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私が硬直していたのは、およそ数秒間。
普段から叩き込まれていた礼儀作法のおかげで、口が勝手に動き出す。
「王妃様におかれましては、ご機嫌麗しゅう……。お目にかかることが出来て恐悦至極でございます。このような格好で大変お見苦しく、申し訳ないことこの上ないのですが、この場ではこのまま挨拶をさせていただきたく存じます。この度は私の事情により──」
色々と衝撃が大きすぎて忘れていたが、元々は私を匿うという理由だったはず。
それについてお礼を申し上げようとしていたら、王妃様は肩の力を抜くと相好を崩した。
そして私をサッと立ち上がらせると、ぎゅうっと抱き締めてきた。
えっと、その。王妃様? お胸が……。
バスローブ姿なのでお互いの体つきが丸分かりなのだ。
王妃様の豊満な体が……その。
「やだ、もう。この子ったら。そんなに他人行儀にしなくても。せっかく知り合いになれたんだし、気楽に行きましょう!」
そういう訳にもいかず、かといって従わない訳にはいかず、逡巡していたら抱き締めている腕に力を込めてくる王妃様。
えっと……離れないんだけど、どうしたら良いのだろう?
「肌が白くて綺麗ー! 薄い生地も似合いそうねー! 耳も唇もちっちゃくて可愛いわぁ!!」
頬を両手で包まれて、間近で王妃様の目が合った。
待って。現実感がない。
この国の王妃様とこんな近距離で顔を見合わせるなんて、考えたこともなかった。
「肌もきめ細かいし、瞳も綺麗な紫色! うふふ、かーわいい!」
つんっと唇をつつかれて、ドキドキしてしまう。
私を可愛いと褒めてくれるけれど、私から見れば王妃様の方が華やかな美人だし、その天真爛漫さも相まって可愛らしい。
話し方とか仕草とか、癒される。
ぽそぽそと、そのようなことを伝えてみれば、王妃様は何故だか嬉しそうに頬を染めて微笑んだ。
「レイラちゃんは、こっちの私を見ても引かないのね。可愛い女の子に可愛いって言われるとは、おばさん思わなかったわー!」
どこからどう見てもおばさんではないと思うの。
王妃様は遠目からしか見たことなかったけれど、仮面を剥がしてしまえば、お茶目で明るくて社交的な人だった。
高嶺の花……のように美しいはずなのに、素の表情は、若々しいレディのよう。
「それでね、娘が出来たらしてみたかったのよ!」
「何をされたかったのですか?」
「恋バナを! してみたかったのよ!」
「それは……ええと」
お互いに気まずいのではないだろうか?
婚約者だけど、一応、嫁と姑の関係性になる訳で。
あまりにも近すぎて何も語れないような気がする。
「ねえねえ! フェリクスは、どうやって口説いてくるの? 睦言の一つや二つするでしょう? それともヘタレとか?」
あっ。このお方、何も思わないタイプだ……。
好奇心の赴くままというか。
型破りというか常識外すぎて、戸惑う。
自分の息子のそういう話も嬉嬉として聞くタイプらしい。
「あの……ご子息のそういう話を聞くのは、王妃様はどのようにお考えで……?」
念の為に聞いてみたら、王妃様は目をキラキラさせながらこう言った。
「面白いネタね!!」
言い切りましたよ、このお方。
「…………な、成程」
「気まずいとかそういうのはないわねー。だっていずれ結婚したら子どもが出来るでしょう? いずれ皆知るんだから恥じらう必要もないじゃない? 細かいことは気にしちゃ駄目よ。私は逆にちょっと興味が湧くくらいなのだけれど、それをあの子に聞いたら口を利いてくれなくなりそうで」
当たり前だと思う。
なんだろう。この人、大物だ。
そして何がすごいって、この破天荒ぶりを完璧に隠しているところが凄い。
私は今日まで知らなかった。
さすが、この国を担う方の奥方。
「世の中、考えたら負けなの。考えるべきことは考えて、考えなくて良いことは考えない! それで万事問題なしよ」
「……す、すごい……です」
私だったら考えすぎてしまうので、王妃様がそう言いきったことを純粋に尊敬してしまう。
「これは私の真理なんだけど、頭良い人って人生を無駄に悩む気がするのよね。だから私は馬鹿になることにしたの」
言葉通りではないことはすぐに分かった。
これは譜面通りに受け取るものではない。
王妃の有能さは巷でも知れ渡っているし、おそらく、このお方は長年かけて力の抜き方を学んで来たお方だ。
王妃という立場に居ながら、ここまで天真爛漫で居られるということが、もう化け物だと思う。そのくらい肝の座ったお方。
苦労をおくびにも出さないけれど、私はお父様経由で王妃という地位の恐ろしさや、彼女自身の武勇伝を知っているのだ。
明るい目をしているが、その奥の色は思慮深いものが見え隠れしている。
そして、彼女の気まぐれのように行われたエミリー様の出版デビューも、意味があることにすぐに気付いた。
王妃様は女性の地位向上のために働く女性を支援するべく動いている。
『淑女の友』は女性雑誌。編集者も女性陣。これを流行らせれば、出版業界で働く女性が注目される機会が高まるのだ。
そうなれば多様性が生まれる可能性だってある。やることに無駄がない!
