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カーニバル二日目の朝。
フェリクス殿下は式典の指示のため、早朝から出払っており、私は時間になるまで待機である。
その間は例の小部屋で昨日の戦利品を眺めていた。合計十冊。
その中でも一番の大物は古代書で書かれた古代魔術の本である。
『ご主人、昨日からずっとその調子だな。ニヤニヤと』
「失礼な! ニヤニヤではなくて、微笑みって言ってください!」
『昨日のように王太子が拗ねるぞ』
「本当に拗ねてたの?」
昨日、カーニバル一日目は、フェリクス殿下が気を利かせてくださり、お忍びデートのようなものをしたのだが、フェリクス殿下は私が一番行きたいと思っていた大図書博覧会にも連れて行ってくれた。
『時々、掘り出し物があるから楽しいんだよね』
『……! 分かります! 分かります! 素敵な出会いが待っていますよね!! 世の中にこんな資料があるのかと目からウロコの書物も突然姿を表したりしますよね! 一日目の今日だからこそ、手に入るものがあって、本気の者たちは徹夜もするとか──』
私の長い話も聞いてくれて、優しい瞳で相槌を打ってくれた。
しかももしかしたら、この世で一点物ではないかと思われる、古代語で書かれた『古代音声魔術─御迎えの儀─』をプレゼントしてくれたのだ。今年の本の中でも珠玉の一品だ。
自分の貯めた資金があるからと遠慮する私に、『レイラの喜ぶ顔が見たいから』と切実に仰ってくださった。
「ねえ、ルナ。見て、この装丁を。古代の本の表紙に使われている顔料は幻の宝石と思われるし、読む時に魔力を消費する点も過去の遺物ならではの神秘性がある! 誰にでも読まれないようにまずは魔力を込める必要があるのも燃えるのよね。この子の真のご主人にならないと、この子は答えてくれない……。そんな奥ゆかしさも併せ持つ生きた化石なの……」
表紙を開き、目次にあたる部分で鍵がかかっていた。
目次にはいくつもの古代語が入り交じっており、大変読みにくい。
目次しか開けないし、目次にある鍵穴のような凹みに、ある程度まとまった魔力を込めないとそこから先は開けないし、読む度に魔力を使わないといけないらしいなど、この本は訳あり本として放逐されていた。
音声魔術があまり注目されていなかったという理由もあるのだろう。
だけど、私はこの子に運命を感じたのだ!
『本は生きていないと思うのだが』
「いいえ! 過去の記録を現代に紡いでいるのだから、生きていると思うの! たとえ読めるようになったとしても、中身は古代語! 複数! 簡単には読ませるかと言わんばかりの素直じゃないところも素敵! これこそ、まさにツンっとしてからのデレ!」
『ご主人が何を言っているのか分からない』
ルナはツンデレを知らないらしい。
どこの世界のツンデレも可愛らしく、そして素晴らしいのに。
昨日帰ってから、この本を抱きながら古代語を勉強していたら、フェリクス殿下が拗ねたらしい。
私は見ていないから分からないけれど、ルナはそう言ってる。
『見事なスルーっぷりだったからな。後ろから乳を揉まれようが、体を触られようが、服に手を入れられようが、些末なことと言わんばかりのご主人を見て既視感を覚えたのだが、あれだな。そなた、叔父とそっくりだな』
フェリクス殿下がちょっかいを出してきたけれど、細かいことは気にならなかった。
それにしても。ルナ。
「私、叔父様みたいに、あそこまで酷くないと思うの」
『まあ、そうだな。基本的には真面目な分、ご主人の方がいくらかマシな気もするが、血の繋がりを感じた』
音声魔術の古代のものなんて、今まで残っていなかったのだから、テンション上がって仕方ないと思うのだけど!?
この凄さが分からないのかと思っていれば、ルナがぽつりと呟いた。
『まあ、これは冗談抜きの話だが、皆が知らない知識というのは武器になるだろう。音声魔術なら余計に。合間に少しずつ学んでいくことを私はおすすめする』
「ふふ。ルナのお墨付き!」
『ただ、昨日の王太子が全く相手にされていなくて可哀想だったから自重はしておいた方が良い。最初は微笑ましげにそなたを見守っていたが、途中からはムキになっていたからな』
「うう……。久しぶりに暴走してしまった」
普段はこうじゃないのだけど、未知の魔術と聞いたら、つい……。
フェリクス殿下にも失礼なことをしてしまったし、今日の式典の前に謝らないと……。
式典は、王都の中心にある教会で行われるので、フェリクス殿下の婚約者である私も参加することになっていた。
王族の婚約者ということで、いつの間にか用意されていた式典用の白と薄い青色のドレスに身を包み、馬車が停められた王城の門へと案内してもらった。
あっ。フェリクス殿下だ。
王妃様と何か会話されているみたい。
ユーリ殿下もいらっしゃる。
フェリクス殿下はこちらに背を向けていて、王妃様がこちらを向いて話していたので、先に気付いたのは彼女だった。
「レイラ、式典用のドレスがとてもよくお似合いですよ」
王妃様はよそ行きモードになっていた。
本当に猫かぶりがすごい。プロ並みだ。
こちらも挨拶を返していたら、王妃様はフワリと慈愛の滲む微笑みを向けてくれた。
包容力とでも言えば良いのだろうか?
