紅の魔術師の日常
温度差が酷いですが、クリムゾン目線です。
結局のところ、正義と悪は表裏一体だとブレイン=サンチェスターこと、クリムゾン=カタストロフィは思っていた。
光の届かぬ暗闇の地下室ではあるが、こうしてどこに何があるのか分かるということは、光が全くない訳ではないのだろう。
──光が全くなくなれば、無になってしまうからな。
などとどうでも良いことをブレインは考えていた。
全くの無の中でも存在できるのはこの世ならざる者だけかもしれない。
脳裏に過ぎるのはどうでも良いことばかりだったが、その思考もすぐに中断させられることになる。
「ブレイン……! ブレイン! 聞いているのか!?」
今代のサンチェスター公爵である、ジェラルド=サンチェスターの聞き苦しい喚き声と共に、ピシャリと体に鞭が振るわれたからだ。
「……聞いてますよ」
両腕に鎖で手を繋がれ、壁にぶら下げられているクリムゾンの上半身は裸にされ、先程から振るわれる鞭。
そして罵声。
「嘘をつけ! 先程から全く何も聞いてないだろう!」
──面倒くさいな。
「聞いておりますよ。養父上殿。貴方が鞭で痛めつけるから、意識が朦朧しただけです」
「減らず口を叩きおって!」
「痛いのは誰でも嫌でしょう? 精々、死なない程度に痛めつけてください」
嘘だ。先程から、体の痛みなど感じていない。
度重なる暴力と人体実験の末、クリムゾンはまず痛覚を失った。
死なない程度に、というのは心からの願いだ。
痛みを感じないから拷問の意味もないけれど、痛めつけ過ぎれば、さすがに死ぬ。
そこのところを気をつけてくれれば、いくらだって構わない。
後で治癒魔術で必要最低限の傷を塞げば良いのだ。
大雑把な治療で身体中、傷だらけだが、外から見られなければ別に良い。
貴族社会では肌を晒す機会は少ないし、ブレインは騎士でも何でもない。
「大司祭の暗殺失敗は情報漏洩が原因なんだろう!? お前が原因だろう!? お前がどこからか漏らしたに決まっている!」
──完全に疑いやがって。……まあ、俺のせいなのは正解だけど。
大司祭暗殺に邪魔が入って失敗してから、すぐクリムゾンはこの地下へと囚われた。
力任せに鞭を打ち続ける公爵はいい年の癖に、暴力で解決出来ることがあると信じている子どものような男だ。
──夢想して、哀れな妄想に囚われているのは愚かと言えなくはないが。
クリムゾンはほくそ笑む。
純粋にこの茶番におかしくなったからだ。
「お前、何がおかしい!」
鞭がしなり、その度に床にポタリポタリと赤い雫が滴り落ちていく。
暗闇のせいでほとんど見えないけれど。
──ああ。今日はいつも以上に気合い入っているのか?なんだか意識がぼんやりとするような。
それを責め苦と感じないまま、クリムゾンは軽口を聞く。
「義父上。ここまで殴りつけて、自白剤をも使って何もないんだから、もう俺には何もないのでは?」
自白剤という単語に公爵は舌打ちをした。
どれだけクリムゾンを疑ったところで認めざるを得ないのだ。
彼が無実だと。
自白剤を飲ませられたことくらい知っていた。
鼻で笑うと、再び鞭で叩きつけられて、鎖がガシャンと音を立てた。
公爵はクリムゾン経由で情報漏洩したと心から信じ切っているらしい。
──まあ、正解なんですけどね。
精霊のアビス経由でレイラに密告したおかげで、足取りなどはどう頑張っても掴めない。
その証拠も何も存在していない。
クリムゾンを疑い、自白剤を投入したとはいえ、彼にそれは効かない。
散々、人体実験を重ねたおかげで、薬に対する耐性がついてしまっているからだ。
だから、自白剤も効かない。
もっとも、効いている振りを続けてきたのはクリムゾンだが。
その方が都合が良いからだ。
「それに、俺の行動を探らせてみれば、怪しいことなんて一つもないと証明されるでしょう? 過去のデータも探ってみるのはいかがです? 俺の潔白さは証明される」
精霊との契約を利用した抜け道を平然と使った。
アビスの姿が見えないため、証拠はない。
クリムゾンが精霊と契約していることを公爵は知らないし。
それにクリムゾン=カタストロフィとしての行動は公爵にとって不利益ではないはずだ。
表向き、ブレイン=サンチェスターの行動は公爵に背いていない。
「まあ、義父上は普段から俺の外での行動を部下に監視させていますし、疑う余地などなくないですか?」
人身売買で素材を集めた時も、多少選り好みをさせてもらったが迷惑はかけていない。
どこからどう見てもクリムゾンは潔白だった。
少なくとも、目の前の公爵にとっては。
「だが、お前は……」
「何を仰いますか。貴方は俺に、自分には魔術で歯向かわないようにという契約魔術を結ばせたではないですか」
息が荒くなっていることに初めて気付く。
──ああ。酸素が足りないのか。それとも魔力?
先程、人工魔獣に散々貪られたため、今彼に残っている魔力は僅かしかなかった。
眠りそうになるのは危険なので、しっかりと目を開けておかなければ。
「……」
公爵は、凄絶に笑うクリムゾンを睨みながら、むっつりと黙っている。
「ふふ、それに貴方は、その後にもさらに契約魔術の内容を増やしたのに、何が気に入らないので? もう、俺は貴方に逆らえませんよ」
ふとそこで見知った声からの念話が入った。
こんな時でも自分たち以外の世の中は止まらない。
『厄介なのが嗅ぎ回っていて、以前よりペースが落ちる』
騎士団で狩りを行うニール=ベイカーからだった。
『構いません。ニール。そのまま続行を』
念話をしていれば、何やら喚く公爵の声も意識から追い出せる。
これはこれで良い。
ニール=ベイカーの狩場である騎士団では、フェリクス殿下の子飼いであるハロルド=ダイアーが動いているせいで、以前よりも動きにくいらしい。
──まあ、想定内だ。
まあ、今回のことで公爵も慎重になっただろうし、材料が手に入るペースが落ちても問題はなさそうだ。
それよりも事実に気付いた王太子がどう行動するのか気になる。
面白くなると良い。
また、血が吹き出した。
身体中から血が流れすぎて貧血になる前に、公爵が拷問に飽きてくれると良いが。
「公爵。俺のことを信じられないのは結構ですが、今大々的に動くのは、まずそうですよ」
「うるさい!!」
鞭がしなってクリムゾンの体を傷付ける。
ぴしんっ!という音に、クリムゾンは溜息をついた。
叩きすぎて、拷問されているクリムゾンよりも、拷問している方が息切れしている。
状況がまずいことは公爵も理解しているのだろう。
彼は癇癪を起こす子どものように、クリムゾンへと当たり散らす。
そして、この時のクリムゾンは知らなかった。
クリムゾンの疑いが晴れるまで、思う存分叩きつけられてボロボロにされた後、思っていたよりも危機的な状態で命からがら抜け出す羽目になるとは。
それから、彼の愛する半身であり、ソウルメイトでもある彼女に拾ってもらうことも。
さらに、その白く美しい彼女の手によって助けてもらえるなんて、僥倖も。




