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狼が見た愚者

ルナ目線です。

 微弱な光の精霊の気配から、リーリエ=ジュエルムの場所を割り出そうとルナは苦戦していた。

 視界と聴覚を主であるレイラと共有しつつ、先程から苦渋を舐めさせられている。


『ああ、もう! なんなのだ! あの女、捉えても先程から転移魔術ばかり使っておる!』

『あっ! なら、ルナも遠慮なく転移魔法を使って! 私の魔力量なら問題ないわ!』

 念話でレイラにボヤくと、予想外の言葉が帰ってきた。

『ご主人がそう言うとは、よっぽど余裕があるのだな』

 場所を移動する魔術は多大な魔力を消費することになるが、レイラの口調から余裕があることはよく分かったし、何より己の主の魔力の変化に精霊は敏感だった。

『魔力保有量が増えてるから、まだ余裕。それに手元に魔力回復薬もたくさん用意してる』

『助かる、ご主人』

 レイラは婚約者であるフェリクスと性行為をして、魔力供給を何度も行っていたこともあり、彼女の体には魔力が満ち溢れるようになっていた。

 おまけにフェリクスの魔力は干渉力も魔力濃度もピカイチで、多少魔力を消費しようと何ら問題はなかった。

 それから、何度か移動するリーリエを追って、ルナも転移魔法で後を追う。

『ご主人、キツくないか?』

『大丈夫。ルナ一人ならそこまで辛くない』

 精霊だからなのか、人間が転移するよりもコストがかからない。


『何故、ここまで転移を繰り返すのだ。あの女は』

 ルナが思わずボヤくと、レイラの返事が一瞬途切れ、数秒後ポツリと漏らした。

『もしかしたら……。フェリクス殿下を探しているのかもしれない。脱獄して、彼女は何をするのか考えたら、私に復讐するかフェリクス殿下を探すかどちらかしか思いつかないの』

 今更会ってどうにかなる訳がないだろうに。

 自分が疎ましく思われていることから目を逸らし、挽回すればチャンスが巡ってくるのだと本気で思っているのかもしれない。

 ──大方、王太子の役に立ちたいといったところだろうか。

 頭の中にはお花畑が広がっているに違いない。

 人間社会を観察してきたルナには、リーリエのその迷惑すぎる前向き思考が周囲を振り回している事実に、そろそろ気付いても良いだろうに。


『む?何だ、この魔力反応は!?』



 その瞬間、膨大な魔力が爆発するような気配を覚えた。


『ルナ? どうしたの? 何を感じたの?』

『滅茶苦茶な魔力反応を感じた。これは、光の魔力と、王太子の魔力か?』

 ルナの主であるレイラにしょっちゅう垂れ流されるので、フェリクスの魔力の特徴はよく知っていた。

 その魔力が暴走寸前の大爆発?

 ギリギリ何かの術式らしきものを感じるけれど。


『ご主人、今の地点に向かう』

『お願い、ルナ』


 レイラが意識的に魔力を送っているのか、その気配がいつもよりも直に感じる。



 そして、転移魔法を使ってとある学び舎へと跳躍したのだが、そこに向かったルナとレイラは驚愕に目を見開いた。

 その光景に何かを感じる暇もない程に。

 驚きすぎると、感情が何もついてこなかったのだ。


 学び舎の建物は何かしら保護をしてあったから無事だったものの、その周辺の地面が抉れて掘り返されている。

 まるでクレーターのように凹んだ中心にフェリクスが蹲り、頭を抱えていて、そして──。


 まるで聖女のように微笑みを浮かべたリーリエがフェリクスの背中を撫でていた。

「大丈夫だよ! 私が、魔術で苦痛を和らげてあげるよ。ほら、楽になってくるでしょ?」

「やめろ……っ! やめてくれっ……!」

 何かに耐えるように苦悶の表情を浮かべているフェリクスは、リーリエの細い手すら振り払えないようだった。


『ご主人! あれは……あれは! 精神干渉魔術だ!』

『なっ……!? フェリクス殿下!?』


 ルナは二人の元へと駆けながら、姿を人間のものへと変化させて、蹲るフェリクスと満面の笑みを浮かべるリーリエの間に割り込んだ。


「止めろ!」

 フェリクスの手を掴み、己の背に庇うも、フェリクスは立っていられなかったのか、そのまま崩れ落ちた。


「なんで、邪魔するの!? フェリクス様の辛い気持ちを和らげてあげようと思っただけなのに! 従者を亡くしたんだよ? 可哀想じゃない!」

「同意のない精神干渉など、暴力でしかない!」

 主であるレイラから動揺する気配が伝わってくるが、念話が来ない。

 動揺して集中が切れたらしく、念話が使えないようだった。


 ──それにしても従者を亡くした?従者というのは、あのリアムという若者だろうか?


