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 優雅な挨拶は、よくある紳士のものだ。

 サンチェスター公爵は私たちを見つけると、親しげに声をかけてきた。

 私たちも軽く挨拶した後、フェリクス殿下は友好的な笑みを浮かべた。

「公爵と顔を合わせるのは、何だか久しぶりな気がする。今回の共同事業も精力的でとても助かっているよ」

 一瞬強ばった顔など微塵も見せぬまま、彼は人好きのする笑顔で答えている。


 本当に、十五だとは思えない。

 前世の記憶がある私の方が長く生きているはずなのに。

 それにしても。

 何故? 殿下はこの人に、強ばった顔を向けたのだろうか?

「今日は良い天気ですな。晴れ渡り空に雲一つもなく、過ごしやすい一日です」

「夏も終わったけど、残暑に苦しむこともないし、部屋に冷却魔術もそれ程必要なくなったよね」

「はは、王宮はいつ行っても過ごしやすいですな。魔術師団の開発する生活魔術も便利ですし、何よりあのセオドア=ヴィヴィアンヌ殿監修と聞きましたよ」

『何だと。あの叔父、有能ではないか!?』

 ルナの驚いた!と言わんばかりの声音に内心苦笑する。

 生活力がなく、放置しておくと干からびてそうな叔父だが、その功績は魔術師たちにとって一目瞭然で、憧れている者も多数なのだ。

 私生活がちょっとアレなだけで。

 私が助手になってから悪化している気がするのは気の所為か。

 うう。これ以上は考えたくない。

『それにしても、天気の話題と季節の話題だけで、ここまで間が持つのだな。純粋に凄いと思う』

 貴族は皆、天気の話題で三十分は間が持つ。

 社交性は必須スキルなのだ。

 こっそりと念話でルナに、『お兄様もこれくらい出来るわよ』と言ってみたら、愕然としていた。

『な、なんだ……と。そんな、まさかアレがそのような』

 若干動揺しているが、本当のことなのだ。

 季節の話から始まって、話し相手の領地の特産物について詳細に褒めたたえたりしているのをチラっと聞いたことがある。

 お兄様を相手にすると頑なな領主も相好を崩すので、社交スキルがカンストしているに違いない。

 話し上手で羨ましい。私はあまり面白い話が出来る訳ではないので、少し憧れていたりする。

 ただ、シスコンすぎてたまにおかしいのが玉に瑕。

 手を付けられなくなる……のだが、フェリクス殿下は上手く対応するのがまた凄い。

 お兄様を抑えられる程の社交力を持つフェリクス殿下だが、私は様子のおかしい彼を一瞬見ていたので。

 フェリクス殿下の様子がいつもとおかしい気がしたので、彼が負担なく間を繋ぐためにも私が何か話題を提供しようと思った。

 さり気なく、薬草畑や野菜畑を子どもたちが作っているという話題提供をしてみた。


 サンチェスター公爵が見てみたいとのことだったので、孤児院内の広い畑に案内しつつ、経緯などを説明して、当番の子どもたちがせっせと水やりをする姿を遠くから眺めていた。

 植えられた植物がジョウロの水の雫でキラキラと光っている。

 キャラキャラとはしゃぐ子どもたちは、やがて水かけを始めており、靴や服を濡らし始める。

 ああ。アレはまたデコピンの刑だなぁ。

 そんな微笑ましい光景を眺めながら、サンチェスター公爵は目を細めていた。

 節約という意味合いが大きいとはいえ、本格的に植物を育てる経験をするのはまた格別だと私は思う。

 私たちはああして命をいただくのだから。

 それに何より。

「ああして、自分たちの作った物を食べるのもよりいっそう美味しいと思うのです」

 野菜の収穫の時は、感動もひとしおなのではないだろうか。

 公爵は朗らかに笑う。

「はは。よく育っている。どんな食材にも感謝しなければね。私たちは他の命を糧にして生きているが、やはりこうして間近で命が育つのを見ていると愛おしくなるよ。私たちのために捧げられる予定の命なのだから、頂く際には敬意を持たないといけない」


 サンチェスター公爵はしばらく観察していたが、ふとフェリクス殿下に向き直った。

「そういえば、今日は私の跡取りも顔を出しておりまして」

「ああ、うん。そうなんだ」

『満面の笑みなのが、逆に怖いのだが』

 ルナの声が震えていた。

 大丈夫! 分かるよ! だって、私もそうだから!


