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 たった今まで眠っているとばかり思っていたクリムゾンが、何事もなかったかのような口調で話しかけてきた。

 しかも平然と立ち上がって、こちらへ歩いて来るではないか。


「あの! お身体は平気なのですか? いきなり立ち上がるなんて!」

「大丈夫だと思いますよ。どうやら枯渇した魔力を充填してくださったみたいなので、体も回復に向かっています。なあに、大したことはありません。充分に英気を養いました」

 ボロボロの体なのに、彼は何でもなさそうに大丈夫だと言う。

 リアム様は撤収しようとしていたらしく、もう一度防御膜を発動させることにしたらしい。

 私たちから少し離れた距離で魔術を使っている。ちょうど私たちの声は聞こえない距離だし、声を拾う魔術も使っていない。

「体中にたくさん怪我の痕があるのに、大したことないって……! 痛むのでは?」

「痛みはないですよ。痛覚はほとんどないですし。あ……舌だけは痛覚ありますよ」

 さらりと言う台詞ではない。とんでもないことを平然と言うあたり、彼が身を置く場所の凄まじさが分かる。

 クリムゾンの影から、しっぽだけが飛び出しているのは、アビスだろう。

 疲れたようにしっぽが振られているが、いくらか回復したのかもしれない。

 アビスが補足説明とばかりに口を挟んだ。

『我が主は痛覚がない分、気を抜くと死にかけるのです。ワタクシは痛みとはなくてはならないものなのだと再確認しました』

「……痛みがない…………」

 ふと、随分前のことだが、もう舌しか痛覚が残っていない状態であると聞いたことがあった。

 冗談でも何でもなく?

 ……おそらくこれは事実なのだろう。

 普通ここまで傷付けられれば、患部を庇うような痕跡が残ってもおかしくないのに、彼の傷跡は抵抗した痕跡がなかった。

 身動き出来ない状況だっただけではなく、単に攻撃されても傷が痛まないから、避けることさえもしなかったとしたら?


 痛みとは、人の防衛本能の一つだ。

 それを失ったらどうなるかなんて明白で。

 その末路を自らの体で証明する形になったクリムゾンは、一体何を思うのだろうか?


「すいません。戻りました! レイラ様」

 タタタっと私の隣へ陣取って、無意識にクリムゾンから引き剥がすリアム様。護衛の本能なのかもしれない。

 クリムゾンの意識が覚醒した途端、彼は警戒を始めた。

「……さて、そこの人。何があったか説明してもらっても良いっすか? 魔力が枯渇しているなんてただ事ではないので」

 眼鏡をクイッと上げる仕草をしながら、クリムゾンが首肯した。

「貴族の中でまことしやかに語られているではありませんか。人工魔獣が人為的に召喚されかかったという話。この国の王太子様御一行が防いでくださったおかげで被害は最小限に食い止められたと」

 それは私もリアム様もよく知っていた。

 直接攻撃したのは、私もだ。

 魔力枯渇。人工魔獣? まさか。

「まさか……人工魔獣に魔力を奪われたのですか!?」

 クリムゾンは一人の被害者として、襲われたその先に待ち受けている運命を語る。


「俺が襲われたのはたぶんそれです」

「…………」

 明らかに虐待されていたとしか思えないのに、どうやら彼は人工魔獣に襲われた被害者として振る舞うらしい。

 でも、人工魔獣に魔力を奪われた事実は本当のような気がするのだけど。

『枯渇の原因は人工魔獣の捕食行動なので、嘘ではありませんよ、レディ』

 私の横でアビスがまたもや補足した。

「なるほど。被害者っすか……。ということはまだ魔獣が徘徊している可能性もあるということか……。ちょっと、騎士団に要請しますか!」

 リアム様の念話が終わった後、クリムゾンはまるで協力者か何かのように私たちに語り聞かせた。

「一応、俺も魔術師の端くれ。大した者ではありませんが、情報提供をさせていただきます。レイラ=ヴィヴィアンヌ様と言えばフェリクス殿下の婚約者の方ですよね。初めまして」

『こんな時に言うことでもないと思うが、白々しすぎる台詞だなと少し思った』

 ルナの言う通り、この人は何度、初対面を装うのだろうか。

 私は巷で有名なので、名前と顔を知っているという設定らしい。

 初対面の相手に向ける時特有の居住まいの良さとか、いつもの慇懃無礼で妖しい言動を取り払ったりとか、クリムゾンは取り繕うのも上手ければ、演技も上手い。

 貴族向きの人間なのは確かで、私も貴族の人間として動揺を見せずに挨拶をしておく。

 では早速説明させていただきますが、とクリムゾンが改めて切り出した。

「人工的に生み出されたあの怪物。あれは魔力のある人間を積極的に狙うようですね。最初は魔力を吸い尽くし、最終的には肉片すら残さないのです。人工魔獣と普通の魔獣の見分けなど普通はつかないので、不幸な事故として処理されてしまえば、完全犯罪の完成だなあと俺は思いました、はは」

 自分も死にそうになったというのに平然とのたまうその姿。

 先程、弱っていた姿と大違いだ。

「何笑って言ってるんすか! あんた死にかけたんでは?」

 私も大いに頷いていれば、クリムゾンは苦笑した。

「この度はお手数おかけました。魔獣に魔力を食われて枯渇しかけたのですが、なけなしの魔力を使い傷を塞いだら完全になくなりまして。どこかで自然に回復を……と思って人目のつかない場所まで歩いて来たら力尽きたんですよね」

 虐待されて、トドメとばかりに魔力を吸収され、命からがら逃げ出してここで回復しようと一人眠っていた……と?

