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 ベッドの上に二人転がりながらも妙な雰囲気になっていた。

 言わないと、と決めたは良いものの、どこから話したら良いのか分からない。

 前世の記憶が、なんて言い出したら頭が変だとか思われないだろうかと話すつもりはなかったが、ここまで来て隠すのはどうかと思った。

 でも、やはり頭がおかしいと思われるのは確かだ。

 フェリクス殿下にそう思われるのは嫌だった。

 これがクリムゾン相手だと簡単に言えそうな気がするのは、酷い話だ。

 どう思われても良いとかではなくて、彼が何を言うのかなんとなく分かってしまうからこそ、安心出来るのだ。

 誰かと心通わせるのは難しいことばかりだが、同胞のようなクリムゾン相手だとそれも容易なのだ。

 そんなこと、フェリクス殿下には絶対に言えない。傷付けると分かっていることを言える訳がない。

 クリムゾンは常々言っていた。本当に心から分かり合えるのは自分だけだと。

 確かにきっと楽なのだろう。フェリクス殿下と付き合う何倍以上も。怖がる必要もなければ、疑うこともないある意味完成された関係。


 だけど、私が選んだ相手は違う。

 言葉を尽くして話さないと伝わらないし、伝える努力をし続けなければいけないし、恐怖は克服しなくてはならない。


 でもそれって、皆がやっていることよね。

 それは当たり前の努力で、トラウマがあるとかないとか関わらず、皆が苦労していく。

 普通で、当たり前で、それ故にとても難しいこと。

 とりあえず聞くだけ聞いてみれば良い。

『ご主人、言いたいことがあるなら、当たって砕けろ。王太子がそなたに酷いことを言ったなら、私がこの場所から連れ出してやろう。状況次第では国外逃亡の幇助をしてやっても良い』

 精霊は嘘をつかない。ルナが私に言っていることは半ば本気なのだろう。

 何があっても自分がついていると言わんばかりの台詞に勇気づけられる。


 もう。一思いに言ってしまえば良い。後は出たとこ勝負で。


 私はフェリクス殿下の胸元に顔を埋めて、そのままぽそりと言ってみた。

「前世の記憶がある……なんて言ったら、フェリクス殿下は、引きますか?」


 なんとも怪しい台詞を私は口にした。


「…………」

「………………」


 この無言の時間が辛い。

 僅かの時間だったが、フェリクス殿下の手が私の髪を優しく梳いて、耳元で吹き込むようにこう言った。

「レイラの言うことを信じないなんて有り得ない」

 確信したような響きがあった。

「っ……」

 待って。泣きそう。

 そんな優しい声でそんな優しいことを言わないで……。


 こんなに容易く受け入れられるとは思っていなかったのに。

 信じてもらえないか、頭は大丈夫かと心配されるのが関の山かと考えたりもしていたのだ。

 さすがに突拍子もない話だと思っていたから。

 だから戸惑いと同時に、暖かな何かが胸の中に広がっていった。

 この人は、私のことを信じようとしてくれているんだ。

 荒唐無稽な話でも。私が伝えようとしているというだけで。

 嘘を言っているようにも聞こえない。

 きっと、泣き笑いのような酷い顔をしているに違いない。

 今の顔をこの方に見られたくなかった。

「レイラ……」

 私の顔を覗き込もうと伸ばされた手。

 そのままフェリクス殿下の胸元に顔を埋めたまま、イヤイヤをするように顔を振った。

「見ちゃ、駄目です。きっと、見せられない顔をしていると思うので」

「どんな顔をしていても、レイラは可愛い」

 本気で言っているのだろうか?

 あまりの即答具合に小さく笑ってしまった。


「私、前世の……前世の別の世界で過ごした……記憶が……あるんです」

 声が酷く震えている。どう伝えれば良いのか分からない。

 頭の中は冷静なはずなのに言葉だけが出てこない経験なんて初めてだった。

『ご主人。大丈夫だ』

 ベッドの近くからルナの声が聞こえる。

 その声に勇気づけられるように、思ったことをまず口に出していった。


「クリ──クリムゾン=カタストロフィは私とよく似ているんです」

 思わずクリムゾンと気安げに呼ぼうとして思いとどまった。

 フェリクス殿下には少しでも誤解されたくないし、不安にさせたくない。

「どこか似ているの?」

「身近の者に裏切られた経験も、自分のせいで大切な者を失った経験も。人間不信なところも、臆病なところも、同情されるのが大嫌いなところも、全てを憎みきれない甘さも……。──復讐を遂げることが出来なかったことも」

