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 柔らかな布の上に横たわらせたクリムゾンに心臓マッサージをしながら、魔力充填機器で、人工的に魔力を満たしていく最中、アビスは意識のない主を見守っていた。

『襲撃が失敗に終わってから監禁され、暴行を受けていたのです。我が主は。ワタクシの力で抜け出そうと申し上げましたのに、それをしたらワタクシのことが露見すると主はそのまま……』

「これって、襲撃が失敗したから……よね?」

 私たちに密告したクリムゾンは、主からの叱責をその身に受けていたらしい。

 魔力が充填されるのを確認し、安定するように魔力のさざ波を私の方からも干渉して整えていく。

「とりあえず、魔力の回復は出来たけれど……。体の傷は塞がれているし……、後は体力かしら」

 いくつか体力回復薬を用意しておき、彼の息が通常通りになるのを確認する。


「色々と聞きたいことがありすぎて、もはや何も言えないわね。まずは治療だけれど」

『治療に専念するところがご主人らしいな』

「本当はもっと色々と隅々まで回復させたいところなのだけど、身体中に魔術の痕跡があるからあまり負担はかけたくないわ。……アビス、貴方の主は自分の体を使って実験しているの?」

『そうですね。半分くらいは』

「……半分って」

 何を言っているのかと顔を顰めていれば、アビスは恐ろしいことを口にした。

『自分で実験している部分も確かにありますが、半分程は実験体として利用されているのですよ』

 クリムゾンは自らの体を使って今まで実験をして来た?

『知れば知る程、きな臭いな。そなたの主は』

『狼殿。誤解しないでください。決して好きでこうなった訳ではないのですよ。自分が楽しいか楽しくないかと生きてきた主ですが、これはさすがに楽しくない』

『それもそうか。……すまない』


 と、二人が話している時、呼吸も安定していたクリムゾンが薄らと目を開けた。


「ここは……?」

「あっ」

『主!』

 目が覚めたのを見て、小さく声を上げると、彼は意識が朦朧としているのか視線を彷徨わせる。

 目の焦点が合ってはいなかった。

 アビスの声はどうやらクリムゾンには聞こえていなかったが、ふと私に目が留まり、目を僅かに見開いた彼は、咄嗟に私の手首をグッと掴んだ。

「……っ!?」

 意識が朦朧としているからか、力加減が分かっていなかったようだ。


「レイラ? ……レイラ…………レイラ」


 私の名を確認するように口に乗せて、何度か呟いた。

 その声に覇気はなく、うわ言のよう。

「私が分かりますか?」

 そっと耳に唇を近付けて声をかければ、彼が僅かにコクリと頷く気配。

 何かを言おうとする気配を感じたので、彼の口元に耳を寄せる。

 息は弱々しく、その声は掠れていた。

「レイラ……? これは、夢なのか……?」

「夢ではありません。これは現実です」

 夢と現が判別つかなくなっている?

