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 フェリクス殿下の隣に私が座り、私たちの正面のソファにノエル様が座った。

「話は、ある宝石商が潰れる切っ掛けから話す必要がある」

 ノエル様が鞄から取り出した書類は真っ白だった。

 彼が手をかざした瞬間、文字が浮かび上がる。

 自分の魔力を鍵にした、機密文書を守るための魔術だった。

「この女、フェリクス殿下とレイラは知ってる?」

 ノエル様の指先には、写真が貼り付けてあった。

 明るい茶髪に空色の瞳の四十代くらいの女性が蠱惑的な笑みを浮かべている。

 この人は確か……。

「マリアンヌ=ウォール元伯爵夫人」

 フェリクス殿下は顔を顰めながらぽつりと言った。

 それもそのはず。

 このマリアンヌという女性は、悪い意味で非常に有名な貴族で、今でも語り草だった。

 今は違法な人身売買を行っていたとして、収監されたと言われているけれど……。


「十から十五までの少年を金で買って侍らせていた虫酸の走る女だ。この女の別邸は少年たちを飼うために様々な用途の玩具が揃えられていたらしい。今は居ないから良いけど、もし居たら私たちも標的だったかもしれない。十年前の話だけど」

 捕まったとは聞いたが、死んだとは聞いていない。

「フェリクス殿下……。彼女が今、どうしているのかご存知なのですか?」

 それからの続報はフェリクス殿下は知っていそうな気がした。

「実は彼女、十年前に謎の死を遂げてるんだ。表向きには牢屋にぶち込んだことになっているけど。そう処理されているけど、実際はある貴族に消されている」

 何者かに消されて?

 それから……。全てが明るみに出る前は、狡猾に、誰にも怪しまれず気付かれることもなく、少年趣味のマリアンヌは己の欲望を満たし続けていたのだとフェリクス殿下は教えてくれた。

 集められた少年たちはまず洗脳されるため、告発されることがまずない。

 彼女に子はおらず、夫は若い令嬢ばかりを相手にしていて、つまりは家庭内崩壊だった。

 ただ、お互いの欲望を満たすために、この夫婦はお互いに見て見ぬふりをしていた。

「それで、クリムゾン=カタストロフィと何の関係が?」

 フェリクス殿下が先を促すとノエル様は、さらに次の資料をめくった。


「マリアンヌという女は、十年前にある少年に目を付けた。それ程大きくはない、とある宝石商の息子で、その息子の髪は鮮やかな赤色をしていた」


 背筋に悪寒が走った。

 クリムゾンが……?

 急激に寒くて寒くて仕方なくなって、目の前がくらりと歪んだ。

 瞬間、隣に座っていたフェリクス殿下が私の肩を抱き寄せて指先に力を込めた。

 しっかりしなければ。

 フェリクス殿下に目線だけで、問題ないと軽く笑みを見せて、姿勢を正す。


「ノエル様、続きをお願いします」

 心配そうに私を一瞥したノエル様だったけれど、私がしっかりと頷くのを見て、彼も小さく頷いた。


「この女がその宝石商の息子を破格の値段で買い取ろうとしたが、その家族の結束は固く、どんな大金を積まれても、脅されても父親も母親も首を縦に振ることは、ついぞなかった。次男も自らの兄を心配していたそうだな」

 クリムゾンは、両親に愛され、家族に大切にされて育ってきた。

 愛知らぬ訳ではない。クリムゾンの根底にある純粋な人間らしさは幼い頃から積み重ねて来たものだったのだ。

 最初から孤児だった訳ではない……。


「私にはなんとなくその先が分かってしまうのだけど……」

 フェリクス殿下が苦しげに唸る。

 私も胃がキリキリと痛んで来た。察してしまって尚、この先を聞くのが辛い。

 私は膝の上に置いてあった手に力を込めた。

 ノエル様は、次の資料をめくった。


「伯爵家だからな。平民の商人が適うはずもない。ある意味では、人海戦術だな。彼らを追い詰めるために、ありとあらゆる人間たちが敵にまわったんだ」

「具体的に……何があったのでしょう?」

 聞きたくないのに、私の口が勝手に動いて、惨劇について聞き正そうとする。

「まずは仕事がなくなった。それから取引先との繋がりもなくなり、金でも積まれたのか縁者や親類たち、仲の良い友人たちにも裏切られたんだ。彼らをマリアンヌに引き渡そうとしたり。誹謗中傷や嫌がらせ。とにかく家族以外は敵だったと言っても過言ではない」

 ああ。分かってしまった。クリムゾンが人間不信な理由が。

 信じていた者に裏切られ、貶められ、苛まれた。

 今まで笑い合っていたはずの者が敵に回った。それから。

 ノエル様は私を心配しながらも恐ろしい最期を口にした。

「最後まで言うことを聞かなかった赤髪の少年に見せつけるように、まずは彼の実の弟が見せしめに殺された。それから弟の遺体を餌に呼び寄せられた両親も……。両親は、その直前に長男を逃がした」

「つまり、自分たちの死によって時間稼ぎをした……ということか。……それで、ようするにクリムゾン=カタストロフィの正体はその息子ってことで良いのかな? ノエルが調べ上げたことだし、間違いはないと思うけど」

 フェリクス殿下が問いかけるとノエル様は重々しく頷いた。


 ああ……!ああ……!


