紅の魔術師の策謀
クリムゾン=カタストロフィは手を伸ばす。
クリムゾンの半身が、暗闇の中で絶望する姿を映像のように見せられる。
裏切られ、周りが全て敵になり、それから親しい友人の『るな』を失う。
復讐は成せないまま、絶望に飲み込まれようとする瞬間。
何も出来ないと分かっていて、クリムゾンは今日も手を伸ばす。
これはレイラの前世の夢なのだと知っていて、それでも手を伸ばさずにはいられない。
彼女に手を伸ばそうとして、意識が浮上する。
嫌だ。まだ目を覚ましたくない。レイラを救えてない!
これは過去の出来事だ。そしてレイラの前世。
知ってしまった、彼女の悪夢。
矛盾していると重々承知の上で、手を伸ばしたかった。
これは夢だ、と言い聞かせ。
クリムゾンは無機質な暗闇の中で目を覚ました。
手を伸ばそうとして、目の前の壁を殴ってしまった。
痛覚なんてないので何も感じないが、鈍い音がした。
狭い場所に押し込められる感覚は、いつも通り。
横に転がることも出来なければ、足を上に上げることも出来ないが、いつもの起床だ。
ぐっと目の前の壁を力いっぱい押すと、蓋が外れて一気に光が入ってきた。
『我が主。いい加減、棺で就寝するのは止めてはいかがでしょうか。毎度思いますが、絵面が酷い』
そして、精霊のアビスがお小言を言う。
もちろん無視だ。
棺から体を起こして、窮屈な場所から脱出した。
ここはブレイン=サンチェスターの自室だ。
この棺の大きさは成人男性がぴったり入るくらいの大きさなので、寝返りなどは出来ない。
「おはようございます。アビス。今日もよく眠れました」
『棺の中で眠るとは、吸血鬼かゾンビのようですね』
物語に登場する悪役のような出で立ちだと自分でも思うが、これは仕方ないのだ。
公爵が証拠隠滅のため、実験体を埋葬する振りをするために用意させた棺。
『もういらない』と放棄されたそれに、クリムゾンは防御系魔術を施し、就寝時の要塞へと仕立てた。
ここにクリムゾンが入っている時に敵意を持って触れれば、魔術や物理攻撃を反射し、火傷を負い、麻痺させられ、さらに凍傷、それから気絶して精神錯乱。
おまけに足の小指が逆方向に曲がる機能を追加した。
地味に痛いだろうとクリムゾン的には満足気である。
「ここまでやる人は俺の他にはいないでしょう! 俺の安眠のためです。部屋にかけたら勘づかれるので、こうするのが良い。そもそも、人が眠っている隙に攻撃しようとする者がいけないでしょうに」
『したり顔ですね。……安眠という割には魔力が乱れていますね。悪夢でも見ましたか?』
「悪夢……ですかね? 悔しく口惜しい思いで胸は満たされているので」
夢の中くらいでもレイラを助けられれば、なんて無意味なことを考えていた。
もう終わったことだと知っているのに。
たまにこうして夢を見る時は決まって、寝る前にレイラのことを考えている。
我ながら気持ち悪いとクリムゾンは失笑した。
レイラには前世の記憶があるらしい。
それを荒唐無稽とは言い切れない。調べてみると、世の中にはそのような事例が散見しているのだ。信憑性のある情報も何度か見たことがある。
つまり、レイラが前世の記憶を持っていることに不自然な点はない。
それに加えて今回、クリムゾンは身をもって知る形だったため、尚更疑うことは何もなかった。
一言で言えば、契約魔術の影響で彼女の記憶がこちらに流れ込んできたのだ。
本人は知られたくないようなので、あえて話題にはしなかっただけだ。
契約魔術の際、レイラの魔力に似せた上でそれを行ったのだが、これが原因だと思われる。
元々、レイラに似た魔力へ己の魔力を一時的に変化させたのは、契約魔術を他人に解除されないためだった。
レイラの体内で異物と認識されなければ、解除しようがないからだ。
だから同調したのは偶然で、その結果、クリムゾンはたまたま彼女の前の人生を知った。
契約魔術を行ってから、レイラと数日間、無意識下で同調した──つまりは夜毎、レイラの前世の記憶やこれまでの記憶を夢として見ていたのだ。
一時的にレイラの魔力に似せていたからこそ、彼女の記憶がこちらに流れ込んで来たのだろうと思う。
契約魔術は繋がっているからだ。
だから、レイラの前世の記憶の要所の部分は余すことなく知っていた。
今世の記憶はところどころだったが、彼女が前世の記憶に囚われて悩んでいるということをクリムゾンは言われる前に知った。
そのような重い過去を持ちながらも、他人と寄り添おうと、関わろうと行動しているレイラが眩しくて尊い。
いつも思っていることだが、クリムゾンとは違うレイラのそういった性質がいじらしくて好きだ。
『我が主は騎士道精神がありますよね。レディ限定で』
「はは。俺は一途ですからね。それにしても俺だけレイラの過去を知っているのは不公平な気もします。レイラが一言『知りたい』と聞いてくれれば俺はすぐに答えるのですが」
シャツを羽織り、適当な格好に着替えながら、レイラのことを考える。
他の者に自分から言うつもりはないが、レイラに聞かれたら何でも答えてしまいそうだ。
彼女ならクリムゾンの汚い部分を聞いたとしても受け入れてくれるという確信があった。
おそらく、お互いにそう思っているだろう。
二人だけの共感者。同胞。何者も二人の間にある絆を断ち切ることは出来ない。
これ以上ない程の理解者。
レイラのことを考えると心安らぐが、アビスの報告で意識が切り替わった。