 確かにリアムが居ない。

 周りを見渡すと、焼け焦げたような黒い塊をした子どもの大きさをした人間が屋根からぶら下がっていた。

 虫の息といったところだが、生きてはいるらしい。

 ──この背格好は、噂の殺人鬼だろうか。


 何があったというのか。

 リアムが姿を消して、地面は大きく抉れ、殺人鬼は虫の息で屋根からぶら下げられていて、フェリクスは頭を抱えたまま動かない。


『ルナ。いっ……今、一番近くに居る救護隊に連絡したわ。すぐに、フェリクス殿下を……迎えに行ってくれるはず。王城側の受け入れ態勢も、私に任せて』

 レイラの声は震えて力が入っていなかったが、それでも毅然とあろうと努力する気配を感じた。

 波のように不安定に揺れる魔力の乱れが彼女の心を表しているとも思える。

 声だけ聞けばそうとは分からないが、レイラは動揺しきっていた。


 背中にフェリクスを庇いながら、目の前のリーリエという少女に向き直る。


「貴方、確かレイラ=ヴィヴィアンヌの使用人……」

「よく覚えていたな。だが、そんなことはどうでも良い。何をした」

「私は、フェリクス様が悲しまないように悲しみを感じない魔術をかけただけ──」

「愚か者が!! 無理矢理、人の感情をねじ曲げるな!!」


 ルナの咆哮はこの場の空気をビリビリと揺らした。


「フェリクス殿下!? フェリクス殿下!?」

「……駄目だ。反応がない! 早く!! 早く王城にお連れしてください!」

 到着した騎士団の救護隊がフェリクスを担架に乗せていく手際は並外れていた。

「ああ! レイラ様の仰っていた通りにしろ!」

「それから、このターゲットもこのまま確保しろ。虫の息だが、生きていることには変わりがない! おそらく例の殺人鬼だ!」

 手鎖を持った騎士が、屋根からぶら下がった大火傷を負っているらしい小さな人間らしきそれを回収していく。

 レイラがこの一瞬で何から何まで指示をして、迅速に受け入れ態勢を整えたらしい。

 レイラが手際良く、事情説明をしてくれていたらしく、ルナがここに居ても訝しがられはしなかった。軽く礼をしつつ、「後は頼みます」とそれだけ言って去っていく人間たち。

 転移魔術でフェリクスごと、移動していく。


『ルナ。リーリエ=ジュエルムとその精霊を追跡して。私はフェリクス殿下の状態を確認するから、念話も共有もいったん遮断する。魔力は好きなだけ使って欲しい』

 冷静な口調の割には、彼女の声は硬く、抑揚がなかった。

 恐怖、焦燥、怒り、それから不安などが綯い交ぜになったような声。

 情緒不安定になっているのを気力で無理矢理奮い立たせている。


「なんで? なんで連れて行くの? 私が悪いみたいじゃない!」

「……そなたとは会話する必要性すら感じない」


 よって、このまま捕縛させてもらうとしよう。


 もう朝日が登っていた。

 ルナは人間の姿のまま、影をぶわっと伸ばしていき、闇の触手を蠢かす。

「なっ! いやあっ!」

 問答無用で闇の触手がリーリエに向かう。

 すぐに捕縛すると見せかけて。

 リーリエがぎゅっと目を瞑って胸の前で手を握った。

「ふん」

 強靭な防御膜がぶわっと張られた瞬間、触手が弾かれる。


 ──人間の癖に。魔力が多いだけあるな、この女。


 防御膜が意味をなさないならば。

 目を細めると、触手がじわじわと彼女の影を捉えた。


 文字通り、リーリエの影を闇の触手が鷲掴み、ギリギリと握り締める。


「い、いやぁあ! なっ……!?」


 闇の触手に握られた影に対応する部分が関連して痛むことに気付いたリーリエは己の張った防御膜ごと、膨大な魔力を力任せに放って吹き飛ばした。

「ちっ」

 カッとリーリエから放たれる眩い光に舌打ちしながら、ルナは腰を低くして臨戦態勢に移行する。

 この女を殺す覚悟で行かなければ歯が立たないだろう。

 たくさんの魔力を持ったリーリエは魔術技量はなくとも厄介な相手だ。


 黒の炎を手に纏い、人の足のままルナは駆ける。

 一秒経過する前にリーリエの後ろへと回り込むが、彼女は膨大な魔力を纏った手をブンブンと振り回す。

「いやっ! 来ないでよ! なんで!?」

「脱獄犯だろう! そなたは!」

 距離を測りつつ、連続して黒の炎を放つも、それら全てをリーリエは叩き落とす。

 ルナは身体中に闇色の炎を纏うと、リーリエを視界に入れて眉を顰めた。

 チリチリと体の表面を炎がくすぐっている。

 隙間を縫って全身に黒炎を纏い、体当たりを仕掛けようとするが、防御膜を寸前に張られ、ルナは咄嗟に背後に飛び退る。

 ──近付けぬか。


 飛び退るついでに闇の触手と炎を同時に放ち、防御膜に衝撃を与えれば、ぱきんっとガラスが割れるような音と共に防御膜が砕け散る。


「大人しく投降しろ!」

「やだぁ!!」


 力任せの光の槍がリーリエの周りに出現する。