思わず見惚れてしまって、ぼうっとしていたら。
「貴女と居ると、フェリクスは色々な表情をするので親としては嬉しいですね。昨日も今日も、貴女が学んでいる間、話が出来ないと寂しげにしておりました。若い二人が仲良くしているということで私も王妃として、一人の母親として安心です。ふふ、それから、あまりにも珍しく不本意そうにしていたので、この子もこんな顔を出来るのかと微笑ましくもなっておりました。これからもこの子をよろしくお願いしますね」
そんな王妃様の言葉をすすすっと寄ってきたユーリ殿下が翻訳してきた。
「レイラちゃんが居ると、この子珍しい反応をするから面白いわー! 昨日と今日、レイラちゃんが本に夢中になっている間、構ってもらえないからって、拗ねていたのよ! この子もこんな子どもらしい普通の顔が出来るのかと、笑いを堪えるので精一杯だったわ! これをネタにどうからかってやろうかしら。これからもその調子で是非、振り回してね! よろしく! ──要約するとこんなところだと思うよ、レイラちゃん」
うわあ……。言いそう。というか、最後のよろしくお願いしますに、そんな意味が!?
『さすが息子だな。見事に翻訳している……』
ユーリ殿下はいつも誰かのフォローをしている気がするなあ……。
かゆいところに手が届くというか、十四だというのに何気ない気配りをさりげなく出来るのが健気である。
「ユーリ。解説しなくて良いから」
ほんの少しだけ恥ずかしそうに私をチラリと一瞥するフェリクス殿下。
恥ずかしそうな顔!? あのフェリクス殿下が!?
「兄上、すみません。母上が訳せというもので……!」
「今度は何で買収されたの?」
呆れ声のフェリクス殿下に、ユーリはぽそりと答えた。
「兄上が昔使っていた大剣のお下がりを……」
「ええ……。それ、そんなに魅力的かな?」
「兄上の努力の結晶ではありませんか。それを使えば、普段の練習にも身も引き締まるかと思いまして」
「兄のお下がりを欲しがる弟ってユーリ以外聞いたことないな。というか、母上。買収する気で取っておいたとしか思えないんだけど」
そしてニヤニヤとそのその様子を見る王妃様と、通りがかりにニヤニヤ顔の彼女を回収していく国王陛下。
さり気なく肘鉄を入れて、王妃様も肘鉄を返すというやり取りは周りには気付かれていないようだ。
優雅な肘鉄なんて初めて見た。
前みたいに引き摺って歩いてはいないけれど、呆れ顔も前と変わりない。
私に一瞥し、『すまないな』と口パクで一言仰ったので、私は淑女としての礼を反射的に返す。
ユーリ殿下は、自分の兄に何故かサムズアップをすると、私たちからすすすっと離れていった。皆、別の馬車に乗り込むことになったらしい。
それからフェリクス殿下の方へ目を向けると、きらきらの笑顔を向けられた。
「やっと、レイラがこっちを向いてくれた」
「ええと、殿下? あの、近いです」
「何かな? 昨日みたいに私を放置するのはナシだよ、レイラ。私のこと本当はそんなに好きじゃなかったんじゃないかって、不安で仕方なくなって……」
フェリクス殿下は寂しそうに微笑んだ。
うっ。すごく罪悪感が……。
「ご、ごめんなさい……つい。夢中になって」
「うん。大丈夫。私は気にしていないよ? 根に持ってもない。今日は仕返しにレイラがあの小部屋に行く前に捕まえて確保しようだとか目論んでないし。古代語の参考書を一時的に図書室へ戻してきたりなんかしてないし」
『完全に根に持ってるではないか』
ひえっ!? 満面の笑みなのに、なんかいつもと違う!?
彼は綺麗な笑みを浮かべていたが、ふとその表情を崩すと、若干子どものようにむくれた顔をした。
それから私の手首を掴むと、自分の方へと引き寄せて、手首に唇を押し付けてくる。
ちゅっ……と音を立てて。
「何をしても聞こえてないし、本ばかり気にするから、正直面白くなかった」
まるで拗ねているような。
「フェリクス殿下。拗ねていらっしゃるというのは本当だったのですね?」
普段、からかわれてばかりなので、からかい返すつもりで居たら、フェリクス殿下に唐突に抱き締められて誤魔化された。
「よし。明日の作戦会議をしよう」
『もっと他に言い訳はなかったのか』
ルナのツッコミもごもっともである。