 口に出したらキリがない。

「……その経験は前世での記憶かな。あの男と似たような経験をしていたということは」

 そう。今世では有り得ない。

 今世の私は伯爵家の令嬢として生まれ、大切に育てられてきた。

 虐げられることもなく、裏切られることもなく、大切な者を傷付けられることもなく。

 前世の記憶を持って生まれてきたことや、引きこもり気味の件を除けば、順風満帆と言っても良い。

 だけど、前世から引き摺り続けている泥沼は私を解放なんてしてくれなかった。


「心を遠くにするんです。薄いベールで包むようにして、こわーい記憶は封じ込めるんです。大切な彼女の笑顔だけ思い出すようにして、それで……っうっ、くっ」

 嗚咽が漏れる。涙がとめどなく流れていく。

 前世から合わせて二十年ぶりくらいに、全ての感情の奔流に身を任せた。

 平気な振り、乗り越えた振り、割り切った振り。

 大人にはそれが出来る。それくらいの処世術がなければ生きていける訳がなかった。

 訳が分からないまま喚いた。聞き苦しい慟哭。

 血を吐くようだった。

 口調も前世と今世が入り交じる。

「私、私は! あいつらのことなんか忘れて、瑠奈のことだけ考えて生きていきたかった!! 乗り越えたんじゃない!! あの子を殺した奴らだけでなく! 皆、死ねば良いと今でも思ってる! 私が殺し尽くしておけば良かった! 何度も殺そうと思ったのに! あいつらに生きている価値なんてない!」

 錯乱しかけた私を、口汚い罵りをするなんて知られたくなかった。


「ルナ?」

 殿下にしたら意味が分からないだろう。

 精霊のルナはここにいる。

 私の言う『るな』は別人なのだから。

 それに気付いていたのに訂正すらする余裕がなかった。

 フェリクス殿下が私を抱き締めて、落ち着けるように背中を撫でる。

「……察するにレイラはそれでも復讐をしなかったんだね。大切なルナという存在を殺した奴らに」

「復讐は何も生まないなんて綺麗事なんか、大っ嫌い……!」

「そうだね。綺麗事だな。それを言う者は絶望を知らないだけだ。それに、復讐は何も生まない訳じゃない」

 そう。復讐をしたら生むのは新たな絶望。そして新たな『私』を得る。これまでの自分とは確かに違う新しい『私』を。

「どうして、復讐をしなかったの?」

 落ち着かせるように背中を一定のリズムで叩きながら、問いかけられる。

 私のありのままを受け入れるように、ただ問いかけられる。

 醜い私を見ても幻滅することなく。

「だって、お母さんが……お父さんが、悲しい思いをするって教えてくれた人が居たから……」

「レイラは優しい子だね。そうやって、周りのことを優先出来た」

 子ども扱いでもするように、抱き締められながら頭もよしよし撫でられる。

 やっとここで顔を上げると、そこには私を心配する色だけがあった。

 フェリクス殿下だけでなくて、ルナがベッドの上に顔を乗せてこちらを覗き込んでいる。


「あっ……。私、我を忘れて……」

「我を忘れる程の想いだったのだろう。ここは、誰も来ない。どんなに音を立てても私たちしか分からない」

「ごめんなさい……。ゆっくり説明させてください。瑠奈というのは、前世での私の親友の女の子で、私を庇ってくれた子で。ええっと、私を庇ってくれたっていうのは、私はその時、学校で虐められていて……その切っ掛けは」

 ああ。上手く話せない。

 上手く話せないのに、フェリクス殿下は私の目を覗き込みながら、穏やかに相槌を打ってくれた。

 一通り聞いてくれた後、フェリクス殿下の第一声はこうだった。

 悲しい記憶も話したけれども、私は瑠奈のことを何度も話していた。

「そのるなって子は優しい子だね。レイラにとって大切な存在なんだと分かった。ここにいるルナの名前も友だちから来ていたんだね」

「ルナって響きが好きなの」

『私もこの名は気に入っているぞ』

 精霊のルナの声は、いつもより幾分か柔らかい。

 そういえば、ルナにこのことを話すのは初めてだったかもしれない。


『ご主人。前世の不届き者らの存在は記憶から抹消すると良い。そなたの記憶容量を圧迫するに値しない虫以下の存在だ』

「レイラ。そいつらは虫以下の存在で、レイラが覚えておいてあげる必要なんてない。……いや、虫に失礼だ。そうだな……塵以下の存在だよ」

 無機物に例えられ、ルナとフェリクス殿下が私に代わって憤慨してくれている。

 しかもルナの声はフェリクス殿下に聞こえていないはずなのに、言っていることが少し似ていた。

 私はこの時には平静を取り戻していて、ベッドの上にちょこんと座っていた。

 フェリクス殿下も体を起こして向き合っている。

「そういった事情で、クリムゾン=カタストロフィのことは他人事とは思えなかったのです。醸し出す空気のようなものが似ていて、お互いに同胞のように思ったり……。こう言ってしまうとご気分を悪くされるかもしれませんが」

「正直言って、気が気でないし、自分の狭量さには呆れるけど。……でも納得はしたかな。二人が壮絶な過去を持っていたということは知れた」

「話を聞いてくださって、ありがとうございます」

「レイラ」

「はい」

 改まって名前を呼ばれて、私は微笑んだ。

 泣いて目元が腫れたりしていたら嫌だったけれど、笑顔で居たかった。


「クリムゾンのようにレイラのことを察してあげられる訳ではないけど、それでも寄り添い続けても良いかな?遠回りでも良いから、少しずつ貴女に近づいていきたい」


 ああ。こんな言葉をもらえるなんて。


 私、やっぱり、この人のことが好きだ。


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