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フェリクス殿下の暗躍

 フェリクスの婚約者であるレイラが、光の魔力の持ち主に襲われたその日、彼女の仕事先である学園の医務室は一日閉めることにしたらしい。

 レイラは彼女の叔父であるセオドア=ヴィヴィアンヌ医務官と散乱したものを片付けることにしたようだ。

 護衛としてリアムを付け、さらに隠形魔術が得意な騎士にも見張らせた。

 あまり大事にならないように。


『心配はしないでください。叔父様もルナもリアム様も一緒ですから』

 ほんの少し震えていたくせに、気丈にもレイラはそう言って私を部屋から追い出した。


 その日フェリクスも、二日ぶりに復帰する予定だった授業を休むことにして、王城へとトンボ帰りすることになった。


 王城のある一室、近衛騎士を従えたフェリクスはある少女と対峙していた。

「フェリクス殿下。お呼びでしょうか?」

「貴女にお願いがあって呼んだんだ」

 チョコレートブラウンの瞳と髪をした一人の少女は学園の元生徒で、今は王城の侍女として働いていた。

 意志の強そうな目と頼りがいのありそうな佇まいは、令嬢というよりも騎士のそれに近い。

 ──彼女も色々あったからな。もしかしたら肝が据わったのかもしれない。

 元は子爵令嬢として学園に通っていたのだが、彼女の実家がリーリエ=ジュエルムに取り入ろうとして怪しげな動きを見せた上、さらにレイラを貶めようと画策していたため、彼女は運命に翻弄された。

 彼女はレイラに忠誠を誓う形で、自分の子爵家を告発した件の子爵令嬢である。

 実家だけでなく、それに連なる黒い貴族たちを芋づる式に暴き、その一覧を王家に提出したという有能な令嬢だ。

 没落させる実家そのものを利用した手腕など、小気味良いとフェリクスは思う。

 彼女は本来の名前を捨てて、訳ありで家出して来たという設定で『ただのミラ。新人の、それも下級侍女です』と名乗っている。どうやら、偽名らしい。

「私に御用がおありということは、レイラ様に関するご依頼でしょうか?」

「察しが良いね」

 ミラという侍女は学園に居る間にレイラと関わりがあったのか、レイラの幸せを願っているように見える。

 王城に移ってきたレイラに声をかけることはないが、遠目に眺めて穏やかに微笑む姿を目撃されているらしい。

 レイラに対しては尊敬や憧れなどの感情を抱いているし、普通に忠誠を誓っているように見える。

 そもそも、自分の実家を告発したのも王家への忠誠心だけではなくて、レイラが居たからだとフェリクスは考察している。


「今日、リーリエ=ジュエルムは罪を犯したので拘束されたんだ。秘密裏に王家が引き取ることになった」

「ああ。あの……淑女として色々と足りていない方ですか」

 拘束されると聞いてもミラは驚くこともなく、いつかやらかすと思っていたのか平然と頷いた。

「リーリエ=ジュエルムが表舞台から姿を消すことにおいては、大歓迎なんだけど。光の魔力の持ち主が拘束されるというのは、少々世間体が悪いし、レイラがあることないこと言われるのも避けたい」

「当然ですね。リーリエ=ジュエルムの件でこれ以上、レイラ様に負担をかけたくはありません」

 ミラの目はレイラを案じてか、一瞬不安そうに揺れたが、すぐに毅然とした表情に戻る。


「だからリーリエ=ジュエルムの替え玉として、成り代わって欲しい」

「成程。学園時代の私の成績をご存知のようですね」

 ミラという侍女は学園に通っていた頃、変身魔術に適正を持っていた。

「それなりの距離感でちょうど良い関係性を築いているという振りをすれば、誰も噂などしなくなる。リーリエ=ジュエルム本人が居なくなるついでに諸々のことを解決しようかと思って」