 ──まずいな。


 咄嗟に判断するも、耳を劈くような悲鳴と共に、無慈悲や光がルナの周囲に降り注ぐ。

 土を抉る轟音。

 辺りが土埃で覆われ、ルナの姿が一瞬にして土煙に隠される。


「やった? やったの? ……って、え?」


 リーリエの焦りながらも安堵した声は、すぐに戸惑いに変わった。

 偶然吹き荒んだ、新鮮な空気を孕む強風によって少しずつ煙は晴れていき──。

 ルナが先程まで居た場所には、誰も立っていなかった。



「え?」




 リーリエは素っ頓狂で間抜けな声を漏らした。

 代わりに居たのは一匹の黒い狼だったからだ。

 人の姿を止めて降り立った、紛うことなき精霊の姿だ。


「もしかして、精霊……なの?」

 ワナワナと指を差す手が震えている。

「もしかして、レイラ=ヴィヴィアンヌの、精霊?嘘……あの女の……? あの女も私と同じ精霊持ち? 私だけが特別じゃなかったの?」

『……いかにも。私は闇の精霊。レイラ=ヴィヴィアンヌは私の主だ』

 だから余計な手出しをするなという思いを込めて、睨み付けて唸り声を上げる。

 リーリエが確かに怯んだ。


 ──なるべく精霊の姿を隠さなければと思ってはいたが。


 ここで姿を晒す羽目になるのは、どうかと思いながらも、本来の姿の方がルナにとっては動きやすい。


「やっ! ちょっと、封印していたのに、どうして出てくるのよ! ちょっと、ダイヤ!」


 先程まで彼女の体の中に封印されていたらしい精霊の気配が膨れ上がる。

 リーリエの封印を破る程ではなかったが、別の精霊の気配を受けて意識が目覚めたらしい。


「なんなの!! もう!」

 封印するのが面倒になったのか、リーリエは己の身に封印されていた、精霊を解放した。


 白い翼を持った凛々しい鳥の姿をした精霊が、羽根を広げる。

 精霊が羽ばたく度に、ふわりと羽毛が舞い落ちる。


 ──ああ。あの、光の魔力がぞわぞわする。


 契約精霊になれば、闇の精霊と闇の精霊、それから光の精霊と闇の精霊の間にある磁石のような属性間の反発は軽減されると聞いていた。

 実際、闇の精霊同士の間は反発もかなり軽減されていて、闇の精霊であるアビスと居ても、そこまで不快感は覚えなかった。


 ──やはり光の精霊との反発は強い、か。


 僅かな不快感は拭い去れるものではなかったらしい。


 元々闇の精霊同士は相性が悪く、お互いに不干渉というのが暗黙のルールだった。

 光の精霊相手なら尚更。

 光の精霊と出くわすことは滅多にないが、闇と光の精霊たちの相性は特に悪く、お互いにその魔力に不快感を覚える。全身がぞわぞわとした感覚に襲われて、気持ちが悪くなる。

 だというのに、目の前の光の精霊はルナから視線を逸らさずにこちらを呆然と見つめているだけだった。

 不快な気配を漂わせるどころか、これは。


 ──驚き? いや、何に驚くというのか。私はただの中級精霊だ。



『貴方は……』


 光の精霊がルナに話しかける。


『何の用だ? 邪魔するのなら容赦はしない』


 反抗することもなく、敵意もない。

 リーリエは先程から、攻撃しろと喚いているが、命令を聞くことすらしない。


 リーリエはルナが精霊だと知った瞬間から、確実に及び腰になっている。


『貴方は、……貴方は契約をしたのですか』

『先程、そう言っただろう。聞いていなかったのか?』


 この若い精霊は何かおかしい。

 ルナの闇の魔力が心地悪いのか距離は詰めないが、逃げるつもりは全くなさそうだ。


『あのご令嬢が、貴方の主ですか』

『いかにも。私のご主人に手を出すならば、誰であろうと容赦はしない』


 ルナにとってただ一人の大切な主だ。

 体を張るくらい大したことでもない。

 誰よりも強くて頑なで、誰よりも脆くて優しい主。

 妹のようで我が子のようでもある唯一無二の守るべき存在を失う訳にはいかなかった。


『そなたたちは必ず捕まえる。ご主人のために』


 それから念話でレイラに一言告げる。

『ご主人。予定通り、滞りなく』

 追跡のためにレイラの魔力の一部をリーリエの影に紛れ込ませた。

 レイラの魔力で作られた追跡魔術。

 主と精霊が繋がっているからこそ出来る芸当だ。

 話をしながら気を逸らしながら、少女にも精霊にも気付かれないように、そっと。


 おそらく魔力量の差で、レイラとルナの力でこの二人を捕らえることは出来ないだろう。

 ならば、他の人間たちもこの二人を追えるようにすれば良いだけだ。


 今回のレイラとルナの狙いはこれだった。



 ──あっさり捕まえられればこちらとしても楽なのだがな。


 確保のための努力は怠らないが、念の為。

 ルナは呆然とした精霊と、その主を見据えた。


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