すごい!
尊敬の眼差しで見つめているのが分かったのか、王妃様は「もう、レイラちゃんってば、もう!」と肩をぺしぺしと叩いてくる。
「それでそれで! この小説にあることだけど、どこからどこまでが本当なの?」
「え、ええ!? あっ……ええと」
思わず淑女らしからぬ声を出してしまい、慌てて押さえる。
「その反応からして、大体は実話なのね! あの子ったら、やるわね! そうそう! 森で迷った女の子を迎えに行くエピソードがあったでしょう? 私が思うに、ここでヒロインは落ちたと思うのよね! 大丈夫だと自分を過信している女の子ほど大丈夫じゃなかったりするのよ」
「……」
どうしよう。大体合ってる……! 私が彼を本格的に意識するきっかけなのだ。
迎えに来てもらったその瞬間のことが頭から離れないのは、そういうことなのだと思う。
森で遭難したレイナをフェリペが迎えに行くシーン。これも実話を参考にしていた。
まだ『淑女の友』の紙面では語られていないエピソードなので、もしや王妃様は初版本でも持っているのだろうか?
「その節はフェリクス殿下にはお世話になりました……。誰も来ないと思っていたので、あの時はとても嬉しくて……」
無意識に頬を緩めていれば。
「やっぱり! レイラちゃんはそこで! 落ちたのね! 両片思い期間が長かったのね!! やだもう!キュンキュンしちゃう!」
「その後は友人として仲良くさせていただいておりまして。あまり、面白い話はあまりないかと……」
「何言ってるの! 友達以上恋人未満の関係なのよ!? そこが美味しいのよ」
私の肩をガタガタ揺する王妃様に「お、落ち着いてくださいませ」と声をかけていた時だった。
侍女の一人が申し訳なさそうに声をかけてきた。
「おそれながら、王妃様。問題が発生しました」
「あら、なあに?」
揺すっていた手が止まり、ホッとした私は彼女からさり気なく身を離す。
「バレました。彼は外で待ち伏せしております。何やらお伝えしたいことがある様子です」
「ちっ、早かったわね」
ひえっ! やんごとなきお方が舌打ちを!?
「あの子、何故私の一日のスケジュールを把握しているのかしらね。偶然を装って、レイラちゃんと遭遇するように予定をねじ込んだのに!」
「王妃様? あの子というのは……?」
分かりきっているが念の為聞いてみた。
「可愛くないと噂の長男よ。隙がないんだから、もうー!」
悪戯を邪魔されて阻止された子どものように王妃様は拗ねていた。
そういうお顔をされると年齢がますます分からないわね……。
「良いじゃない! 自分はレイラちゃんといつもイチャイチャしてるんでしょ? なら、私も未来の娘ちゃんとイチャイチャしても良いと思わない?」
「イチャイチャは関係ないような……?」
思わず呟けば、王妃様は私の方へ振り向くと、ニヤーリと怪しげに口の端を吊り上げた。
「イチャイチャは関係ない? レイラちゃんはそう言うのね?」
「あの? 王妃様?」
何か嫌な予感がする。
「鏡を用意して」
「はい、王妃様。こちらです。曇止めの魔術も施してあります」
「レイラちゃん、そういうことはね。自分の首筋を見てから言うのよ」
うふふーと上機嫌で差し出してくださった鏡を受け取り、そっと覗き込む。
「っ!? ───!?」
私は声にならない叫びを上げた。
王妃様は、さあ詳細を話せと言わんばかりに、ニヤニヤ顔を崩さない。
フェリクス殿下の意地悪!
痕は付けないって約束したくせに!!
もしかして、侍女の方々も知って……?
ああああああ!!
よりにもよって彼の親族にそれを目撃されてしまった私のメンタルは粉々である。
「あら、レイラちゃん。首まで真っ赤ねー。さすがにフェリクスもこういうところだと気が利かないのね。良いネタを──コホン、新しいことを知ったわ!」
私の首筋にはハッキリとした鬱血痕が、これ見よがしに所有印として刻み込まれていたのだった。




