夫。フェリクス殿下は無事。まだ彼は生きている。リアム様もまだ遺体を確認した訳じゃない。何か事情があって隠れているだけかもしれない……。だから、大丈夫……」


 フェリクス殿下の手の温かさに、私は涙を一雫落とした。


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