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「サンチェスター公爵? クリムゾンが手駒? 殿下、その情報はどこから得たんだ?」

 ノエル様は、クリムゾンの正体を知らない。

「確証を得ていないからこれ以上は言えない。ただ、そのこちらの情報網でその可能性が高いと踏んでる」

 フェリクス殿下は一つ嘘をついた。いや、あえて言わなかった。

 サンチェスター公爵の手駒という部分は合っているが、ブレインがクリムゾンだとは一言も口にしていないのだ。

 私に契約魔術をかけるくらいの情報だから、たとえ味方だとしても情報を漏らすことを避けているらしい。

 というか、私にもそう明言していない。仄めかしただけ。

 念には念を入れるフェリクス殿下らしい対処方法だった。

「公爵家って言ったら、最近の調査で後暗いことが分かってきたな。昨日念話で聞いたよな。人身売買、魔力、生贄、人体実験、魔獣召喚……か。確かに辻褄が合うが……」

「それに、マリアンヌが子どもたちをところ構わず集めているからだと思うよ、私は。公爵が直々に手を下したのは。純粋に邪魔だったのだろう」

 公爵にとっては、子どもたちを不当に集めている同業者が邪魔だったのだ。

「……殿下。公爵に養子が居たよな。あいつは敵なのか味方なのか分かるか?あの男も協力者なのか?」

「…………判断が難しいな。おそらく協力者ではあるが、真の協力者ではないと言ったところかな。孤児院の子どもたちに養子になるなら慎重にと言い聞かせていたからね」

「公爵に逆らえない……か。味方に数えるには不安だな」

「だが、敵ではない」


 フェリクス殿下とノエル様が言葉を交わす最中、私は何も口を挟むことが出来なかった。

 それから自分がどんな顔をしていたのかも、分からない。

 だんだん会話内容が把握出来なくなっていく。

 クリムゾンの過去を聞いて、頭が真っ白になった。

 屈辱も絶望も黒々とした汚い全部を彼は飲み下したのだと考える度に、彼を取り巻いていた全てが憎くて仕方ない。

 目の前が真っ赤になっている。

 私はどうして、こんなにも興奮しているの?

