影に忍ぶ者のとある追想2
レイラ=ヴィヴィアンヌ伯爵令嬢(当時)と出会ってから、フェリクスの見せる表情が増えた。
「誰だ、あんたは?」と突っ込みを入れたくなる有様である。
あのフェリクスが頬を染めたり、嫉妬したり、怒ったり、浮かれたりする様を誰が想像出来ただろうか。
かつての無表情を見ていた側とすれば、自室ですら嬉しそうに微笑みを浮かべるフェリクスは異様だと言っても良い。
そして半ば詐欺まがいの方法で自らの婚約者にしてしまう手腕。迷いもなく即座に行われたそれにドン引きしたのは良い思い出だ。
夜中過ぎ、日付けとしてはカーニバル三日目。
フェリクスについて来るようにと言われ、久しぶりに彼の護衛に復帰していた。
レイラは自室で待機しているとのことだったが、それは軟禁ではないかと思うのは自分だけだろうか。
──いや、でも。レイラ様は嫌がってなかったんすよねー。
どういう手練手管なのだろうと思わないでもなかったが、世の中には知らない方が良いことが無数に存在していて、この一件も正しくその類だと思われる。
貧民街。先程の目撃証言はここだ。
カーニバルなので一時的に貧しい者たちは別の場所へと移動している。
定期的に行われている炊き出しは彼らの生活基盤だが、カーニバル時は、さらにたくさんの食事を得られるとのことで、今この場に人気はなかった。
一時的とはいえ、打ち捨てられているようにも思える。
期限切れの缶詰めがコロコロと転がってきたので、リアムは適当に端に寄せた。
周囲を探りながらゆっくりと歩くフェリクスは、リアムの方を鷹揚に振り返った。
「リアム。私たちは最後の殺人鬼──切断魔術の使い手を無力化しなければいけないから、これからは二人行動になる」
召喚陣や番人という名前の分散した敵は、フェリクスが指示して騎士団に対応させることにしたらしい。
脱獄したリーリエ=ジュエルムも魔術師団と王立騎士団、魔導騎士団が混合して捜索している上に、レイラも己の精霊を使って捜索しているらしい。フェリクスの自室に居ながらも、契約精霊への魔力提供にのみ専念することで出来る限り協力しようとしていて、健気なその姿に皆感動で打ち震えているらしい。
──確かにレイラ様の姿勢は見習わないとなあ。出来ることを精一杯って、なかなか難しいし。
という訳で他の騒ぎに人手を宛てがったため、残りの仕事は殺人鬼の捕獲となった。
精神病棟から放たれたあの殺人鬼を無力化出来るのは、確かにフェリクスやリアムしかいないだろうけど。
並の騎士や魔術師ならば、手こずるどころか歯が立たないに違いない。
リアムも、あの魔術師はなるべくなら相手取りたくない。
「居た。裏広場の元学舎の上。ガーゴイルの後ろだ」
元々は教会だったものが、簡易的な学舎として再利用されているらしかった。
「フェリクス殿下。あの男、様子おかしくありません? さっきから頭打ち付けてるっすよ」
「錯乱、半狂乱。話は通じない。理性なんてないから、ひたすら凶暴で馬鹿力だと、先程連絡が入っている。リアム、手伝ってくれ」
お易い御用だと、頷く。
フェリクスの戦闘センスは秀逸だった。
無駄のない動き、膨大な魔力うち、ほんの一雫も無駄にされることなく魔術行使されていた。
「甘い、赤い、熱い、アマイ! あははっ! あははははははははは!!」
頬に傷跡があるのは、フェリクスと先程斬り結んだ痕跡だった。
自らの血すらも甘いと舌なめずりする切断魔術の使い手の少年殺人鬼。
狂ったように笑いながら、屋根から屋根へと飛び移っていく。
フェリクスが使う魔術は、硬化魔術と炎の霧。
切断魔術で、全ての魔術を切り裂いてしまう彼はそのほとんどを無効化してしまうので、炎の霧による微細なダメージでじわじわといたぶる戦法は有効的だった。
殺人鬼の後ろに周り隠形魔術を解いて、リアムの方へ意識が逸れるその瞬間を狙い、フェリクスが殺人鬼の目前まで迫る。
「っは!」
硬化魔術で強化したらしい氷で出来た大剣を振りかぶり、当て身を狙う。
切断魔術は意識を逸らした際、どうやら効果が薄くなるらしい。
フェリクスの持つ大きな魔力と干渉力が上回った瞬間に叩き込めば切断魔術の術式ごと破壊出来る。
何度か破壊し、その度狂った殺人鬼は笑いながら術式を再構築した。