 人目のつかないところを探してこんな廃墟まで来るなんて、クリムゾンには安心して眠れる場所すらなかったのだ。

 大丈夫?なんて声を容易にかけられない程、彼は切迫していたし、文字通り急場をしのいでここまで来たに違いない。

「そんな顔をしないでください。俺はこの通り無事ですから。貴女が魔力を回復させてくれたおかげで睡眠を取ったら普段と変わりないくらいには元気になりました。貴女みたいな綺麗で可愛い女性に介抱してもらえるのは幸運でしたし、良い記念になりました」

『後半の口説き文句らしき何かを聞く限り、それなりに回復したようだな』

 まだ本調子ではなさそうに見えるけれど、軽口を叩けるくらいには回復したようで何よりだ。

「ナチュラルに王太子の婚約者を口説くのは止めていただけませんかねえ? 一応、俺も報告しなきゃいけないんで。うちの王太子、けっこう心狭いから」

「知ってます」

『そこで即答するか、普通。明らかに怪しまれるだろう』

『それが我が主なのですよ、狼殿。ついポロッと吐き出される毒。ああ、ワタクシの主らしい』


 王太子と知り合いなのかと訝しむリアム様に、クリムゾンはあっけらかんとして言った。

「前にフェリクス殿下とブレイン=サンチェスター公爵家令息がやりあっているのを、たまたま見まして。二人とも心が狭いなあと」

 よくもこれだけ嘘を並べ立てられるものだ。

 嘘をつくことに躊躇いがないのは、彼の生い立ちがそうさせるのか。

『自分のことまで言ってるぞ。心が狭いと』

 ルナが突っ込む。

『自覚あったんですね、我が主も』

 それにしても、今のクリムゾンは第三者の振りをしていて、それがなかなか様になっている。

 常の慇懃無礼さや、煽るような態度はなりを潜めていたけれど、やはりフェリクス殿下の話題になると毒が顔を出す。

 仮にも一般人がフェリクス殿下のことを心が狭い……なんて言うのはおかしいのでは?

 リアム様も怪しむはずと思ってリアム様を見てみれば。

「あ、分かっちゃいます?そうそう、子どもみたいな喧嘩をするんだよ」

「微笑ましくなりました」

 クリムゾン……。完全に人を選んで言ってる……。

 それに分かり合う者同士がする気安い雰囲気が少しだけ流れているのもすごい。

 リアム様は他の護衛と違い、「無礼者! 王太子にそのような……!」みたいなことを言わない。


 その後、リアム様は魔獣に襲われた経緯を細かく聞いていたが、クリムゾンは嘘か本当かはともかくとして、比較的筋の通った説明を返していた。

 森の中で人工魔獣と遭遇……。確かに前例があるから嘘ではないけど。

「さて、と。俺は仕事があるのでそろそろ帰っても? 本来なら説明責任とかあるのかもしれないのですが、仕事上、悪い風評を蒙りたくないのでお暇したいです」

 嘘。先程まで倒れていたのに? 安静にしている場合ではないのは察するところがあるけれど。

「いやいや、そういう訳にもいかないでしょ。一度騎士団に来てもらった方が」

「俺の体は魔力を食われた跡しかありませんし、俺を調べても何も出てきませんよ?」

 いやいや、調べたら色々と出てきそうな気がするのは私だけ?

 でも、このままクリムゾンを騎士団に連れて行ったら、彼にとっては不都合なのだろう。

 人に見られたくないからこんなところに居る訳で。

 思わず、私は口を開いていた。

「リアム様。魔力を吸い取られた人間の体について私がレポートをまとめます。魔獣の攻撃だけあって少し特殊な痕跡が残っていましたので。先程見せていただいたので、全て書き出すことは可能ですし、話も一通りお聞きしましたし、これ以上は特に進展はないかと」

 クリムゾンの虐待の痕跡は除いて、その特徴を上手くまとめておけば、彼を騎士団に連れて検査する必要はない。

「レイラ様。あの一瞬でパターンとか、特徴を掴んだんすか!?」

「医療従事者で叔父様の助手ですもの。それくらいは基本です」

「色々と規格外な人たちだなあ……。ヴィヴィアンヌ一族は。まあ、確かに話は聞いた訳だし」

 リアム様は一瞬考えた後、何かをメモ帳に書き付けて、それをクリムゾンの手に握らせた。

「……この住所は騎士団のもの。他に何か思い出したら、ここに来るってことで」

「承知いたしました。お気遣い感謝します」


 私はポーチの中から体力回復薬と魔力回復薬を2本ずつ取り出して慌てて小さな布袋に詰めて、彼に思わず押し付けていた。

 魔力と体力さえあれば、どうにかなるはずだ。

 また、こんなことになったとしても、魔力で傷を治せさえすれば。

「……ありがとうございます。ふふ、どうしたのです?泣きそうな顔をしていますよ」

 私、どんな顔をしているのだろう?泣きそうなの?私が?

「……これ持っていってください」

「ありがたくもらっていきます」

 薬の入った布袋を大切そうに抱え、彼はこの場から立ち去った。


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