無垢な精霊の嘆き
リーリエの精霊目線です。
『大人しくしていれば、これ以上罪を重ねることもないと思うのです』
至極真っ当なことを言ったつもりだった。
だけどその言葉を口にした瞬間、封印されてしまって、ダイヤが目を覚ました時には地下牢に居た。
リーリエ=ジュエルムの契約精霊、名前はダイヤ。
光の精霊っぽいからという理由で付けられた上品な煌めきを持つ宝石の名前。
姿は白い翼を持つ立派な鳥のものである。
己の主であるリーリエは地下室に投獄され、ダイヤには外を窺うことが出来ない。
というか、この檻に触れると魔力が吸収されるので何も出来ない。
床と壁には硬化魔術がかけられているので、穴を掘って脱獄することも出来ないし、破壊も出来ない。
この牢に入れられてから、周囲を探ってみたが、脱獄が無理そうだということは分かった。
やることがなさすぎた。
ダイヤはここ数年を回想することにする。
精霊として生まれて十四年。努力して魔法はたくさん覚えたけれど、まだ世間には詳しくない。
精霊契約をする数年前は、今よりも無知だったけれど、上昇志向だけは当時からいっちょ前だった。
魔法を使いこなして活躍したかった。中級精霊だったが、上位精霊に憧れがあった。
精霊が使うものは魔法。人間が使うものは魔術と呼ばれている。
この世の森羅万象に宿る精霊の使うものは、人間のものと比べると干渉力が段違いなのだ。だから、魔法。
ただ、あまりにも強い魔法にはこの世の理が枷を嵌めている。
だから、中級精霊や下級精霊は、上位精霊の命令がなければ、魔法を使ってこの世に干渉することが出来ない。
力を試すためには人間と契約するのが手っ取り早かった。
もしかしたら、ここで経験を詰めば、上位精霊へと格上げされるかもしれない。
生まれつき中級として生まれたなら、のし上がっていくしかない。
ただ、ダイヤが知る元契約精霊たちは中級から上級へと上がるのを拒む者が多かった。
のし上がりたいからと、様々な精霊たちに話を聞きたかったから、聞き込みをしていた際によく聞いた発言だ。
『人間と接触出来ないのはつまらん』
『上位精霊になるより、この家の者たちを代々見守っていきたいのだ。ほら、主の孫が可愛いではないか』
『私が昔契約していたのも、崇高な目的があった訳ではないのですよね。危なっかしい人間が居たから気になってしまっただけですよ』
そんなことばかり言うのだ。
ダイヤにはよく分からない。上位精霊になれば、父なる神の恩寵を得ることが出来るのに。
お傍に仕えることが出来るのに。
この世の綺麗な景色や、亜空間に出入りし、可能性の世界を覗き見ることも出来るのに。
聖なる魔力が得られるのに。この世に干渉することが出来るようになるのに。
それは全能感で心地良いはずだ。
『父なる神は全てを愛しておられるよ』
古くから生きる精霊はこう言う。
『普段は力が使えなくとも、我の力を必要とする時に神は頼ってくださるだろう。我々がここに居るだけで役に立つのだからそれで良い。暇を持て余した悠久もまた贅沢というものだ』
数年前からある貴族の家にこっそりと住み着いているらしい、ある程度長生きしている闇の精霊に話を聞こうとしたら、拒否られた。
火の精霊、水の精霊、風の精霊、土の精霊。四つのエレメントを象徴する精霊たちと違って、私たちは磁石のように反発する。
四大元素ではないからかもしれない。
だから、闇と闇は反発するとダイヤは知っていたし、闇と光は反発はさらに酷いと聞いたことがある。
どっちも嫌すぎる。
『誰だか知らんが、私に近寄るな。ある程度の礼儀を知れ。そなたが近付くと、鳥肌が立つのだ。契約したらこの嫌悪感も、今より多少は減るとは思うが、今の私はまだ、普通の闇の精霊なのだ』
契約すると、主である人間と感覚を共にするからだと聞いたことがある。
どうやら契約をするかしないかで迷っているようだった。
『狼なら鳥肌ではないのでは? 鳥は私です』
『ええい! そんな御託は聞いていない! 良いから私の目の届く範囲から去れ! そなたの魔力のせいで、身体中がぞわぞわ、モニョモニョするのだ』
狼の姿を取って威嚇していると、縄張り争いをしている獣に見えた。
月の色をした瞳でこちらを睨めつけている。
確かにこれ以上近付くと、こちらもゾワゾワしてくるので距離を取って話しかけることにする。
『貴方も、上位精霊になりたいのですか?契約するのは、だからでしょうか?』
『上位精霊? 私はあまりそういったものに興味はない。若い頃は、そういったものに憧れを抱いたことはあったがな』
長く生きた精霊は皆、似たことを言う。若い頃は憧れたと。
『夢を追い続けるのはいけないことですか?皆、そんなのは若いからだと言うのです』
『……? 別にそなたの生だろう。好きに生きれば良い。私は止めはしない。ただ、忠告しておくが、そなたはまだ若い。何をするにせよ、この世を知ってから行動しても遅くはないと思うぞ』
威嚇していた狼姿の精霊は、唸り声を止めていた。
『……そうですか』
そんなこと言っていたら、精神が老化してしまう。長く生きているからと惰性のように生きたくはなかった。
この狼姿の精霊は、こちらを幾度も威嚇しながらも、『勢いも大切だが、くれぐれもよく考えろ。特に人間と契約する場合は』と忠告していた。もしかしたら本来は世話焼き気質の精霊なのかもしれない。
口酸っぱく言われたが、酷い人間かどうかは見れば分かるではないか。
何をそこまで慎重になっているのだろうか?
