フェリクス殿下の執着
フェリクスは、その念話に飛び起きた。
式典の後から指示を飛ばし、騎士団と連携を取っていてクタクタだったが、起きようと思えば起きれる。
三時間程、捻出した仮眠。
フェリクスは自室で休養していた。
己の部屋以外で眠ることが出来ないので、既に眠っているレイラの隣にこっそりと滑り込み、三時間仮眠を取った後、こっそりと出るつもりだった。
よっぽどのことがない限り連絡は来ないはずなので、起こすつもりは本当になかった。
カッと目を見開き、その報告に驚愕し、耳を疑った。三時間の間に念話が来るとは思わなかった。
「きゃっ……!」
自室のベッドの中、突然飛び起きた彼に、婚約者のレイラも悲鳴を上げた。
肩からナイトドレスがずり落ち、目を白黒させながらも慌てて胸元の乱れを直す姿。
「何があったのですか?」
レイラは飛び起きたフェリクスを責めることなく、何があったのかを冷静に問いかける。
「脱獄した……」
「はい? 脱獄ですか? また殺人鬼でしょうか?」
「リーリエ=ジュエルムが脱獄した……」
「……!?」
本来なら有り得なかった。
あの強固な牢を破ることなど、決して出来るはずもないのだから。
「ふむ。牢獄について詳しく教えてくれ」
ハッキリとした男の声は、レイラの精霊のルナの声で、先程までベッド下の犬用ベッドで休息していたが、今は人間の姿へと変化していた。
フェリクスは、ルナの姿を目に出来たが、声は聞こえないのだ。
牢屋の檻が魔力を吸い取ることと、壁と床はどんな攻撃も防ぐ程に堅牢だと伝えると、ルナは何かを考えるように表情を険しくして。
「ご主人。これは、もしや異界路を使ったと考えられないだろうか?」
「え? ……あっ! いや、でもリーリエ様は魔術師として熟練している訳では」
「精霊との供応力がたまたま優れている可能性もなきにしもあらず。さすがに空間まではカバーしきれなかったのだろう。異空間からの移動なら檻も何も関係ない」
「どういうことだ?」
ルナが説明してくれたことによると、どうやら精霊が行き来する異空間越しに脱獄を図ったらしいこと、その技術は並大抵ではないこと、リーリエは生まれつき才能があったということを語ってくれた。
「あの猪女は、才能だけはあったのだな。すまない、まさかこのような事態になるとは思わなかった」
ルナにとっても予想外らしく、声は苦渋に満ちていた。
ハッとレイラは目を見開いた。
「私は恨まれているから、もしかしたらここに来ることも考えられるのでは!?」
「安心しろ。ご主人。この王太子は用意周到だ。部屋の中に侵入された場合のことも考えている。この部屋に不審者が足を踏み入れた瞬間、魔力の拘束糸が対象を絡め取るように罠が仕掛けられている。それもご主人がこの部屋に一人で居る時限定でな」
「なんで分かるの」
フェリクスは以前、レイラの兄と不審者対策を本気でしたことがあり、レイラの行く先に魔力の糸を張り巡らせたことがある。
それをこの部屋にも念の為、張り巡らせていただけのこと。
二重三重に罠を仕掛けるのは基本中の基本だ。
「あまりにも用意周到でかなり引いたものだが、その抜け目のなさがご主人の身を守ることに繋がっている。この男の粘着質で疑り深い性格には感謝せねば」
フェリクスは、苦笑した。
「ルナ?褒められている気がしないんだけど」
彼女の精霊のルナは感心するような顔をしているが、気分的にはとても微妙である。
「さすがフェリクス殿下ですね。常に転ばぬ先の杖を意識して行動されているなんて」
レイラが尊敬の目で見てくれているけれど、素直に喜んで良いのだろうか?