「何やら年長の子どもたちに囲まれておりましたが、そろそろ話も終わっているでしょう。元々は事業の件で連絡事項があったのでそれを伝えに来たのですよ」

 サンチェスター公爵が向ける視線の先には、ブレイン姿のクリムゾンが子どもたちに何事かを話している姿。

 普段通りだ。

 フェリクス殿下はふと視線を前方に向けると、私の指先を軽く掴んだ。

「……?」


 感覚共有の魔術だと、すぐに分かった。


 遠くに居るはずのクリムゾンの声が耳に聞こえてきて、おそらくフェリクス殿下が聴力を底上げしつつ、特定の声を拾っているらしいと分かったからだ。


『そうです。自分で決めるのですよ。伝聞に頼るのは止めること』


 クリムゾンは子どもたちに熱心に言い含めていた。

 フェリクス殿下は訝しげな表情を浮かべかけたが、すぐに取り繕った。


『自分の目で確認して、判断しなさい。養子縁組の提案は時々あると思いますが、慎重になるべきですよ。家族になるのですから、何度も会ってその人柄を確認した上で決めること』

『……? 分かった』


 この孤児院の子どもたちは、養子縁組の機会があるらしい。

 それについてクリムゾンは、噂や伝聞に頼らず、自分の目で直接見て確認しなさいと何度も伝えていた。


 クリムゾンは世話焼きな一面があるらしい。

 やはり、よく分からない。

 犯罪を犯す彼と子どもたちに囲まれる彼が上手く繋がらなかった。


 嘆息したフェリクス殿下は魔術を解いて、私の手も離し、訳が分からないと言わんばかりに肩を竦める。


 公爵もフェリクス殿下も遠くから、そんなクリムゾンの姿を眺めていた。

 やがて、しばらくしてからクリムゾンがこちらに向かって歩いて来るのが目に入った。


『これはまた面倒そうな……』

 ルナがボヤいた。


 予想に反して、ブレインとしてのクリムゾンは普通だった。

「お久しぶりですね、お二人とも。こうしてお会いするのは」

 昨日死にかけたとは思えない爽やかな微笑み。

 今日もひっそりと気配を消して護衛中のリアム様は、クリムゾンが昨日かけていた認識阻害の眼鏡のおかげで、彼を見ても何も思わないらしく、特に動揺する気配もなかった。


「そうだね。公式に会うのは久しぶりだ」

 二人とも物凄く笑顔なのが怖い。

 ハラハラして来た。

「ああ、そうでした。殿下に話そうと思ったことがあったんでした」

「そうか。私は先に帰っているよ。くれぐれも余計なことを言って殿下たちにご迷惑をかけないように」

 サンチェスター公爵は、明るくそう言った。

「重々承知ですよ。義父上」

 肩をポンと叩いて、サンチェスター公爵は一足先に帰っていった。


 お願いだから去らないで欲しかった!!