 同時にクリムゾンの苦しみを想像する度に、痛くて胸の奥がすうすうして、ヒステリックに泣き叫びそうになる。

 それを堪えながら自らの魔力を抑制する。


 私と彼が似ているからだろう。想像するのがいつもより容易に出来てしまう。

 私と彼は違うのだと、理解した振りはしたくないと思うのに、クリムゾンが言った通りだった。

 私たちにはお互いだけ。二人だけが理解し合えるという言葉。

『ご主人、落ち着け。もう過去のことだ。今からあの男を助けることが出来る訳ではない』



 知ってる。知ってるからこそ、やるせない。



「レイラ!?」

「おい。どうした、レイラ!?」



 唐突に二人の心配そうな声が両隣から挟んで発せられた。

 フェリクス殿下は、私の肩を軽く揺すっている。

「レイラ!!」


「え?」

『ご主人、泣いている。そなたは珍しく涙を零しているのだ』


「あっ……その、ごめんなさい。違うんです」

 何が違うと言うのか。

 激情を感情の変化を人前で見せるなんてはしたない。

 ましてや涙を見せるとは、情けない。貴族は滅多なことで涙を見せてはいけないのに。


「私、顔を洗ってまいります。話の続きをなさっていてください。少し想像をしすぎて、同調してしまっただけなのです。稀にあるんです……」


 人の感情を理解することは出来ない。

 誰であろうとも人の気持ちなど真の意味で分かることなど出来ない。


 だから私は想像する。

 相互理解などは必要ない。人を理解するなど、烏滸がましいと思う。

 人は、誰の苦しみも理解など出来ないのだから。

 だから、なるべく正解に近い形で捉えるように努力して、少しでも寄り添えるように工夫する。

 私に出来るのはそれだけだから。


 医務室に併設されている洗面室にある蛇口を捻る。

 冷たい水で頭も冷えれば良いと思う。

 タオルを取ろうとしたら、サッと誰かの手が私にそれを渡してくれた。

 顔にぽふっと柔らかな布の感触。

 少しズラすと、心配そうなフェリクス殿下の顔。

 私のすぐ隣に寄り添ってくれていた。

「無理はしないで、レイラ。今日はもう帰ろう」

「……っ」

 僅かに腫れた目元に彼の唇が優しく触れる。

 それから、慰めるように唇同士が柔らかく重ねられて、すぐに離れた。


 それから先の記憶はなかった。ぼんやりとした私は使い物にはならなくて、フェリクス殿下が私をエスコートして王城へと連れ帰った。

 甲斐甲斐しく私の世話をしながら。

 仕事が終わっていたことが不幸中の幸いだったかもしれない。

 ノエル様に挨拶をしたこと、馬車でフェリクス殿下が私の肩を抱いてくれていたこと。

 それから彼の自室に戻ってきて、殿下の膝の上に乗せられて、そのまま肩に顔を埋めたこと。

 フェリクス殿下は執務のために部屋に書類を運ばせていて、さすがに邪魔をする訳にはいかないと私は個室へと篭ろうとした。

「邪魔じゃないから。ここに居て」

 ソファに腰かける私の隣に座った彼は、ソファの前に魔術で氷の机を精製して、執務机代わりにした。


 私たちは言葉少なだったけれど、就寝前にフェリクス殿下は切なそうに呟いた。

「レイラの心の中の片隅には、あの男が住んでいるんだね」

「殿下、あの……それは」

「うん。知ってる。恋心ではない何か。友情とも違う何か。根拠のない信頼を感じるだけの特別な感情」

 ベッドの上、フェリクス殿下の横顔に、私はようやく意識をはっきりさせた。

 違う。ふわふわしていては駄目。

 衝撃的で自らの記憶を呼び覚ましてしまったことも、クリムゾンの過去に思いを馳せていたのは確かだった。


 不安にさせてしまっている。

 私の大好きな人を不安にさせて、追い詰めてしまっている。

 目元を軽く覆いながら俯いている彼の姿を見て尚更そう思った。

 私は、これ以上間違いたくないの。

「殿下……」

 そっと指を伸ばして、ぼんやりとしていたフェリクス殿下の後ろから抱きついた。

「レイラ……どうしたの?」

 フェリクス殿下がハッとして振り向こうとしたので、いったん手を離し、それからお互いに真正面から向き合った。

 上っ面の言葉だけではなくて、何か私の想いを伝える方法は?

 これ以上ない程に、私にとっての恋い慕う者は貴方だけなのだと伝えたい。

 愛してる、じゃ足りない。

 それは意味としては合っているのに、まだ足りない……。

 ああ。だからなのだ、と気付く。


「フェリクス殿下。私、あのっ……」

 戸惑い顔でこちらに向き直るフェリクス殿下の顔を見た刹那、私の中に湧き上がったこの衝動は何なのか。

 勢いをつけて、とんっと肩を押して体にのしかかる形で私はフェリクス殿下をベッドの上に押し倒した。

 私の力程度では何の力もないというのに、素直に押し倒された彼は、私を驚愕の目で見つめていた。

 そんな彼に覆いかぶさりながら、私は彼の頭を抱えて、自らの唇を彼のそれにゆっくりと重ねた。

 彼の唇は柔らかくて、触れるだけで気持ちが良い。

 息を飲み戸惑う反応。振り払われることが怖かった。触るな、と言われることが怖かった。

 予想に反して私の後頭部を優しく引き寄せられた時は酷く安堵した。

「私にとっての最愛は貴方です。どうか、誤解などなさらないで……」


 だからなのだ、と気付いた。

 想いを重ねるように唇を重ねて、身体を重ねる。

 愛してる以上の何かを伝えるのは難しく、どうして罵詈雑言とは違って、これ程までに愛の言葉の語彙は少なく感じられるのだろう。


「知ってる、知ってるんだ。レイラ。貴方の気持ちは」


 切なそうな声。理解してなお、やり切れないと彼は私にそう言っていた。

 私は彼に覆いかぶさっていた体をズラして、彼の隣に寄り添った。

 そのまま、今度は私が抱き竦められた。

「こんなことが出来るのは、貴方だけなんです、フェリクス殿下」

「レイラ、知ってる……。私はとっくにそれを知っているのに」

 フェリクス殿下の顔に浮かぶのは焦燥感だった。

 彼の頬に手を添えて、私はもう一度彼の唇にキスをした。

 ちゅっと可愛らしい音を立てて、すぐに離してを何度も繰り返す。

 好き……。なのに、私は……。

 そう。私は大好きな彼を不安にさせている。

 少しでも想いを伝えることが今の私のやるべきことだ。

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