126
孤児院長にお話を伺った後、馬車に乗り込み、動きだした途端、にこやかだったフェリクス殿下の仮面が剥がれた。
正面に座っていた彼は、私の隣へと移動するとぴったりと体を寄せてきた。
「!」
ぴくん、と私の体が僅かに触れるのを知りながら、彼は甘えるように首筋へと顔を埋めて溜息をつく。
「ちょっとくっつかせて」
「……は、はい」
首筋にかかるささやかな吐息は温かく、こそばゆくて、私は何度かスカートを直しながら身じろいだ。
やはり、クリムゾンと会うと彼の様子はおかしくなる。
それもそれで気になっていたけれど、私は本題に入ることにした。
「孤児院長の出してくださった手紙ですか?あれを見た時の殿下、かなり、驚いてらしたもの」
「……すぐに取り繕ったつもりだったけど、レイラには丸分かりだったようだね」
「ええ。孤児院長の話を伺っている途中で、明らかに様子がおかしい一場面がその手紙についての一件でしたから」
「よく私のことを見てくれているね。こんな時だけど、けっこう嬉しい」
ふっと優しく微笑む気配に、私は彼の手の上に己の手をそっと重ねた。
少し雰囲気が柔らかくなったところで、フェリクス殿下が私の耳元の近くで憂いを帯びた声を出す。
「念の為、防音しておこうか」
重要な話をするために、いつものように防音魔術が施される。
これで御者にも聞こえなくなった。
フェリクス殿下はそっと姿勢を正した。
離れてくれたことに私は内心ホッとする。
「養子縁組関連に協力している貴族がけっこう多かったのは、今日確認して分かったと思うけど」
「ええ。大司祭以外にもたくさんの貴族たちが慈善事業を行っていましたね。サンチェスター公爵も養子縁組には関わっているようでしたし」
「……それでね。事前調査した時に、養子に行った子どもたちの中で便りがあまりない子たちが何人か居たのを知ってね、今日はその手紙を確認しに来たようなものなんだけど。その仲介者が共通していたから警戒していたんだ。字をかけない子どもは多かったとはいえ……気になって」
「子どもたちからの手紙自体はあるのですし、問題はなさそうですけど……。文通もしているようでしたし。頻度は少なかったですけれど」
フェリクス殿下が何かに引っかかりを覚えているのは分かるけれど。
そう思っていたら、フェリクス殿下は衝撃的な事実を口にした。
「便りが少ない子どもたちの手紙の住所が偽造されていたんだよね。しかも、その子どもたちに関わった貴族は一人だけ。怪しまない方が無理だ」
「はい……?」
「差出人の住所はあるんだけど、その住所って裏社会の人間がダミーで使う住所なんだ。ほら、差出人の住所が存在していないのは怪しいでしょう?そうした隠蔽工作を行ってくれる者は無数に存在するんだ」
「何故、詳しいのですか?そもそも、何故その住所を知って……」
「昔、ある仕事の時、使おうとしたことがあったからだよ。三年前くらいかな」
『年齢的に色々とおかしいと思うのは私だけだろうか』
うん。ルナ。私もおかしいと思う。十二歳の少年が、執務で裏社会に関わっているって!!
フェリクス殿下が懐かしそうに、「子どもだから油断されることが多くてあの頃は楽だったなあ」とか言っているが、そうじゃない。
「とにかく、その子どもたちの手紙は本人ではない可能性があるんだ。つまり、行方不明」
「その子どもたちに関わった貴族が怪しいではありませんか」
「だよね。ちなみに驚くかもしれないんだけど──」
フェリクス殿下が溜息をついて、私の手に指を絡ませた。
私の手を軽く握ったのは、この先の衝撃を和らげるためか。
「行方不明の子どもたちの養子縁組に関わったのはサンチェスター公爵で、皆、魔力持ちらしいよ」
ぞわりと得体の知れない恐怖で、背筋から冷たい汗が流れる。
「行方不明……子どもたち……、魔力持ち」
それからクリムゾンの言う人質の子どもたち。
養子縁組に関して子どもたちに言い聞かせていたクリムゾンの姿が蘇る。
主にこれ以上子どもたちを攫わせないため?
クリムゾンの主が、子どもたちを集めている?
その主が、サンチェスター公爵だった?
そして、声なき私の疑問に答えるように、紡がれる言葉。
「理由は分からないけど、サンチェスター公爵は子どもたちを集めているんだ。つまり、大司祭を邪魔だと思って、彼を消そうとした犯人は彼以外居ないのでは? これから、裏付けを取るけど、ほとんど確定だと思ってる。ブレインの主もそのまんま公爵だと思う。調べさせたけど、ブレインにそれらしき接触相手は居なかったんだ」
主がサンチェスター公爵というのは確定?
「そうしたら、サンチェスター公爵は、子どもたちを人質に取っていることになります。あんな朗らかな人がまさか……。前に妻と子をなくした分まで、誰かを助けたいと仰っていたのに?」
「……人は簡単に仮面を被れるんだよ、レイラ」
フェリクス殿下の目は、いつぞや見たばかりの暗く造りものめいたものへ変貌していた。
その差異が何だか落ち着かなくて。
おそるおそる彼の握ってくれた手にもう片方の手を重ねてみた。
「レイラ。もっと、触って」
「触る……?」
「うん。今みたいに、ね。安心するんだ」
やはり、情緒不安定な気がする。
しばらく手を重ねたままで居た私たちだったけれど、しばらく馬車に揺られた後のことだった。
フェリクス殿下はぽつりと、こんなことを呟いた。
「レイラ。私も今日は仮面を被ってばかりだ」
余裕のない声にドキリとした。
もしかしたら、クリムゾンと会った後は、ずっとそうだったのかもしれなかった。
「フェリクス殿下……?」
「今日も、その呼び方なんだね。あいつのことは名前で呼ぶのに」
あいつ。
フェリクス殿下の言うあいつは、クリムゾンのことだ。
『これは、あの男のことを親しげに呼び捨てていることが知られたら面倒そうだな。王太子の様子はあの男と会ってから明らかにおかしいからな。ご主人。対応には気をつけるように』
クリムゾンは、クリムゾンだ。自然に、それも滑らかにそう呼んでいることに今気付いた。
「…………」
様子がおかしいのは明らかだったのに、その声に複雑そうな響きがたくさん混じっていてどうしたら良いか分からない。
私が何かを言う度に傷付けてしまいそうで怖かった。
「レイラ、じっとして」
「はい……んっ…」
顎を掴まれて唇を合わせられながらも彼は何かに憂いていた。
優しくしようとして失敗したような、どこか荒々しく深められる口付けに翻弄されながら、私は小さく唇の隙間から空気を吸い込んだ。
ほんの少し苦しくなって顔を逸らした。
「逃げるな、レイラ」
命令形の口調は珍しい。
余計に心臓が暴れ馬のようになっている
慣れた自分の寮ではなくて、王城へと向かう馬車の中、私たちは無言のまま、艶かしい口付けの音だけが響いていた。