 基本的には、男爵家で謹慎中ということになり、時折参加する夜会でレイラと仲の良いフリをして関係が良好だとアピールする。

「身に危険が迫ったから、自宅で過ごすことにしたという設定なんだ、表向きには」

 ミラは顔を伏せてすぐに跪いた。

「それがレイラ様のためになることでしたら何なりと」

「貴女がレイラを好きだというのは信頼出来る。協力してくれるのは本当にありがたい」

「おそれながら、殿下。貴方様がレイラ様に向ける想いには適わないかと。リーリエ=ジュエルムを王家で引き取ると仰っていましたが、ただ引き取る訳ではないのでしょう?」

 フェリクスはその言葉に、うっそりと笑って返した。

「さすが。察しが良いね」

「私が殿下でも同じことをしますから」

 ──なるほどね。それなら察するのも当然かな。


 そうしてミラと契約を交わした後、フェリクスはある場所へと足を向ける。


 死刑囚のみが捕らえられているという深淵。

 入ったら最後、首を落とされ惨たらしく晒される時が来るまで出ることが叶わない、絶望に支配された牢獄。

 地下牢と同じような階段を下っていくというのに、その空気のおどろおどろしさは比べ物にならない。


 王太子自ら淀んだ牢獄へと足を踏み入れていく。

 通称、奈落の底。

 もう先にも後にも戻れない。

 奇跡がない限りは。


 一つ一つの牢屋にかけられた魔術の質は、この王国最高に鉄壁と言っても良い。

 強力で凶悪且つ残忍な魔術師が収容されるために。

 牢屋の壁や入口の柵に触れると、魔力が死ぬ寸前まで吸い取られる。

 最高峰の吸収魔術。

 この牢屋に囚われたら最後。吸い取られ、回復するも再び吸い取られの繰り返しだ。


 冷たい足音を響かせ、ある牢の前で立ち止まり、この場にそぐわない爽やかな声で話しかける。

「こんにちは。リーリエ嬢」


 牢の中、粗末なベッドと蝋燭、それから机。

 最小限の物以外、取っ払われた一室に、長い鎖に手首を繋がれたピンクブロンドの少女。

 そう。フェリクスは王家で内密に引き取るとは言ったが、保護するとは言っていない。

 替え玉が居るのだから構わない。ミラが魔術を公に使わなければバレることはないし、もし必要になれば、光の魔力を採取すれば良い。


「出して! ここから出してよ!」

「あれ? 魔力吸収されていないの? 大抵、ここに入った者は柵に攻撃して、魔力を吸収されるのが落ちだと思っていたんだけど」

 もしかして割と冷静だったのかと関心していれば、彼女は目を潤ませ、今にも零しそうになりながら訴えた。


「私の精霊が危ないって教えてくれたの! 酷い! 酷いよ! こんなところに閉じ込めるなんて! 私たち、仲良くしてたじゃない!!」

 ──仲良くしてた? それはいつの頃のことを言っているんだ?

 機嫌悪そうに目を細めたフェリクスに、リーリエは気付かない。

「私、何もしてない!ちょっと医務室を滅茶苦茶にしちゃったかもしれないけど、それだけだもの!! ここから出してよ! ほら! レイラさんも無事だったんだし!」

「無事……ね。私の婚約者を殺そうとしたのに。頭の中、沸いているんじゃないか?」

 フェリクスが口元だけ笑みを浮かべてそう言うと、何故かリーリエは顔を青ざめさせた。

 それから、口をパクパクさせた後、とんでもないことを言い出した。

「やっぱりあの女に騙されてるんだよ! フェリクス様は! だって、フェリクス様は私にそんな酷いこと言わないもん! 私の知るフェリクス様は優しいもの。私はそんな貴方のことが好きで!」

 ──私の知る、ね。

 この女が自分の何を知っているのだろうと、フェリクスは冷笑した。

 フェリクスを好きと言うけれど、好きな相手が目を向けている相手が誰なのか、この女は分からなかった。

 いや、分かろうともしなかった。

 口で何度も説明しても、ことあるごとに騙されているとそればかり。

 挙句の果てに、フェリクスの最愛に敵意を向けて、命を奪おうとした大罪人。

 法治国家の王太子であるフェリクスが、私怨でこの女を殺すことはすぐに出来ない。

 もし王太子という立場でなければ闇討ちをしたところだ。


「ねえ、フェリクス様。食事はもらったけど、トイレに行きたい時は出してくれるんだよね?」

「何を言っている? 無理に決まっている」

「え? 出してくれないの? でも、ここにトイレはないよ?」

 呑気な腹の立つ表情を浮かべ、その間抜けで滑稽な顔を晒してみせる女に辟易した。


 一度大きな溜息を吐いた後、何でもないことのように言った。

「後ろの方にバケツがある。それでどうにかすれば良い」

「何言ってるの!? そんなの嫌!」


 ──ああ。うるさい。


 喚き続ける女を放置してその場を去り、入り口に立っていた看守に腕輪の形をした魔術具を渡す。

「リーリエ=ジュエルムの様子を見に行く時は、この魔術具を付けて欲しい。たまにで良いからね」

「殿下。これは何ですか?」

 フェリクスはニッコリと何も欠けるところのない完璧で美しい蠱惑的な微笑みを浮かべた。



「これを付けた人物を周りの人間は、私だと誤認するんだ。認識阻害系の魔術具の一種だ」



 何故、そんなことをするかって?

 リーリエがフェリクスを好きだと知っていたから。

 誰しも自らの惨めな姿を、好きな者に目撃されたくはないと知っているから。

 リーリエがバケツを使っている間、フェリクスの姿をした看守がその様子を眺めていたら、彼女にとってそれは地獄だろう。

 ──羞恥心で死ぬ? それとも憤死する? なんてね。


 自分が嫌だと思うことを相手にさせる。

 単純明快なことだった。


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