『ご主人? 大丈夫か!? 魔力が随分と乱れているぞ?』

 ルナは気が付けば私の隣に寄り添っていた。

 大切な者をなぶり殺され、自分だけ生き長らえる苦痛。

 それも自分が発端となって。

 その絶望、悔恨、慟哭。それから自分自身への呪詛、嫌悪。

 腸が煮えくり返り、この世の全てを恨み、疎み、呪わんと精神は徐々に病んでいく。


 ああ! あまりにも貴方と私は似ている!!


 決して全てが同じではないけれど、確かに私たちだけがこの世で理解し合える存在だった。


 クリムゾンは『世の中、面白いか面白くないかで判断している』。

 その理由の一端が少しだけ見えた。

 処世術だったのだ。クリムゾンは考えることを放棄し、絶望を飲み込んだ。

 瑠奈が居なくなった後も、私の周りには家族が居た。先生が居た。

 私には味方はたくさん居たけれど、彼は家族を亡くした後、周りには敵しか居なかった。

 壮絶だったに違いない。その後のことを考えれば、そうして心を凍らせることが身を守る術だった。

 そして、やがてはそれが日常となって、自分の要素の一つとして定着していくのだ。

「クリムゾン=カタストロフィは、平民だが魔力を持っていたんだ。その後、()()()として活動して資金を得る生活に移行した。身を隠しながら……な」

 掃除屋。それは家事手伝いとかではなくて、裏稼業での掃除屋。つまり、殺人依頼。

「魔術の扱い方は自己流だったのだろうが、奴はそちらの方面に才能が開花した」

 必要に迫られ、彼は幼い頃から人を殺す術を、自らの爪を磨き続けた。

 今のクリムゾンはそんじょそこらの者なんか目じゃない程の魔術師だ。

「レイラ。平気? 顔色が悪い」

 私の肩を抱いたまま、フェリクス殿下が問いかける。

「大丈夫です。続きを聞きます」

 少しでもクリムゾンのことを知りたいと思った。

 私の同胞。私の仲間。お互いを理解出来る唯一の存在。


「ここから先の情報だが……。例のマリアンヌが粛清されてから、クリムゾンは裏社会から姿を消すから、あまり情報は存在しない。僕はこれ以上調べられなかった」

「粛清? 誰にですか?」

「サンチェスター公爵だよ」

 ノエル様の代わりにフェリクス殿下が答えた。

 フェリクス殿下はサンチェスター公爵について調べていたから、知っていたのだろう。


 色々と何かが繋がった気がした。

 もしかして、サンチェスター公爵は、例のマリアンヌという女性を片付けた?

 クリムゾンが復讐を遂げる前に?


 これは私の完全なる推測だけど、クリムゾンはきっとマリアンヌに復讐しようと、日々自らの爪を研いでいたのではないか。

 ……なんとなく、これが正解な気がする。

 彼が私に己のことを語る時、果たせなかった者特有のやるせなさを滲ませている気がした。

 機会を窺っているうちに、誰かに先を越されて。

 私と似ていると彼が強調するなら、その可能性が高い。

 私たちはお互いに似た空気を纏っていて、それをお互いに感じているのだから、もしかしたら。


 似たような思いを私は知っている。

 その全てが同じとは言いきれないけれど。


 憎くて堪らない誰かに殺意を向け、手を伸ばそうとした瞬間に、獲物を横からかっさらわれる。


 私は今でも時折、考えることがある。

 もし、あの時、直接瑠奈を殺した屑たちをこの手で始末出来たとしたら、復讐を完遂することが出来たとしたら、少しでも気は晴れたのだろうか?と。

 そんな機会は永遠になくなってしまったから、見当はつかないままだけれど。

 私が殺人犯になる前に、あいつらは捕まってしまった。

 仄暗い殺意は、今でも消えない。

 その殺意を私は永遠に忘れることは出来ないだろう。


『ごしゅじん……』

 ルナが私をとりまく魔力の変化に戸惑っていた。

 ああ。殺気立ってしまった……。

 私と契約しているルナが一番、今の私の影響を受けやすい立場なのに……。

 目を閉じてゆっくりと呼吸をした後、私は冷静に問いかけた。


「それから、彼は、クリムゾン=カタストロフィはどうなったと思われますか?」


 フェリクス殿下は一泊置いて、端的に告げた。


「サンチェスター公爵の子飼になったのだと思う。裏社会から姿を一時的にとはいえ、消しているからね」

 一つだけ言えること。

 そのタイミングでクリムゾンは、サンチェスター公爵の養子になったのかもしれない。


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