「……レイラ。貴女は……何故、ここに居る? ……俺は実は死んでいて、これは都合の良い夢で……」

「貴方は生きています。体も傷は塞がっています。体力が回復すれば動くことが出来ます」

「本当に? ……俺は動ける、のか?」

 クリムゾンの口調は、いつもの慇懃無礼なものではなかった。

 珍しく弱気な発言を私は否定した。

「貴方は生きて、しっかり呼吸をしています。動けるようになりますから」

 クリムゾンの目が瞬いたが、それ以上彼は何も言わなかった。

『申し訳ありません、レディ。ワタクシも少々眠りにつく。魔力が足りないゆえ……』

 アビスは、少しでも回復のために魔力を温存したかったのか、彼の影の中へと入っていった。

 契約精霊は主から魔力をもらって、魔法を使い、この世界に干渉することが出来る。

 上位精霊を除いた精霊たちは、主人を得なければ基本的にこの世界で魔術を使うことが出来ない。

 主人が魔力切れを起こしている場合、何も出来ないのだ。

『ふむ。どうやらこの黒猫。自前の魔力を己の主に分け与えて回復を早めようとしていたらしいな。魔力を消耗している』

「もし、私たちが通りかからなかった場合は……」

『ふむ。この男は自然回復をする気だったのだろう。ここなら人は通らないからな』

 つまり息も絶え絶えになって、フラフラの体でここまで辿り着き、力尽きたということだろうか。


 クリムゾンはボンヤリと私を見つめたまま、弱々しく手首を掴んだままだった。


「レイラ」

「はい? 痛みますか?」

 くいっと手首を掴む手を引っ張られて、彼の方へと向き直る。

「……いたくない……レイラ。痛くはない。俺の体は、……どうなって、いる?」

「傷口は塞がっていますよ。意識が朦朧としているのは、体力がないからです」

「死ぬ……訳には」

「起き上がらないで。さっき、私の護衛が付近に防御膜を張っていましたから」

 起き上がろうとしたクリムゾンを手で制する。

 私の手首を掴む彼の手は弱々しく、普段の彼は見る影もない。


「ここで眠ったら二度と……」

「目が覚めないなんてことはありません。貴方の体は無事です」

 ひたすら大丈夫だと言い聞かせる。

 意識が朦朧とし、痛みも分からず、彼は私の姿と声しか認識していなかったのだ。

 意識を繋ぎ止めなければいけないと彼は意固地になっていた。

 それは痛みからではなく、生理的なものだったのか、はたまた恐怖か。

 彼の目から一筋の涙が伝い落ちた。

「……貴女を置いて逝きたくない」

「クリムゾン?」

「レイラ、……名前を呼んで」

 これ以上、会話をさせるのは負担かもしれない。


「クリムゾン」

「ああ……貴女にだけ呼んでもらう、名前だったのに」

「……」

 クリムゾンという名前は彼が自分のために付けた名前だった。

 そういえば名前を教えられた頃に彼は言っていた。

 この名前を使う者は誰も居ないと。

 その頃はまだ人身売買はしておらず、もしかしたら実験体を自力で調達していたのかもしれない。

 それなのに、いつの間にか裏社会の人間としての名前が浸透している。

 明らかな偽名として、認識されて。

 いや、彼の認識としては、クリムゾンというこちらの名前の方が本名なのだ。

 それなら、もしかして名を使った契約魔術も使える?

 明らかに偽名と分かるのに、クリムゾンの認識では真名だから、おそらく本名と同じ機能を持っているのだろう。

 クリムゾンがレザレクションでも有名なブローカー兼バイヤーなのは、そういう意味で信用されていたからだろう。

 裏社会で本名を使った契約魔術を使う者は他には居ない。

 これは彼の、偽名だが、彼にとっては本名だったという特殊な状況を利用していた。

 都合が良かった。自分のためだけに付けた名前すら利用するほど、差し迫っていたのだろうか?


「レイラ……レイラ」

 何度も名前を呼ばれて、手首を跡が付く程に握り締められる。

「……貴方はそろそろ眠った方が良いですよ、クリムゾン」


『音声魔術を使うのか?』

「うん」


 どうか、早く回復しますように。


 癒しを求める歌を口ずさむ。

『その歌を聞き届ける者はここにも居るだろう』

「うん」


 音に魔力を乗せて少ない魔力で発動する音声魔術。

 何故、音と魔力で魔術として発動するのか。

 それは魔術であって、魔術ではないからだ。

 正しくは音に魔力を乗せて、自然界に無数に存在する精霊たちに贈る歌、もしくは願い。


 つまり、聞き届けた精霊たちが術者の願いを聞き届ける儀式、または降霊術に近い何か。

 おそらく魔法を思うままに行使出来るのは上位精霊だけで、無数に存在する下級精霊たちも人間の願いと魔力がなければ、基本的には魔法を使えない。

 詠唱歌は紛うことなき祝詞なのだ。

 だから、魔力が少しでもあれば誰でも使える。正確性は求められるけれど。

 最も難しい魔術と呼ばれ、使い手が居ない失われた魔術になりかけた希少な魔術。


 眠れ。ほんの一時でも良い夢を。再び目覚める時は祝福あれ、と。

 眠りと回復を祈る。


「…………レイラ」


 何度も名前を呼ぶクリムゾンの傍らで奏でる。


「レイラ……俺は……貴女を愛してるんだ」


 消え入りそうな声は、詠唱歌を奏でる私には聞こえず、歌を止める訳にいかなかった私は再び聞き返すことはしなかった。


 回復の詠唱歌は、音声魔術の中で最も難しいと言われているものだったからだ。

 魔力も他のものより消費する。

 だけど、人工の魔力が馴染み始めた彼の体になるべく刺激を与えたくなかったのだ。


 回復、治癒系統は、魔術の中でも高位である。

 だから、治癒魔術を思う存分使える光の魔力の持ち主は重宝されるのだった。


 しばらくして、リアム様が様子を見にやって来た。

「レイラ様。どこかに運びます? このままここに居る訳にもいきませんし」

「そうですよね。やはり、きちんとした医療院に送るしか……。……でも」

 彼はなんとなく嫌がりそう……というかどう見ても訳ありだからそのまま送るのはマズイ気がする。

 彼らが本調子に戻るまでルナを付けてここに置いていくという方法しか思いつかない。


「その必要はありませんよ」

 頭を悩ましていれば、聞き慣れた声がした。

 振り返れば、ゆっくりと身を起こしているクリムゾンの姿。

 彼が目を覚ましたのは眠ってから一時間というところだ。


 早くない!?

 魔力切れを起こしていたのに!?


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