赫き瞳を持つ少年の遭遇
ノエル目線です。
汚らしい道の中、人が隅に倒れ伏すようにして眠っている。
労働者階級よりも下の物乞いをしなければ生きられない人々。子どもたち。
レイラの家のヴィヴィアンヌ侯爵家は、そんな者たちを救うべく、現在は孤児院関連の改革を進めているらしい。
ちょうど深夜だろうか。満ちかけの月が照らす中、ノエル=フレイは息を潜めながら周囲を歩いていた。
あれから調査を更に進め、クリムゾン=カタストロフィの取引現場を押えるべく、極秘情報を得たのだ。
──今日、何か証拠を掴んでみせる!
ノエルは、まだ何も出来ていない。
若き天才魔術師と言われていても、まだ何も成していない。
魔術師団団長を父に持っているだけの子どもだった。
実力主義である魔術師団は、魔導騎士とは違い、主に魔術の研究をする集団だ。王家に認められた者しか入団出来ない。
その団長の息子で、将来を約束されている名門の出。
と言いつつも、研究に時間を費やすことが多く、爵位は子爵止まりだが、権力的には伯爵家並みという名門貴族。
そうした貴族家の長男として生まれ、魔術の才能と、魔力の粒子を見ることが出来る特殊な赤目を持って生まれてきた。
それがノエル=フレイの全てだ。
濡れ羽色をした艶やかな黒髪にはっきりとした意思が滲む緋色の瞳が暗闇の中で光った。
生まれてすぐ、両親を除いた身内に迫害され、フレイ家一門から親子逃げ出すように隣国へと住み着く羽目になった諸悪の根源。
呪われた瞳。誰もが怖がる瞳。
この目を持つ人間は総じて魔力が高く、災いを起こす存在だと言われている。
ノエルはこの目を誰よりも憎んでいた。
ノエルたち親子がクレアシオン王国へと戻って来ることが出来たのは、ノエルが次期当主の座を従兄弟に譲ったからだ。
周りからはノエルが継ぐと思われていたりするが、真実は違うし、契約魔術も交わしたし、書面にも残してあるのだ。
母国に戻ってきたのは、学園に入学する一年前。
ノエルはこの国の言語を一年かけて学んだ。
だが、今だに貴族らしい言葉遣いが出来ない。
今でも思い出すのは、王太子であるフェリクスの言葉。
『大勢の前では取り繕う必要があるけど、私の前ではノエルの口調で良い。口調を気にして何も言えなくなるよりは意思疎通出来た方が良い。力になって欲しいから』
ノエルの口調を許す、という寛大な言葉。
だが、裏に含まれているのは、「魔術師としての忌憚なき意見を求める、力を貸せ」という言葉だ。
この瞬間、ノエルはフェリクスに逆らう気はなくなった。
もともと逆らう気などなかったけれど、ノエルの呪われた目の噂など気にすることなどなく、使える者なら使うという姿勢を見て、面白いと思ったからだ。
──あの時は久しぶりだったからな。マトモに人と話したのが。
フェリクスがそんな姿勢なため、追従するハロルドとユーリもノエルの目については何も言わなかった。
物珍しそうにはされたけれど。
大体は目を逸らされて遠巻きにされるのが当たり前だったので、これも意外だった。
それからもう一人、呪われた目と噂されたこの目を見ても忌避することなく、普通に接してくれたのはレイラだ。
ノエルの取引先の一つ。本人を目の前にして、この赤い目について考察していた彼女。
知らない振りをするでもなく、気にしないでもなく、しっかりと目に入れて向かい合った上でノエルの見える世界を理解しようとしてくれた初めての人。
そして何より、この呪われた目を見て、綺麗と言ったただ一人の人間。
彼女のその何気ない一言に、何がなんでも自分は嫌われるという固定概念を崩された気がした。
……それから彼女のことは特別だ。
レイラはありふれた同情もしない。
ノエルの観察する限り、彼女は同情というものがあまり好きではないらしい。
気持ちはよく分かる。
『可哀想……ノエルくん。私は分かってるからね!』
これは、リーリエ=ジュエルムに言われた言葉だ。
悪気はないと分かってはいたけれど、どうしても苛立ち、冷たい態度が出てしまったせいで彼女には何度も泣かれた。
冗談じゃない。押し付けられた善意などいらない。
それに自分は可哀想じゃない。
本当に何も思っていなかったのだ。
物心つく前から怖がられていたし、それは当たり前で日常だったのだから。
申し訳なさそうな親たちを見るのは嫌だったが。
強いて言うならそれくらい。
レイラもリーリエに色々と失礼なことを言われていたのに、よく苛立たないものだ。
──そういえば、今朝。大丈夫だったのか、あいつは。
闇の中を進みながら、今日の朝に会ったレイラのことを思い出す。