『主。先程、ワタクシが屋敷で見てきた話ですが、カーニバルの魔獣召喚以外のために番人を置くようですよ。被験体141と被検体156を始めとした者たちが動き出すとか。』
「ああ、ありがとうございます」
アビスの姿はあの男には見えないので、こうして諜報の役割を任せることもあった。
公爵は情報管理が徹底しているのでボロを出さないが、稀に隙があるのでそこを狙うことが出来る。
本当に彼が闇の魔力持ちでなくて良かった。
「さて、どうしたものか……」
主にマリスを使うか、ニールを使うか。
ニールは騎士として警備をするだろうから、そちらでどうにかしてもらう。
魔獣召喚の情報を伝えれば嬉々として働く気がする。
──あの男の目的は分からないが、どうやら王家に忠誠を誓っているようだし。
「マリス=インパルスに頼みますか。番人の始末を」
魔獣召喚の儀を成功させるため、事態に気付いた者たちを足止めするために設置される番人は、魔力を植え付ける実験で失敗した者たちを再利用している。
精神は既におかしくなっているが、こちらの命令に従うように処置をすれば使い物になると公爵は言っていた。
クリムゾンは時折、思う。正気を失わずに抗うことと、正気を失い全てを忘れること。
どちらが幸せなのだろうかと。
──魔力を植え付ける実験なんか、そうそう上手くいく訳がない。
そう思いつつも、公爵は実験を止めない。
何故なら、魔力移植実験の唯一の成功例がクリムゾンなのだから。
クリムゾンが元々持っていた魔力は人並みだった。
元々、クリムゾンの魔術は魔力阻害の鎖の物理攻撃ではなかった。
鎖での物理攻撃は同じだが、元々は魔力の阻害ではなく、認識阻害だった。
攻撃される瞬間、その攻撃を一部認識出来なくなるという、地味だが致命的な一瞬になる魔術。
だが、今は使うことがない。魔力量が増えたため、鎖を無限に出せるようになったし、魔術を直接無効化出来るようになったからだ。
『主。此度のカーニバルで主はどう動くのですか?』
「ああ、それですが──」
予定を言いかけたところで、クリムゾンは目を細める。
廊下を歩き近付く気配に、眉を顰め、ソファへと腰を下ろした。
コンコンコンコン!
「ブレイン! 居るのか!? さっさと顔を出せ。グズグズするな!」
クリムゾンの主ということになっているサンチェスター公爵の声に溜息をつきたくなった。
アビスが窓際へとトコトコと移動していく。
「はいはい。今さっき起きたところですよ。グズグズするなも何も、俺は何も聞いていませんがねえ。報告連絡相談もないのに咎められる必要はありません」
「減らず口を聞きおって。大体お前は──」
「で? 何か御用ですか」
扉を開けると、クリムゾンの胸倉をガッと掴む手があった。
部屋の外に引きずり出されたので、公爵の執務室へと無理矢理連れて行かれることになった。
部屋について胸倉を離されたので、寄ってしまった皺を直していたら、ピシャリと頬を打たれたらしい。音と触れる感触で分かった。
──またすごい音がしたものだ。
首を傾げていれば、今度は目の前の男が蹴りを入れて来たのでスラ避けをしてみる。
見事に公爵が机にあった書類に激突して、積んであった書類が部屋中に散乱した。
愉快、愉快と内心笑っていれば、公爵が顔を真っ赤にしていた。
どうやら平然としているクリムゾンが気に食わないらしい。
持っていた杖で打ち付けて来たので、甘んじて受ける。
年取った中年の物理攻撃程、軽いものはないと思う。
無駄のある動きに弱々しい衝撃。
ドアの隙間から入ってきたアビスは、公爵の足元に洗剤まみれの雑巾を置いた。
「ああ。義父上。足元に雑巾がありますよ」
「むっ……」
踏みそうになったそれを杖で払い除ける。
どうやら、虚を突かれたらしくこちらに攻撃する気はなくしたようだ。
「それで、何か頼みがあるのでしょう?」
「ふん。これだ」
渡された紙を受け取る。
罵る以外、こちらと会話なんてする気がないらしい。
指令書を渡されたので、洗剤塗れの雑巾を摘んで、廊下に置いてあったバケツの中にぶち込んでおく。
部屋に戻り、棺桶に腰かけながら目を通す。
「アビス。調停役かと思いきや、俺も番人の真似事をしなきゃいけないようです。どうしたものか……」
敵を排除する役割兼番人たちの監督役。
レイラと敵対するのは避けたいところだった。
こうした公爵の手駒として動いている最中に、レイラを優先するような行動をしてしまえば、公爵に、レイラへの執着を気付かれてしまう。
『社交の範疇です』という言い訳は通用しない。
「うーん。なら、少し細工でもしましょうかね。アビス。被検体141の居る場所は分かりますか」
『地下ですね。それも厳重な防御術式があると思います』
「まあ、どうせ、守っているのは扉だけでしょう。部屋全体を守護する術式など、あの公爵が用意出来る訳がない。ふむ、内から侵入しますか」
『……そういう異界の使い方をするのは、貴方だけですよ。我が主』
「使えるものは使わないと。最終的な公爵の実験が万一にも成功してしまえば、レイラも危ないのだから」
『成程』
「どうせ俺が試行錯誤したところで道に迷うと思うので、よろしくお願いします、アビス」
クリムゾンは方向音痴なので、ナビゲートは全てアビスに一任した。
クリムゾンは、口元をさも愉快そうに緩めた。
精霊の道を通り、例の地下室に侵入。
それから、例の被検体に暴走術式を追加。
──これは、面白くなりそうだ。
密室を破られ、後からその事実を知って狼狽する公爵を見るのが今から楽しみだ。