リアムが風の魔術を使い空から攻め、屋根の上に居た殺人鬼の足元を引っ掛ける。
屋根の上から転げ落ちる少年を待ち受けていたフェリクス殿下は魔術で足を硬化させ、殺人鬼の脇腹を蹴りあげた。
「がっ……!」
吹っ飛んだ殺人鬼に振りかぶり、大剣を振り下ろすと、それをナイフ一本で相手は受け止め、切断魔術を発動させた。
ギリギリとナイフに衝撃を受け止められる氷の大剣が、切断魔術で切断されそうになる。
フェリクスは力を横に受け流し、敵の力任せの攻撃を受け流して捌いた。
キンっと金属の音と同時に、後退して彼の足元の土埃が煙を上げた。
「殿下。切断魔術の使い手相手に蹴りはまずい」
「大丈夫だと思ったからやった」
後退するフェリクスの隙を狙われる前にリアムが敵の刃を受け止める。
間髪入れず白目で襲いかかってきた殺人鬼のナイフを風を起こして受け止めた。
見えない手が殺人鬼の持つナイフを正面から受け止める。
氷の礫が後ろからリアムの横をスレスレで飛んでいき、怯んだ敵の体に突き刺さっていく。
もはや人間とは思えない怪物の叫び。
殺人鬼の顔は血だらけだった。
さらに追撃しようとリアムは風を起こして空中を駆ける。
「はぁ!? なんすか! もう!」
ダン、ダダダッっと壁を道のように駆ける殺人鬼。
四方八方から風を吹かせても全て振り切られてしまい、思わず舌打ちした。
「大分、肺がやられてきたかな。動きが最初より鈍い気がしないでもないよ」
「うああああ……っ。臓腑、肺……心臓に消化器官……ううう」
炎の霧が体の内部を侵していく。侵食して崩壊していく様はえげつない。
リアムたちは炎の霧を吸い込まないように魔術で処置をされているが、殺人鬼の少年は気付かぬうちに肺を荒らしている。息を吸う度に、知らないうちに肺が血だらけになっていく。
殺人鬼は、口から大量の血液を吐き出して、その紅にニヤリと唇を歪めた。
──成程。イカれてるっていうのは本当みたいっすね。血に飢えている。殺人衝動……か。
切断魔術を行使しながら壮絶な笑みと共にナイフを手に突っ込んでくる姿は悪鬼のようだった。
それを紙一重で交わしながら刃物を交えるフェリクスの持つ氷の大剣。
それは破壊されては何度も作り直され、地面には氷の大剣の欠片がキラキラ光っていた。
そろそろ致命傷を与えようと、リアムとフェリクスがアイコンタクトを取る頃だった。
それが現れたのは。
「見つけた! 助けに来たよ! フェリクス様!」
リアムの背後から場違いな明るい声。
その呑気な声に、リアムは震えた。
怖気立ち、皮膚に鳥肌が立って薄ら寒いとすら感じられた。
「リーリエ=ジュエルムか」
フェリクスの顔は見えなくても、恐ろしく冷えた彼の声音をリアムの耳は拾った。
それは人間相手に向ける声ではなかった。
薄汚れた白の囚人服のまま、リーリエはその場でクルリと一回転すると、胸の前で手を握った。
その瞬間、彼女の周りから大掛かりな魔術が発動されることが分かった。
「っ……!?」
リーリエと一番近かったのはリアムだった。
フェリクスと、殺人鬼の少年はリーリエから一定の距離を置いていたから問題なかったのかもしれない。
だが、リアムの発動されていた魔術が、リーリエが放とうとする大きな魔力によって塗り替えられていった。
戦闘魔術で何よりも大切なのは、すぐ近くに居る味方の魔術の発動を邪魔せずに、魔術を行使することだ。
銃撃戦でいう射線に入らないことと同じ気遣い。
魔術を発現する際の干渉力は千差万別とはいえ、その場に発現されかかった魔術よりも大きな魔力を無理矢理流せば、案の定打ち消されてしまう。
この場合、リアムの発現している魔術がリーリエに打ち消される。
──この女、敵も味方も関係なく!!
リアムの身を包んでいた魔術が消えた瞬間だった。
それは防御系の魔術も何もかも。
一瞬、リアムは丸腰になった。
「あはっ。あーははははははっ!」
正気を失った殺人鬼の声が聞こえ、すぐ目の前に切断魔術の術式を纏った少年が──。
──やばい。これは、マズイ。
意識が白く塗り潰される寸前、その刃がリアムの体を切断……否。
分解しようと迫り、そして。
「リアム!!」
フェリクスの声が聞こえて、それでお終いだった。