──ゆうじん、か。
良い単語だ。そういえば友人を持つのは初めてかもしれない。
フェリクスのことは友人というよりも、臣下としての感情だし、ユーリも言わずもがな。
ハロルドは、仲間だと認識しているが、友人とはまた違う気がする。……よく分からない。
レイラとは取引相手だが、愚痴を零せる相手だし、研究の手伝いをしてもらったりと、友人っぽいのでは?と思っている。
ヴィヴィアンヌ医務官には遠く及ばないが、ノエルは薬学について研究し、効力を上げたりしている。
これを自領で活かすことが出来たら、より繁栄するかもしれないし、魔術師団に居る父の顔も立つ。
ジャリ、と廃屋の瓦礫のような何かを踏み締めた時、何者かの気配を感じ取った。
学園内で不審者に隠形魔術を見破られてからというもの、彼なりに術式の改良を進め、己の目も駆使して、隠形魔術を見破る術を見出した。
魔力の粒子に対して、今のノエルはいつも以上に敏感だった。
ふと、そこだと思い、懐から短剣を取り出して投擲した。
ひゅっ、と夜の風を切って一層深い闇へと刃の先が抉ろうと飛んで行く。
刹那。
「おっと、危ないですね。まさかこちらが見破られるとは。これはマズイですね」
マズイと言いつつもそうとは思えない飄々とした声。
闇の中から揺らぎ出たその人影。
月の光に照らされる紅の髪。
噂通りの容姿。
眼鏡をかけた青年の顔は思ったよりも若い。
ノエルの期待は外れ、学園内で出会った紅の髪の不審者とは別人のようだ。
眼鏡をかけているとはいえ、以前見た顔と違うのだから。
顔をよく覚えていないとはいえ、さすがに一度見た顔とそうでない顔を判別するくらいはノエルも出来る。
ノエルは思わず呟いていた。
「クリムゾン=カタストロフィ……」
「おやおや、俺のことをご存知で? そう言えば、俺の周りをチョロチョロと嗅ぎ回っていた小動物が居たようですが、貴方でしたか。ついに俺を見つけることが出来たのですね。ふふ、進歩していますね」
「おちょくってんのか、あんた」
紅の髪を持つ男はわざとらしく肩を竦めた。
「いいえ、素直に感心してるんですよ。なかなか優秀だとは思っていましたが、まさかここまで優秀だとは思っていなかったので。そろそろ気をつけるべきですかね?」
大袈裟な仕草で小首を傾げる仕草が鼻につく。
ようやく目に入れる程の価値になったと言わんばかりの傲慢な視線に苛立ちを覚えた。
とにかく虫唾が走る。
──癇に障るな。この男。
「それで、何か俺に御用ですか? もう取引は終わりましたので、証拠も何もないですよ。ふっ、現行犯逮捕も何も出来なくて、大変残念ですね? ご愁傷さまでした」
クリムゾンはノエルを見下すように鼻で笑い、チラリと視線を寄越す。
「取引は終わったとしても、当人が居る。」
目の前に、犯人が居るのだ。
「可愛いですね。貴方ごときが俺を捕まえられると? 状況は分かっていますか? 隠形魔術を見破っただけですよ? それだけで全能感に浸れるとは安いですねえ」
「舐めてるのか?」
「舐めてる? 嫌ですよ。貴方なんて舐めたところで甘くない」
完全にこちらを煽るクリムゾンを睨み付け、その瞬間、僅かに雲に隠れていた月が完全に顔を出した。
ノエルは目を剥いた。
「……それ、何であんたが?」
思わず指を差した先。
クリムゾンが持つ布袋。
それは、レイラの持っていたものと同じだ。
巾着とレイラが呼んでいた独特の形状をした布袋。
時折、採集の時に使っていたから知っている。
「お前……その袋」
あいつに、会ったのか? この犯罪者が?
それはすなわち、何らかの形で知らないうちにクリムゾンとレイラが接触していたということだ。
「袋……? ああ、これですか? 中身は薬ですよ」
彼は大切そうに布袋の口を開けた。
中から出した薬の容器は、レイラがいつも使っているものと同じだ。
──あれは取引先相手のものではなくて、レイラが私的に使っているもの……。
確定してしまった。
大切な友人が犯罪者と接触したという事実を。
「あんた、その薬は何だ?」
クリムゾンは薬の瓶を袋に戻し、大切そうに撫でながら、目線を手元に落とした。
まるで恋い慕う者からの贈り物を見るみたいな……。
「これは俺の好きな女が、くれた薬ですよ」
僅かに頬さえ染めているように見えるのは気の所為か。
──レイラが危ない。
こんな人身売買に関わる闇側の人間を彼女に関わらせる訳にはいかなかった。
大切な友人が、危ない目に遭うのは耐えられない。
──フェリクス殿下!
一刻も早く報告しなければ。