古い精霊は、やたらと臆病なのだろうか?
ただ、今まで会ってきた闇の中級精霊とは違い、こちらの気配に嫌悪しながらも、まともに話が出来た気がする。
だから印象的で、覚えていた。
──あの精霊は結局、契約をしたのでしょうか?
ダイヤとの話が終わった瞬間、興味が失せたとばかりに住み着いていた貴族屋敷の中へ戻っていった彼の姿を覚えている。
あの精霊は、ダイヤのことなど忘れてしまっているだろう。
──もっと忠告を聞いておくのでした。リーリエは素直な子だと思っていたのです。
素直。素直すぎた。
真っ直ぐで目の前のことに走って行ける人間だった。
──何を間違えたのでしょうか?
牢屋で恨み言を吐き散らすリーリエを見ながら、ダイヤはこっそり溜息をついた。
せっかく契約したのだ。契約した精霊としての責任があった。リーリエを諭して今からでもマトモな人生を送らせたかった。
本人は自覚なしだったが、ダイヤは純粋だった。話せば分かるのだと本気で信じていた。
ただ、リーリエは頑固で、己の意志を曲げない。
それ自体は美点のはずなのに、どうして全てが空回りするのだろう?
『リーリエ。大人しく囚人として、真面目にしていましょう。反省文を書いて許されるとは思いませんが、少しでも状況を良くするにはまずは反省しましょう』
「もう遅すぎるもの! 反省なんかしたところで意味ないもん!」
『反省してここから出してもらえれば、選択肢が広がります。死ぬことはなくなるのですから……』
「どうせ、何もならないよ! 私のためを思うのなら、ここから出してよ!」
『……』
出られないから意味がないとはいえ、もしここから出られたとして。
反省せずに現実を直視しないリーリエが外に出たところで、同じことが繰り返されるのではないだろうか?
人間社会のこと、特に貴族社会のことはよく分からないが、今までが駄目だったのだから、このままで良いはずがないことは分かっている。
『リーリエ。私も考えますから、やり直す方法を』
「フェリクス様にも嫌われた! 私のこと、汚いものを見るみたいに見てくるんだもん! 酷いよ」
定期的にこの檻に様子を見に来る王太子のフェリクスは、最初とは違い、もうリーリエに何も語りかけない。
スプーンもなく、滅茶苦茶な食べ方をするリーリエを見ながら、彼は不快そうに目を細める。
リーリエは隅に置いてあるトイレの代わりのバケツを見て、喚く。
風呂に入れない代わりに渡されるタオルと水を見て、リーリエは文句を言う。
地獄だ。
フェリクスに「ここから出して! 私、貴方のために頑張るから!」と訴えるリーリエ。
哀れだった。
──どうしたら、リーリエを改心させられるのでしょうか?
ダイヤは信じていた。人間がこうも堕落し変わるのならば、良い方にだって変わるのだと。
「どうして、こんな目に遭うの!? 私は光の魔力の持ち主だよ?」
どうすれば良いのかは、分からない。
「ダイヤ! 外の様子、貴方なら見に行けるの? 私は出れないけど、貴方は精霊でしょ?」
リーリエと契約仕立ての頃は、自分の主が出来たことに高揚し、魔術に詳しくない彼女に色々教えていた。
その頃が懐かしい。
あの頃は頼られることが嬉しかったのに。
『そんな方法……ある訳……あっ』
精霊はこの世界と異空間を行き来していた。
生まれた頃から自然にやっていたけれど、異空間を経由したら、牢屋からも出ることが出来るかもしれない。
もちろん、出られるのはダイヤだけ。それでも何か情報を手に入れれば状況が打開出来るかもしれない。
『外の様子を見てきます。もしかしたらここから出るヒントが分かるかもしれません』
「なら行ってきてよ」
『はい。もしリーリエの味方になってくれそうな人が居たら、その人に協力を頼んでここから出してもらえるように交渉出来るかもしれません。そうしたら反省してやり直す機会もあるかもしれません。誠意を見せるために、まずは手紙をやり取りして。リーリエが反省するなら──』
「反省するもん! ここから出たら本気出すから! 良いから行ってきてよ!」
彼女がここから追い出すみたいにまくし立てるので、異空間に穴を開けて、その体を滑り込ませようとした。
その瞬間だった。
『リーリエ!? 何を!?』
異空間から移動しようとした瞬間、両翼を掴まれる。
未熟なダイヤは、そのまま異空間へと移動してしまい、大きな鳥にしがみついたリーリエごと、異空間へと姿を消した。
リーリエの魔力は大きかった。
精霊との供応力も優秀だった。
そのため、リーリエごと、異空間に移動してしまい、そして。
「なっ……!? 目の前で囚人が消えた!?」
「そんな、ことある訳ない!」
二人の看守は目を白黒させながら、すぐにリーリエの居た牢屋に飛びついた。
見たのは、見間違いでもなんでもなく、ポッカリと空いた無人の空間だった。
それはカーニバル二日目の夜中の出来事だった。