 サンチェスター公爵が馬車に乗り込むのを見て、フェリクス殿下とクリムゾンは微笑みながら見送っていたけれど。


 私たちだけになった瞬間、豹変した。


「本当にお久しぶりですね。レイラ。貴女に会いたくて夢にまで見ましたよ。現状、何かと窮屈で苦労しているでしょうが、無理は禁物ですよ」

 クリムゾンはフェリクス殿下を一切見ることなく、私だけに笑顔を向けている。

「私のせいで窮屈だって言いたいのかな? お前は」

 フェリクス殿下の言葉も聞かなかった振り。

 あからさますぎる無視に、この嫌味。

 態度が悪い。非常に。

 この人の心臓は毛が生えているどころか、鉄だ。鉄で出来ているに違いない。

 私の方が青ざめた。

「え、ええ。そのブレイン様も、最近の調子はどうですか?季節の変わり目ですし、体調はいかがですか?」

 昨日の今日で大丈夫なのか不安だったので、フェリクス殿下に気付かれないように遠回しに尋ねてみる。

「はい。調子は良いですね。今日はレイラに会えましたし、機嫌も良いです」

 ニコニコと私を見ながら微笑む彼はどこから見ても健康そうだ。

 昨日の彼は別人なのではないかと思う程。


 ただ。

 隣に居る絶対零度のフェリクス殿下をスルーしたまま会話をするのは止めて欲しい。

「俺の体調を心配してくれるなんて嬉しいですね」

「まあ、職業柄……」

「それでも嬉しいですよ、レイラは本当に慈悲深い」


 フェリクス殿下を無視しつつ、一言二言話しかけて来ようとするので、胃が痛くなってきた。

『この男は煽りよる……。王太子相手に煽るのは拙いのではないのか』

『王太子が我が主を権力を使って罰した結果、レディに見損なわれる可能性があるでしょう? それで二の足を踏んでいる王太子を我が主は理解しているのです。だからあのように好き勝手言っているのですよ。つまりワタクシの主は卑怯者。自分がされて嫌なことを人にするスタンスなんです』

 自分の主にあんまりな言い分のアビスに、ルナも絶句していた。


 あからさまな態度に、フェリクス殿下は私の前に分かりやすく立ち塞がった。

 クリムゾンは不愉快そうに眉を顰めている。

「なんですか? お得意の嫉妬でしょうか? 今日も通常運転で何よりです。あまりにもいつも通りなのである意味尊敬します。さすが思春期の子どもですねぇ」

「へーえ。ふーん。そうか。私を子ども扱いして勝ったつもりでいるところが相変わらず浅はかだよね、お前って。…………そんなことより、ブレインの調子が良さそうで何よりだ。それならお前は薬がなくても平気そうだね。ノエルもきっとそう思っているはずだよ。ほら、思い当たることあるだろう?」

 薬? ノエル様?

 意味ありげに微笑むフェリクス殿下の言葉に、クリムゾンは少ししてからハッとして、珍しく目を見開いて驚いていたが、すぐに皮肉るような微笑みを浮かべた。

「ああ、昨日の小動物経由ですか……。成程、そういうことですか。鼻が良い事だ。執念深くてネチネチした貴方の勝利ということですね。…………まあ、でも? フェリクス殿下。証拠がないなら意味ないですよ? 証拠がないなら、そんな事実ないも同然なんですから」

 今のフェリクス殿下の台詞で何か伝わったらしい。意味が分からない。

「私の勘だし証拠はないけど、確信している」

「よくあんな些細な一言で繋げられたものですね。変質的で粘着質ですね? レイラが可哀想だ」

「健康なら薬はいらないだろう? すぐさま出せ」

「嫌です。アレがないと私は生きて行けません。心の拠り所なんです」

 薬? 麻薬とか? そういう違法薬物とか?

 麻薬取引でもやっているとか? もしくは何かの隠語?

 もしかして、違法薬物で薬漬けとか?

 私は思わず、フェリクス殿下の背中の影から飛び出していた。


「ブレイン様! もしかして、薬の離脱症状に苦しんで居られるのですか!? ならば、早めに抜かないと!」

 精神に作用する薬は、抜こうとすると酷い頭痛に襲われる。二十ミリか五十ミリか、それ以上か、予想がつかない。

 既に蝕んでいるものを取り除くのはキツイと分かっていたけれど、放置する訳にはいかない。

 それに麻薬取引なんて……!