そんな高尚な理由ではなく、レイラに手を出されたくなくて、己の中に存在する『囲いたい』という欲求に従った結果だった。
レイラがこの部屋に一人で居る時、この魔術が発動するように細工されている。
レイラが一人で居る際に、フェリクス以外が足を踏み入れれば、誰であろうと拘束される。
ようするに、彼女と二人きりになるのは自分だけで良いと思っていたから。
──なんて暗い。負の感情なのだろうか。
さらに、彼女の叔父が気まぐれで作ったという全自動清掃魔具を高価買取したため、もしもの時はレイラをここに閉じ込めて生活する準備も出来ていた。
ここまで手を回し、ようやく安堵した。
我ながら気持ち悪い。
セオドアは、この魔具を説明する際にこう言った。
『擬似人格』を搭載しているのだ、と。
使ったことがないから詳しくは分からないが、掃除や洗濯などを己で判断して行ってくれるように術式を組んだらしい。
正直、この発明でこの国の常識が変わると思ったのだが、彼は「今は飽きました。いつか気が向いたらやるかもしれません、いつか」と一言口にして投げ出した。
どうやら未知の可能性を探るのは好きだが、目的のものを作り出し、謎を解明して満足したらしく、商品化までするのは面倒だと投げ出したらしい。
フェリクスも、この魔具の存在が知れれば使用人の仕事が減ってしまい、失業者が増えるのではないかと懸念しているので、彼が飽きてくれて良かったと内心思っていた。
とにかく、自分の居ないところで男の使用人と仲良く世間話をしている姿も見たくないと独占欲を丸出しにした結果がこれだ。
自分は歪んでいる。
ブレイン──クリムゾンの存在を知って、焦燥感に駆られた結果でもある。
「フェリクス殿下は、本当に危機管理能力に優れていらっしゃるのですね」
──違う。違うんだよ、レイラ。
そうやってレイラに何かあった時のためという名目で、囲い込もうとしているだけ。
自分が粘着質で嫉妬深く、ここまで独占欲が強い人間だとは思わなかった。
物欲もなく、独占欲を抱いたことなどなかったフェリクスは、レイラを好きになればなる程、ささやかに狂っていく。
理性があるから常識から逸脱せずに済んでいるが、我を忘れたら自分は何をするのだろうと心の奥底で不安を感じていた。
「そんなに大したことではないんだよ。レイラに褒めてもらう程」
フェリクスは自嘲の笑みを浮かべる。
──私は異常で、気持ち悪い人間だな。あの男の言う通り、粘着質だ。
クリムゾンの言っている意味も分かる気がした。
「心配してくださってありがとうございます」
レイラは素直にお礼を言っているけれど、さすがにフェリクスがここまで重たい男だとは思っていないだろう。
自分に怖気がするのに、レイラのことになると平静を失っている気がする。
頭の中は冷静なまま、彼は静かに狂っていた。
己が婚約者を愛しすぎていることも、度が過ぎていることも気味が悪いことも自覚しているからこそ、フェリクスは不健全な己のことを心底嫌悪していた。
──分かっているのに、止められない……。
今まで、自分は国を安定させるための駒のようなもので、そんな自分が何かを欲することは無駄だと思っていた。
何かに執着すればそれは弱みとなると知っていたし、幼い頃から帝王学を学び優秀な成績を修めていた彼は、精神が発達する前にそれを理解していた。
他人にそこまで依存しない質だったフェリクスの性格に、それは拍車をかけていた。
だからレイラと出会って、初めての執着を知り、失うことを恐れた結果、こうなったのだ。
今までの反動のように。
「レイラ。ここに居れば何も危険なことはないからね」
安心させるように声を和らげる。
フェリクスは知っている。
軟禁するには、当人に閉じ込められているということを自覚させないことが重要だと。
部屋に居ることを強要するのでなく、そう仕向けるということを。
レイラは、ただ守られることを良しとしない性格だとフェリクスは知っている。
だからこう持ちかける。
「レイラが昨日言っていたように、基本的にはルナを派遣する形にして欲しい。リーリエ=ジュエルムの行方を探ってくれたら、私としても助かる」
フェリクスに頼られることによって、レイラは部屋に居ることを即座に了承する。
「そうですね。私がここでルナに魔力を送ることに専念すれば、何かあった時も最大魔力で対処出来ますし」
「助かるよ、ありがとう。確かにその方が効率が良いよね」
良い考えだと伝えれば、レイラもルナも何も違和感を覚えない。
誰もフェリクスの異常性には気付かない。
──ああ、歪んでいるな。
そう思いつつも後悔はしない。
「ルナ。リーリエ様の気配を探してくれる?最大限魔力を送るから、隠形魔法も神速魔法も遠慮なく使って」
「承知した」
リーリエは、次捕まえたら魔力の糸で雁字搦めにして拘束してやろう。
檻の中で自由を与えたから、こういうことになったのだ。
「殺人鬼が放流されたけど、おおよそは確保出来ているんだ。予定通り、明日の魔獣召喚陣の破壊と番人の確保は行われる。私は、最後の一人の強敵をどうにかしようと思う」
教会の大司祭を暗殺しようとした殺人鬼。
人手不足の今、切断魔術の使い手の相手が務まるのは、フェリクスくらいしか居ない。
本当は魔獣召喚陣の対策に奔走したかったが、そちらは騎士たちに指示を与えて、指揮を任せることにした。
その辺の調整には手間取ったが、全ては順調である。
心配そうなレイラの唇に己のそれを重ねる。
「心配は無用だよ。万事、順調なのだから。レイラはあの女を捕まえるために協力して欲しい」
「はい……」
何も問題はない。
予定変更も作戦変更も臨機応変に対応するのみだ。
昔から、慣れている。
「殿下? んっ……」
もう一度した口付けは、いつもよりねちっこくなった。
何もかもが終わったら、レイラと二人きりの時間を過ごす。
ほんの少しの辛抱なのだから。