「えっ?」

「えっ?」

 何故か二人揃ってきょとんとして私を見ている。


「えっ……?」

 私も戸惑った声を出した。

 あれ? 違うの?


「薬って。あれがないと生きていけないって……」

 どう考えてもブレインという人間が麻薬取引か何かをしていて、本人も薬漬けのような台詞に聞こえたのだが。

 クリムゾンはキョトンとしていたが、目の前に居た私を認めると、肩を引き寄せて自らの腕の中へと閉じ込めた。

「ちょっ……ちょっと! 離してください!」

「レイラ。俺は貴女の善良さを好ましく思いますし、今すごく可愛いなあと思いました」

 よしよしと頭を撫でられているのが、訳が分からない。

 フェリクス殿下の前でこんなこと!

 止めて!と振り払おうとしたら、フェリクス殿下がクリムゾンの腕を掴み捻りあげて、私から強引に引き剥がした。

 身体強化の魔術も使っているらしい。


 乱暴に突き放されたクリムゾンは、「嫉妬深いですね。レイラのことを信じないのですか? 可哀想なレイラ」などと、含み笑いだ。


 そして、フェリクス殿下の周りの温度が下がっていく。

 それも物理的に。


 ああ……。魔力が冷えていって足元が凍ってる……。


「非常識だな、ブレイン。人の婚約者を抱き締めるなど、不埒な」

 私を背に庇い、吐き捨てるフェリクス殿下に、クリムゾンは鼻で笑う。

「少し抱き締めるだけで、その反応。それじゃあレイラはまともな日常生活を送れないのでは? 本当に窮屈な毎日を送っていたとは……。今日、耳にした情報だと王城暮らしにさせるとか聞きましたよ。病的ですよ、殿下。正直引きます。しつこい男に女性がいつまでも付き合ってくれるなんて大間違いです」

 フェリクス殿下も鼻で笑った。

「お前も似たようなものだ。人のことを言えないだろう? それにお前に引かれたところで、私は何も思わない。引いて、そのまま後ろに下がって、私たちの前に現れないでくれると嬉しいな」

「ふふふっ。レイラに応えてもらって余裕があるのは結構ですけど、過剰な愛情で押し潰されて駄目になるケースはあるので気をつけてくださいね? 色恋で目の前しか見えなくなって、自滅していくなんて愚かな真似、殿下はなさらないとは思いますが、一応ね」


『そうそう。巷で流行っている少女向けの小説には、男の愛情に押し潰された女が新しい男と幸せになる物語もあるので、あながち嘘ではないですよ』

 とりあえずアビスは自分の主を止めて欲しい。

 声が楽しそうに聞こえるのは気の所為か。

『それはそもそも少女向けなのだろうか……』

 少女向けと言いつつ、内容がエグかったりすることってあるよね……。

 私は現実逃避をしながら、そんなことを思った。


 それにしても。本当にクリムゾンは薬物依存ではないのだろうか?

 不安になってチラリと見遣れば、嬉しそうな顔のクリムゾンと目が合った。


「レイラは、俺のことを心配してくれてるんですね。安心してください。酷いことにはなってませんよ」

「…………」

 嘘っぽい発言にジト目で見つめていれば、フェリクス殿下の手が私の目を覆った。


「ねえ、レイラ。今日はこれから事情聴取をするんだよね。そろそろ行かないと時間が経ってしまうよ」

 柔らかい声だが、圧のある声でもあった。

 言いようもない不安に駆られた私は、目を塞がれたまま、頷いた。

「そうですね。私たちはこれで失礼いたします」


「彼女が俺を見るのが許せないとか、狭量ですねえ。……まあ、俺は貴方と違って大人なので引いてあげても良いですが」


『お願いだからこれ以上は止めてくれ……争いの種などもういらぬ……』


 心からの叫びを上げるのはルナで、それを聞き届けたのかどうかは知らないが、クリムゾンは苦笑すると、この場を辞して行った。

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